2026/02/27

一瞥体験の質問 

私はカリヤニとギルバートにFacebook経由で同じ質問をしました。私のへなちょこ英語ではダメなので、ChatGPTに英訳してもらいました。

Dear Kalyani,

How are you? I’m writing today because there is something I would like to ask you.
I learned non-duality from Sailor Bob, and I believe I understand non-duality. I understand that what is commonly called “enlightenment”—the idea of suddenly being enveloped in light one day, falling into ecstasy, and then living forever wrapped in bliss—is a foolish fabrication. I think the teaching of non-duality is fundamentally a matter of understanding.

Recently in Japan, many people have begun teaching non-duality, and there are many non-dual teachers online. Most of them start by saying that they had a “glimpse experience” and experienced non-duality. These glimpse experiences vary widely: experiences of there being no “me,” states in which a causeless sense of happiness continues for a while, experiences of being enveloped in unstoppable love, and so on.

I believe that we never actually experience the non-dual reality itself. I also believe that we do not glimpse the non-dual reality. A glimpse experience is, after all, just an experience—something like a pseudo-experience—and not non-duality itself.

So my question is: how should we understand the glimpse experiences that people talk about? Is it possible for us to glimpse the non-dual reality?

Recently, I’ve been watching Rupert Spira’s YouTube videos. In one of them, a questioner talks about a glimpse experience, and Rupert responds as if that glimpse experience were the happiness people are seeking. Watching that video made me feel doubtful about glimpse experiences. If possible, I would appreciate it if you could share your thoughts.
Rupert’s YouTube video: What Is Liberation https://youtu.be/UOMrtaE5OX8

日本語の原文を保存しておかなかったので、英文をまたChatGPTで翻訳したものを載せておきます。

拝啓 カリヤニ様

お元気でいらっしゃいますか。今日は、ぜひお伺いしたいことがあり、ご連絡いたしました。

私はセーラーボブから非二元の教えを学び、自分では非二元を理解しているつもりです。一般に「悟り」と呼ばれている――ある日突然、光に包まれ、恍惚状態に入り、その後ずっと至福に包まれて生きるようになる、という考え――は、愚かな作り話だと思っています。非二元の教えは、本質的には「理解」の問題だと考えています。

最近日本では、非二元を教える人が増え、オンラインにも多くの非二元の教師がいます。その多くは、「一瞥体験(グリンプス体験)」をした、つまり非二元を体験したことがある、と語るところから話を始めます。しかし、その一瞥体験の内容は実にさまざまです。「私」が存在しないという体験、理由のない幸福感がしばらく続く状態、抑えきれない愛に包まれる体験、などです。

私は、私たちは非二元の実在そのものを実際に体験することはないと考えています。また、非二元の実在を「垣間見る(グリンプスする)」こともないと思っています。一瞥体験というのは、結局のところ単なる体験であり、いわば擬似的な体験のようなものであって、非二元そのものではないのではないでしょうか。

そこでお伺いしたいのですが、人々が語る一瞥体験は、どのように理解すればよいのでしょうか。私たちは非二元の実在を垣間見ることが本当に可能なのでしょうか。

最近、ルパート・スパイラのYouTube動画を見ています。その中の一本で、質問者が一瞥体験について話し、それに対してルパートが、まるでその一瞥体験こそが人々の求めている幸福であるかのように答えていました。その動画を見て、私は一瞥体験について疑問を感じるようになりました。もし可能でしたら、あなたのお考えをお聞かせいただければ幸いです。

ルパート・スパイラのYouTube動画:
「What Is Liberation」
https://youtu.be/UOMrtaE5OX8

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それに対する二人の答えが、それぞれ違って興味深いものでした。了解を取ってないので、そのまま全部掲載できないので、部分もしくは要約を載せます。

まずはギルバート
ギルバートは、ビデオは見てないと前置きした上で簡単に答えてくれました。(Google翻訳)

***
すべての体験は知性(intellect)による作り事だ。
自己の中心は、主体(私)として想像されている。
非二元は言葉では表せず、記述不能で、沈黙そのものだ。
理解は誰にでもあるが、思考によって覆い隠されているように見える。
誤解こそが共通要因であり、それはすべて分離の夢だ。
***

まだ少し続きがあるのですが、ここまでで十分です。私にとっては最初の一行「すべての体験は知性による作り事だ。」で十分でした。これが私の求めていた答えでした。

そしてギルバートは、ボブの本をしっかり読んで自分で「私」が実在かどうかをちゃんと調べてみなさいという返事で、私の質問には直接答えませんでした。でも、それで十分でした。ギルバートの返事は、どうして今さらそんなことを聞くのかと言う感じで、座禅の時の警策ように私をピシャリと打ちました。


そしてカリヤニ
カリヤニからの返事は、この質問は多くの探求者が抱く疑問なので、ぜひ私のセッションを受けてみたら、というものでした。え~、私は十分に非二元を理解したと思っているし、初心者じゃないんだから、今さらセッションなんてと思ったのですが、どんなセッションをするのか興味があったし、無料でいいからというので受けることにしました。

日を改めてZoomでセッションをしてくれました。詳しい内容は了解をとっていないので控えさせていただきますが、カリヤニの説明はセイラーボブの教えを色濃く反映したもので、どんな体験も起こっては去っていくもの、幸福も不幸も起こっては去っていくものだということ。そして、体験に対してあれこれと判断しているというのはマインドにすぎないというものでした。

カリヤニは私が十分に非二元を理解していることは承知していましたが、親切にも詳しく説明してくれて、納得のいく説明でした。

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二人の答えは私の理解していることと同じでしたが、カリヤニもギルバートも私の問い(一瞥体験)には直接答えませんでした。彼らにしてみれば、こんな質問自体が論外で的外れだということです。どんな体験もマインドの中の出来事であり、非二元を体験することではありません。一瞥体験はマインドの産物です。そしてルパート・スパイラが何を話そうが、彼らにはどうでもいいことのようです。そんな些細なことをあれこれ考えるなということだと思います。おそらくカリヤニもビデオを見ていないと思います。

日本ではあまりにも多くの人が一瞥体験について語り、あたかもそれが非二元を理解する通過儀礼のように語られている現状があり、一度ちゃんと聞いてみたいと思っていたのですが、彼らにしてみれば、今さらどうして私がそんな初歩的なことを聞くのかと思ったい違いありません。彼らにしてみれば、人々が好き勝手に語る一瞥体験なんてどうでもよいことであり、非二元の本質を理解することとは何も関係ないということです。

私が取り上げた今回の動画でも、ルパートは一瞥体験を肯定しているわけではなく、幸せな状態に焦点を当てているにすぎないのだと思います。でも今回の件で私が思ったのは、このブログでセイラーボブ以外の非二元の教師を詳しく取り上げるのはよくないなということです。カリヤニも言っていたのですが、いろんな人がいろんな教え方をします。その細かい部分の整合性を確認しようとしても無理だということです。

唯識には唯識の説き方がり、ヒンズー教にはヒンズー教の説き方があります。ルパートにはルパートの説き方があります。それを良いとか悪いとかいっても始まらない。それぞれ自分に合う教師や教えを見つけて本質的なことを学べばよいのだと思います。その説明はそれぞれ違って当たり前です。

ルパート・スパイラの説き方は、ある意味とても理論的で、理屈で理解したい人には向くと思います。でも、例えば意識の局在化というモデルや、世界の半分は人の意識でできていて、残り半分は大いなるもの、あるいは神の意識でできているというモデルは理屈としてはわかるし魅力的ですが、果たしてそれが正しいのかどうかはわからない。世界は幻だという説明も、わかりやすいのですが結局は証明しようのないことです。

そして、ルパートは幸福を強調しすぎるような気がします。私としては幸福も不幸もマインドの中のことだと思っています。でも、ルパートは非二元が浸透し始めると最初に内側が変わり、そして外側が変わって幸せになっていくと言います。「幸せになれる」、それがルパートの人気の理由だと思うのですが、こういう説明に違和感を覚えます。こういう説明は引き寄せの法則や願望実現の教えに繋がりかねない気がします。そしてそれは非二元の本質とは外れているという気がします。

私としてはセイラーボブのような細かいところはあまり説明しない説明の方が受け入れやすいです。世界は知性エネルギーの働きだ! 以上おわり、あとは自分で調べなさい。の方がわかりやすい。今までさんざんルパートをほめて、たくさんのYouTubeを載せておきながら今になってなんだ、と言われそうですが、申し訳ありません。ルパート・スパイラがすばらしい教師であるという思いは変わりませんが、ルパートとのハネムーンが終わってしまいました。そろそろルパート・スパイラを卒業しようと思います。

今のところ、海外の非二元の教師のうち日本で情報を入手できる教師ではルパート・スパイラが質、量ともに一番ではないかと思います。しかもまだ健在で話し続けているということも重要です。ルパート・スパイラのYouTubeにはまだまだすばらしい動画がたくさんあるのですが、なにも私がブログに取り上げなくてもみなさんがご自分で見ていただければいいのかなと思います。

セイラーボブ以外の非二元の教師がどういう説き方をするのか知ることは役に立ったと思います。でも今後はボブ以外の非二元の教師に深入りすることはしないつもりです。そうすることで、かえってセイラーボブの教えが不鮮明になるような気がします。

2026/02/25

一瞥体験の後、続くプロセス  ルパート・スパイラ

「Rupert Spira 非二元のエッセンス」堀田真紀子さんのYouTubeから転載させていただきました。わかりやすい日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→日本語)。

堀田さんのYouTubeチャンネルに堀田さんによる解説があるので、そちらを参考にしてください。堀田さんのYouTube

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オリジナル動画は「What is Liberation?」です。

私はこの動画を見て、ものすごい違和感を覚えました。私のブログではエンライトメントはないということを繰り返し書いてきました。ルパートもエンライトメントとは昔から信じられてきた突然の至福体験ではなく、自己の本質を認識することだと言っています。

もしそうだとすると、一瞥体験とは何だろうという疑問がわきます。私たちが非二元の世界を見ることや体験することはないはずです。この動画では、質問者が数か月の間、地上の天国のような状態が続いたあと、それが消えてしまったと言います。質問者は、glimpseという言葉を使っていて、一瞥体験という訳になっています。その体験を一瞥体験と呼ぶかどうかという疑問は残るのですが、それに対して、ルパートはそれが私たちが求めている幸福であり、それを少しづつ取り戻す過程について説明しています。

私の考えでは、一瞥体験はマインド、あるいは思考の産物であり、私たちが求めている幸福などではないと思っています。このブログでも、一瞥体験を看板にして客寄せをする非二元の教師に対して否定的なことを書いてきました。

ルパートも今まで紹介してきた動画の中で一瞥体験を否定していて、それは単なる個人の体験にすぎないと言っています。でもこの動画でルパートは一瞥体験を肯定しているかのように思え、それが私たちが求めている幸福だと言っているように思えます。私は以前から、欧米ではほとんど一瞥体験を語る人がいないのに、どうして日本では一瞥体験のことを語る人が多いのだろうと疑問に思っていました。

そこで私は、カリヤニとギルバートでFcaebook経由でこのことについて彼らの意見を求めました。彼らが一瞥体験についてどう考えているのか聞きたくなったのです。長くなるので続きは次回とさせていただきます。

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2026/02/23

物質が意識で出来ているとはどういうことか?  ルパート・スパイラ

How Can Matter Be Made of Consciousness?
日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→英語(自動生成)→英語(自動生成)→自動翻訳→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

物質は意識でできているのでしょうか?思考、感情、感覚が意識でできていることは、容易に見て感じられます。しかし、意識のみのモデルは、私たち自身の有限な心の外側に現れる対象をどのように説明するのでしょうか?そして、それを私たち自身の直接的な経験でどのように検証できるのでしょうか?

ルパートは、ロンドンで眠りに落ち、自分がパリのジェーンであるという夢を見るメアリーの例えを用います。ジェーンは、私の思考は私の心の中に現れ、他のどこにも現れないと考えているので、明らかに意識からできています。しかし、パリの街路はどうでしょうか?目を閉じると私の思考は消えますが、友人のクレアの思考は消えません。つまり、パリの街路には、私の有限な心以上の何かがあるのは明らかです。そのため、ジェーンはパリの街路は物質と呼ばれる、自分自身の外にある何かでできていると考えています。しかし、メアリーの視点から見ると、パリの街路は彼女自身の心でできているのです。

メアリーは、宇宙を自らの内側で夢見る意識を表しています。この夢を私たちそれぞれの局所的な視点から見ると、それは私たちの外にあるものからできているように見えます。しかし、無限の意識の観点から見ると、意識は私たち一人ひとりが経験する個別の主体として局所化され、意識の非局所的な部分が世界として私たちに現れます。

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無限の意識から見れば、私たち一人一人の意識は夢のようなものであり、その夢の中で見る物質も意識でできているという話です。ジェーンとメアリーの例えは以前にも掲載したことがありますが、なかなか良い例えですね。

前回のYouTubeでは一つの意識が局在化(局所化)して私たち一人一人の意識となって別々の世界を見ているという例えを使い、今回は全然別の例え(メアリーの見る夢の中のジェーン)を使って説明する。このあたりがおもしろいですね。私は両方の例えが好きですが、どちらかというと前回のYouTubeの話がわかりやすいです。

セイラーボブは知性エネルギーがパターン化して世界を形造るという話をしますが、ルパートの場合は物質としての物が実在するという話をしないのが興味深いですね。もちろんボブも、椅子を指さして、「それは何ですか?」と聞くパターンがあって、私たちが椅子という定義づけをしなければ、そこには意識があるだけだという説明もします。

2026/02/21

現実とは何か?  ルパート・スパイラ

What Is Reality?
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

現実とは何か?もし世界が幻想だとしたら、世界のどこが現実なのだろうか?私たちの感覚知覚を超えた現実とは何だろうか?

ルパートは、世界の現実は有限の心に先行すると説明しています。私たちに物理的な世界として現れるものは、普遍的な心、つまり意識の活動であり、その本質は物質ではなく意識です。現実は、世界の中にある独立した主体、つまり有限の心の感覚知覚を通して知覚されたときにのみ、物質として現れます。

有限の心とは、無限の意識の局在であり、現実を知覚し、自身の限界に従ってその姿を創造します。だからこそ、私たちは世界を半分創造し、半分知覚していると言われています。

しかし、究極的には、現実は一つの、形のない不可分な全体であり、それは存在、つまり神の存在なのです。

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私たちが物を現実の存在として認識する原因は私たちの知覚(五感)にあるという話は私がこのブログに何度も書いたことであり、セイラーボブがいつも話す椅子の話と同じことを言っています。

五感で得た情報を無しにすると、それを椅子と認識することはできない。でも、そこに椅子は無いとしても何かがある。ルパートは、物は私たちの認識で半分できていて、残りの半分は、いわば全体としての意識のようなものでできていると言います。

このブログの唯識の量子力学のところ(唯識③量子力学)で書いた、「私たち人間は、存在のありようを観察しているのではなく、存在に関与しているのである」ということと同じことを言っているような気がします。

セイラーボブは、私たちが椅子という定義づけをしなければ、そこには椅子はなく、ただ一つのものあるだけと言います。

ルパートは、物(世界)とは私たちの知覚の認識が半分で、残りの半分は全体の意識(無限の意識)でできているが、それが一体となったものが現実だと言っています。要するに無限の意識の活動が先にあって、局在化した私たちの意識(マインド)で見たものが物(世界)だと言っています。この説明は私にとって新鮮なものでした。

セイラーボブが、椅子の話をするたびに、椅子と認識しなかったら、そこには何があるのか、一つの意識と片付けてしまうのは乱暴な気がしていました。それをルパートはもっとわかりやすく説明してくれました。

私たちは知覚の外にあるその半分のもの(無限の意識)を知りたいと思うのですが、やはりそれを具体的に知ることはできないのではないでしょうか。ルパートは、それを突き詰めていくと、ものすごい喜びの瞬間が訪れると言っていますが、それはたぶん、理解した瞬間の喜びを比喩的に言っているのだと思います。

2026/02/19

外側に世界はあるのか?  ルパート・スパイラ

Is There an Outside World?
日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→英語(自動生成)→英語(自動生成)→自動翻訳→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

別個の外の世界が存在する証拠についての議論。

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外側には世界は無いということは非二元では当たり前のこととして説かれます。ルパートの説明は、私がこのブログの科学的アプローチの「脳はなぜ「心」を作ったか・錯覚する脳」や仏教その他の「物は実在か」のところで書いたことと途中までは全く同じ説明です。

