2026/11/06

The Mystic of Enlightenment  U.G.クリシュナムルティ 3

Q: あなたはクリシュナムルティ(ジッドゥ・クリシュナムルティ)と血縁関係か何かがあるのですか?

UG: 「クリシュナムルティ」というのは単なる名(ファーストネーム)であって、苗字(ファミリーネーム)じゃないんだ。彼の苗字はジッドゥだ——「クリシュナムルティ」なんてのはごくありふれた名前だよ——ジッドゥ・クリシュナムルティ、ね。

彼とは関わりがあった。彼がやって来るたびに、7年ほど彼の話を聞いていたんだ。彼と個人的に会うことは一度もなかった。「世界教師」云々のビジネス全体が、ある種の距離感を作り出していたからね。「世界教師なんてものがどうやって作られるってんだ? 世界教師ってのは生まれつくものであって、作られるもんじゃない」——それが私の資質だった。裏事情も、お商売の全体像も全部知っていた。私はインナーサークル(側近グループ)の一員ではなかった。常に周辺にいて、自分から巻き込まれたいとは思わなかった。そこにも同じような偽善が存在していた。彼らの生活には何も中身がなかったという意味でね。浅はかだったんだ——学者どもも、秀才どもも、素晴らしいと言われる人々も。「これは何なんだ? この裏には何があるんだ?」とね。

それからクリシュナムルティが現れ、7年後、状況が私たちを引き合わせることになった。私は毎日彼と会い——私たちはあらゆることについて議論した。私は彼の抽象論にはまったく興味がなかった。彼の教えなんて私には少しも興味が持てなかったよ。私は一度彼に言ったんだ。「あんたは現代の心理学用語を拾い集めて、その専門用語を通して何かを表現しようとしているだけだ。分析という手法を取り入れながら、分析では到達できないという点に行き着く。こんな分析は人々を無力化しているだけだ。人々を助けてなんかいない。私を無力化させているんだ」。私の問いは一貫して同じだった。「あんたが持っているものとは一体何なんだ? あんたが私に投げつけてくる抽象論なんぞに興味はない。その抽象論の裏に何かあるのか? それは何なんだ? なぜだか分からないが、私には予感がするんだ——あんたが放っている抽象論の裏にあるものこそ、私が興味を持っているものだという予感がね。何の理由か知らんが、私にはそんな気がする——単なる私の投影かもしれないがね——(身近な伝統的譬えを使うなら)あんたは砂糖を味わったことはないかもしれないが、少なくとも砂糖を見たことはあるようだ。あんたの物の説明を聞いていると、少なくとも砂糖を見たことはあるような気がしてくる。だが、あんたが砂糖を味わったかどうかは私には怪しいものだね」。

こうして私たちは何年もの間、闘わせ合った。(笑う)私たちには個人的な意見の違いもいくつかあった。私は彼からストレートで正直な答えを求めたが、彼なりの理由があって答えてくれなかった。彼は非常に防御的だった——何かを必死で守っていたんだ。「あんた一体何を守る必要があるんだ? 過去も何もかも丸ごと木にでも吊るしておいて、人々に任せておけばいいじゃないか。なぜ自分を防衛しようとするんだ?」私は彼の背景についてストレートで正直な答えを求めたが、納得のいく形では答えてくれなかった。そして最後に、私は詰め寄った。「さあ言えよ、あんたが投げつけてくる抽象論の裏に何かあるのか?」するとあの野郎は言った、「お前が自分でそれを知る術はない」とね。終わりだ——これで私たちの関係は完全に切れたんだよ、ほら——「もし私に知る術がないなら、あんたにもそれを伝える術はないじゃないか。私たちは一体全体何をやっているんだ? 7年間も無駄にした。さらばだ、二度とあんたの面なんて見たくないね」。そうして私は立ち去った。

(UGにサイキックな力(超能力)のようなものが現れ始めて困惑したのは、おそらくちょうどこの時期のことだった。)

