2026/07/31

千人があなたの左手で、一万人があなたの右手で倒れても、あなたの住まいには近づかない

世界を見渡してください。
周りには混沌が満ち溢れています。そして、聖書にある「千人があなたの左手で、一万人があなたの右手で倒れても、あなたの住まいには近づかない」という言葉が、まさに現実となります。
あなたは世界を歩き回り、周りの混沌を目にするでしょう。しかし、今はほとんど何もここには及びません。以前は、私もその混沌にどっぷり浸かっていました。私は大変な苦境に陥っていました。
                                 セイラーボブ

2026/07/28

身体を構成する要素、空気、物質(土)、火(温度)、水、空間は、全体性から切り離されているのでしょうか?

 身体を構成する要素、空気、物質(土)、火(温度)、水、空間は、全体性から切り離されているのでしょうか?

非二元性の観点から言えば、身体はこれらの要素を世界から切り離して保持する容器ではなく、世界が局所的に自らを表現するまさにその空間なのです。

肺の中の空気は、動き続ける大気そのものであり、肌の温かさは、分配された太陽エネルギーであり、細胞内の水は、一時的に停止した地球規模の流れです。

波が、一瞬の形をとる海に他ならないように、これら五つの要素は、その普遍的な源から決して孤立したり、切り離されたりすることはありません。

「外側の」宇宙が終わり、「内側の」個人が始まる境界線は存在しません。

あなたが実際に何者であるかは、このすべての要素の戯れが生じ、しばらく留まり、そして消え去る、唯一無二の、途切れることのない現実、すなわち意識的な存在なのです。
                                  セイラーボブ

2026/07/24

「それ」ではないものとは何でしょうか?

「それ」ではないものとは何でしょうか?  何一つとしてそれではないものなどありません。すべてはそれなのです。あなた自身もそれなのです。

私たちは物事を指さして「それ」と言います。空間や虚空に対しても「それは空間だ」と言います。マインドがラベルを貼って客観化できないものがあるでしょうか?

言語の本質が、「それ」を言葉で分割することにあると理解できれば、ラベル付けされる以前のあらゆるものの本質を垣間見ることができるでしょう。
                                    セイラーボブ

2026/07/21

「I」や「me」という言葉とは何でしょうか?

「I」や「me」という言葉とは何でしょうか?

辞書には「意味を持ち、話したり書いたりできる、一つまたは複数の音や文字からなる言語の単位」と書いてあります。

あなたはまさにそれなのでしょうか? その定義で生命や意識の神秘に少しでも近づくものでしょうか? あなたは、その音、あるいは文字の集合体なのでしょうか? あなたは、その言葉そのものなのでしょうか?
                                    セイラーボブ

2026/07/17

体は何で構成されているのでしょうか?

結局のところ、体は何で構成されているのでしょうか?
実のところ、それは「元素」で構成されています。
周囲にあるものと同じように、地、火、水といった元素から成り立っているのです。
そして、それらの元素はさらに素粒子へと分解することができます。
そうした元素は、無数の細胞からなるパターンを形成しています。それぞれの細胞には「知性」も宿っています。あるものは肝臓の細胞となり、あるものは心臓や腎臓の細胞となります。
しかし、もしそこに「実在」――それとは別個の存在――があるとしたら……。そもそも、その体というものは、他のあらゆる現象と同様に、一時的なものにすぎません。絶えず変化し続けているのです。
ですから、もし「あなた」がその体そのものなのだとしたら、体が変化するたびに、あなたも消えてなくなってしまうはずではありませんか?
でも、実際にはそうはなりません。
そこには常に変わることのない何かが存在し、体が変化したことに気づいたり、それを認識したりしているのです。そうではありませんか?
                                    セイラーボブ

2026/07/14

なぜ概念をそれほどまでに信じ込むのですか?

あなたが持っている言葉はすべて、後から身につけたり、途中で拾い上げたりしたものです。生まれたときには、どんな言葉も持っていませんでした。今でも新しい言葉を覚えるかもしれないし、忘れてしまう言葉もあるでしょう。それなのに、なぜ概念をそれほどまでに信じ込むのですか? 生まれたときや、その後の数年間、あなたは自分というものについての概念など持っていなかったのに、それでも何の問題もなく過ごしていました。自分に言葉を当てはめる必要などなかったのです。
                                                                                                                                   セイラーボブ                         

2026/07/10

それは単なる、純粋な「見ること」、純粋な「聞くこと」、純粋な「味わうこと」「触れること」「嗅ぐこと」なのです

では、次にどんな思考が浮かんでくるでしょうか?
それがどんなものになるのか、自分でも分からないことに気づくはずです。
思考はひとりでに湧き上がってくるものです。その思考を「考える主体」など存在しません。
感情を「感じる主体」もいません。
光景を「見る主体」もいません。
ただ「見ること」があるだけです。
「聞くこと」があります。
「感じること」があります。
「味わうこと」があります。
「触れること」があります。
「嗅ぐこと」があります。
「~すること(ing)」という表現は、まさにこの「今、ここ」で起きていることを示していますが、そこには主体と客体の分離はありません。
それは単なる、純粋な「見ること」、純粋な「聞くこと」、純粋な「味わうこと」「触れること」「嗅ぐこと」なのです。
「私は見る」と言うとき、あなたは主体、つまり概念的なイメージを作り出しています。
「感じる」「聞く」「感知する」と言うとき、触れられたもの、聞かれたもの、感じられたものすべてが「客体」になってしまうのです。
ですから、主体と客体という構図は二元論なのだと理解してください。
                                  セイラーボブ

2026/07/07

不生の仏心においては、万事が完璧に解決されている。それなのに、なぜ不生の仏心を捨てて、思考などというものに取り替えてしまうのか

16世紀の禅僧、盤珪(ばんけい)はそれを「不生(ふしょう)の仏心」と呼びました。彼はこう言っています。「不生の仏心においては、万事が完璧に解決されている。それなのに、なぜ不生の仏心を捨てて、思考などというものに取り替えてしまうのか」と。
自然は自ずと解決していきます。
そこには抵抗も、分離もありません。
津波が押し寄せてその場所を破壊し尽くすこともあれば、火が燃え広がってやがて焼き尽くすこともありますが、そこには抵抗というものが存在しないのです。
しかし私たちの場合、絶えず抵抗し、絶えず葛藤しています。それは、私たちに「推論する能力」が備わっているからなのです。
                                   セイラーボブ

2026/07/03

言葉は決して「実体」そのものではありません

言葉は現実そのものなのでしょうか?「水」という言葉であなたを濡らすことができるでしょうか? あるいは、「火」という言葉であなたを燃やすことができるでしょうか?

マインドは完全に象徴や描写の中で機能しており、直接的な体験という「実際の領域」と、それを表す「マインドの地図」とを混同してしまいます。
私たちは概念やラベル、スピリチュアルな専門用語に囚われすぎたり、指し示す指そのものを月そのものと間違えたりしてしまうのです。

言葉は単なる死んだ音や形に過ぎませんが、それらが指し示す現実とは、まさに今この瞬間に起きている、概念を超えた存在の脈動そのものです。
「存在」という言葉がなくても、あなたは存在しています。あなたは言葉の前にある存在であり、マインドがそれを名付けようとする以前から、すでに完全にそこに存在しているのです。
言葉は決して「実体」そのものではありません。
                                   セイラーボブ