外側に世界があると思っているのは、五感を通してやってくる感覚にすぎないということです。私たちは五感を通して得た情報から、そこに物があると推測しているにすぎず、そこに実際に物(世界)があるかどうかは、確かめようがありません。ここまでは、このブログのあちこちで何度も書いたことと同じです。

でも、ルパートの場合、そこから先の説明が違います。
私たちは皆同じ一つの世界を見ていると思っているが、そうではなく、一つの意識(アウエアネス)がそれぞれの人の意識となって、それぞれの世界を見ていると言うのです。その部屋の中にいる75人がそれぞれ75の世界を見ている。でもそれは一つの意識が見ているにすぎない。そこに世界があるのではなく、一つの意識の投影を見ているにすぎない。

以前にも書きましたが、この説明のモデルは仏教の唯識の世界観と酷似しています。仏教では阿頼耶識の情報がそれぞれ個人の意識(それぞれの世界)に投影されると説明しています。

動画の終盤に「空は形、形は空」という言葉が出てきますが、それは外の世界があるという前提で語られるので「空は形、形は空」と言うが、もともと外の世界などない、と説明しています。

部屋の中にいる犬を例に出して、犬には自我がないため自他の区別がなく、純粋な経験だけをしている、生まれたばかりの人間の赤ちゃんも自他の区別はなく、純粋な経験だけをしていると説明しています。

「物は実在しない」、「世界は私の意識の中にだけある」ということはセイラーボブの説明で十分理解していましたが、ルパートの説明もとてもわかりやすくていいと思います。確信を持って世界は幻だと理解できると思います。

2026/02/18

ミーティング内容の変更のお知らせ

現在、毎週日曜日に行っているミーティングは毎月一回月末に行うことになり、それ以外の日曜日はZoomによるミーティングになる予定だそうです。冒頭で変更の発表がありました。

Thought will show up. Nonduality explorations Sailor Bob's style. 15 Feb 2026

2月6日のfacebookで、カットが船上からボブの遺灰を海上へ撒く様子が流されました。

https://www.facebook.com/reel/1365211128684645
https://www.facebook.com/sailorbobadamson

最近になって公開されたボブの過去の動画があるので掲載しておきます。

ボブの言葉を集めた本を自分で朗読したもの   

ジョン・ホイーラーが来た時の動画
   
アメリカ、コネチカット訪問時のミーティング

2026/02/17

意識(アウエアネス)が眠りに落ちることはない  ルパート・スパイラ

Awareness Never Falls Asleep
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

このビデオクリップでは、ルパートが、深い眠りが何もない状態ではなく、意識が満ち溢れた状態である理由について説明しています。

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この動画はとても貴重で重要な動画です。
日本語の自動翻訳に誤訳があるので指摘しておきます。最初の方のところで、「眠りに落ちる遷移(せんい)を経ます」というところは、「眠りに落ちる経過をたどる」という意味です。そのあと、「眠りに落ちた目は意識の目ではありません」というところは、I(私)をeye(目)と誤訳しています。正しくは「眠りに落ちた私は意識としての私ではありません」という意味です。

この動画でルパートは、私たちが意識(アウエアネス)がなかったことなど一度もないし、これからもない、だれも意識のない経験をしたとこがないし、することもないと説明します。私たちが眠りに落ちて夢を見る時、意識はあって夢を見ています。深い眠りの時も意識はあるが、思考がないだけでそこには意識があると説明します。このあたりの説明はセイラーボブとまったく同じです。

伝統的な考え方では、私たちが生まれた時、その肉体に意識が宿り、死ぬとその意識は消えてしまうと考えているが、そうではなく、意識は永遠不滅のものであり、生まれることも死ぬこともない。そしてその意識(アウエアネス)がどれほど幸福に満ちたものか、その永遠不滅の幸福こそが本当の私たちだと教えてくれます。

そして最後のジョーク。ビル・ゲイツが天国にいるスティーブ・ジョブズにメールを送ったら返事が来て「天国はとても良いところだが一番いいのは、ここには窓も門もない」と言ったと笑わせます。これは「天国には窓(Windows)はなく、門(ゲイツ)もいない」というジョーク。

2026/02/15

理解の三つの段階  ルパート・スパイラ

The Three Stages of Understanding | Rupert Spira
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

理解の段階と、認識、気づき、意識の定義についての議論。

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質問者は awareness(意識、気づき)、consciousness(意識)と knowing(知る働き)の違いについて尋ねます。

それに対してルパートは三つの表現は同じもののことを言っているが、説明には三つの段階があるため、それぞれ段階に合わせて使い分けていると言います。

第一段階は awareness(意識・気づき)であり、この言葉を使うことによって、対象物に気づいている何ものかの存在を暗示させます。この段階でよく使われる例えは空と雲の例えです。空という awareness(意識・気づき)の中に雲である思考や感覚が現れます。

第二段階では、スクリーンの例えが使われます。スクリーンに現れる映像はスクリーンと分離しておらず、一体の物です。そこには対象物に気づいている何ものかは存在せず、awareness(意識、気づき)そのものが自らを気づいて(あるいは意識して)います。consciousness(意識)とスクリーンは分離しておらず、一体のものです。

第三段階では主体や対象物をまったく想起させないように knowing(知る働き)ということばでそれを表わします。思考や知覚はスクリーンに現れる何かではなく、 knowing(知る働き)そのものであるという理解です。そこには何も存在しない。そこに現れる思考も知覚もすべてknowing(知る働き)そのものであるという理解です。この段階では主体も客体も消え、knowing(知る働き)だけがあります。

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セイラーボブは主に awareness(意識・気づき)と knowing(知る働き)という言葉をよく使います。空と雲の例えもスクリーンの例えもしょっちゅう使います。このあたりの説明はルパートもセイラーボブもまったく同じことを言っています。私の場合はもう散々聞いているので、awareness(意識・気づき)と  knowing(知る働き)はまったく同じものだと理解していて、どちらを使われても違和感を感じません。knowingという言葉は日本語に訳しづらい言葉だと思いますが、知っていることや知識という意味ではなく、現在進行形の知る活動そのもの。それが私たちの本質だというのです。consciousness(意識)は人間の意識のことで、人間の側から言えばconsciousness(意識)になるだけで、awareness(意識・気づき)や  knowing(知る働き)と同じもののことです。そこには気づく何ものも存在せず、知る働き、いわば純粋な知性があるだけです。

2026/02/13

アウエアネス(awareness)とコンスシャスネス(consciousness)

ルパート・スパイラの動画を見ていると、アウエアネス(awareness)とコンスシャスネス(consciousness)という言葉がしょっちゅう出てきます。私は、このブログの用語集のところでも書きましたが、アウエアネスは普遍的な意識のことで、コンスシャスネスは人の意識のことだと理解しています。私は「awareness」を「気づき」と訳すのがしっくりこず、このブログでは「意識」と訳しています。そのため、アウエアネス(awareness)もコンスシャスネス(consciousness)も「意識」と訳しています。

私の場合は、
「space of awareness」→「空間のような意識」
「pure awareness」→「純粋な意識」

でも、ほとんどの人は、
「space of awareness」→「空間のような気づき」
「pure awareness」→「純粋な気づき」
と訳してみえます。

YouTubeの自動翻訳では、「意識」と訳す場合と「気づき」と訳す場合とあって一律ではなく、文脈によるようです。辞書で調べると、たいていの辞書は「awareness」を「1:気づいていること・知っていること 2:意識・認識」としています。

そのため、「気づき」と訳しても「意識」と訳しても間違いではなく、翻訳者の捉え方による。私の場合、非二元の話に出てくる「awareness」は、たいていの場合「意識」と訳した方が良いように思える。

本質的な意味さえ理解していれば、それを「意識」と訳そうと、「気づき」と訳そうといいのではないかと思っています。ところが、原文の英語ではちゃんと表現の違いがある。そこで、今流行りのAIに聞いてみました。

質問
「非二元の教えの中で語られるawarenessとconsciousnessの違いは何ですか?」

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Google AIの答え

Awareness(アウェアネス):純粋な気づき 
性質: 境界のない、無限で、すべてに行き渡る純粋な「気づき」や「存在」そのもの。特定の対象や内容を持ちません。
役割: すべての経験(コンシャスネス)の基盤、あるいは「スクリーン」のようなものです。何が現れても、その存在自体は変化しません。
非二元との関係: 非二元の核心であり、これが真の自己(アートマンやブラフマン)であるとされます。個人的な「私」という感覚を超えたものです。 

Consciousness(コンシャスネス):対象を伴う認識 
性質: 特定の対象(思考、感情、感覚、外界の事物)に対する「意識」や「認識」の状態。常に何かを「意識している」という形をとります。
役割: 反映された気づき、あるいは経験のプロセスです。意識が向けられた対象によって変化し、限定されます。
非二元との関係: 個人の自我(エゴ)や特定の心理的・物理的状態と関連しており、非二元の教えでは、これは一時的な現象、あるいは「純粋な気づき」の反映であると見なされることが多いです。
 
まとめ
端的に言えば、awarenessは映画の映写される「スクリーン」そのものであり、consciousnessはスクリーンに映し出される「映画の映像」である、というアナロジーで説明されることがあります。スクリーン(awareness)は映像(consciousness)に影響されず、常にそこにありますが、映像は変化し続けます。非二元の探求は、映像ではなく、その不変のスクリーンに気づくことを目指します。 

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ChatGTPの答え

非二元(ノンデュアリティ)の文脈では awareness(気づき) と consciousness(意識) はしばしば違う階層の概念として語られます。伝統や教師によって用語の使い方は多少異なりますが、代表的な区別をわかりやすくまとめると以下のようになります。

■ 1. Awareness(気づき)
◎ 非二元での意味
変わらずいつも在る「純粋な気づき」そのもの。
何かを観察している主体ではなく、主体と客体の分離以前の基盤そのもの。
個人的ではなく、普遍的。
体験の内容(思考・感情・感覚・世界)に依存せず、それらをそのまま照らしている開かれた空間のようなもの。

◎ たとえ
スクリーンのようなもの。
映画(思考や感情)がどれだけ変化しても、スクリーン自体は変わらない。

■ 2. Consciousness(意識)
◎ 非二元での意味
「何かに意識が向いている状態」としての意識。
ここでは awareness から現れる機能的な側面として扱われる。
たとえば「赤い花を見ている」「自分の体を感じている」といった、対象がある経験としての意識。
対象との関係(知覚、認識、注意)が関わるため、主体=私がまだ残っている段階。

◎ たとえ
映画のストーリーや映像そのもの。
観ている内容は常に変化し、注意の向け先も変化する。

■ 3. 核心的な違い
項目           Awareness             Consciousness
立ち位置         基盤 / 本質             現れ / 機能
変化           変わらない             絶えず変化する
個人的 or 非個人的     非個人的             個人的側面を含む
              主体‐客体 超えている      主体‐客体がまだある
非二元における役割    最終的な「真我」などと同義     経験の流れとして扱われる

■ 4. 非二元系の主な伝統での傾向
アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(Ramana Maharshi 等)
Awareness(pure awareness)はアートマン/ブラフマンと同義
Consciousness は mind や個別意識を含む層

禅や大乗仏教系の非二元
Awareness ≒ 空性・如(にょ)/本性
Consciousness ≒ 識(六識・八識)としての経験の流れ

現代非二元(Rupert Spira, Adyashanti 等)
Awareness = Knowing, Being
Consciousness = awareness の活動・対象化したもの

■ 5. シンプルなまとめ
Awareness = 経験の「背景」
Consciousness = 経験の「内容」

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AIはいずれも「awareness」を「気づき」と訳している。
でもやっぱり「意識」という訳の方がしっくりくるような気がします。
それは、主体のない気づき、あるいは神の気づきのことだと理解していれば問題はないけれど、「気づき」と訳すと、そこに何かに気づいている主体がいるように錯覚する。また、何かを注意深く気づいていないといけないと思ってしまう。主体も客体もない気づきのことだけど、それを想像するのは難しい。

英語の場合、aware(気づく・動詞)が名詞化してawareness(気づいていること・意識)となるが、日本語にはそれに相当する言葉がない。日本語の「気づき」と「意識」は同じではない。
本質的な意味さえわかっていれば、どっちでも良いと思います。私のブログでは、引き続き、awareness=意識という訳でいきます。

2026/02/11

私たちの本性は体験に先立つ  ルパート・スパイラ

「Rupert Spira 非二元のエッセンス」堀田真紀子さんのYouTubeから転載させていただきました。わかりやすい日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→日本語)。

堀田さんのYouTubeチャンネルに堀田さんによる詳しい解説があるので、そちらを参考にしてください。堀田さんのYouTube

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これぞ非二元の教えの神髄のような動画。まったくすばらしい。


2026/02/09

時間を実際に経験することは決してない  ルパート・スパイラ

Time Is Never Actually Experienced
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

13 歳の少年が、「なぜ私たちは寝ているときに時間の感覚を失うのでしょうか?」と質問します。

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ルパートは13歳の少年に向かって、時間はあるように見えるだけだけ、そして世界もあるように見えるだけだと説明します。それを理解しても世界の見え方は変わらないが、世界に対する経験が変わり、美や愛を経験するようになると教えます。

時間に関する部分の説明はセイラーボブと全く同じです。過去や未来は私たちのマインドの中にあるだけで、実際に過去や未来へ行くことはできません。

しかし、どうして13歳の少年がミーティングに参加して質問しているのでしょうか。英語版を聞いてもらえばわかるのですが、声がまだ幼い。でも、とっても聡明そうです。

2026/02/07

時間は幻想である  ルパート・スパイラ

Time Is an Illusion
日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→英語(自動生成)→英語(自動生成)→自動翻訳→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

時間は幻想なのでしょうか?もしそうなら、なぜ私たちの過去に関する知識はそれほどリアルに感じられるのでしょうか?過去の記憶は、時間が存在する証拠ではないのでしょうか?

ルパートは、あなた自身の経験について、紛れもなく真実である二つのことがあると言います。一つは、あなたには時間の経験がないということです。私たちは過去について考えることはできますが、過去について考えることは過去の証拠にはなりません。証拠を見つけるには、実際に過去を訪れ、それを経験しなければなりません。

二つは、時間に関するあなたの知識は思考と相関関係にあり、時間が思考を引き起こすという推定は、経験では実証できない推定です。経験は、因果関係の矢印は実際には逆方向、つまり思考が時間の見かけを作り出すことを示しています。

私は、時間が存在しないとあなたに納得させようとしているのではありません。時間は私たちが考えているようなものではないことを示唆する二つの経験的事実を示しているのです。これらの二つの事実を参考に、時間、過去、そして未来に関するあなたの経験を深く考察し、心を開いて考えてみてください。この考察があなたをどこに導くかを見極め、性急に結論を出さないでください。

記憶は過去の証拠だと決めつけないでください。記憶には他の解釈も考えられます。

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私のパソコンでは日本語字幕を出すのに何回もやらないと出ません。ひょっとするとパソコンが古いからかも。

このあたりの説明はセイラーボブの説明とほぼ同じです。私の場合は時間が存在しないということを理解するのに随分と時間がかかりました。
どの動画だったか思い出せないのですが、ルパートは他の動画の中で、マインドは過去の記憶の情報を一度に受け入れる事ができないので、時間というものを生み出して、そこに出来事を記憶として納めているという説明がありました。あれはわかりやすかった。ただ、その部分をブログで取り上げなかったので、どの動画だったかわかりません。

2026/02/05

すべては意識に現れたマインドの中の夢  ルパート・スパイラ

Everything Is Just a Dream in the Mind of Consciousness
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

すべては夢なのでしょうか?何か存在するのでしょうか?もし存在しないとしたら、何が起こっているのかをどう説明できるのでしょうか?