49歳になる前、私には非常に多くの能力や体験があったが、そんなものには少しも気を払わなかった。人を見た瞬間、その男が何も話さなくても、過去・現在・未来のすべてが見えてしまうのだ。私はそんな力を使わなかった。首を傾げ、困惑していたよ——「なぜ私にこんな力があるんだ?」とね。私が何か口にすると、それは必ずその通りになった。そのメカニズムが理解できなかった——解明しようとはしたんだ——「なぜ私がそんなことを言えてしまうんだ?」とね。いつもその通りになった。私はそんな力で遊んだりはしなかった。それに、それはあまり良くない結果をもたらし、一部の人々に苦しみを生み出しもしたからね。

(UGは世界中を旅し、依然として講義を続けていた。1955年、長男のポリオの治療法を求めて、妻と4人の子供とともにアメリカへ渡る。1961年までに資金は底をつき、自分の中で抑えることもできず、抑えたいとも思わない凄まじい激変が始まりつつあるのを感じていた。それは6年間続き、(彼が自然な状態への参入と呼ぶ)『大惨事(カラミティ)』によって終わることになる。彼の結婚生活は破綻した。家族を飛行機に乗せてインドへ送り返し、自らはロンドンへ向かった。一文無しで到着した彼は、街をさまよい始めた。3年間、彼は路上で無為に暮らした。友人たちは彼が坂道をまっさかさまに転がり落ちていると見ていたが、当時の彼にしてみれば、自分の生活は極めて自然なものに思えたという。後に宗教心のある人々は、神秘家たちの言葉である『魂の暗い夜』を使って当時の彼を表現しようとしたが、彼に言わせれば「誘惑や世俗との英雄的な闘いも、衝動との魂の葛藤も、詩的なクライマックスもなく、ただ意志がシンプルに萎えて消えていっただけ」であった。)

それ以来、自分にはまるで頭がないかのようだった。「私の頭はどこへ行ったんだ? 私に頭はあるのか、ないのか? 頭はあるように見える。では、これらの思考は一体どこからやってくるんだ?」——これが私の問いだった。頭が存在せず、ただこの身体の部分だけが動き回っていた。何かをしようという意志が一切なかった。あちこちに吹き飛ばされる落ち葉のように、みじめな生活を送っていた。それがずっと、ずっと、ずっと続いた。ついに——何が起こったのか自分でも分からないが——ある日、私は自分に言ったんだ、「こんな生活は良くない」と。私は実質的にホームレスで、人々の施しで暮らし、何も分からない状態だった。意志がなかった——自分が何をしているのか分からなかった——実質的に正気ではなかったんだ。ロンドンにいて、路上をさまよっていた——住む場所もなく——一晩中路上をさまよった。警察官がいつも私を呼び止めた。「行く場所がないのか? ぶた箱に叩き込むぞ」。そういう生活を送っていたんだよ。昼間はブリティッシュ・ミュージアム(大英博物館)に行って座っていた——入館券は手に入ったからね。大英博物館で何を読むかって? 読むことになんて全く興味はなかった——どんな本も興味を惹かなかった——だが、何かを読むためにそこにいる振りをしようと、裏社会のスラング(隠語)の類語辞典——裏社会の人間や犯罪者たちのスラング全般——を引っ張り出してきた。昼間を過ごすためにしばらくそれを読んでいた。夜になるとどこかへ出かけた。それがずっと、ずっと、ずっと続いた。

