それは私たちの意識。日常に普通にある意識のこと。思考や記憶の背景にある意識のこと。私たちは、それを個人の意識だと思っているが、個人の意識というものはない。そのアウエアネス(意識)の中に世界が現われる。あなた、私、机、椅子、太陽、星、銀河、すべてのものが現れる。
「意識」という日本語を英語に訳すと、consciousnessもしくはawareness です。「意識を失う」「意識が戻る」などという場合は英語ではconsciousnessなので、日本語の「意識」はconsciousnessに近い。一方awareness とぴったりと同じ日本語はないが、意味としては、何か外的なものに気づいているような状態のこと。ボブが使っている意味としては、「主体のいない気づき」「意識している人のいない気づいている意識」というような意味。私はこれを「気づき」と訳してしまうと、どうしてもそこに気づいている人がいるような誤解を与えてしまうので、「意識」と言ったほうがわかりやすいと思っています。
consciousness
意識。英語では「気を失う」「意識がある」の場合はconsciousnessを使い、外的な物に気づいているような場合にはawarenessを使うが、 セイラーボブは awareness (意識)とほぼ同じ意味で使う。2019.1.20のミーティングで(37分ぐらいから最初の質問に答えて)ボブは、「二歳になる頃言葉を学ぶとconsciuosness が言葉とともにやってくるが、それまでは awareness があるだけ」と言っているので、人が言葉を介して使う意識を consciuoness と呼び、宇宙に偏在する意識をawarenessと呼んでいる。言い方を変えると、ものごとすべてが現象となって現れる空間をawarenessと呼び、その空間に現れる私たちの意識をconsciuoness と呼んでいる。ただし、人を基準点にして考えると、awareness=consciuosness=言葉。
セイラーボブがawareness(アウエアネス・意識) を呼ぶ、別の呼び方
・intelligence energy(知性エネルギー)
・cognizing emptiness(認識する空)
・space もしくは space-like awareness(空間のような意識)
・nothing(「無」あるいは「空」)
・presence-awareness(いまここにある意識)ゾクチェンの言葉。さらに付け加えて、non-conceptual, ever present, self-shining, one without a second, just this nothing else(概念化されず、永続で、自ら輝き、他に何もない、ただ何もないもの)という時もある。
・omnipresence, omniscience, omnipotence(偏在、全知全能のもの)聖書から
・Advaita(ヒンズー教)ad=not, vaita=two 二つではないもの
・non-duality(非二元)advaitの英語訳
・one without a second アドヴァイタ(他に何もない一つのもの・mahavakyasより)
・not two
・sat-chit-ananda =being存在-awareness意識-loving愛(ヒンズー教)
・刀でも切れず、火でも燃やせず、風でも干からびさせず、水でも溺れさせることができないもの(ヒンドゥー教の聖典バガヴァッド・ギーターから)
・シバのダンス
(ヒンズー教)この世に現れるものはすべて神の遊び、気晴らし。神が無知を装って様々な形となって現われ、ふたたび自分を再認識する様子を言う。実際には何も起こっていない。エネルギーのパターンが現れているだけ。
・non-conceptual awareness(概念化されない意識)
・naked awareness(むきだしの意識)
・seeing(見ること)五感はすべて自然に起こるアウエアネスの現われ。
・hearing(聞くこと)そこには見る人も聞く人もいない。
・smelling(かぐこと)
・touching(触れること)
・tasting(味わうこと)
・being(本性・本質)もしくはbeingness 我々の本性は意識(アウエアネス)
・wakefulness(起きている状態)
・timeless spaceless bodiless mindless birthless deathless pure presence awareness(時間もなく空間もなく体もなく思考もなく死もない純粋な今ある意識)
・natural state(自然な状態)
・screen(映画のスクリーンがアウエアネス(思考)で映し出される映画が世界の例えで使う)
・mirror(鏡がアウエアネス(意識)、映し出されるものが世界の例えで使う)
・sun(太陽がアウエアネス(意識)、雲が思考の例えで使う)
・クンダリーニ(クンダリーニエネルギーもアウエアネスの現われ)
以下は「ただそれだけ」中で使われている表現
・それ
・偉大なる完全さ
・非概念的意識
・思考が現れ、それ自身を信じ始める前の空っぽさ
・穢れのない原初のもの
・偏在、全能、全知であるもの
・思考によって分断されない単一なるもの
・二番目のない一なるもの
・一つでさえないもの
・空間的意識
・認識する空
・純粋な気づき
・意識
・非概念的
・永遠に新鮮
・自ら輝くもの
・存在意識
・まさにこれであり、それ以外の何物でもないもの
・不生の仏心
・ブラフマー(ヒンドゥー教の創造神)から草むらまで(ギータ)
アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(advaita vedanta)
不二一元論Wkipedia(不二元)
reference point
物事を見たり判断したりする起点となる位置のこと。参照点、基準点。
mind
セイラーボブが使う場合は、思考(thought)、感覚(feeling)、感情(emotion)を含めたものを指す。日本語の「心」とは必ずしも同じではなく、一番近い意味の日本語は「思考」。
enlightenment
覚醒。ある時何かが起こって、別の意識状態になり、幸福感、至福感が永続する状態。発音は正確にはエンライトゥンメントであるが、真ん中の en はほとんど発音されない場合が多いので、当ブログではエンライトメントと表記。セイラーボブの世界にはエンライトメントはない。
I am.