ルパートは、何も存在しない、と断言します。起こっているのは、ただの見かけ上の出来事です。夢の中では、浜辺、木々、水、砂、人々など、すべてが存在しているように見えます。しかし、目が覚めると、そこには何もなかったことに気づきます。夢の中では現実に見えた時間と空間は、覚醒状態から見ると全く非現実的なのです。

私たちは一種の夢のような状態にあり、時間と空間にある物体は、私たちの限られた視点からは現実のように見えます。しかし、目が覚め、夢の状態から覚醒状態へ、そして覚醒状態から意識へと一つ上のレベルへ移行すると、まるで夢から目覚めたかのような状態になります。ここには物体はなく、時間も空間もありません。そこにあるのは意識だけです。

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ルパートは時間も空間も物を実際には存在せず、うわべ上でそう見えるだけだと説明します。そして私たちは「神のマインドの思考」だと言います。物があるように見えるのは局在化された私たちの視点を通して見るからにすぎないと言います。

前回の動画のような説明はわかりやすいのですが、こういう非論理的な説明も好きです。セイラーボブの説明も非論理的でしたが、直観に訴える力がありました。結局、いくら理屈で説明してもそれを科学的に立証する方法はありません。一番大切なのは直観的な理解のような気がします。

2026/02/03

物は実在ではない

前回のブログに掲載したルパートのYouTubeが参考なるので、もう一度取り上げてみます。

私たちの持つ古典的な考え方では、世界70億の人が同じ一つの世界を見ていると思っています。でもそうではなく、一つの意識が70億の世界を見ているとルパートは説明します。物は実在(existence: 動画では「存在」と訳されている)の中に思考となって現れるのであって実在ではない、と言うのです。

私たち一人一人はそれぞれ別の意識があって、それぞれが同じ世界を見ていると思っているが、実際には一つの意識が個人の意識となって局在化し、別々の世界を見ていると言うのです。この世界観は仏教の唯識の世界観とほぼ同じではないでしょうか。唯識も人人唯識(にんにんゆいしき)といって、一人一人が別の世界を見ているといいます。その大元の情報源が阿頼耶識(あらやしき)です。ルパートの説明はひょっとすると唯識思想をヒントにしているのかもしれません。

セイラーボブは「世界は幻である」「世界は意識の中にだけある」「あなたがラベルを貼らなければ、そこに物は実在しない」「万物は一つのもの」「一つの意識だけがある」という言い方で、世界は実在ではないということを説明します。でも、ルパートのような緻密な説明を聞いたことがありません。

私はセイラーボブの説明で、世界は意識の中にだけ現れているということは十分に納得していましたが、ルパートの説明を聞いてさらに深く納得しました。ただ、ルパートの説明する世界観が正しいかどうかを立証する方法はありません。また、ルパートもスクリーンや夢の例え話を使って、いわば非論理的な説明をする時もあります。もともと異次元、あるいは次元の無い世界の話を単純なモデルにして説明しているだけなので、実際にはどんな世界なのか想像することさえ難しいのだと思います。

もちろん勘違いしてはいけないのは、現実世界には物質もあるし、体も世界ある。それが無いなんてことを言っているわけではない。人間の体や目を通して見れば、当然世界はある。肉体がある以上、古典的な考え方に縛られるのはあたりまえのこと。

以前、非二元には全く興味のない友人に、「リンゴは実在ではない」ということを説明しようとしてうまくいかず、最後には怒らせてしまって、「変な本ばかり読んでいるからおかしくなるんだ」と言われたことがあります。今度はきっとうまく説明できると思います。でもきっと、「変なYouTubeばっかり見てるからおかしくなるんだ」と言われるでしょう。

2026/02/02

物は実在しない;実在の中に物が現れる  ルパート・スパイラ

Objects Don't Have Existence; Existence Has Objects
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

我々が知覚している世界以外の世界、物体の存在を知っているという仮定、そして意識は身体の産物であり身体に限定されているという仮定についての議論。

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質問者は、なぜ無限の意識の中に世界が現れるのかわからないと質問します。それに対してルパートは、世界は意識の中にだけあるということをわかりやすく説明します。

この内容はセイラーボブが言っていることと同じで、私が何度もブログに書いてきたことです。ただし、説明の仕方がセイラーボブとは違って、もう少し緻密です。

ルパートの説明は、私が「科学的アプローチ」や「仏教その他」(佐々木閑先生の説明)で書いた、世界は意識の中にしかないという説明と基本的には同じです。違うのはその最初の部分に一つの意識(アウエアネス)があるという点が違います。また、一つの意識がたくさんの世界になるというくだりは唯識の世界観ととても似ています。

この動画の日本語訳の「心」→「マインド」、「気づき」→「意識」、「存在」→「実在」に変えて聞くともっとよくわかると思います。

2026/02/01

佐々木閑先生の新しいシリーズが始まりました

佐々木閑 仏教講義 12「新説・インド仏教史 その1」(「仏教哲学の世界観」第15シリーズ)

楽しみです。

2026/01/30

恐怖の正体を見抜く  ルパート・スパイラ

Discovering What Fear is Made Of  Rupert Spira
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

恐怖が私たちの本質の平和を曇らせるわけではないことを理解しましょう。

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不思議なことに、この動画で語られることと全く同じ内容をセイラーボブの spiel で何度も聞いたことがあります。ラベル、空間という言葉も同じです。

セイラーボブは、「恐れがやって来て、その恐れという感情に「恐れ」というラベルを貼らなかったら、それは何のかですか? ラベルを貼らずに観察してみてください。それは単なるヴァイブレーションです」という話をしょっちゅうしていました。

私は昔、極度の強迫神経症(今でいうならパニック障害)で苦しみました。森田療法によって随分と改善したのですが、あの頃この話を聞いていたなら、あんなに長く苦しむこともなかったような気がします。

2026/01/28

架空の自己の専制から思考を解放する  ルパート・スパイラ

Liberating Our Thoughts From the Tyranny of the Illusory Self
日本語で聞くことができます。

YouTubeno解説

この動画では、ルパートが分離した自己から生じる思考を探ります。

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この動画の日本語訳は少しわかりにくいです。勝手にまとめてみます。
有限の一時的なものが肉体に宿っているのが「私」だと思っていると、周りの世界もそのように、すべてが自分とは分離したものとして現れる。ところが、自分のことを「無条件の気づき」であると思っていると、世界もそのように現れ、物事は一体のものとして認識され、世界は純粋な意識として認識されるようになる。

ところが、自分のことを「無条件の気づき」であると理解するだけでは十分ではない。体とマインドは長年にわたって架空の自己として認識され、恐れや神経症を抱えているため、架空の自己は抵抗しておとなくならない。自らの存在の危機にさらされた架空の自己は何度も何度も思考としてやってきて分離した自己が「私」であると主張する。

自らの本質を理解するだけでは十分ではなく、私たちの思考、フィーリング、活動、関係性、認識を再調整する必要がある。そこで、そういう思考がやって来て行動を起こす前に、この思考は、「分離した自己にもとづくものではないのか」、「この思考は誰の思考なのか」と自問して調べる。その思考がやってくるたびに徹底的に調べる。

やがて思考は自己の本質、純粋なアウエアネスからやってくるようになる。思考が止まることはないが、思考は自己の本質からやってくるようになる。これは思考を無くすことではなく、架空の自己の専制から思考を解放するということ。

最初は本当の自己に気づくのに時間がかかるが、練習していくとだんだんと速くなって、最終的には瞬時に気づくようになる。

この話の重要なところは、自己の本質を理解するだけではダメで、架空の自己としての思考がやってくるたびに調べてみるということをしないと、古い習慣はなくならないということ。非二元の教えをただ理解するだけでは何も変わらない。

2026/01/26

時間と死  ルパート・スパイラ

Time and Death
 
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

このビデオでは、ある男性が、時間、死、今から抜け出すことに焦点を当てた心の認識、過去と未来の経験など、多くのトピックについてさらなる理解を求めています。

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この動画でルパートは、時間はマインドの中にしか存在しないということを説明しています。残念なことに16分30秒ぐらいから17分21秒ぐらいまでの日本語音声が途切れています。ちょっと簡単に補足すると、ルパートが時間は実在ではないと一通り説明したあと、質問者が、では死についてはどうなのか?と尋ねます。

するとルパートは、眠りの例を出して、眠る前の記憶はあるが、眠っている間はマインドが消えているので、時間は存在せず、次に思考が戻ってくるのは目が覚めた時。眠っている間は時間はないと説明します。夜眠りにつく真夜中から目を覚ます朝6時までの6時間は時間は実在ではない。

では、この眠る時をあなたの誕生までさかのぼらせ、目覚めた時をあなたの死のときまで引き延ばしたらどうでしょう、そこには時間は存在しないのです、と説明します。

この動画はまったくすばらしい。時間は実在ではないという説明で、これほど説得力のある話を聞いたことがありません。

2026/01/24

これらはすべて見かけ、マーヤであり、すべては幻想である

質問者: 生命の本質はこうで、意識や知性はこうだ、と思えることがあります。そして、それらは別々です。それらは別々のものなのでしょうか、それとも同じものなのでしょうか?

ボブ: 私たちが話したことを覚えていますか? 非二元性。他には何もない一つのもの。なぜ「他には何もない一つのもの」と言われているのかというと、一という概念は一以外の何かが存在する可能性を示唆してしまうからです。ですから、「一以外の何か」という概念が少しでも浮かんだら、あなたは非二元性から出てうわべ上では二元性に入った、あるいは二元性から出たということです。

仏教でも同じことを言います。それは非概念的で常に新鮮な「今ここに在る意識」であり、他には何もありません。仏教は、非二元性にはいかなる二元性も絶対に存在し得ないと指摘しています。しかし、私たちの周りではこの現象全体に二元性が満ちています。繰り返しますが、経典では、これらはすべて見かけ、マーヤであり、すべては幻想であると指摘されています。

2026/01/22

「私」とは何か。様々な説明。

私はこのブログにいろんな人や教えが語る「私」とは何かを書いてきました。そこで、それぞれ人が「私」をどう説明して、なぜ「私」はいないのかを勝手にまとめてみたいと思います。

セイラーボブは「私」とは海の中に現れた一つの波のようなもので、一つ波は自分が独立したものだと考えているが、波は海の一部であり、独立したものではないと教えます。「私」とはマインドなのか体なのか、その始まりはどこにあるのか、自分で調べてみなさい、それは一種のエネルギー現象であり、実体のある「私」はどこにもない、「私」とは過去の記憶や条件付けにすぎないと教えます。

原始仏教では、「私」とは五蘊のかたまりであり、そこには永遠不滅の魂のようなものはないと教えます。

唯識では、「私」には実体がないが、個人それぞれが別の世界を見ていて、阿頼耶識でつながっていると説いています。

そしてルパート・スパイラは全体の「意識」が局在化したものが「私」であり、もともと個人は存在しないと説明します。また、パリの街を歩く「私」をカリホルニアのベッドの中で夢に見ているようなものだとも話します。

そして、「科学的アプローチ」のところで書いたように、現代の脳科学では「私」は実在しないと言っています。

どの説明も魅力的で説得力があるのですが、どの説明も実験的に立証する方法や科学的な証拠はなく、理解はあくまでも直観的、感覚的な理解に留まります。ましてやエンライトメントのようなことが起こって、ある日突然理解が拓けるとか、そういう世界を見るなんてことは起こりません。

私としては、どの説明でもいいと思います。「私」はいないと納得すればいいだけの話ではないかと思います。肉体を離れてそれを確かめた人は誰もいません。どう考えても「私」はいないとしか思えないというのが私の結論です。もし、直観的に非二元の教えが真実だと感じているのに、まだ「私」がいないとは思えないのなら、さらに深く非二元の教えを学べばいいのだと思います。

そしてまた、(そんなものかな、あんまりよくわからない)でも全くOKだと思います。非二元の教えの大切なところは、悩みや問題は思考の産物であり実体がないというところにあると思います。そういう意味において幸福になること、悩みから解放されることが目的であり、世界が幻だとか、「私」はいないということは、いくら突き詰めても立証できないことだと思います。

2026/01/20

あなたは時間や空間の中にはいない  ルパートスパイラ

You Are Not Located in Time and Space
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

どのようにして時空を超えて存在することが可能なのでしょうか?意識が感覚を超えて存在するという考えを、心は理解できるのでしょうか?

ルパートは、肉体は意識が世界として自らを認識するための手段であるが、目の奥にあるという意味ではないと説明しています。肉体は、知覚という限られた観点から見た肉体に過ぎません。肉体は心、つまり思考と知覚によって作られています。

しかし、あなたの現在の経験を認識しているものは、感覚知覚の能力を通して認識しているだけで、覚醒状態において現実に見える時間と空間のどこにも位置していません。私たちが経験を認識するための認識は無次元です。それは別の領域にあります。時間と空間は、次元を持たないこの永遠で無限の意識の領域の顕現なのです。

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この説明はおもしろいです。カリフォルアで寝ている人がパリを歩いている夢を見ているとしたら。パリの街を歩きながら、目を閉じると世界が消えます。また目を開けるとパリの街が見えます。そこにパリの街があって、自分はそこを歩いていると思っています。でも、それはカリフォルニアで寝ている人の夢だったとしたら。

世界はマーヤーだというのと同じ理屈ですね。

2026/01/18

意識の局在化(localization)

ルパート・スパイラは様々な手法で「私」とは何かを説きますが、その中の一つに「意識の局在化」があります。

私にはルパート・スパイラが使う「意識の局在化(localization)」という説明がわかりやすくてしっくりきました。備忘録的にちょっとまとめて書いておきます。

ルパートは私たちの本質のことを、「意識」(awarenessまたはconsciousness)」や「無限の意識」、「無限のもの」あるいは「神」などと呼びますが、ここでは説明の都合上、意識と呼ぶことにします。世界はその意識でできている。できているという表現が適切でなければ、すべてが意識そのもの。

まず最初に無限の一つの意識だけがある。そして、その中のどこかに局在化が起こる。どうして起こるのかは今まで見た動画では説明がなかったが、とにかく起こる。その局在化したものが「私」。局在化という言葉がわかりにくければ、意識が少しだけ濃くなるところができる(これは私が勝手に例えたもの)。セイラーボブなら、大きな海の中に小さな波がポツンと立ったような状態。それが「私」。

局在化した意識の「私」は自分が大きな意識の一部、もしくはそのものだということを知らない。体とマインドを持った「私」は大きな意識を認識することは決してない。ところが、私たちが夜眠りに落ちるとその局在化が少し緩む(弱まる)。すると体とマインドは消えて、そこには時間も空間もない。

私たちが眠っている間は時間も空間もない。なぜなら、時間や空間はマインドの中にしか存在しないから。眠っている間はマインド(思考)は消えている。そして眠りから覚めると、また局在化が強くなり、思考が戻ってきて、時間と空間の中へと戻ってくる。それが毎日繰り返される。

そして私たちが死ぬ時、局在化は消えて無限の意識だけが残る。再び同じ人間としての局在化が起こることはないので、魂のようなものがあってまたこの世に戻って来ることはない。また、魂のようなものがどこか天国で暮らすということもない。

局在化した意識は無限の意識を認識することはできない。なぜならそれは同じものだから。目が目を見る事はできない。局在化がなくなった世界では今私たちが見ているような世界を見ることはない。もともとそんな世界は存在しない。そこには意識だけがある。だから今私たちが見ている世界は幻想ということになる。

以上勝手にまとめましたが、ルパートの説明は合理的で納得できるものです。それでいて、セイラーボブの話と矛盾するような点がない。セイラーボブだったら、海に現れた一つの波で説明するところを、もっとわかりやすく説明してくれています。

また、セイラーボブのミーティングでは、なぜピラミッドが幻なのか、なぜビクトリア通りが幻なのかをこれほど明確な説明で聞いたことはありませんでした。こういう説明ならわかりやすい。

2026/01/16

ガイド瞑想:二つの視点に立つことはできない ルパート・スパイラ

Guided Meditation: You Cannot Have Your Cake and Eat It
日本語音声で聞くことができます。58分。

YouTubeの解説(Google翻訳)

このガイド付き瞑想で、ルパートは「アジャーティヴァーダ」と「ヴィヴァルタヴァーダ」という二つの概念を探求します。

ルパートはこう述べています。「ヴィヴァルタヴァーダとは、世界は幻想であるという考えです。つまり、世界は現実ですが、見た目通りのものではありません。私たちが知覚というレンズを通して見ているからこそ、そのように見えるだけなのです。そして、このレベルこそが、最高の非二元的な教えのほとんどが説かれているレベルです。」

「アジャーティヴァーダは最高の非二元的な理解ですが、ほとんど語られることがありません。それは、創造も世界も宇宙も存在しない、つまり何も存在しないという考えです。この観点から見ると、世界の外観さえ存在しません。これは私たちの経験とあまりにも深く矛盾しているため、口にするにはあまりにも深遠すぎると考えられています。」

「私はこの究極の視点について、私たちの理解を超えた抽象的な哲学的概念として捉えず、何らかの形で私たちの経験に取り入れることができるよう、何かを語ってみたいのです。」そして、そのために、私はよく知られている英語の口語的な言い回しを使わせていただきます。「ケーキを食べてそれをまた食べることはできない」。この言葉に、最高の非二元的な理解が含まれていると知ったら、驚かれるかもしれません。