ある日、ハイド・パークに座っていた。警察官がやって来て言った、「ここにいちゃいかん。叩き出すぞ」。どこへ行けばいい? どうすればいい? 金がない——ポケットには5ペンスくらいしか入っていなかったと思う。頭の中にふと直感が浮かんだ。「ラーマクリシュナ・ミッション(修道院)へ行け」。それだけだ、どこからともなく湧いて出た単なる思いつき——たぶん私自身の投影だったのだろう。路上をさまよう以外に道はなく、警察官が追っかけてくるので、私は地下鉄に乗り、進めなくなるところまで行った。そこから歩いてミッションへ行き、スワミ(僧侶)に会おうとした。彼らは言った、「今はお会いになれません。夜の10時ですよ。お会いになりませんし、どなたともお会いになりません」。私は事務員に、どうしても会わなければならないと言った。どうにか彼は現れた。そこで私はこのスクラップブックを彼の前に差し出した——これが私だった。私の講義記録、私の講義に対するニューヨーク・タイムズ紙のコメント、私のバックグラウンドだ。アメリカで私のマネージャーが作ってくれたスクラップブックを、なぜか私は手元に持ち続けていたんだ。「これが私であり、今の私です」。すると彼は言った、「何が望みですか?」。私は言った、「瞑想室に入って、一晩中そこに座っていたいのです」。彼は言った、「それはできません。8時以降は誰にも瞑想室を使わせない方針なのです」。私は言った、「では、私には行く場所がありません」。彼は言った、「部屋を整えてあげましょう。今夜はホテルに泊まって、また戻ってきなさい」。それで私はホテルに泊まった。翌日の12時、疲労困憊でそこへ行った。彼らは食事中だった。私に昼食をくれた。久しぶりにまともな食事にありついたよ。食欲すら失っていたんだ。空腹が何なのか、喉の渇きが何なのかすら分からなくなっていた。

昼食後、スワミは私を呼んで言った。「私はまさにあなたのような人物を探していたのです。編集作業をしていた私の助手があたまを病んでしまい——病院に入ってしまったのですよ。私はこのヴィヴェーカーナンダ生誕100周年記念号を出さなければならない。あなたは今、私にとってうってつけの人物だ。手伝ってくれませんか」。私は言った、「私には何も書けません。昔は編集をやっていたかもしれませんが、今の私には何もできないのです。私は終わった人間です。その方向では何の役にも立てません」。彼は言った、「いやいや、一緒にやれば何かできますよ」。彼はインド哲学などのバックグラウンドを持つ人物を喉から手が出るほど求めていたんだ。望めば誰でも雇えただろうに、彼は「いやいや、大丈夫です。しばらく休んで、ここに滞在しなさい。面倒を見ますから」と言った。私は言った、「執筆作業はしたくありません。部屋を一つください。皿洗いでも何でもしますから。ですが、そういった作業に対して私は著しく無能なのです」。彼は「いやいや、それをやってほしいのです」と言った。そこで私は何かをやろうと試みた。私の満足のいくものでもなく、彼の満足のいくものでもなかったが、どうにか二人でその号を出版した。

彼は私にお金もくれていた、他のスワミたちと同じように5ポンドだ。初めて自由にしていい5ポンドを手に入れた、そこで「これで何をしよう?」となった。お金がなかったので、お金の価値感覚を失っていたんだ。かつては10万ルピーの小切手を切ることができた時期もあった。しばらくするとポケットに1パイサすらない状態になり、そして今、5ポンドだ。「これで何をすればいいんだ?」——そこで私は、そのお金でロンドン中の映画を片っ端から見ようと決めた。ミッションに滞在して午前中は仕事をし、1時にそこで飯を食って映画に出かけるのが日課になった。やがて見たい映画が見つからない時期がやってきた。ロンドンの郊外では1シリングかそこらで映画を3本見せてくれたので、映画をすべて見尽くして、そのお金を使い果たした。

