2026/04/03

世界は私の意識の中にしかない

カリヤニとセッションで話をした時のこと。彼女が「世界はあなたの意識の中にしかない。人があなたのことをどう思うかを気にしても、それはあなたの意識の中のこと」という趣旨のことを言った。何の話をしていた時かは思い出せないし、言い方も正確には思い出せないが、この言葉が時々思い出される。もちろんこれは物質的な世界が存在しないと言っているわけではなく、私たちの思考が世界を形成しているということを比喩的に言っているにすぎない。

私はふとした拍子に過去の対人関係のことで怒りがやってきたり、恥ずかしかったことを思い出して赤面したりするが、そこには誰もおらず、私の意識だけがある。世界は私の意識の中にだけある。そしてそこには誰もいない。怒りを掻き立てる人も恥を笑う人もいない。そして「私」もいない。

世界は私の意識の中にだけある。意識が無ければ、世界があるのかどうかも確かめようもない。そういう意味において世界は幻といえる。世界が「私」の中にだけある幻なら何をしてもいいのか? ある時ミーティングで参加者がボブに「では裁判官が人を裁くのは間違いですか?」と聞いたことがある。するとボブは「裁判官にだって仕事があります」と答えた。

世界は幻であっても、そこには法があり、その法を守らなければ罰を受ける。社会規範や常識があって、それを守らなければ生きてはいけない。そして、人を傷つければ嫌な感情が湧く。それはおそらく、他者と自分は同じ一つのものだということを潜在的に知っているからではないか。他者を傷つければ自分を傷つけることになる。生き物や自然に対する愛情も、それがすべて自分と同じ一つのものだということを潜在的に知っているからだと思う。

世界は「私」の意識の中にしかない。だからといって好き勝手にやっていいということではない。たとえそれが私の中にしか存在しない幻であっても、懸命に生きるべきだと思う。

2026/03/31

幸福について思うこと

テレビを見なくなって久しい。映画も見ない。そのため、最近の俳優やタレントをほとんど知らない。でも、ネットニュースは毎日見る。芸能関係のニュースの大半は知らない人のことなので、目にしても読まないが、昔テレビを毎日見ていた頃の人の名前が出てくると読む。

大抵は訃報で、病気で亡くなったというもの。ほとんどの人は病気で亡くなる。闘病生活の長短はあるけど、最後は必ず苦しんで死ぬことになる。老衰で死ぬ人も中にはあるが、老衰だって楽に死ねるわけではない。

そうしたニュースを見るたびに、一体幸福とは何だろうと思う。病気で苦しんでいる人は幸福だっただろうか? そんなはずはない。私の家族も病気で亡くなった。弟も父も楽な闘病ではなかった。結局人はどんなことをしても死から逃れられず、幸福のうちに死を迎えることはできない。

ルパート・スパイラは、人生の目的は幸福になることです、と言ったけど、最後にはどんな幸福も手放して死んでいくことになる。釈迦は、幸福を追い求めない道を説いた。それが唯一の幸福、あるいは安楽への道だと教えた。

人生には幸福な時もあり、不幸な時もある。できるだけ幸福でいたいと思うのは当たり前のこと。でも、幸福と不幸の背後にあるものは何かを知ることが非二元の教えなのだと思う。幸福でも不幸でもかまいはしない。その背後にいつもあるのは何かを知ったなら、幸福も不幸も取るに足らぬことだと思う。

どんなに幸福を求めてもがいても、最後は誰しも死んでいく。幸福も不幸もすぐに思い出になり、その思い出もやがては消えていく。そしてそこには永遠不滅のものだけがある。

2026/03/29

間違いない開運法 マドモアゼル・愛


森田療法についてのお話です。内容がまたすばらしい。