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なぜ私たちは無限の意識を認識することができないのか、そしてまた、なぜ世界が幻想であると言われるのかをわかりやすく説明してくれます。

なぜ私たちが無限の意識(セイラーボブで言うならアウエアネス)を認識できないかを、これほどわかりやすく説明している動画はないのではないでしょうか。

日本語の自動翻訳は時々意味がわからないところがありますが、英語で聞いたらよくわかるかというと、そうでもない。理解の難しい箇所はありますが、それでも全体的に大きな理解をもたらしてくれると思います。すばらしい動画なので、ぜひ見てください。

なお、アーティヴァータとヴィヴァルタヴァーダをGoogle(AI)で調べた抜粋を以下に掲載しておきます。

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Ajātivāda(アーティヴァータ)は、「無生(むしょう)」または「不生(ふしょう)」を意味するサンスクリット語の哲学用語で、「いかなるものも決して生まれることはない」という根本的な教義です。 
主にヒンドゥー教の不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派)や大乗仏教の中観派において重要な概念として用いられますが、その解釈には違いがあります。

Vivartavada(ヴィヴァルタヴァーダ )は、インド哲学、特に**不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派)における重要な概念で、「非実在的転変説」または「仮現説」**と訳されます。 
これは、現象世界がブラフマン(梵、宇宙の根本原理)から生じたものであると見なす際の、その生成のされ方に関する理論です。
主な内容は以下の通りです。
根本原理: 唯一の実在はブラフマン(梵)のみであり、名前や形を持つ経験世界(現象世界)は、ブラフマンに依存して現れているが、それ自体は究極的な実在ではない、とします。
非実在的転変: 現象世界への変化は、原因(ブラフマン)が結果(現象世界)に実体的に変化する(例:牛乳がヨーグルトになるような「実体的転変説(パリナーマヴァーダ)」)のではなく、実体は変化せずに、あたかも変化したかのように見える「非実在的な変化」であると説きます。
例え: 最もよく用いられる例えは、「縄を蛇と見間違える」というものです。暗闇の中で縄を見ても、それが縄であると認識できない場合、人はそれを蛇だと誤認します。このとき、縄自体は蛇に変化したわけではなく、誤解によって蛇が「仮現」しているだけです。この「縄」がブラフマン、「蛇」が現象世界に相当します。
目的: この理論は、究極の実在であるブラフマンと自己(アートマン)が本来同一である(梵我一如)ことを悟り、現象界が実在しないものであると理解することで、苦悩や迷妄の束縛から解脱(げだつ)することを目指すための教義的説明です。 

2026/01/14

世界は幻か? ルパート・スパイラ

Is the World an Illusion?  Rupert Spira
日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→英語(自動生成)→英語(自動生成)→自動翻訳→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

このビデオクリップでは、ルパートは、世界は幻想であるという精神的な教えにおける一般的な誤解について説明しています。

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いにしえの賢者たちは、「世界は幻だ」と言いました。しかし、それは誤って解釈されていると言います。「世界は幻」ではなく、私たちが認識している世界が幻だという意味。つまり、私たちの有限のマインドで認識している世界が幻だといいます。

物質や思考は私たちが認識しているようなものではなく、それは意識でできている(意識に現れていると言った方がいいのかも)。スクリーンの上の映画のように、私たちはそこに世界があると思っているが、実際にあるのはスクリーンだけ。そのスクリーンが意識(ここではconsciousと言っている)。

ただし、私たちの体験は幻ではない。私たちは物質を体験して、コップを手に取って水を飲むこともできる。体験そのものは幻ではないが、それは幻の世界の体験。世界は意識でできているということを理解すると、世界の見え方が変わってくるのだそうです。

その意識が何なのかは私たちには理解できない以上、このあたりの説明は感覚的に理解するしかないのなぁと思います。

2026/01/12

なぜあなたは目覚めた時の経験を語らないのですか? ルパート・スパイラ

Why Don’t You Ever Talk about Your Awakening Experience?
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。10分。日本語音声を聞きながら、日本語字幕を見ることをおすすめします。そうするとどちらかの誤訳をカバーできます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

ある女性は、悟りの体験をしたものの、その後すぐに強烈な至福が消えてしまったと言います。真の本質を垣間見た後に経験した心の状態が、どうして簡単に消えてしまうのでしょうか?

ルパートは、それは単に高揚した心の状態だったと言います。真の本質を認識したわけではありません。真の本質は、一時的なものではありません。確かに、この認識が心身に非常に深い影響を与えることもありますが、それは真の本質を透明に認識したことによる副産物です。

真の本質を認識することは、はるかにシンプルで静かなものです。それは、あらゆる経験の背景に常に存在する意識の存在を認識することです。ただ、存在している、あるいは気づいているという事実に戻るだけです。それだけです。特別なことは何もありません。ある意味では、それほど静かであれば最も安全です。なぜなら、振り返って素晴らしい悟りの体験を主張することは決してできないからです。

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質問者の女性が一瞥体験のような体験を語りますが、ルパートはそれは単なる体験であり、エンライトメント(悟りと訳されている)とは何も関係ないと教えます。本質(ここではアウエアネスのことをそう呼んでいる)は行ったり来たりする体験ではなく、背景にあるスクリーンのようなものだと教えます。

質問者は途中でエックハルト・トールが突然それを体験した例を出しました。それに対してルパートはエックハルト・トールに敬意を表したうえで、その出来事は本を書くには良い出来事だが、エンライトメント(悟り)は体験する何かではない、と教えます。

私はエックハルト・トールの本は全部読んでいますが、非二元を学んでからは彼を支持しなくなりました。エックハルトが本に書いた体験が人々に誤解を与えていると感じたためです。エックハルトはあの体験のあと至福の状態で二年間毎日公園に座っていた書いています。あれを読んだ人たちは、エンライトメントがあると信じる羽目になります。

そして彼はそれを客寄せに使い、自らを覚醒した人であるかのように演じて大金を稼いでいる気がします。人々は自分もそれを手に入れたいと彼に群がるのです(かつては私もその一人でした)。その体験を嘘だと言うつもりはありません。でも、それは個人の体験であり、エンライトメントとは何も関係ないと思います。ルパートがそれをはっきりと指摘してくれてうれしく思いました。

エックハルト・トールの話のすぐ後に出てくる禅マスターとは鈴木俊隆(すずきしゅんりゅう)のことです。この話もおもしろいですね。

2026/01/10

瞑想:神の無限のマインドの中の一つの夢 ルパート・スパイラ

Meditation: A Dream in God's Infinite Mind  Rupert Spira
日本語字幕で見ることができます。1時間28分。この動画を日本語字幕で見るのは少し大変かなと思います。長い上に字幕が遅れたり正確でなかったり。でも、とても良い動画なので、備忘録的に載せておきます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

この瞑想は、意識の無限の性質の認識と、意識がすべての客観的経験の実体であるという感覚/理解を引き出す質問を提示します。

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タイトルの意味は、私たち一人一人が生きている現実は神の無限のマインドの中の一つの夢にすぎないという意味です。

私たちは、意識は私たちが生まれた時、つまり体が始まった時に起こったと思っていますが、そうではなく、それは始まりも終わりもなくずっとあるものだということを順に説明していきます。

それは駅のホームで電車が通りすぎるのを見ている人のようなもので、電車がやって来ては通り過ぎていくが、ホームの人はただそれを見ているだけという説明から始まります。

いろんな例えを使いながら、私たちの現実には実体がなく、一つの夢だということを説明していきます。

話を理解しようとしないで、感じてと言っています。
この動画を見た感想は、すっきりしたというよりは、そうなんだろうなぁ、という感じです。

2026/01/08

思考はマインドから起こっているのではない  ルパート・スパイラ

Our Thoughts Don’t Come From the Mind
日本語で視聴できます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

思考はどこから来るのでしょうか?ある質問者が、意識のみのモデル、思考の起源、心の本質、そして心の限界を超える方法について、ルパートと議論を交わします。

ルパートは、意識のみのモデルにおいては、無限の意識が文字通りすべてのものが生じる媒体であると説明します。思考は、歯痛のような個人的な経験、コロナウイルスのような心の外で起こる出来事、あるいは子供の頃の経験を通しての過去の経験によって条件付けられることがあります。

私たちは自分の経験を探求すればするほど、私たち一人ひとりの自己が無限の意識の自己であることに気づきます。そしてある時点で、個人的な思考や感情は静まっていく傾向があります。なぜなら、それらが中心に据えるべき明確に定義された個人的な自己、あるいは自我がもはや存在しないからです。心は限界を失い、無限の意識、あるいは宗教用語で言えば神の存在と一体であると認識されるまで、拡張していきます。

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意識(アウエアネス)の外には何もないという点ではセイラーボブの説明と同じですが、アウエアネスと思考のモデルをセイラーボブからは聞いたことがありません。ルパートの説明を鵜呑みにするわけではありませんが、説明が合理的で納得のできるものです。

大きな一つの意識があって、その局在化したものが個人の意識だという説明は説得力があります。そして私たちが死ねば、その局在化が消えて大きな一つの意識だけが残る。そう考えるのが合理的な気がします。局在化という言葉をルパートは使いますが、なかなかいい表現だなと思います。

2026/01/06

エンライトメントの探求  ルパート・スパイラ

The Search for Enlightenment
日本語字幕で見ることができます。
ところどころ意味不明の固有名詞や誤訳がありますが、話の大筋は理解できると思います。正確に知りたい方は文字起こし機能を使って英語字幕を出して、Google翻訳にかけてみてください。

YouTubeの解説(Google翻訳)

ある女性が悟りを求める旅について語り、ルパートにその旅を手放すための助けを求めました。
ルパートは、悟りは経験ではなく、単に自分の本質を認識することであり、人生におけるどんな経験も自分の本質を変えるものではないと説明しました。そして、あらゆる欲望の根底にあるのは幸福であり、欲望は私たちが欲する物ではないと説明しました。

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質問者の女性はエンライトメントの体験がしたくてルパートに質問をしますが、ルパートはエンライトメントは体験するものではないということを教え、エンライトメントとは何かを順に説明していきます。この動画でもルパートはエンライトメントとは何かを見事に教えてくれます。

ルパートがこれほどまでにセイラーボブと同じ説き方をするのにはちょっと驚きました。「あなたが五歳の時からずっと変わらずにあるものは何ですか?」

途中ルパートが尋ねます。「あなたは、ポルシェを手に入れたら不幸になり、ひどい中古のフォードを手に入れたら幸せになれるとわかっていたら、どっちを選びますか? ものすごいハンサムで知的で金払いのいい男と付き合えば、たちまちみじめなるが、見た目はそこそこで、まあまあ知的だけど、無職で金をあまり持っていない男と付き合い始めたとたんに幸福になれるとしたら、どっちを選びますか?」

私だったら、ポルシェとハンサムな方かなぁ。だから不幸なんやね。

2026/01/04

あなたが最初に目にするものは何でしょうか?

こう言いましょう。あなたが最初に目にするものは何でしょうか? それは空間ではないでしょうか? 空間は澄み切っていて、空です。
すべての顕現は空間の中で起こります。
つまり、顕現とは空間の内容物なのです。
空間がなければ内容物は存在し得ませんが、あなたは空間には気づいていません。明白なものに気づいていないのです。
あなたは内容物に気づいています。
さて、意識や認識についても同じです。
最初に起こるのは意識(アウエアネス)ですが、私たちは意識にとどまっていません。
私たちは意識に気づいているのではなく、意識の内容物に気づき、その内容物の中に何らかの解決策を探しています。
焦点をあの「存在」に戻しましょう。いや、実際には、戻すということでさえありません。そこから逃れることはできないのですから。そのことを理解してください。
                                    セイラーボブ

2026/01/02

瞑想:気づいていることに気づいていることが最高の瞑想である  ルパート・スパイラ

Meditation: Being Aware of Being Aware is the Highest Meditation
日本語字幕で見ることができます。43分。ゆっくり話しているので、日本語字幕はかなり正確です。

YouTubeの解説(Google翻訳)

あらゆる経験に深く浸透する、気づきの経験の探求。

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ルパートの動画の「瞑想」とタイトルがあるのは講話による瞑想のことです。対話形式ではなく、ゆっくり話しているので理解しやすいです。

この動画はすばらしい。ルパートは「私」とは何か?「私」に意識を向けるようにと導いていきます。そして最後に、エンライトメント(悟り)へと導いてくれます。それにしても、言っていることがセイラーボブとまったく同じ。

結局、非二元で教えている一番肝心な部分は、この動画に集約されるのではないでしょうか?

2025/12/31

良いお年を

少しだけ今年を振り返ってみます。2月6日にセイラーボブが亡くなりました。ボブは亡くなる直前までミーティングに参加して、自らが衰えていく様子も包み隠さず公開していました。非二元の教師は何も特別な存在ではなく、普通の人間であるということを示したという点ではよかったのかなと思います。

ボブが亡くなった時、不思議と悲しみや喪失感はありませんでした。苦しそうな様子をずっと見てきたので、早く楽にさせてあげたいと思っていたせいもあるし、ボブが教えているように、本質としての私たちは死ぬことも生まれることもないと思うようになったからなのかもしれません。

ボブが亡くなった後はカット・アダムソンによってミーティングが続けられています。そしてカリヤニとピーターも月一回程度、ミーティングを開催しています。こうやってボブの教えは受け継がれていくのだろうと思います。

私の方はといえば、ボブのポインターを中心に、佐々木閑先生のYouTubeなどをブログに掲載させていただきました。そして最近ではルパート・スパイラのYouTubeをたくさん掲載させていただいています。ルパート・スパイラの話は、とてもわかりやすくて有益なので来年も引き続き掲載していきたいと思います。まだAIの自動翻訳は完璧ではないのですが、日本語で聞くことができるのはありがたいことです。

どのビデオだったか忘れましたが、非二元の教えを理解して、それが深まっていくと、日常の世界にも浸透していき、生き方や見える世界が変わっていく、というような趣旨のことを言っているのがありました。非二元の教えは理解したら終わりではないと思います。多くの人がエンライトメントや覚醒のようなものが起こって突然悩みが消えるのではないかという幻想を抱いていますが、そんなことは起こりません。

非二元を表面的に理解するのはそれほど難しいことではないと思いますが、それが内側の世界にも外側の世界にも浸透していくのは時間のかかることだと思います。繰り返し教えに触れて学んでいくことが大切なのではないでしょうか。そしてそれはずっと続く終わりのない道のりだと思います。だからこそ多くの人がボブのミーティングに何度も通い、ルパートのリトリートに参加しているのだと思います。

多くの人が、非二元を理解しても何も変わらないし、ちっとも楽にならない、何の役にも立たないと言って離れていきます。でも、ルパートが言うように理解が浸透して内側も外側も変わっていくのは時間のかかることだと思います。私の探求は終わった、などと言ってみても何も変わりません。絶えず非二元を学んでいき、気がついたら何もかも変わっていたという具合に物事は起こっていくのだと思います。そしてこれはある意味終わりのない旅なのではないでしょうか。

私は友人のおかげでセイラーボブを知りました。そしてギルバートには仏教でも同じことを説いていると教えてもらい、佐々木閑先生や横田南嶺老師を知りました。カリヤニからはルパート・スパイラがわかりやすいと教えてもらい、今学んでいるところです。すべては縁によって私の前に現れた人たちです。これからもそうやって学んでいくのだと思います。

私は非二元に出会って本当に幸運でした。それ以前の私は長い間エンライトメント・覚醒を探していて、覚醒できない自分をみじめに感じていました。あのままだったら死の瞬間まで焦燥感を抱えたまま一生を終えていたことだろうと思います。私は生まれたことも死ぬこともない永遠不滅の一つのものだと知った今、そしてエンライトメントなんてものはないと知った今、もはや焦燥感もみじめさもありません。あとは非二元の教えを離れないで生きていけばいい。

まだまだ非二元を学びたいし、いろんな人の話を聞きたいと思っています。YouTubeのおかげで、いろんな人の話を直接聞くことができるようになりました。すごい時代がやってきたなと思います。

一人でも多くの人に非二元の教えを知ってもらいたいという思いで、来年もブログを書いていきます。YouTubeの自動翻訳を使えば、日本語以外の非二元の教師の動画もなんとか日本語で見ることができると知ったので、縁があればセイラーボブ以外の人もとりあげていく予定です。YouTubeの自動翻訳の精度は日に日に上がっていくでしょう。よかったら一緒に学びましょう。