私はよく瞑想室に座り、瞑想している人々を眺めながら首を捻っていた。「なぜ彼らはあんなバカげたことをやっているんだ?」とね。この頃には、あらゆるものが私の中から抜け落ちていた。だが、その瞑想センターで私は非常に不思議な体験をしたんだ。それが何であれ——私自身の投影か何かだったのか——事実はそこにある。生まれて初めて、ある妙な……私はただ座り、何もせず、人々全員を見つめ、彼らを哀れんでいた。「この人たちは瞑想している。なぜ三昧(三摩地)に入りたがるんだ? 何も手に入りやしないのに——私はそれらをすべて通り抜けてきたんだ——自分をごまかしているだけだ。人生全体を無駄にしてあんなことをするのから救うために、私に何ができるだろう? 何処へも行き着きはしないのに」。私がそこに座り——何もなく、空白の状態でいた時——非常に不思議なものを感じた。身体の内側で何らかの動きがあったんだ。突然、何かが動いているのに気づいた。ペニスからエネルギーが湧き上がり、まるで穴が開いているかのようにここ(頭部)を通り抜けていったんだ。時計回りに、そして反時計回りに、こんな風に(円を描くように)動いていた。空港にあるウィルスのタバコ広告のようだったよ。自分にとってはなんとも可笑しなことだったが、私はこれを何事とも関連付けなかった。私は終わった人間だった。誰かが飯を食わせてくれ、誰かが面倒を見てくれ、明日のことなど何も考えていなかった。それなのに私の中にはある種のものがあった。「これは捻くれた生き方だ。極限にまで達した歪みだ。こんなものは何でもない」。しかしそれでも、頭は消え去っていた——私に何ができたというんだ? それがずっと、ずっと、ずっと続いた。3ヶ月後、私は言った、「出て行きます。こんなことは続けられません」。最後にスワミは私に40ポンドか50ポンドのお金をくれた。そこで私は決めたんだ……

ほら、私にはインドへ戻る航空券がまだ残っていたので、パリへ行き、チケットを払い戻してドル建てだったのでいくらかの現金を作った。この35ポンドと合わせて、150ポンドほど持っていたと思う。3ヶ月間、パリのどこかのホテルに暮らし、以前と同じように路上をさまよった。唯一の違いは、今やポケットにいくらかの金があるということだけだった。だが、この金も徐々に消えていった。3ヶ月後、もう行かなければと決意したが、インドに帰ることには抵抗した。どういうわけかインドには戻りたくなかったんだ。家族や子供たちがいたから、インドに戻るのが怖かった——事態がややこしくなる——全員が私のところに押し寄せてくるだろう。絶対に行きたくなかった、それに抗ったんだ。ついに……私には何年も前からスイスに銀行口座があり——まだそこにいくらか金が残っているはずだと思った。最後の手段はスイスへ行って金を引き出し、それからどうなるか見てみることだった。そこでホテルを出てタクシーに乗り、「リヨン駅まで行ってくれ」と言った。だがパリから(私の口座がある)チューリッヒへの列車は東駅から出るのだから、なぜリヨン駅へ行ってくれと言ったのか自分でも分からない。とにかく彼は私をリヨン駅で降ろし、私はジュネーブ行きの列車に乗った。

150フランかそこらの小遣いを持ってジュネーブに着いた。支払う金もないのにホテルに泊まり続けた。2週間後、彼らは請求書を出してきた。「さあ、お金です! 請求書はどうします?」私には金がなかった。お手上げだと両手を挙げた。残された唯一の道はインド領事館へ行き、「私をインドへ送り返してください。ご覧の通り、私は一文無しです」と言うことだった。こうしてインド帰国への抵抗は終わり、領事館へ行ってあのスクラップブックを取り出した。「インドが生んだ最も輝かしいスピーカーの一人」、私の才能に関するノーマン・カズンズやラーダクリシュナンらの評価付きのやつだ。副領事は言った、「このような方をインド政府の費用で送り返すわけにはいきません。どうでしょう、インドからお金を送ってもらうよう手配し、その間は私のところに滞在しなさい」。ほらね、こうしてズルズルと続いていったんだ。そこで私はこのスイス人女性(ヴァレンティン・ドゥ・ケルヴェン)に出会った。彼女はインド領事館の翻訳家だったが、その日は受付の人が休みか何かで、たまたま受付デスクにいたんだ。私たちは話し始め、それから親しい友人になった。彼女は言った、「滞在したいのなら、スイスに居られるよう手配してあげるわ。インドに行きたくないなら、行かなければいいのよ」。1ヶ月後、領事館は私を追い出したが、私たちは何とかやり繰りした——彼女はスイスに私のための家を作ってくれたんだ。彼女は仕事を辞めた。裕福というわけではなく、年金というほんのわずかなお金を持っているだけだったが、私たちはそのお金で暮らすことができた。

