2026/09/15

The Courage to Stand Alone U.G.クリシュナムルティとの対話 11

だから、問題はすべて神経学的なものなんです。心理的なものでも、倫理的なものでもない。そこに社会の問題があるんです。

社会は現状維持に関心を持っています。変わりたくないんです。社会が現状維持、あるいはその継続性を保つ唯一の方法は、「誰もがこの構造に適合しなければならない」という要求をすることです。ところが、身体的に見れば、一人ひとりはみな唯一無二の存在なんです。

自然は絶えず、何か唯一無二のものを創り出しています。自然は「完全な人間」には関心がありません。「宗教的な人間」にも関心がありません。

私たちは人間の前に、「完全な人間」「真に宗教的な人間」という目標や理想を置いてしまった。だから、その完全性という目標に到達するためにあなたが何をしようとも、それはこの身体の感受性を壊してしまう。ここに暴力を生み出しているんです。身体はそんなものを望んでいません。

死んだ人間が経験したもの――自己認識、自己意識――そうしたものが、人間を完全に破壊する種を蒔いたんです。これらすべての宗教は、人間の中にある、その分裂した意識から生まれてきた。そうした教師たちの教えは、必然的に人類を破壊するでしょう。そんなものを復活させたり、復興運動を始めたりすることには何の意味もありません。それは死んでいる。終わったことなんです。

あなたの意識の中にある、この分裂から生まれるものは何であれ、破壊的であり、暴力です。なぜなら、それはこの生きている有機体、この生命そのものを守ろうとしているのではなく、思考の連続性を守ろうとしているからです。そしてその思考の連続性を通して、あなたの文化、あるいは何と呼ぼうと構いませんが、社会の現状を維持することができる。

問題は神経学的なものなんです。身体にその機会を与えれば、身体はそうした問題をすべて処理してくれます。けれども、それを心理的なレベルや倫理的なレベルで解決しようとするなら、うまくはいきません。

Q: 「身体にその機会を与える」とは、どういう意味ですか?

UG: 怒りはどこにありますか? ここ、お腹の中に感じるでしょう。そう、ここ、身体の根元のあたりです。夫や妻や隣人を殴ったり、枕を殴ったりしたところで、問題は解決しません。怒りはすでに吸収されているんです。そんなことをしているのは、そこから金を稼いでいるセラピストたちを儲けさせているだけです。妻を殴る、夫を殴る、誰でも殴りたい人を殴る――あなたにできるのはそれだけで、それ以外には何もできない。

それでも、そうしたものを処理して吸収するのは身体の働きなんです。ここにあるんです。身体にとって、それは現実に存在する何かなんです。身体はこの怒りを欲していません。なぜなら、それは神経系の感受性を壊してしまうからです。だから身体はそのすべてを吸収している。あなたは何もする必要がないんです。

この思考を通してあなたが生み出すエネルギーは、どんなものであれ、この身体にとって破壊的です。そのエネルギーを、ここにある生命から切り離すことはできません。それは一続きの動きなんです。だから、そうしたことをあれこれ弄り回すことで経験するあらゆるエネルギーは、この生きている有機体が滑らかに機能することには何の関心もない。それらは、この身体の調和のとれた機能――とても、とても平穏なもの――を乱してしまうんです。

そこにある「平和」は、あなたが経験するような、ぼんやりとした死んだ静寂ではありません。まるで、絶えず噴火している火山のようなものです。それが静寂であり、それが平和なんです。

血液は川のように、あなたの血管の中を流れています。もし血液が流れる音を拡大して聞くことができたら、きっと驚くでしょう――それはまるで海の轟音のようなんです。

もし防音室に自分を閉じ込めたら、あなたは五分と生きていられないでしょう。気が狂ってしまいます。なぜなら、自分の中に存在している音に耐えられないからです。心臓の鼓動の音でさえ、あなたには耐えられないものなんです。

だから人は、こうしたあらゆる音に自分を取り囲ませたがる。そしてそのうえで、「静かな心の体験」などという、おかしな体験を作り出す。そんなものは馬鹿げています。 absurd です。

そこにある静寂とは、そういうものなんです――轟音。海の轟き。血液が流れる、その轟々たる音のようなものなんです。

身体が関心を持っているのは、それだけなんです。あなたの心の状態でもなければ、「静かな心」という体験でもない。身体は、あなたが美徳を実践していることにも、沈黙を実践していることにも関心がありません。あなたの道徳的な葛藤だとか、何と呼ぼうと、それにも身体は関心がない。

身体は、あなたの美徳にも悪徳にも関心がありません。美徳を実践しているかぎり、あなたは悪徳の人間であり続けるでしょう。この二つは一緒についてくるんです。

もし幸運にも、「美徳を追求すること」を目標にするのをやめることができたなら、それと一緒に悪徳もあなたの身体から出ていきます。あなたはもう悪徳の人間ではなくなる。

「非暴力的で、親切で、柔和で、穏やかな人間になろう」という何らかの考えに従っているかぎり、あなたは暴力的な人間であり続けるでしょう。

親切な人、親切を実践している人、美徳を実践している人というのは、本当はとても危険な存在なんです。[いわゆる]暴力的な人間ではありません。

UG: 文化は、どこかの段階で、すべてを間違った方向へ持っていってしまったんです。人間の前に「完全な人間」という理想を置き、「真に宗教的な人間」という理想を置いたことによって。

宗教的な体験というものは、人間の意識の中にあるこの分裂から生まれたものです。しかし、その分裂は人間の本性ではありません。

幸いなことに、動物にはこのような意識の分裂はありません。生存のために必要な分裂を除けばね。

人間は動物よりもひどい。確かに人間は月に人を送り込むことに成功した。おそらく将来は、あらゆる惑星に人間を送り込むでしょう。

しかし、そのような達成は、この身体には何の関心もありません。

そうした達成は、あらゆるものを次第に破壊する方向へ進んでいる。なぜなら、思考から生まれたものは何であれ、破壊的だからです。

それは身体に対してだけ破壊的なのではない。人間が自分のために築き上げてきたあらゆるものを、徐々に、そしてますます破壊していく方向へ進んでいるんです。

Q: お腹が空いていると、何だって破壊的になるんじゃないですか。

UG: 一日もすれば、身体はあなたの空腹なんて気にしなくなりますよ。身体に食べ物を与えなかったらどうなるか、驚くでしょうね。

身体に食べ物を与えることは、あなた自身の問題です。おそらく一日か二日は、空腹による癇癪のようなものを感じるでしょう。

Q: でも、食べるのをやめたら、最終的には死ぬでしょう。

UG: それがどうしたというんです。

身体は死なない。身体はその形を、姿を変えるだけです。そして自分自身を、その構成要素へと分解していく。

身体は「死」に関心を持っていません。身体にとって、死というものは存在しないんです。

死があるのは、あなたの思考にとってです。思考は終わりを迎えたくないからです。思考にとっては、死がある。

だから、思考はその状況に直面したくないがために、「死後の生」を、「これからやって来る生」を作り出したんです。

しかし、この身体は、その本質において不滅なんです。なぜなら、この身体は生命の一部だからです。