2025/12/30

意識(アウエアネス)に気づくための練習はない ルパート・スパイラ

Abiding as Awareness is a Non Practice
日本語で視聴することができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

意識についての議論と、意識していることを意識することの明確化。

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「気づいていることに気づいている」とはどういう意味かということを説明していきます。なぜ私たちはアウエアネスを意識の対象とすることができないのか。
セイラーボブだったら、あなたはもともとそれなのです、と一言で終わりにしてしまうようなところをルパートは順序だてて説明していきます。

それにしても、セイラーボブとルパート・スパイラの使う言葉にはよく似た言葉があります。ルパートはspacelike presence awareness(空間のような現存のアウエアネス)という言葉を使いますが、ボブもspacelike awareness(空間のようなアウエアネス)という言葉を使います。空間(space)、アウエアネス、雲と青空の話などの同じ言葉や話。

おそらく二人とも同じような種本、もしくは同じマスターから学んでいると思われます。それがヴェーダなのかアドヴァイタなのか、具体的に何を学んだのか知りたいところです。

ロープを暗闇で踏んで蛇だと思う例え話はボブもルパートも引用しますが、これはヴェーダ(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)から来ています。この話は仏教でも出てきます。そういった言葉や話の源がわかれば、理解がもっとしやすい気がします。

2025/12/28

意識(アウエアネス)も常にそこにあります

ボブ:意識(アウエアネス)は、あなたが今夜ここにいる間もずっとそこにありました。あなたの頭の中で思考が巡り、活動が続き、部屋の中のものを見たり、聞いたりしていました。
その意識は常にそこにありましたが、あなたは気づきませんでした。

「空間のような意識」という比喩が使われるのと同じように、最初に何が見えるかと尋ねると、「部屋の中のものが見える」とあなたは言うでしょう。

最初に見えるのは空間なのに、あなたはそれに気づきません。つまり、空間も純粋な主体なのです。空間を探し始めるとすぐに、「ああ、ここに空間がある」と、それを客体化してしまうのです。

空間は常にそこにあります。
意識(アウエアネス)も常にそこにあります。

2025/12/26

瞑想:何もあなたを幸せにすることはできない  ルパート・スパイラ

Meditation: Nothing Can Make You Happy
日本語で視聴することができます。54分と長いので時間がある時にゆっくり見てください。

YouTubeの解説(Google翻訳)

幸せになるには何が必要でしょうか?この瞑想では、幸せの探求について探究します。幸せは状況に左右されるのではなく、心と心に起こることだけによって決まることを発見します。継続的な平安と幸せを経験するには、今の状況に「はい」と言うことであり、「はい」とは私たちが瞬間瞬間に行う選択です。幸せとは、私たちが何をするかではなく、私たちが何者であるかです。

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タイトルが瞑想となっているので、目を閉じて何かするのかと思っていたら、ずっとルパートが話しています。ここで言う瞑想とは、すべてのことにイエスということを意味しています。私たちの不幸はどこから来るのか? それは現状にノーを言うことからくるのであり、ノーを言うのはマインドです。

そしてマインドの後ろにあるアウエアネス(この動画ではアウエアネスという言葉を使っている)の性質はイエスということ。幸せは外側の出来事にあるのではなく、内側にある。そしてそれはいつでもある。あたかも雲が青空を覆って見えなくしているように。そのことを理解するようにとルパートが話していきます。

そして最後にエンライトメント(ここでは悟りと翻訳されている)とは何か、サット-チット-アナンダとは何かについて語ります。この動画もまたすばらしい動画でした。

それにしても話がセイラーボブとよく似ています。雲の例えやサット-チット-アナンダなど。なぜこんなに話が似ているのか気になって、ChatGTPに質問してみました。

私の質問:ヒンズーの経典の中に、雲の後ろにはいつも青空があるという例え話のあるものがありますか?

以下ChatGPTの答え

とても良い質問ですね。
「雲の後ろにはいつも青空がある」というたとえは、ヒンドゥー哲学の核心である「永遠の真我(アートマン)やブラフマンの清明さ」を象徴する考え方によく通じています。ただし、**この表現そのもの(=雲と青空の比喩)**がヒンドゥー教の古典経典にそのまま出てくるかというと、直接的な文言としては登場しません。

しかし、非常に似た思想や比喩は存在します。
以下のような経典・思想に「雲と太陽/空」に関する象徴的な表現が見られます。

****一部省略***

☀ 後代の聖者たちの比喩
また、ヒンドゥー教の聖者やヨーガ行者たち(たとえばラーマナ・マハルシやスワーミー・ヴィヴェーカーナンダなど)は、よくこの「雲と空/太陽の比喩」を用いて真我の本性を説明しています。

ラーマナ・マハルシは次のように述べています:
「心の波立ちは雲のようなものである。真我は常に晴れ渡った空のように、静かで広大である。

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きっと二人とも、このあたりの本を種本にしているんでしょうね。

2025/12/24

真理に最も近いと言われている原初の思考なのです

ボブ:存在の感覚は、マインドを通して「私は在る」という思考として表現されます。「私は在る」には意味はありません。「私は在る」という翻訳も無意味です。「私は在る」なんて存在しないのです。

質問者:その通り!

ボブ:もし「翻訳」という言葉があなたを混乱させるなら、使わないでください。

質問者:ええ、「私は在る」という思考はちょっと扱いにくいんです。なぜなら、それが真実に最も近いとみなされることもあるし、既に堕落(原罪)だとみなされることもあるからです。

ボブ:ええ、それが原初の思考です。真理に最も近いと言われている原初の思考なのです。

2025/12/22

自己探求はどうやったらいいのですか? ルパート・スパイラ

How Do I Practice Self Enquiry?
日本語で視聴することができます。自動翻訳は I (私)をeye(目)と誤訳している箇所があるので注意。

YouTubeの解説(Google翻訳)

ある女性が自己探求(不幸な自分を見つけること)のプロセスを理解しようとしており、ルパートにその仕組みを説明してほしいと頼みます。

彼はいくつかの素晴らしい例えを用いて、その意味と自己探求のプロセスを明確に説明します。
「今、自分の経験を探求してみると、真に自分自身と向き合い、自分が何者であるかを発見し、それから再び振り返って不幸を探しても、もはやそれを見つけることはできないことに気づきます。つまり、不幸の原因は人間関係でも、状況でも、活動でもありませんでした。そして、この不幸の原因の発見こそが、真の幸福がどこにあるのかというヒントを与えてくれるのです。」

*********

ルパートは不幸な女性が、その不幸の原因は何にあるのかを探すことによって、自分とは何かを見つけるやり方を説明しています。私( I )は自分とは思考や感情のかたまりのことだと思っているために、その思考や感情が不幸な経験をすると、自分は不幸だと思うことになる。

しかし、思考や感情はやって来ては去っていく。では、去っていくことの無いものとは何か? それを順番に説明していき、最後に幸福とは何かを教えています。
どこかで聞いたような話ですが、何か新鮮な感じがします。

2025/12/20

内側の平和にたどり着くにはあとどれくらいかかりますか? ルパート・スパイラ

How Much Longer on the Path to Inner Peace?  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

人は内なる平安への道をあとどれだけ歩まなければならないのかを知りたがります。いつになったら真の本質を認識し、それとして生きられるのでしょうか?

ルパートは言います。「あなたがおっしゃっているのは、認識の欠如ではなく、認識はすでに起こったということです。しかし、40年間、世俗的な対象に幸福を求めてきた古い習慣がまだ残っており、その後、精神的な伝統の中で悟りを求める、より洗練された衝動が芽生えています。その衝動はまだ収まっていないのです。」

「しかし、この集団の中に留まれば、その衝動は徐々に収まり、真の本質の平安の中に身を置くことになるでしょう。しかし、その過程が完璧になるまで待つべきではありません。思考、感情、行動、そして人間関係のレベルで、私たちは決して完璧ではないと思います。心身が非二元の理解によってより深く浸透する余地は常にあるのです。」

********

近道はないのか? そして悟りとは?  質問者は、もう自分はいい歳なので自らの本質を知る近道を教えて欲しいと尋ねます。それに対してルパートは、ここで体験した内側の世界についての思考や感覚が外側の世界の活動や関係性と一致、統合されるのは時間がかかることであり、それには終わりがないと答えます。そして、あなたはここで瞑想して自らの本質を体験して、もうすでにそれを理解して知っているにもかかわらず、もっと素敵なエンライトメントを求めてしまうのです、と答えています。

2025/12/18

どこにも分離はありません

質問者: エネルギーは記憶を保持できますか?

ボブ: エネルギーは記憶です。記憶はエネルギーです。この二つを切り離すことはできません。

質問者: 光線を捉えることはできますか?

ボブ: 私は光線です。

質問者: つまり、これまで生きてきたもの、あるいは死んだものはすべて、今ここにいるということですね。なぜなら、この瞬間しか存在しないからです。

ボブ: その通りです。だからこそ、仏陀は「すべての衆生はあなたの父であり、あなたの母であった」と仰ったのです。そして、あなたも今、衆生なのです。ですから、あなたは他のすべての衆生の父であり、母であったに違いありません。どこにも分離はありません。

2025/12/16

人生の本当の目的  ルパート・スパイラ

The True Goal of Life  Rupert Spira
日本語音声、もしくは日本語字幕で視聴できます。音声の方が翻訳が正確です。

YouTubeの解説(Google翻訳)

人生の目的と目標についての対話。真の幸福を得るために何が必要か、そして幸福と真の目的を見つけるための鍵を見つけること。

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人生の目的は何ですか?という問いに対してルパートは、「幸せになること」と明確に答えます。

ルパートはアムステルダムの街を歩きました。そこにはバンジージャンプをする人たち、教会でミサに参加する人たち、そして売春街で女を買う人たちがいました。彼らは皆同じことを求めてその行為をやっています。それは、分離した自己の喪失を味わうこと。つまり、無限のアウエアネスを味わうということです。

私たちの本質は無限のアウエアネス(意識)ですが、誤った思い込みや感情のベールがそれを見えにくくしています。それを取り去ることが分離した自己のやろうとしていることです。

無限のアウエアネスは幸福そのものです。私たちは皆そのことを知っています。だから、それを味わおうとして外側の世界にそれを求めるのですが、実際には幸福は外側の原因にあるのではなく、内側にあります。人生の本当の目的は、誤った思い込みや感情のベールを取り去ること、それが幸福になるとことです。という話でした。

途中、ラマナ・マハルシに突然起こったことの説明も出てきます。こういう体験を一瞥体験というなら、それもありだと思います。でもそれはあくまで疑似体験にすぎません。

YouTubeの翻訳はどういう仕組みなのか知りませんが、字幕と音声は別の翻訳になっていて、字幕より音声の方が誤訳が少ない印象です。でも、音声は早口になると誰の発言かわからない時があります。一番良いのはもちろん英語で聞くことです。時間と多少の英語力のある方は英語の文字起こし機能(もっと見るをクリック)を使って見ることをおすすめします。

2025/12/14

アウエアネス(意識)とは何か? ルパート・スパイラ

What is Awareness?     Rupert Spira
日本語字幕で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳。ただし、気づきという言葉を(アウエアネス)で補足)

自身の経験を必死に理解しようと努める女性が、ルパートに「気づき(アウエアネス)とは何か?」と問いかけます。そして、人生の中でどのようにこの問いを理解しようとするのか、彼女は気づき(アウエアネス)が存在しない時期があることを説明します。ルパートは、気づき(アウエアネス)の概念、そして意識と存在がいかにして気づき(アウエアネス)であるかを、わかりやすく解説します。

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深い眠りの中にもアウエアネス(awareness)はあるということ、それが無かったことなど一度もなかったと説明しています。このあたりの説明はボブとまったく同じで、どうして深く眠ったと言えるのかという問いから始まります。深く眠ったのを覚えているのは何なのか?

マインドは主体であり、マインドは客体を認識する。ところがアウエアネスは主体であり、そこにマインドがない状態(深い眠りの中)では、マインドとっては何も認識する対象がない。しかし、それでもそこにはアウエアネスがある。そもそもマインドはアウエアネスを認識することはできない。

そして最後には私たちは生まれることも死ぬこともなく永遠に輝き続けるもの。限界のないもの。幸福と平和がそのものだと言っています。

動画のAIが「awareness」を「気づき」と訳さずに、「意識」と訳してくれたおかげで、割とわかりやすい字幕になっています。時々わけのわからないところもあるけど。

2025/12/12

あなたは常に存在し、これからも存在し続けます

ボブ:それでもそれは意識、あるいは生命の本質と言われているものです。それはあらゆるものとして表現されています。
私は青い海の例えを使います。海に行くと海は青く見えるでしょう。バケツで海の水を汲んでみてください。海は青くないこと、今も昔も青くなかったことが分かります。しかし、それがどのように表現され、見えるかを止めることはできません。青く見えてはいますが、その真実を知れば、青いという誤った思い込みから解放されます。

それを探求すれば、自分が別の存在であるという誤った信念から解放されます。あなたは、あらゆるものとして現れ表現されたたった一つの生命の本質であることに気づきます。
あなたは常に存在し、これからも存在し続けます。それは肉体を持たず、マインドも持たず、時間も空間も持たず、誕生も死もありません。これらすべてを含んでいます。その逆ではありません。

2025/12/10

あなたは純粋な知性である  ルパート・スパイラ

You Are Pure Intelligence   Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(自動翻訳)

存在の本質は純粋な知性として説明することができます。それは私たちの本質、そして愛、慈悲、知恵といったいわゆる意識の性質とどのように関係しているのでしょうか?

ルパートはこう言います。「知識には常に形がありますが、あらゆる知識の源である認識は形がありません。そして、純粋な知性は形がないからこそ、あらゆる一時的な形、つまりあらゆる考えや経験をとることができるのです。」

「認識とは、あらゆる経験を照らし出し、あらゆる経験を認識可能にするものですが、それ自体は経験ではありません。それは純粋な輝き、純粋な知性に過ぎません。」そして、あなたは常にそれなのです。

*********

純粋な知性(pure intelligence )、純粋な意識(pure consciousness)、知る働き(knowing)など、セイラーボブが使う言葉と同じような言葉、同じような内容が出てきて興味深かったです。スクリーン(日本語訳では画面となっている)の例えは全く同じ。「あなたは純粋な知性なのです」だなんて、ボブとそっくり。この二人はどっちかがパクっているんじゃないかと思うほど似たことを言う。でも、ボブの場合は「純粋な知性エネルギー」と言うことが多いので少しは違う。まあ、同じことを教えているのだから、似ていて当然なんですけど。

セイラーボブの場合は、どちらかというと感覚に訴える説明が多く、いわば右脳に訴えるような感じですが、ルパートの場合はもう少し細かい説明があって、左脳に訴えるような感じがします。

理屈を求める人にとってはボブの説明よりルパート・スパイラの説明の方が向いている気がします。私はセイラーボブから学んだので、ボブの説明のやり方が好きなのですが、人に説明するにはルパートの説明の方がわかってもらえるのかもしれません。

2025/12/08

あなたと私は、そのひとつの本質なのです

質問者: なぜ「知性エネルギー」という言葉を使うのですか? それが一つのものだからですか?

ボブ: そうです。私が話しているのは知的能力のことではなく、この宇宙全体をパターン化し、形作り、機能させている知性のことです。この部屋には様々なレベルの知的能力の人がいます。あなたはおそらく私よりもずっと賢いでしょう。それが知的能力です。

しかし、知性は私たちを一つのものとして作り上げ、形づくり、形成しています。
あなたと私は、そのひとつの本質なのです。
「あなた」も「私」も実在ではありません。

2025/12/07

カリヤニとピーターのサイトの紹介

カリヤニとピーターのウエブサイトがリニューアルされたので紹介します。


個人セッションもやっているようです。もちろん英語で会話できる必要があります。
でも、会話そのものは私の純ジャパへなちょこ英語でも大丈夫なので、自信のある方はどうぞ。価格は応談のようです。

私はカリヤニとピーターの個人セッションを受けたことはありません。
でも時々思うのは、オーストラリア滞在中に彼らの個人セッションを受けていたら非二元を理解するのがもっと早かったかもしれないと思う時があります。

お二人とも相変わらず若々しくお元気そうです。それにしても立派そうな家。ゴールデンリトリバー?飼ってるんか。

2025/12/06

誤った思い込みを解消する  ルパート・スパイラ

Dissolving False Beliefs  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(自動翻訳)

これがすべて夢だと知ることは、どのように誤った信念に対処するのに役立つのでしょうか?非二元的な理解は、夢の様々な側面を変えることを可能にするのでしょうか?