そうして、私たちはザーネンへ行った。あの場所は私にとってある種の意味を持っているんだ。53年にあの地域を旅していた時に訪れたことがあり、その場所、ザーネンを見た時、自分の中の何かが「列車を降りて、ここでしばらく過ごせ」と言ったので、1週間滞在したのだった。私は自分に言った、「こここそが、残りの人生を過ごすべき場所だ」とね。当時は山ほど金があったが、気候のことやその他の色々なことが重なって妻がスイスに住みたがらなかったので、私たちはアメリカへ行った。そうして果たされなかった夢が具現化したのだ。ずっと住みたいと思っていた場所だったから、私たちはザーネンへ行った。だから私はそこに住み続けているのだ。するとクリシュナムルティが何らかの理由で、毎夏集会を開く場所としてザーネンを選んだんだ——あの野郎がザーネンに来始めたのさ。私はそこに住んでいたが、クリシュナムルティにも何にも興味はなかった。何もかもに興味がなかったんだ。例えば、ヴァレンティンは私が49歳になる前の数年間、私と同居していた。彼女に聞けばわかるが、私が真理や現実への興味について彼女に話したことなんて一度もない——何もね。彼女とも、他の誰とも、この話題について議論したことなど一度もなかった。私の中には何の探求もなく、何かを追い求めることもなかったが、何かおかしなことが起こりつつあった。

その期間中(私はそれを『潜伏期間』と呼んでいる)、私の中であらゆる奇妙なことが起こっていた——頭痛、絶え間ない頭痛、脳のこの部分の凄まじい痛みだ。何万錠のアスピリンを呑み込んだか分からない。何も痛みを和らげてはくれなかった。片頭痛や既知の頭痛の類ではなく、凄まじい頭痛だった。それらのアスピリンの錠剤と、自分を解放するための毎日15杯から20杯のコーヒー! ある日ヴァレンティンが言った、「まあ! あなた毎日15杯もコーヒーを飲んでいるのね。それが金銭的にどういう意味か分かっているの? 月に300か400フランよ。一体何なのこれは?」。ともかく、私にとってそれは恐ろしいものだった。

あらゆる奇妙なことが私に起こった。覚えているのは、自分の身体をこうやって擦ると、まるでリンの光のような火花が身体の上に散ったことだ。彼女は真夜中に車が通り過ぎたのかと思って、何事かと寝室から飛び出してきたものだ。ベッドの上で寝返りを打つたびに、光がキラキラと弾けたんだ(笑う)。自分にとっても実におかしなことだった——「これは何なんだ?」とね。電気だったんだ——だから私はそれを電磁場と言っているのだよ。最初はナイロンの服のせいでの静電気かと思ったが、ナイロンを着るのをやめた。私はつま先まで超懐疑的な異端者だった。何一つ信じなかった。目の前で奇跡が起こるのを見たとしても、全く受け入れなかった——この男の資質とはそういうものだったんだ。自分にそんな種類の何かが起こりつつあるなんて、思いもしなかった。

非常に奇妙なことが私に起こったが、私はそれらのことを解脱や自由やモークシャと関連付けることは一度もなかった。なぜならその頃には、あらゆるものが私の中から抜け落ちていたからだ。私は自分自身にこう言い切る境地に達していた。「ブッダは自分自身を偽り、他者を偽った。人類の教師や救世主どもは揃いも揃って大バカ野郎だ——自分自身を騙していたのだ——だから私はもうこんなものには一切興味がない」とね。だから完全に私の中から抜け落ちていたんだ。奇妙な事々が独自のやり方でずっと続いていった——だが、「ほら、(笑う)近づいてきたぞ、そこへ近づいている」なんて自分に言ったことは一度もない。そこへの接近なんて存在しないし、そこからの遠ざかりも存在しない、そこへの近さなんて存在しないのだ。誰かが人とは違っているから、準備ができているからといって、そこに近いなんてことはない。それに対する「準備」なんて存在しないのだ。それはただ、トン単位のレンガのようにドカンとあなたを打ちのめすだけなんだよ。

2026/11/03

The Mystic of Enlightenment  U.G.クリシュナムルティ 2

Q: 14歳から21歳までの間、性的衝動を強く感じていたとおっしゃっていましたね。その時、結婚されたのですか?