「私は在る」という訳が定訳。自分が存在するという感覚。思考がawareness を一番近くで感じられる感覚。実際には「私」は実在ではないが、この「私は在る」という感覚に様々なもの(出来事、経験、条件付け、自己イメージ)を付け加えて、分離した個人がいると思い込んでいる。
ニサルガダッタ・マハラジ
ボブの師。ボブは1976年から1977年にかけての一年間、ボンベイのマハラジのもとに断続的に通い、教えを学んだ。
ギルバート・シュルツ
ボブの最初の本"What's wrong with right now unless you think about it."編纂。非二元関連の様々な師にインタビューしたサイトthe urban guru's cafeを運営。
ジョン・ウィーラー
ボブの二冊目の本"Presence Awareness"編纂
参考:resonanz360から
ジェームズ・ブラハ
インド系アメリカ人。ヒンズー占星術師。2004年にセイラーボブを5週間アメリカに招き、その様子を"living Reality"に書いた。ブラハのサイト
カリヤニ・ローリー、ピーター・ローリー
メルボルン在住。ボブとは長年の交友関係。NONDUALITY AUSTRALIA主催。
バーバラ
セイラーボブの奥さん。故人。
カタリーナ・モニカ(愛称カット)
セイラーボブの現在のパートナー。2015年からボブを訪問。2018年11月17日結婚。ポーランド出身。
サビーナ
2014年頃ボブのもとで教えを学ぶ。メルボルン在住。今はセイラーボブを離れている。
ネイサン・ギル
Living Reality の中でジェームズが「clarity」を読んだといったところ、ボブがそれは良いと言った。ボブが2018.9.23のミーティングでも言及した。故人。
レオ・ハートン
Living Reality の中でジェームズが「Awakening To The Dream」を読んだといったところ、ボブが良い本だと言った。
ジョーン・トリフソン
Living Reality の中に、ボブがアメリカで会う予定だと書いてある。実際に会ったかどうかは書いてないが Living Realty の推薦文を書いている。
グレッグ・グッド
Living Reality の推薦文を書いている。
鈴木大拙
「Zen Buddhism」の話がLiving Realityの中で関係者から。彼は優れているとギルバートからも聞いたことがある。
Douglas Harding(ダグラス・ハーディング)
ボブが"Presence Awareness"の中で(33.Everything is Reflectedから)、脳から物を見ているのではなく、空っぽの空間から見ているという説明した時、「ダグラス・ハーディングは頭さえないと言っている」と引用。ダグラス・ハーディングの「頭がない方法」がとても参考になったのでリンクを貼っておきます。
What's wrong with right now unless you think about it.もしくは
What's wrong with right now if you don't think about it.
(今そのことを考えなかったら、何も問題ないじゃないか)
ギルバート・シュルツが編纂したボブの最初の本。2001年出版。思考がすべての問題のもとであるということ。
Presence Awareness
ジョン・ウィーラーが編纂したボブの二冊目の本。2004年出版。「存在意識」(自分が存在するという感覚)この意識こそがボブの言う知性エネルギーのこと。
present awareness
今ここにある意識。
Living Reality
2004年のBobの五週間にわたるアメリカでのミーティングついてジェームズ・ブラハが書いた本。2006年出版。ボブとの対話を中心に、ボブの教えについて詳しく学ぶことができる。
Only that
「ただそれだけ」の原書。2010年出版。that は知性エネルギー、意識のこと。
Nothing in this world can trouble you except your own imagination.
(この世ではあなたの想像以外、何もあなたを傷つけはしない)ニサルガダッタ・マハラジの言葉。思考がすべての問題のもとだということを言う時に引用する。
Can you hear the tram?
Are you aware the tram?
アウエアネスとは何ですかとボブに聞くとこう答える。あなたの思考が働いていなくてもトラムの音は聞こえている。聞くこと、気づくことは思考とは関係なく自然に起こっている。つまり、思考はあなたではなく、アウエアネス(意識)こそがあなたであると説く。
The answer is not in the mind.
(答えは思考の中にはない)アウエアネス(意識)を思考で理解しようとしても無駄である。なぜなら、それは思考の外にあるから。
質問者が消えれば質問も消える
質問を発し続ければ「私」は消えない。質問をやめると、質問が消え、私も消え、理解が起きる。
Know the truth and the truth will set you free.
(真実を知ればあなたは解放される) 聖書から。私は実在ではないと知れば、問題の根が消え、解放されるという時に使う。
The only fact you are absolutely certain of is the fact of you own being.