ルパートはこう言います。「すべてが夢であるというこの理解は、二元性という幻想を見透かし、その根底にある唯一の現実を見出すことを可能にします。夢は依然として主観と客観という観点から構築されており、それ自体は変わりません。しかし、私たちがこの世界でどのように活動するかは確かに変化します。」

「私たちのオペレーティングシステムは、分離のパラダイムから一体性のパラダイムへとアップグレードされ、それは私たちの考え方、感じ方、行動、そして人との関わり方を根本的に変化させます。私たちの世界が今日の状態にあるのは、分離という誤った信念に基づいているからです。」世界社会にとっての究極の解決策は、この一体性の理解にあると私は考えます。それが人類の唯一の希望なのです。」

***********

セイラーボブは非二元を理解すると何が起きるかということをあまり話しません。そこにはほのかな喜びがあるとか、ほのかな愛がある、と表現します。でも、ルパートは、世界が夢であるということを理解すると、内側の世界も外側の世界も変わっていく、人との関係性も変わり、世界が変わっていくと説きます。このあたりがルパートの人気の理由ではないでしょうか。

内側の世界も外側の世界も良いものに変わっていくなら、誰もがそう願ってルパートの教えを理解しようとします。私たち一人一人が分離した存在だと信じることが世界で起きている問題の根源であり、その唯一の解決策は、私たちは一つの無限の意識だということを理解することだと言います。

そしてこの動画では質問者に、来週一週間、行動する時は自分や人々の背後には一つの無限の存在があるのだということを意識して行動するようにとアドバイスします。

********

ルパート・スパイラのミーティングが気になって、ルパートのサイトで調べてみました。ルパートは年に何回かEvening Meeting(2時間)をやっていて、申し込みをすれば誰でも参加できるようです。参加費はドネーションとなっています。どのくらいが相場なのかはちょっとわかりません。今時は円安のせいでイギリスへ行くだけでも大変なので、行こうという気は起きませんが、実際に会ってみたい気がします。

リトリートの方はどうかというと、一週間ぐらいのものが年に何回かあります。宿泊食事込みの料金なので結構高い。その余分に開催場所まで行く航空券代を考えると、これまた行く気になれない。ルパートは1960年生まれ、現在65歳。そのうち日本に来ないかな。来ないな、たぶん。

2025/12/05

「Rupert Spira 非二元のエッセンス」YouTubeの紹介

以前にもこのブログで紹介しましたが、ルパート・スパイラのYouTube動画に和訳をつけて公開されている方がみえます。説明によると、ルパート本人の了解のもとで公開されているようです。わかりやすい和訳がついているのでとても参考になります。再度ご紹介させていただきます。


このYouTubeをやってみえるのは堀田 真紀子さんです。
サイトでは非二元関連や奇跡のコースについてもいろいろ書いてみえます。


堀田 真紀子さんのサイト

2025/12/04

意識はずっとそこにありました

質問者: 深い眠りの中でも意識に気づくことができると聞くと、とても興味をそそられます。どうしてそんなことが可能なのでしょうか?

ボブ: あなたは自分が無意識であることに気づいています。朝起きたとき、「ぐっすり眠れた」と言いますが、どうしてそれがわかるのでしょうか? 何も起こっていないと意識していたに違いありません。眠っていた時、マインドは休止状態でした。しかし、呼吸は続いていて心臓は鼓動し食べ物は消化され、細胞は入れ替わっていました。多くの活動が起こっていたにもかかわらず、思考、あるいはうわべ上の意識は休止状態でした。休んでいたのです。

深い眠りの中で誰かがあなたに呼びかけると、あなたはそれを聞きます。聴覚はまだそこにありました。彼があなたを揺さぶると、あなたは目を覚まします。マインドが動き始めます。

意識はずっとそこにありましたが、あなたはそれに気づいていませんでした。今、あなたが意識に気づいていないのと同じように。あなたは今、意識がないのですか?  意識はそこにあります。注意が向けられるまで、あなたはそれに気づきませんでした。

「ああ、そうだ、私は気づいている」と口にした瞬間、あなたはそれを客体化してしまいます。つまり、客観化したのです。
しかし、それは完全に主観的なものなのです。

2025/12/02

私は教師ではなく、アーティスト ルパート・スパイラ

I’m an Artist, Not a Teacher  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(自動翻訳)

ダイレクトパスにおいて、「スピリチュアル・ティーチャー」の役割は依然として重要なのでしょうか?人は、真の自己を認識することで人生が改善されるかどうかを知りたがります。では、非二元的な理解によって影響を受けていないように見える人生の側面はどうでしょうか?

ルパートは言います。「はい、人生が改善されることは期待できます。通常はまず内面的な面で、平穏や充実感といった面で変化が現れ、やがて、私たちの世界に対する経験もこの新しい理解を反映します。しかし、これには通常、より長い時間がかかります。」

「私も同じです。私の経験のあらゆる側面がこの理解と100%一致しているとは言えません。私にも盲点があり、自分が完璧であるかのように装わないことが重要だと思います。」

「しかし、教師であることに伴う完璧さの投影に惑わされないことが重要だと感じているだけでなく、教師であることの投影さえも信じていません。」自分を先生だとか、あなたを生徒だとか思うのは傲慢でしょう。私はむしろ、真実への理解と愛を分かち合うアーティストです。ただそれだけです。先生と生徒の関係なんて、余計な負担です。ここで私たちがやっていることは、全く必要ありません。

*************

質問者は自己の本質を理解すると、自分の人生が変わると期待していいのか?と尋ねます。それに対してルパートは、まず内側が変わり、平安がやってきて、人の発言で傷ついたりすることが減っていくと言います。そして外側も変わっていき、対人関係や周りの状況が変わっていくが、それには時間がかかると答えます。

その変化は、ある日突然起きるのではなく、長い時間をかけて自分でも気づかないうちに少しづつ起こる。それはあとで振り返って気づくと変わっていたというように起こる。しかもそのプロセスは終わりがなく、ある意味一生続くと言います。

そしてすべてが完璧になるわけではなく、ルパート自身にも理解の及んでいかない領域(自動翻訳では盲点と訳されている)があると言います。(繰り返し繰り返し同じような問題や悩みが起こってくる領域があるという意味だと思います)。

そしてルパートは「私には何も教えるものがない」と言い、私とあなたたちの関係は教師と生徒でなく、友人であり、考えをシェアしているだけだと言います。あたかもアーティストが聴衆と音楽をシェアするように。

この話はとても意義深いものだと思います。多くの人は非二元を理解したら、ある日突然悩みから解放されてスッキリするだろうと思っていますが、そんなことは起きない。理解が浸透して少しづつ変わっていくが、その過程には終わりがなく、体とマインドがある以上は完璧にはなりえないと教えています。

インターネットの発達に伴い、多くの人が短絡的になっている気がします。非二元の本を数冊読んで非二元を理解したい、誰かのブログを読んで手っ取り早く非二元を理解したい、セミナー、リトリートに参加すればすぐに非二元が理解できて悩みも消えるだろう、と考えます。

でも、本当の理解はそんなに簡単に起きるものではなく、あれこれと自分で試してみてやっと起こる。運よく理解したとしても、それが浸透して内側と外側が変わっていくのはルパートが言うように長い時間のかかることだと思います。多くのマスターは完璧を演じようと努めますが、ルパートにはそんなところが微塵もない。私も完璧じゃないよ、というルパートの正直な態度が好きです。

2025/11/30

意識(アウエアネス)は常にそこにあります

ボブ:意識(アウエアネス)は常にそこにあります。

質問者:深い眠りの中でもですか?

ボブ:意識が生のエッセンスとして働く時、生のエッセンスは確かにそこにあります。深い眠り、麻酔状態、あるいは無意識の状態でも、心臓は鼓動し、体は呼吸を続け、生は続いています。マインドは活動を停止している、それだけです。
そして、精子と卵子という二つの微小な粒子も知性エネルギー、つまり知る働きに満ちています。精子は卵子に向かって泳ぎ回り、本能的にどこへ行くべきかを知っていました。それも常に生のエッセンスだったのです。

2025/11/28

スピリチュアルの教師:最後の失望  ルパート・スパイラ

Spiritual Teacher: The Final Disappointment  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

人生において、あらゆることが私たちを失望させ、裏切った時、私たちはしばしば、スピリチュアルの教師が最後には私たちの望むものを与えてくれると期待しますが、結局また失望させられるのです。では、私たちは誰を本当に信頼し、頼ることができるのでしょうか?

ルパートは言います。「良い教師は、私たちにとって最後の失望となるべきです。ですから、教師や教えに失望したとしても、それは良い兆候です。理解が深まった証拠です。自分が心を捧げてきたものに失望させられ、以前頼っていた教えの力がもう失われていると感じるのは、辛いことです。

「でも、それは良いことです。なぜなら、あなたは自分自身をより深く掘り下げなければならないからです。教師や教えに頼るべきではありません。結局のところ、あなたは自分自身、自分自身の存在だけに頼るべきです。でも、私はいつもあなたの友人としてここにいます。それは奪われることはありません。愛は奪われることはありません。」

*********

セイラーボブも、覚醒(エンライトメント)などないと言って私を失望させました。おまけにミーティングの最初にボブは必ず、私は何も教えないし、教えることは何もないと言ってからミーティングを始めました。

師を求めて訪ねて行っても、師は覚醒した人ではなく、何も教えることはできません。自分で調べるしかないのです。本当の道は教師に失望したところから始まります。教師を信奉して、私も覚醒したいと迷走(瞑想ではなく)していた昔がなつかしいです。ルパートは偉ぶるわけでもカリスマ性をまとうわけでもなく、普通の人として語りかけてくれます。こういう態度こそが本物の教師ですね。

2025/11/26

あなたは純粋な意識、純粋な知性エネルギー、他には何もない一つのものなのです

ボブ:あなたは自分が存在していることを知っていますね。

質問者:自分が存在していることを理解することと、非二元性を理解することは、同じことなのでしょうか?

ボブ:はい。理解こそがすべてです。ニサルガダッタは「理解こそがすべてだ」と言いました。パタンジャリは聖典の中で「正しい理解こそがすべてだ」と言っています。

質問者:そこで、「何を理解すべきか?」ということになります。

ボブ:あなたは肉体でもマインドでもありません。あなたは純粋な意識、純粋な知性エネルギー、他には何もない一つのものなのです。

2025/11/24

教えられない教え ルパート・スパイラ

The Teaching That Cannot Be Taught   Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

逆説的な精神的教え、すなわちアジャーティヴァーダ(何も存在しない、あるいは存在しているように見えることさえないという主張)とヴィヴァルタヴァーダ(少なくとも世界は存在しているように見えることを認めている)を、私たちはどのように理解できるでしょうか?

ルパートはこう言います。「アジャーティヴァーダは絶対的に真実ですが、それに基づいた教えはあり得ません。あなたはどうお考えですか?たとえこの分野においてさえ、世界も心も苦しみもないと言うのは失礼でしょう。ですから、すべての教えはアジャーティヴァーダから一歩下がり、ヴィヴァルタヴァーダの観点、つまり現象の観点に立って語るのです。そして、それは当然のことです。」

「しかし同時に、私たちは特異な集団です。私たちは真実を知りたいと願い、山の頂上まで行くことを恐れません。ですから、たとえ自分の経験と合致させられなくても、現実の観点から見れば、世界も心も苦しみもないことを理解しているのです。」しかし、それは虚無主義的な哲学ではありません。私たちの日常生活や、私たちが感じている現実、苦しみ、悲しみ、喜びを否定するものではありません。」

**********

質問者は深いレベルで無限の意識(ここではボブのいうアウエアネスのことをそう表現している)とつながることができないが、どうしたらいいのかと尋ねます。それに対してスパイラは、例えばコップを見る場合、コップと距離を置いて私という主体がなければコップを見ることができない。物を見るには主体と客体の関係が必要だと説明します。

目は目を見ることができません。そこには主体と客体という関係が成り立たないからです。無限の意識は無限の意識を離れて無限の意識を見ることはできません。そこには客体となるいかなる点も場所もないからです。無限の意識は無限の意識のことしか知らず、それ以外のことは何も知りません。

私たちが無限の意識を知ろうとしても、無限の意識には客体になるような点がなく無限のものなので客体にはなりえない。そのためそれを客体として知ることはできない。私たちが唯一できることは、意識に気づいているという事実だけ。

この話はとっても難しい話でした。

2025/11/22

植物は生来の知性に満ちています

質問者: それは非観念的な意識です。植物が太陽の方を向いているのさえも、非観念的な意識と言えるのではないでしょうか。実は、それこそがアウエアネス(意識)なのです。植物は太陽の位置を認識しています。しかし、植物にはマインドがありません。非観念的な意識なのです。

ボブ: ええ、植物は生来の知性に満ちています。地中に根を張り、土から栄養分を吸収します。私たちにはそんなことはできません。小さな植物の葉っぱを噛むくらいです。植物ならできるんです!なんて素晴らしいのでしょう!

2025/11/20

何も存在しない ルパート・スパイラ

Nothing exists    Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

アジャーティヴァーダとは、何も存在しない、あるいは存在するように見えるものさえ存在しないという主張です。しかし、それが明らかに私たちの経験と矛盾する場合、どのようにしてそう言えるのでしょうか? ヴィヴァルタヴァーダは少なくとも、世界が存在するように見えることを認めています。では、私たちはこれをどのように理解できるでしょうか?

ルパートはこう言います。「もし無限が真に存在するすべてであるならば、その視点こそが唯一の真の視点でなければなりません。そして、その視点から見ると、無限以外のものは存在できないだけでなく、無限以外のものの出現さえも経験することができません。なぜなら、出現を経験するには、有限の視点から経験しなければならないからです。」

「ですから、無限の純粋な自己経験においては、顕現はおろか、顕現の出現さえも存在しません。一方、私たちの有限で限定された、局所的な視点からは、たとえここで私たちが行っているように、その顕現の実在性に疑問を抱いたとしても、世界の出現は間違いなく存在します。」

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一般的に、「何も存在しない」と言う時、それは私たちの視点から見た場合を言います。
このYouTubeでルパートは全く別の視点で説明します。私たちが個人のマインドとしてとらえている世界は現実としてそこにある。しかし、無限のもの(ここではボブの言うアウエアネスをそう表現している)の視点に立つと、そこには何もない。無限のものは私たちのマインドの視点に立って世界を見る事ができない。

マインドという主体があって初めて世界という客体を見る事ができるが、無限のものがマインドという主体になることはできない。そのため、無限のものの視点に立つと、そこには何もないということになる。サンスクリットの経典に書かれている意味は、無限のものの視点に立って書かれたものであり、そこには何もないと説く、という説明です。

ルパートの説明は、無限のものの視点に立って説明しているという点が新鮮で説得力があります。いくら私たちが「何もない」状態を体験しようとしても、それはできません。無限のものの視点に立つことができないからです。

2025/11/18

佐々木閑先生のYouTubeから 哲学者田山令史先生との対談

この動画では唯識の話が出てきます。話を聞いていると、非二元の話のようにも思えました。直接非二元とは関係ないかもしれませんが、興味深い話なので掲載させていただきます。

哲学者田山令史先生との対談第1回(場所は先斗町のレストラン,オードビー)

哲学者田山令史先生との対談第2回(場所は先斗町のレストラン,オードビー)

2025/11/16

深い瞑想のあと、なぜ純粋な意識を思い出すことができないのでしょうか? ルパート・スパイラ

Why Don’t I Remember Pure Awareness After a Deep Meditation?  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

なぜ深い瞑想の後、純粋な意識を思い出すことができないのでしょうか?これは、私たちが真に無限の意識を経験していないことを意味するのでしょうか?