UG: いや、焦りはしなかった。そのままにしておいたんだ。性的衝動ってやつを体験してみたかったんだよ。「もし何もせずに放っておいたら、これはどうなるんだろう?」ってね。この全体的な仕組みを理解したかった。「なぜ自分はこんな自慰行為に耽りたがるんだろう? 性のことなんて何一つ知らないのに、なぜいろんな性のイメージが頭に浮かぶんだ?」とね。これが私の探求であり、私の瞑想だった。蓮華座で坐禅を組んだり、頭立ちのポーズをとったりすることじゃない。「どうやってこんなイメージを自分は形作れるんだ?」——映画なんて一度も行ったことがなかったし、ポスターの類だって見ていなかった。ほら、今でこそあらゆるポスターがあるけれど——「どういうことだ? これは内側にあるもので、外から入れられたものじゃない。外側にあるのは刺激だ——刺激は外からやってくる。だが、内側からの刺激という別の種類のものもある——私にとってはこっちの方が重要だった。外からの刺激ならいくらでも遮断できるが、内側からのこれをどうやって遮断すればいいんだ?」私はそれを見つけ出したかった。

それに、その性の体験とは一体何なのかということにも興味があった。自分自身は一度も性を体験したことがなかったのに、それがどんなものか分かっているような気がしていたんだ。これがずっと、ずっと、ずっと続いた。女性と交わろうとか、そういうことへと急ぎはしなかった。事態が独自のプロセスで進むに任せたんだ。当時は結婚なんてしたくなかった時期だった。私の目標は禁欲生活者や修道士、そういった類のものになることであって、結婚じゃなかった——しかし事態は動き、「もし性欲を満たすためだけの問題なら、なぜ結婚しないんだ? 社会はそのためにあるんじゃないか。なぜそこらの女と性的関係を持つ必要がある? 結婚すれば自然な形で性を表現できるじゃないか」と自分に言い聞かせた。

21歳になった時、ある境地に達したんだ。ブッダ、イエス、ラーマクリシュナ、誰も彼も——すべての指導者たちは自分自身を偽り、欺き、そして周囲の人間全員を欺いていると強烈に感じた。こんなものは、どう考えても本物であるはずがない——「この連中が語り、描写している状態とやらは一体どこにあるんだ? その描写は、私という人間や私の機能の仕方とは何の関係もないように思える。誰もが『怒るな』と言うが——私は年中怒っている。内側は残忍な行為で満ち満ちているんだから、あんなものは嘘っぱちだ。あの連中が『こうあるべきだ』と教えてくる姿は偽りであり、偽りである以上、それは私を偽者にしてしまう。私は偽者の人生なんて生きたくない。私は強欲だ。なのに連中が語っているのは無欲のことだ。どこかが絶対に狂っている。この強欲こそがリアルであり、私にとって自然なことなのだ。連中が語っていることこそが不自然なんだよ。だから、どこかが間違っている。だが、私は無欲の状態になるために自分を変えたり、自分を偽ったりするつもりはない。私にとって自分の強欲こそが現実なんだから」。私はそういったことを延々と語り続ける連中に囲まれて生きていた——誰も彼もが偽者だったよ、まったく。だからどういうわけか、君たちの言う『実存的吐き気』とでも呼ぶべきもの(当時はそんな言葉は使っていなかったが、今ではそういった用語も知っている)、聖なるものや神聖なものすべてに対する強い嫌悪感が私の身体に忍び込み、あらゆるものを追い出してしまった。「スローカ(聖典の詩句)も宗教も実践も、もうたくさんだ——そこには何もない。だが、ここにあるものこそが自然なのだ。私は野獣であり、怪物であり、暴力で満ちている——これこそが現実だ。私は欲望でいっぱいだ。無欲、無貪、無怒——そんなものには何の意味もない。それらは嘘であり、単に嘘であるだけでなく、私を偽者にしてしまうのだ」。だから私は自分に言った、「もうこんなお商売は終わりだ」とね。だが、話はそう単純じゃないんだよ。

