2026/06/01

人生のあらゆる問題を解決するカギがある マドモアゼル・愛


悩んでないで、病んでいないで、しっかりと生活をしていく。それが大切ですね。

2026/05/30

あるがままを生きる

どのYouTubeだったか思い出せないのですが、マドモアゼル愛さんのYouTubeの中で、「私は荘子が好きで、ある日鶏(とり)になっていたら、思い切り鳴いてやろう、という荘子の言葉が好きです」という趣旨の発言がありました。物事をあるがままに受け入れるという話の中での引用だったと思います。

時々その話を思い出して気になっていたので、荘子がそういうことを言ったのかとGeminiに質問したところ、おそらくそれは本からの引用だろうということで、その内容を教えてくれました。

********以下はGeminiから

「もし私の左腕が鶏(にわとり)になったら、私はそれで時を告げよう。もし私の右腕が弾丸になったら、私はそれで鳥を射落として料理しよう。もし私のお尻が車輪になったり馬になったら、そのままそれに乗って行こう。どうして乗り換える必要があろうか」
『「荘子」鶏になって時を告げよ』(講談社学術文庫/岩波文庫)中島隆博・著

********以上引用終わり

荘子の言葉を編纂したとされる「荘子」には、いろんな人のいろんな注釈本が出ているので、その解釈は一様ではないかもしれません。マドモアゼル愛さんも、どなたかの本を読んで、そこから引用してみえるかもしれません。

そこで、もう一度Geminiに効いてみました。

********以下はGeminiから

「荘子の教えを簡単に説明して」

中国の思想家、荘子(そうし)の教えを一言でいうなら、**「あるがままに、自由に生きる」**ということです。

彼は、人間が勝手に作り出した「善悪」「美醜」「成功・失敗」といった価値観の縛りから脱却し、宇宙の根本的なリズムである**「道(タオ)」**と一体化することを理想としました。

主なポイントを3つに絞って解説します。

1. 万物斉同(ばんぶつせいどう)
私たちはつい「これは良い、あれは悪い」「自分は正しく、あいつは間違っている」と区別してしまいがちです。しかし荘子は、宇宙の大きな視点から見れば、すべてのものは等価値であり、境界線などないと説きました。
これを「万物斉同」と呼びます。他人の目や社会の評価を気にしすぎるのは、無意味な区別にとらわれているからだ、と考えたのです。

2. 逍遥遊(しょうようゆう)
「逍遥(しょうよう)」とは、あてもなくぶらぶら歩くこと。「遊」は文字通り遊ぶことです。
世俗的な利益や名誉を追い求めるのではなく、何にも縛られず、広大な精神世界でゆったりと自由に遊ぶような境地を目指しました。これが荘子の理想とする生き方です。

3. 無用の用(むようのよう)
世の中で「役に立たない」とされるものにこそ、真の価値があるという逆転の発想です。

例えば、曲がりくねって建築資材に使えない木は、人間に切り倒されることがないため、天寿を全うして大きな日陰を作ります。**「役に立たないからこそ、自由でいられる(守られる)」**というこの考え方は、競争社会に疲れた心に強く響く教えです。

有名なエピソード:胡蝶の夢(こちょうのゆめ)
荘子があるとき、蝶になってひらひらと飛んでいる夢を見ました。目が覚めたとき、彼はこう疑いました。
「自分は蝶になった夢を見ていたのか? それとも、今の自分は、蝶が見ている夢の中の存在なのか?」

これは、「自分」という固定観念すらも絶対的なものではないという、非常にユニークな視点を示しています。

荘子の思想は、現代の「タイパ(タイムパフォーマンス)」や「市場価値」といった息苦しい概念から、ふっと心を解放してくれるような魅力があります。

*******以上引用終わり

この話、セイラーボブの言う事と似てる気がしませんか?

「ある日鶏(とり)になっていたら、思い切り鳴いてやろう」

あるがままを受け入れて懸命に生きようではありませんか。

2026/05/28

世界が幻想なのではない。しかし、この点(それ自体が幻想である点)との関係においてあなたが経験するものは、すべて必然的に幻想となる。

以下はカリヤニのFacebookから(翻訳はChatGPT)
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U.G.クリシュナムルティの著書『The Courage to Stand Alone』からの言葉の一部です。

U.G.は実に予測不可能で魅力的な「非教師」であり、ピーターと私は約34年前、メルボルンで彼としばらく一緒に過ごす幸運に恵まれました。彼と接したことで、私のスピリチュアルな探求が実際には何であったのかが明るみに出され、すでに私の中で明確になりつつあったことを彼が裏づけた後、自己の解体のような瞬間が頻繁に起こるようになりました。

彼を訪ねて2日目、私は大量のノートと彼の出生占星図を渡されました。彼は多くを語ることはありませんでしたが、その簡潔な言葉だけで十分でした。

「この時点からあなたが経験するものはすべて幻想だ――“幻想”という言葉そのものが幻想だという意味ではない。インドのヴェーダーンタ哲学者や思想家たち、特にシャンカラの弟子たちは、このような軽薄でまったく無意味な議論にふけっている。

世界が幻想なのではない。しかし、この点(それ自体が幻想である点)との関係においてあなたが経験するものは、すべて必然的に幻想となる。それだけのことだ――世界そのものが幻想だというわけではない。

彼らが『マーヤー』という言葉を使うとき、それは英語で言う“illusion(幻想)”とは異なる意味だ。マーヤーとは「測ること」を意味する――サンスクリット語では「測定する」という意味だ。

何かを測るためには基準となる点が必要だ。したがって中心が存在しなければ、そもそも円周というものも存在しない。これはごく単純な基礎的な算術の問題だ。

その点には連続性はない。その点は状況の要求に応じて生じる。状況の要求がその点を生み出すのだ。そこには主体はまったく存在しない。むしろ客体が主体を生み出すのだ。」

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ここからは拓の感想

やっぱりU.G.はすごい。わかりやすいですね。世界は幻なんかではない。「あなた」、もしくは「私」という点が幻想だと言っているんですね。「世界は幻」ということに関して、この説明が一番納得できる説明ではないでしょうか。

マーヤーは「測ること」を意味するという説明も初めてで新鮮でした。インド人のU.G.が言うのだから間違いないでしょう。

世界は幻なんかじゃない。美しい山も海も現実として存在する。でも、そこに「私」はいない。