ルパートはこう言います。「無限の意識を思い出すことはできません。なぜなら、すべての記憶は有限の心の中で起こり、有限の心が知っていることはすべて、その限界によって条件付けられているからです。すべての記憶は、定義上、一時的で有限です。」

「しかし、意識の経験を思い出す必要はありません。なぜなら、あなたは今、気づいているという経験をしているからです。意識は常に自分自身を認識しています。たとえそれが背景に消え去っているように見えても。それは私たちにとって最も根源的で、明白で、親密な経験です。私たちがそれを見落としているのは、他のことに気を取られているからです。」

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質問者は、瞑想してその状態に入ろうとするとすると落ち込むような感じになって、意識の比較的ある状態ではその状態を思い出すことはできないので、私は間違っているのか?と尋ねます。するとルパートはマインドは存在(being)については何も知らないし、知ることもできないから、その状態を思い出すことはできないと説明します。

意識(ここではconsciousnessを使っている)は意識を知っているが、人間のマインドでそれを知ることはできない。なぜなら、人間のマインドには限界があり、意識を知ることはできないから。役者のジョン・スミスは自分がジョン・スミスであり、リア王を演じていると知っているが、リア王はジョン・スミスを知ることはできない。

人間のマインドで知り得ることは「私は在る」という存在の感覚だけである。意識は自ら輝いて、自らを照らすことはできない。同様に、意識は自ら輝いているが、私たちがそれを知る直接の方法はなく、静寂や詩を通して感じることしかできない。

なお、この動画の副題は、Consciousness is always knowing itself.(意識は常に自らを知っている)となっています。

2025/11/14

それはただの「純粋な理解」なのです

質問者:ボブ、メッセージは聞こえています。でも、それを本当に理解できているかどうか自信がありません。自分が理解してるということを確認できる何かを探しています。ちょっと変な感じがします。ここで話されていることを本当に理解しているかどうか、何か確証が必要かという点について、もう少し詳しく調べてみたいのです。

ボブ:では、あなたにとって何が“それ”を確認してくれるのですか? あなたは「理解している」と信じてるのか、それとも「理解している」と知っているのかどちらですか?

質問者:私は自分が存在していると知っています。

ボブ:「知っている」。それが確証ではないですか?

質問者:それを否定することはできません。それを「知っている」ということは、どうしようもなく確かです。

ボブ:どうしようもなく確かなこと。それが確証です。

質問者:でも、そこから繋がりを感じられません。二つに分かれてしまうのです。ここに「理解」があって、これは非二元についての理解。で、こっちに「自分が存在していると知っている」という感覚があります。たぶん本当は一つのものなんでしょうけど、私の中では分かれています。「非二元を理解している」と「自分が存在していると知っている」。そうやって、私はそれを二つに分けてしまいます。でも、本当は一つなのかもしれません。

ボブ:では、「それを理解している」のは誰なんですか? そこに“理解”があるのは確かです。でも、それは「あなた」が理解してるということではありません。「あなた」の理解?  あなたが「それを理解してる」のだとすれば、それは「あなた」という実体がその理解を概念的に捉えようとしてるということになります。でも、それはただの「純粋な理解」なのです。誰もそれを確認する必要はありません。

2025/11/12

直観と意識の本質  ルパート・スパイラ

Intuition and the Nature of Consciousness  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

直感とは何でしょうか?そして、いわゆる第六感に従うと、なぜ私たちはシンクロニシティを経験するのでしょうか?

ルパートはこう言います。「直感は有限の心の一部ですが、覚醒状態ではアクセスできない有限の心の中の領域、つまり個人的無意識または集合的無意識、つまり表面下で繋がっている有限の心の一部なのです。」

「シンクロニシティ体験は、覚醒状態という明確に区切られたパラメータから純粋意識へと移行するにつれて起こります。限界がなくなり、心と心の境界はますます曖昧になります。だからこそ、10年間思い出していなかった誰かのことを考え、部屋に戻るとその人からのメールが見つかることがあるのです。」

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時間とは何か、空間とは何か、そして直観とは何かについて話しています。
質問者は「直観とは何ですか?  それを調べていくと、シンクロニシティが自分に起こっていることに気づきます」と尋ねます。それに対してルパートは、私たちが無限の宇宙(ここではアウエアネスのことをそう呼んでいる)と分離されているのは目を覚ましている時だけであり、実際には時間も空間も存在しない。時間と空間はマインド産物である。無限の宇宙と私たちのマインドの外側の間には微妙な境界があり、そこから直観はやってくる、と説明しています。(別のビデオでは無限の宇宙にはあらゆる情報があって、そこから情報を知ることができる人もいる。そうやって過去に亡くなった人の情報を知ることができる人たちがいると考えると、過去生を記憶している人たちの説明がつくのではないか、というのがありました)

ルパートは自分の子供が三歳の時に納屋が家事になる前に納屋から煙が出ている絵を描いたことがあるとう例をあげて直観を説明しています。時間と空間はマインドの産物であり、実際には存在しないということをはっきりと語っています。

2025/11/10

ボブが亡くなって9か月 ボブの2023年、2024年のビデオとポインター

9 months later - Snippets of Bob's life and pointing from 2023/2024
日本語で視聴できます。

最初にカットがキーワードを言って、そのキーワードに沿ってボブの話が続きます。カットのキーワードは「A for analogies again」という感じで語られますが、自動翻訳はまったく機能せず、「え~・・・」とか訳すので、無視して、その後に続くボブの話(短いポインター)だけ聞いてみてください。ボブの声はきれいに翻訳されているので、十分にポインターの役目を果たすと思います。これはカットとボブが共著で書いた「Bags of pointers to nonduality」からの朗読です。

動画の背景には2023年2024年頃、まだボブが外出できた頃の外出の様子やパーティの様子が流れます。

2025/11/08

非二元論入門  ルパート・スパイラ

An Introduction to Non-Duality
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの翻訳はどういう仕組みなのか知りませんが、字幕と音声は別の翻訳になっていて、字幕より音声の方が誤訳が少ない印象です。この動画は音声の翻訳がかなり自然なので、日本語音声がお勧めです。

YouTubeの解説(Google翻訳)

ルパート・スパイラによる非二元論入門。
非二元論は、人生におけるあらゆるものは、分離して区別されているのではなく、繋がり、一つの全体の一部であると説明しています。非二元論は、私たちが世界を「私」と「あなた」、あるいは「思考」と「現実」といった別々のものに分割して捉える従来の見方を超越する、無限に偉大な現実、すなわち一つの統一された全体性が存在することを示唆しています。
この理解を追求する中で、私たちは必然的に、誰もが常に切望してきた平和と幸福は、すでに私たちの存在の本質であり、私たちはこの存在をすべての人、すべてのものと共有していることに気づくでしょう。

**********

ルパートのYouTubeは、時系列や再生回数は気にせずに、私が見ていいなと思うものを掲載してきました。これからもそうするつもりですが、そのために、このような入門というタイトルの動画を今さらながら掲載しています。すいません。
ルパートは非二元を学ぶことの目的は幸福の実現であり、そのために為すべきことは自己の本質を知ることだと言っています。非二元を学ぶ目的は幸福の実現(あなたの本質はもともと幸福である)にあるというルパートの言い方が好きです。前向きで希望を持たせてくれます。
この動画を最初に掲載すればよかったのですが、見つけたのが最近なので、遅まきながら今掲載させていただきます。

それにしてもルパートは説明が上手ですね。わかりやすいです。

2025/11/06

その知る働きは今ここにあります

ボブ:そこには知ること、純粋な知る働きがあります。それは他には何もない一つのものです。

質問者:それを知っても卒業証書はもらえません。つまり、そういう理解が起こったということです。でも、「今、あなたは知っています!」と誰かに認めて欲しいのです。

ボブ:ええ。今、あなたは理解したと言いました。今、あなたは知っています。まだ理解できないことがあるでしょうか? 例えばあなたは、これを知っている、あれを知っている、という思い込みがあります。知っていることに何かラベルを貼っています。でも、今あなたは知っています。その知る働きは今ここにあります。ただ純粋な知る働き。それに何かを加える必要はありません。何かを取り除く必要もありません。それを確かめることができたのではないでしょうか?

質問者:何かを知っていなければならないという考えを捨てればそうなります。

ボブ:ええ、では、何かを知っていなければならないという考えを捨ててください! 捨ててしまいなさい!あなたは知る働きを知る者と知る対象へと分割します。「私はこれを知らなければならない」と。あなたは知る働きを主観と客観に分割しました。その知る働きを否定することはできません。それで確認できたということです。それだけです。そして私たちは「ああ、でも!」と言います。「でも」に踏み込んだとき、あなたは遍在性から遠ざかっています。

2025/11/04

実在は在る。しかし「そこには世界」は存在しない。  ルパート・スパイラ

There Is a Reality, but No World ‘Out There’     Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

現実とは何か?世界は実在するのか?そして、なぜ無限の存在はそれを経験できないのか?もしかしたら、経験できるかもしれないが、私たちには理解できない方法で経験しているだけなのだろうか?

ルパートはこう言います。「世界には何か現実的なものがある。しかし、それは見た目通りではない。現実には、存在するのは無限で意識のある存在だけである。つまり、私たちが今見ているのは無限の存在だが、有限の心はそれを自身の限界と一致する形で認識している。だから、私たちがそれを見るとき、世界を見るが、「そこに」世界は存在しない。少なくとも、思考によって通常考えられているような形では。

「無限はそれ自体では客観的な経験を持たないが、意識のある存在であるため、存在の経験を知っている。だからこそ、至高の教えは、真に存在するすべてである現実には、創造も破壊も存在も外見もないと説くのだ。」

「もし私たちの経験が心を通してのみ知られるものならば、私たちは現実の本質を知ることはできないでしょう。しかし、有限の心を介さない経験が一つあります。それは、存在への意識です。ですから、私たちが現実の本質にアクセスできる唯一の方法は、存在への意識を経験することです。」

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この話はとても難しいです。なぜ私たちが意識が何なのかを知ることができないかを説明しています。オレンジ色の眼鏡を通して見ると、白い雪を見ることはできない。役者のジョン・スミスはリア王を演じているが、リア王はジョン・スミスを認識しない(この例えはなかなか良いです。役者は自分がどんな役を演じているのか知って演じているが、物語の登場人物は自分が誰かによって演じられていることを知らない)。コウモリなどの動物は別の世界を見ている(これはボブも使う例え)。目が目を見る事はできない。こうした例え話を使いながら、なぜ私たちは無限のもの(ここではアウエアネスとは言わずにこう言っている)を認識することができないのかを説明しています。そして私たちが見ている世界は個人というものに閉じ込められた意識が見ている世界であり、それを現実だと思っているが、そうではないということを話しています。

2025/11/02

マインド以前に存在する本質とは何か? カリヤニ・ローリー

What Is the Essence Prior to Mind? | Kalyani Lawry | The Key Philosophy Quest | E04
日本語字幕(自動翻訳)で見ることができます。

二人ともきれいな英語でゆっくり話すので自動翻訳がかなり正確です。インタビュアー(哲学教授)はマインド以前にあるものは何かとカリヤニに尋ね、カリヤニがそれを「それはどこで起こっているのでしょうか」「子供のころから変わらずにあるものは何か」と問いかけることで答えていきます。

カリヤニの話はセイラーボブから学んだということがはっきりわかる話で、ボブの説明をおおむね踏襲していますが、最後のヴェーダに出てくる土鍋の話は聞いたことのない話でした。哲学教授が持ち出したプラトンの洞窟の比喩の話は精神世界の話に時々出てくる話です。

カリヤニの話は非二元をちゃんと理解している人にはやさしい話に思えますが、初めて聞く人には何のことやらサッパリわからないのではないでしょうか。質問者の問いかけを聞いていると、そんな印象をうけました。

2025/10/31

これは単なる純粋な理解に過ぎません

ボブ:もし理解しているのは「あなた」だと考えているなら、あなたはこのことを概念的に把握したいと思うでしょう。しかし、これは単なる純粋な理解に過ぎません。確認が必要ですか? 2足す2はいくつですか?

質問者:4です。

ボブ:あなたはそれを理解しているのですか、それとも知っているのですか? もし私がやって来て、2足す2は6だとか、2足す2は8だとか、2足す2は3だと言ったら、あなたは何と言いますか?

質問者:ええ、私の習ったやり方と違います。

ボブ:つまり、あなたは理解しているということですね。でも、かつては2足す2は4だとは知らなかった。でも、あれこれ考え疑問を持って調べました。1、2、3、4。1、2、3、1、4。と足し算をして、2足す2は4になります。あなたはそれを見て、認識し、理解しました。そして今、それが確証されました。誰もあなたを揺るがすことはできません。2足す2は3だとか5だとか言う人はいません。それは、あなたが存在しているという認識と同じです。誰もあなたを思考の産物だと言うことはできません。あなたは自分が存在していることを知っているのです。

2025/10/28

人生はすでに決まっているのか、それとも自由に選択できるのか? ルパート・スパイラ

Is Life Predetermined or Are We Free to Choose?      Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

人生はあらかじめ決められているのでしょうか、それとも私たちは自由に自分の道を選ぶことができるのでしょうか?それに対して、どのような姿勢を持つのが最善なのでしょうか?そして、奉仕の人生を生きるという選択をした場合、それが単なるエゴの追求ではないと、どうすればわかるのでしょうか?

ルパートは言います。「もし神が男性だったら、私たちの運命はおそらく最初から決まっていたでしょう。しかし、今私たちが知っているように、神は女性であり、常に考えを変えています。だからこそ、私たちは自分が何に運命づけられているのか全く分からず、自由と創造性があるという神に感謝すべきです。」

「それに対して、最善の姿勢は、心を開き、身を委ねることです。良いことだけでなく、辛いことや困難なことにも。なぜなら、それらは私たちを支配する力を持たないからです。たとえそれがなぜ起こっているのか理解できなくても、すべてに「はい」と言いましょう。」

「そして、エゴだと思って、この世での仕事を縮小してはいけません。」もしあなたがこの愛と理解を持ち、それを人類に何らかの形で届けたいというビジョンを持っているなら、それはエゴ的な衝動ではありません。それに従いなさい。情熱を傾けなさい。あなたのビジョンを人類に届けるために必要なことは何でもしなさい。」

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タイトルからして、何か非二元的な話が聞けるのかと思ったら、まったくそうではありませんでした。運命論でもなく、行為者の不在でもなく、ごく普通に、人生は何も決まっていないという話でした。当たり前のことを話してくれたので、かえってホッとしました。

私はブログに載せるために、英語と日本語字幕の両方を見ています。日本語だとわかりにくいところはけっこうあります。英語ならわかりやすいかというと、そうとも言えません(英語力の問題ではなく)。結局、非二元の話はわかりづらい。それは本でも言えることで、セイラーボブやルパート・スパイラの本がすんなりと理解できるかというと、そんなことはないと思います。日本語で読んでわかりづらいところを英語で読んでもよくわからないなんてことはよくあります。英語ネイティブが読んでもよくわからないと思います。

でも、わかりづらいからと止めてしまうと、永久にわからない。わからなくても進み続けるしかないのではないでしょうか。そうやってやっていくうちにだんだんとわかってくるものではないでしょうか。AIの誤訳もたまにはありますが、それは目くじら立てずに翻訳の精度が上がってくるのを待ちましょう。

2025/10/26

YouTubeの日本語翻訳字幕の件で

前々回のブログでYouTubeには日本語字幕機能があると書きました。これはルパート・スパイラのYouTubeを見ていて日本語音声で聞くことができると気づき、セイラーボブのYouTubeも同じことができるのではとやってみたところ、音声翻訳はないが、翻訳字幕はずっと以前からあるとわかったためです。

今日あらためてセイラーボブのYouTubeを何本かチラチラと日本語字幕で見てみたのですが、使い物にならないとわかりました。AIが正確に訳さない。原因を考えてみると、まず録音状態があまりよくない。最近のものはちゃんとしたマイクを使っているが、古いものはちゃんと録音されていない箇所も多い。

セイラーボブのモゴモゴ英語をAIがちゃんと拾わない箇所が多々ある。そして、非二元、精神世界の用語をAIが理解しない。例えば信心銘(Shin Shin Ming)と言っても、まったく理解せず、トンデモ訳をしてしまう。さらに、カットはとても早口で話すので、字幕が追いつかない。

セイラーボブとカットのYouTubeの日本語字幕では話の内容が理解できないとわかりました。よく調べもしないで、セラーボブのYouTubeを日本語字幕でじゃんじゃん見てくださいなんて書いて、申し訳ありませんでした。私が長い時間をかけて聞き起こししてブログに書いたのも無駄ではなかったかなと思います。

ルパート・スパイラのYouTubeはどうかというと、こっちの方はなんとかいけるのではないかと思います。ルパート・スパイラはイギリス人なので、きれいな英語で話します。録音状態も良好です。それでも、ちゃんと訳してくれない箇所はあるのですが、それはしょうがないです。もともとよくわからないことを話ているのですから。
以上訂正してお知らせします。