そんな時、ある男がやって来て、私とこれらのことについて議論した。彼は私が実質的に無神論者であり(実践的な無神論者ではないが)、あらゆるものに懐疑的で、足の先まで異端者であることを見抜いた。彼は言った。「マドラスのティルヴァンナーマライという場所に、ラマナ・マハルシという男がいる。さあ、あの男に会いに行こう。あそこにはヒンドゥーの伝統を生きながら体現している人間がいる」

私は聖者なんて誰一人会いたくなかった。一人に会えば、全員会ったようなものだからね。私は店を冷やかして回るようにいろんな場所を探して回り、師の足元に座って何かを学ぶ、なんてことは一度もしなかった。なぜなら誰もが「同じことをもっともっとやれば、手に入るぞ」と言うだけだからだ。私が手に入れたのは、より多くの体験だけであり、やがてそれらの体験は永続性を要求し始めた——そして永続性なんてものは存在しないのだ。だから、「聖者どもは全員ペテン師だ——奴らは本に書いてあることしか言っていない。そんなもの読めば済む。『同じことを何度も繰り返せ』——そんなものは御免だ。体験など要らん。奴らは体験を私と分かち合おうとしている。私は体験になど興味はない。体験に関する限り、私にとっちゃ宗教的体験も性的体験もその他の体験も何の違いもない。宗教的体験も他のあらゆる体験と同じだ。ブラフマン(梵)を体験することにも興味はないし、現実を体験することにも、真理を体験することにも興味はない。奴らは他の誰かを助けることはできるかもしれないが、私を助けることはできない。同じことを繰り返す気はない。自分がやってきたことだけで十分だ。学校で数学の問題を解きたい時、何度も繰り返して解くと、答えはその問題自体の中にあると気づく。なら一体全体、問題を解こうとして何をやっているんだ? こんなプロセスを全部経るくらいなら、最初に答えを見つける方が手っ取り早いじゃないか」。

だから、気乗りせず、躊躇しながら、嫌々ながらも、私はラマナ・マハルシに会いに行った。あの男が私を引っ張っていったんだ。彼は「一度行ってみろ。何かが起こるから」と言った。彼はそのことを語り、『ポール・ブルントン』の『インド秘密の旅』という本をくれたので、この男に関する章を読んだ——「いいだろう、構わんよ、行って会ってみようじゃないか」。あの男はそこに座っていた。その存在そのものから、私は感じたんだ。「何だこれは! この男が——どうやって私を助けられるというんだ? コミック本を読み、野菜を切り、これやあれやと戯れているこの男が——どうやって私を助けられる? 助けられるはずがない」。ともかく、私はそこに座った。何も起こらなかった。私が彼を見つめ、彼が私を見つめた。「彼の前にいると静寂を感じ、疑問が消え去り、彼の眼差しがあなたを変える」——そんなものは私にとって、ただのおとぎ話、でっち上げの幻想のままであった。私はそこに座っていた。内側にはたくさんの疑問、くだらない疑問が渦巻いていた——だから、「疑問は消えていないじゃないか。ここに2時間も座っているのに、疑問はまだそこにある。よし、彼にいくつか質問してみよう」——というのも、当時の私はモークシャ(解脱)を強く求めていたからだ。私の背景の一部として、解脱を欲していた。「あんたは解脱した人間ということになっている」——それは口に出さなかったが。「あんたが持っているものを、私にくれるかい?」——私は彼にそう質問した。だが、あの男は答えなかった。だからしばらく時間が経った後、私はその質問を繰り返した——「『あんたが持っているものは何であれ、私にくれるかい?』と聞いているんだ」。彼は言った、「私は与えることができるが、お前はそれを受け取ることができるか?」とね。おいおい! 初めてこの男が、自分は何かを持っていて、私にはそれを受け取ることができないと言い放ったんだ。それまで誰一人として「私は与えることができる」なんて言わなかったが、この男は「与えることはできるが、お前は受け取れるか?」と言ったんだ。そこで私は心の中で言った、「もしこの世界にそれを受け取れる人間がいるとしたら、それは私だ。なぜなら私はこれほど多くの修行(サードゥナ)を、7年もの修行を積んできたのだから。彼は私が受け取れないと思っているかもしれないが、私なら受け取れる。私が受け取れなかったら、一体誰が受け取れるというんだ?」——それが当時の私の心境だった——ほら、(笑う)私は自分にものすごい自信があったんだよ。