(あなたが絶対的に確かだと思う事実はあなたが実在であるということ)このbeingは意識のこと。この意識だけは否定のしようがない事実であり、それだけが真実。
青い海の水をバケツ一杯汲んでこいといってもできない。あなたは海の水が青くないことを知っている。
私が実在ではないと理解したあとも私がいるように見えることの例え。同類のたとえとして、
空が本当は青くないことはあなたはよく知っているが、それでも空は青く見える。
悟りを開く前は薪を割り水を運び、悟りを開いた後も薪を割り水を運ぶ。
真理を理解しても何かが起こるわけではなく、表面上は何も変わらないという例え。
あなたの目が「私は見る」というのか?あなたの耳が「私は聞く」と言うのか?
思考には見る力も聞く力もないということの例え。実際に見て聞いているのは意識。
地面に落ちた種のうち、少ししか芽を出さないものもあればたくさん芽を出すものもある。またまったく芽を出さないものもある。
聖書から。ボブの教えを理解する人もあれば理解しない人もいるという例え。
Thou Art That.
(汝それなり)ヒンドゥーのことわざ。同類の表現としてはI am that.
You are that.
エンライトメントは無いのですか?と聞かれてボブが言う決まり文句。
他には、What you are seeking, you already are.
もともとはウパニシャッド哲学でウッダーラカ・アールニが語った格言 “I am That, thou art That, all of this is That”(我はそれなり、汝それなり、すべてはそれなり)。ヴェーダ(ヒンズー教の聖典の四つのマハーヴァキヤ(大格言)の中の一つ)
There is no right or wrong, good or bad, but thinking makes it so.
(正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとかいうのは人間が勝手に考えていること)シェイクスピアの言葉。善悪は単にマインドの産物であるという例えでボブがよく使う表現。
Hear, O Israel: The LORD our God, the LORD is one.
旧約聖書(聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である)ボブによればこの言葉は一つしかないものを教えているという。
I am the father of one.
(聖書)ボブによればこの言葉は一つしかないものを教えているという。
Great perfection is non conceptual awareness.(大いなる完成は非観念的意識である)
ゾクチェンの言葉。
unborn Buddha mind「不生の仏心」
「不生の仏心」とは、思考が起きる前のマインドのこと。また、禅の学問的には後天的に新たに生み出されたものではなく、もともと具わっているもののことをいう。もともと人は仏陀の心を持っているという意味。盤珪の言葉。
盤珪 永琢(ばんけい ようたく/えいたく)
If you see the Buddha on the road, Kill him.
(ブッダに道で会ったらブッダを殺せ)メッセンジャーではなく、自分の中に真実があるという意味。
Start from the fact that you already are.
(あなたはもうそれなのだという事実から始めなさい)何かになろうとすること、覚醒や目覚めを求めることこそが問題を作り出しているという時に使うフレーズ。
Stop talking, stop thinking and there is nothing you will not be able to know.
(話しをやめ、考えるのをやめるとそこにあなたのわからないことは何もない)
信心銘からの引用。思考が治まれば、そこには理解(アウエアネス・意識)があるという例え。
大いなる道は難しくない。選り好みをせず、愛することも憎むこともなければ、すべてははっきりと明らかになる。だがわずかでも分別をすれば、天と地は遙かに隔たる。
信心銘からの引用。講話で時々引用する。思考が葛藤を作り出しているという例え。
信心銘(しんじんめい)Hsing Hsing Ming
The word person came from persona, the mask.
(人person の語源は仮面persona,マスクからきている)個人というものが実在ではなく、概念にすぎないという時に使う。
Act spontaneously and natural.
(起こるに任せて自然にふるまいなさい)日常の諸問題にどう対処したらよいかと聞かれると、ボブはたいていこう答える。マインド(思考)ではなく、その背景にある意識はいつでも答えを知っている。
Whichever direction you go in, you are still in the mind. There is only one way to get out of that. Full stop!
どの方角を探しても、あなたは依然マインドの中にいる。マインドを超えていく方法はただ一つ。フルストップ!
Being utterly awake with five senses wide open.
(五感を十分に開いて注意深くありなさい)ゾクチェン(仏教)からの引用。思考ではなく、五感に注意を向けて、今ここにいることを説く。
sat-chit-ananda nama rupa (サット・チッタ・アナンダ・ナーマ・ルーパ)
ヒンズー教。五つの要素。sat=being存在、chit=意識、ananda=愛・幸福。 nama=名(心的要素)、rupa=形 (肉体)ヒンズーの教えでは、たった一つのものをsat-chit-anandaで表し、それが名namaとなり形rupaとなって現れるが、それはmaya(マーヤー・幻影)であると説く。
“A thousand shall fall on your left side, ten thousand will fall on your right side. But it doesn’t come nigh your dwelling place.”旧約聖書詩篇91:7-16
千人があなたの右で倒れ、万人があなたの左で倒れても、災いがあなたの家に近づくことはない。(思考を受け取りさえしなければ災難「悩み」にあうことはないという例えでボブが引用する)
Acknowledge Him in all thy ways, and He will direct thy path.箴言3:5ー6
すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(自分自身の内側の声を聴くようにという意味でボブが使う)
金の装飾品に価値があるのではなく、金そのものに価値がある。
(ヴェーダンタから。うわべのものではなく、その本質が尊いという例え)
海、波、水蒸気、氷はどれも水である。
(ヴェーダンタから。うわべ上は様々なものとなって現れているが、その本質は一つのものであるという例え)