2025/10/24

放っておけば、思考は自由に流れていく

思考は絶えず現れては消える。
あらゆるものは思考の現れであり、ひとつのエネルギーの表現である。
思考は区別を生み出し、それらは常に両極性の中で揺れ動き、脈打っている。
プラス/マイナス、上/下、ここ/ここ。
放っておけば、思考は自由に流れていく。
心理的な苦しみが生まれるのは、思考にしがみついたり、抵抗して押しのけようとしたりするときだけである。
                                 ピーター・ローリー

2025/10/23

お知らせ  日本語字幕でYouTubeが見れると知りました

つい今さっき知ったのですが、セイラーボブ関連のYouTubeでも、字幕のところに自動翻訳機能があって、それを利用すると日本語字幕で見ることができるということを知りました。今までそのことを知らずに、ブログに書くときは英語を聞きながら英語字幕を参考にして自分で翻訳して書き起こしていました。こんな便利なものがあることを何年も知りませんでした。自分のブログの中にあるYouTubeをあれこれと見てみたのですが、ほとんど日本語字幕で見ることができる。これなら私がわざわざ日本語に訳す必要はなく、日本語字幕で見ることができます。

今までの苦労はいったい何だったんでしょうか。私はものすごい時間を費やして聞き起こししていました。こんな便利なものがあったなんて。今頃何をと笑われそうですが、私は知らなかった。とほほ。調べたところ、自動翻訳字幕は2010年に始まったそうで、私がこのブログを始めるはるか以前でした。ぎゃふん。セイラーボブの英語はAIが聞きとれないところもあって「とんでも翻訳」になっているところもある。まあ、しょうがない部分はありますが、それでも十分に役立つものだと思います。日本語字幕でじゃんじゃん見てください。

やり方は、YouTubeの下の枠のバーにある歯車印→字幕→英語(自動生成)→もう一回英語(自動生成)→自動翻訳→日本語で日本語字幕が出ます。

これなら、いろんな英語話者の非二元の教師のYouTubeで非二元を気軽に学ぶことができると思います。こむずかしい翻訳本をイライラしながら読むよりもわかりやすいかもしれません。あとはAIが進歩して翻訳の精度が上がるのを楽しみに待ちましょう。(参考:非二元の教師たちのYouTube ボブのYoutube カットのYouTube カリヤニとピーターのYouTube

2025/10/21

あなたは“意識(アウエアネス)”の外へ出ることはできない

顕現は自然に起こっている。
望ましい未来の状態があるという観念は、“今ここ”にあるものを見えにくくしてしまう。
“今”は常に“ここ”にある。
未来のある時点で何かを達成しようという思考は、現在を完全に見ることを妨げる。
あなたは“意識(アウエアネス)”の外へ出ることはできない —— それが見失われるのは、思考に注意を向けるという習慣によってにすぎない。
観念へ没入することによって、私たちはもともと本質的にひとつであるということから目をそらしてしまう。
                                  ピーター・ローリー

2025/10/20

非観念の意識とは何か ピーター・ローリー

What Is Non-Conceptual Awareness? | Peter Lawry | The Key Philosophy Quest | E05

日本語字幕で見ることができます。

ピーターがホーチミン市からやってきた哲学の教師の質問に答えて語っています。哲学の教師は、まだ非二元を理解していない人がよく聞くような疑問をあれこれと尋ねるので、とても参考になります。

2025/10/18

死んだら意識に何が起きるのでしょうか? ルパート・スパイラ

What Happens to Awareness after Death?     Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。このビデオは日本語字幕より日本語音声で見た方がわかりやすいです。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

死後の意識と輪廻転生の概念を探る議論。

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日本語音声で、「心」という部分は「マインド」に、「意識」という部分は「アウエアネス」に置き換えて聞いてみてください。4:48前後に「テラ」と言っているのは、英語では「turiya」、サンスクリット語のトゥリア「純粋意識」(体やマインドを超えた意識のこと)のことです。

なぜ私たち(マインド)が意識(アウエアネスあるいは純粋意識)を直接認識することができないのか、またなぜ意識がマインドを認識することができないかをわかりやすく説明しています。その説明はまた、死とは何なのか、毎日の眠りと何が違うのかの説明になっています。死んだあと、マインドはどうなるのか、意識はどうなるのか、こういうのが聞きたかった。本当にすばらしい。

2025/10/17

そもそも、その存在は存在していたのでしょうか?

ボブ:人生を生きようとしたり、何かを起こそうとしたりする存在は存在しません。生(life)が自らを生きているのです。

質問者:そして、その生もまた、表現の仕方が違ってくるのではないでしょうか?  信じられている対象が存在する場合と、存在しない場合では、表現の仕方が異なります。どちらにしても、生は表現を続けていますが、その対象への信念がなければ、表現の仕方は違ってくるでしょう。

ボブ:では、そもそも、信じられている存在はどこから来たのでしょうか? そもそも、その存在は存在していたのでしょうか?

質問者:いいえ、存在しませんでした。信念は存在していました。

ボブ:それでも生は存在していました。生が、その見せかけを生み出したのです。

2025/10/15

私の本質は愛のはずなのに、どうして私には嫌いな人がいるのでしょうか? ルパート・スパイラ

If Love Is My True Nature, Why Do I Dislike Some People?   Rupert Spira

歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から

もし愛が私たちの本質であり、私たちがそれを人生で真に表現したいと願うなら、私たちの好みは薄れなければならないのでしょうか?愛に基づいて生きているなら、他人に対する好き嫌いは依然として存在し続けるのでしょうか?

ルパートはこう言います。「心が条件付けによって、あるものを好きになり、あるものを嫌いになるのは自然なことです。そして、私はそれらが消え去る必要はないと思っています。ある人を好きになり、別の人を嫌いになったとしても、それでもなお、自分はどちらの人とも平等に存在していることを知り、感じることができるのです。」

「私たちが好きか嫌いかは、実際にはその人そのものではありません。私たちは相手の行動や考え方が好きか嫌いかであり、相手の存在を愛しているのです。」私はよく、自分が嫌悪する考えや行動をする人の姿を思い浮かべ、その人の本当の姿に愛を感じるまで、その姿を見つめます。なぜなら、もし私たちが愛を感じられないのに、どうしてその人に愛を期待できるというのでしょう?

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ルパート・スパイラはすばらしいですね。

2025/10/14

非二元を探求する方法の一つは、「見る能力」を観察することです

非二元を探求する方法の一つは、「見る能力」を観察することです。
「見る」ことは、今まさに誰の力も借りずに自然に起こっています。目を開けていると見ることが起きます。そして、目を閉じている時でさえ、まぶたの裏に暗闇が見えます。(見る対象は変化しますが、見る能力自体は変化しません)
すると、マインドが現れてそれを解釈します。そこに「私」がいる、とマインドは言います。その「私」が「見ている」と言い、その「私」が光景を見ていることになるです。それは行為者であり、見る者です。それは存在することになり、それが行為をやっていると主張します…
このように、マインド(思考能力、論評)は、見るという単一の行動に主観と客観の分離をもたらします。
「私」がそれをやっているという概念がなくても、見ることは依然として続いています。
マインドのこうした解釈が、うわべの上で二元性を生み出しているように見えることに気づいてください。そのやり方を観察し、理解を深めてください。
                                    セイラーボブ

2025/10/12

非二元の教師の最近のYouTubeについて

最近知ったのですが、非二元の教師の最近のYouTubeの中には日本語音声や日本語字幕(自動翻訳)で見ることができる英語動画があるということを知りました。ルパート・スパイラについてはすでに動画を何本か紹介済みです。

そして、フランシス・ルシールのYouTubeにも日本語で見ることができる動画がたくさんあると知りました。フランシス・ルシールの動画には興味深いものや参考になるものがたくさんあります。


これは画期的なことだと思います。もちろんAIの翻訳は完璧ではありませんが、なんとか非二元を学べるレベルにあると思います。最近のAIの急速な進歩を考えると、翻訳の精度はもっとよくなると思います。非二元の教師たちが日本語でも見ることができる動画をどんどん作ってくれるようになれば、日本の人たちにとって非二元の理解が容易になるのではないでしょうか。そして、 巷に溢れる「なんちゃって非二元」を一掃してくれると期待しています。

セイラーボブのYouTubeはどうかというと、今のところ日本語で見られるようにはなっていません。そういう設定に直してくれたとしても、AIはおそらくボブのモゴモゴ英語を翻訳できないのではないかと思います。カットが今やっているミーティングをそういう設定にしてくれるといいなとは思うのですが、気軽にお願いしてできる事なのかどうかもわからないし、私の場合はAIの翻訳よりは英語で正確に聞きたいと思うので、お願いしないでいます。

もはやどの教師のビデオであれ、日本語で見ることができるすばらしいものを見つけたらブログに掲載していきたいと思います。もちろん私が支持する教師に限りますが。
それにしても技術の進歩はすごいですね。

2025.10.23追記
セイラーボブ関連のYouTubeでも、字幕のところに自動翻訳機能があって、それを利用すると日本語字幕で見ることができるということを今日知りました。今までそのことを知らずに、ブログに書くときは自分で英語を聞いて書き起こしていました。こんな便利なものがあることを知りませんでした。これなら、私がわざわざ日本語に訳す必要なく見ることができます。今までの苦労は何だったんでしょうか。まあ、AIの翻訳は時々「とんでも翻訳」になっているので、まあ、しょうがないけど。日本語字幕でじゃんじゃん見てください。

2025/10/11

思考と知覚が無かったら、私とは何なのでしょう?  ルパート・スパイラ

What Am I in the Absence of Thought and Perception?   Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

思考、感情、感覚、知覚がなければ、私は一体何なのだろうか? 私たちが普段同一視している経験内容が取り除かれたら、何が残るのだろうか?

ルパートはこう言います。「あなたが知っていることはすべて経験です。あなたは『私は自分の思考、感情、感覚、知覚を知っている』と言います。もし思考、感情、感覚、知覚を取り去れば、残るのは『私は知っている』、つまり純粋な知識、あるいは意識だけです。経験内容がすべて終わったら、残るのはただ意識の存在だけです。」

「意識の存在自体は経験ではありません。それはすべての経験を知っているものです。それはすべての経験を可能にするものですが、それ自体は経験ではありません。あなたは自分の思考や感情を知るのと同じように、それを対象として知ることはできません。あなたはそれを知っていることによってのみ存在できるのです。」

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カリヤニが言ったようにルパート・スパイラの説明はわかりやすいです(本は難しかったけど)。ファンが多いはずですね。

YouTubeの自動翻訳は出版翻訳家のように上手には訳してくれませんが、非二元を学んでいる方なら足りない部分は推測すれば十分に理解できる精度ではないかと思います。

2025/10/10

夢をあるがままに知るだけで十分です

ボブはレオ・ハートンと会ったことはありませんでしたが、電話で何度も話をしたので、ボブの影響はレオの著作に非常に強く表れていました。
ボブもまたレオの表現を大変気に入っていて、時折、彼の著書のタイトル「夢へと目覚める」を例に挙げて、夢から目覚める必要はないということを私たちに思い出させてくれました。
夢をあるがままに知るだけで十分です。「夢自体が問題なのではない」とニサルガダッタは言いました。
                                 カット・アダムソン

拓追記:セイラーボブはダグラス・ハーディングやジョーン・トリフソンとは面識があります。ロンダ・バーンにも教えを説きました。こうしてみると、非二元の教師たちは結構、横のつながりがあるようです。でも説き方はそれぞれ違いがあって興味深いです。

2025/10/08

無限の意識(awareness)には視点がない   ルパート・スパイラ

Infinite Awareness Has No Point of View     Rupert Spira

歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

私たちが初めて無限の意識という真の本質を認識したとき、それを無条件の愛、揺るぎない平穏、あるいは静かな喜びと定義します。しかし、無限の意識とは、それ自体の観点から見ると一体何なのでしょうか?

ルパートはこう言います。「心は意識を平穏で、喜びに満ち、愛に満ちたものと表現しますが、それは単に、普段の動揺や苦しみの状態と対照的に過ぎません。意識が自らを経験する時、客観的な性質や特徴は存在しません。意識は自らから離れ、主観と客観の関係において自らを知ることはできないため、意識には視点がありません。

「私たちは意識の中の視点、つまり意識の目であり耳であり、それを通して意識は自らを見つめ、宇宙として自らを見ます。もし意識が自らの経験を記述するとしたら、唯一言えるのは「私は在る」ということでしょう。なぜなら、「私は在る」とは、意識が自らを経験することに直接言及しているからです。だからこそ、「私は在る」あるいは「私は在るという存在である」という表現は、真理の最高の表現なのです。」

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ルパート・スパイラのYouTubeを今後も掲載していく予定です。彼の語り口はとてもわかりやすく、セイラーボブと重なる部分が多いです。ありがたいことに最近のものは日本語の音声と字幕で見ることが可能となりました。

2025/10/07

生がそれ自身を生きているのです

ボブ:反応は起こるかもしれませんが、それを「あなた」がやっているわけではありません。怒りを含むある種の感覚は、身体を動かすために役立つものです。

質問者:私が言いたいのは、たとえば職場で誰かが「それは最悪だ。お前の仕事は最悪だ」って言ったときに、もしそれに腹を立てたら、それは私のエゴが反応してるってことですよね。

ボブ:ええ、あなたには利害関係があるということです。

質問者:まさにそれです。もし私がこの作り上げられた存在、つまりエゴとそれほど同一化していなかったら、そんな言葉にも腹を立てることはなかったはずなんです。ただ通り過ぎていっただけでしょう。

質問者:これが本質のように思えるんです。あなたは、二つの異なる状況があると言ってるわけじゃない。すべては生命の本質がやっていることだと。そして、その作られた存在が「私」ではないと気づいたとき、人生はもっと楽になるってことですよね。

ボブ:ええ。生は、それ自身を生きているにすぎません。
何かの存在が人生を生きようとしたり、これを起こそうとか、あれを達成しようとかしてるわけではありません。
生がそれ自身を生きているのです。

2025/10/04

あなたは生まれも死にもしない  ルパート・スパイラ

You Are Not Born and You Never Die      Rupert Spira

歯車マーク→音声トラック→日本語で見ると、日本語で聞くことができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

私たちはなぜ生まれることも、死ぬこともないのでしょうか?最近父親を亡くしたある女性は、生と死の違いを理解しようとしています。彼女は、生と死の移行はいつ、どのように起こるのかを考えています。つまり、局所的な意識と普遍的な意識の違いは何か、と。彼女は体外離脱体験も経験しており、死ぬことと眠ること、あるいは体外離脱体験をすることの違いは何なのか、と疑問に思っています。局所的な意識は実際にはどの時点で始まり、どの時点で終わるのでしょうか?

ルパートは、有限な精神の活動を始める前の普遍的な意識というレンズを通して、生と死を考察します。意識が思考と知覚から始まるとき、それはまるで思考者が仮想現実(VR)のヘッドセットを装着し、自らを独立した経験主体として局所化し、その視点から自身の活動を世界として見ているかのようです。

物質と呼ばれる固有の物質は存在しません。物質とは、単に私たちの局所的な視点から見た意識の活動の姿に過ぎません。身体が「受胎」する瞬間は、意識が思考と知覚のVRヘッドセットを装着する瞬間です。つまり、身体は局所化された自己となります。そして、局所化されていないものはすべて、私たちの周りの世界として認識されます。

夢を見るのも同様です。夢想家は、あたかも別個の経験主体として局所化し、夢の中の他のすべての側面は世界として現れます。あなたの夢の登場人物の身体はいつ生まれたのでしょうか?生まれたわけではありません。夢が始まった時に現れただけです。夢の登場人物はいつ死んだのでしょうか?死んではいません。夢の心が、夢の登場人物として自らを局所化するのをやめただけです。

私たちの存在の現実においても同様です。私たちは決して存在することも、存在から消滅することもありません。私たちは永遠に存在しています。生命の局所化は一時的なものであり、単に現れては消えるだけです。

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この動画はすばらしい。私たちは死ぬことも生きることもなく、永遠に存在するもの。この話を聞くと勇気が湧いてきます。

2025/10/03

「何か」を探し求めても、見つけられるのはただの意識(awareness)にすぎない

すべての苦しみは、自分が何か限界のあるものだと信じることから生まれる。

その「何か」を探し求めても、見つけられるのはただの意識(awareness)にすぎない。

                                                                                                                                     セイラー・ボブ