私は彼のところにとどまらなかったし、彼の本も一切読まなかった。だから彼にさらにいくつか質問した。「人は時に自由であり、時に自由でないということがあるのか?」彼は言った、「お前が自由であるか、さもなければ全く自由でないかのどちらかだ」。もう一つ質問があったが、それは思い出せない。彼は非常に奇妙な方法で答えた。「そこへ至る階段など存在しない」とね。だが、私はこれらすべてを無視した。そんな質問はどうでもよかった——答えには少しも興味が持てなかった。

だが、「お前はそれを受け取れるか?」というこの質問……「なんて傲慢な奴なんだ!」——それが私の感覚だった。「なぜ私に受け取れないというんだ、それが何であれ? 彼が持っているものとは一体何なんだ?」——それが私の疑問であり、自然な疑問だった。こうして、疑問が自ずと形作られていった。「ブッダ、イエス、そしてあの連中全員がいたあの境地とは一体何なんだ? ラマナはその境地にいる——ということになっているが、私には分からん——だが、あの男だって私と同じ一人の人間じゃないか。彼が私とどう違うというんだ? 他人が言うことや彼が言っていることなど、私にはどうでもいい。彼がやっていることくらい、誰だってできる。そこに何がある? 彼が私とそれほど違っているはずがない。彼だって親から生まれたんだ。この事態全体について独自の考えを持っているだけだ。何かが彼に起こったと言う者もいるが、彼が私とどう違うというんだ? そこに何がある? あの境地とは一体何なんだ?」——それが私の根本的な疑問、ベーシックな問いだった——それがずっと、ずっと、ずっと続いていった。「あの境地が何なのか、私自身が見つけ出さなければならない。誰もあの境地を与えることなどできない。私は自分一人なのだ。コンパスも、船も、私を運ぶいかだすらもないこの未開の海へ行かなければならない。あの男がいる境地が何なのか、自分自身で確かめてやる」。私はそれを強く望んでいた。そうでなければ、自分の人生を投げ打ちなどしなかっただろう。

Q: その「与える・受け取る」という話が、よく分からないのですが。

UG: 彼が「私は与えることができるが、お前は受け取れるか?」と言った時に何を意図していたのか、私には何も言えない。だが、ある意味でそれが、自分自身の問いを定式化する助けにはなった。ほら、もし誰かが今、私に同じような質問をしてきたとしたら、私は「誰からも得るものなど何もない」と言うだろうね。君にを与える私とは一体誰なんだ? 君は私が持っているものをすでに持っている。私たちは皆、サニディ通り25番地にいるというのに、君は私に「サニディ通り25番地はどこですか?」と訊いているようなものだ。私は「君はそこにいるじゃないか」と言う。私がそこにいると知っているから言っているわけじゃない。自分がどこにいるかを知りたがっている——君がその質問をしているのだ。

(UGは、ラマナやそうした「宗教的な人々」のもとを二度と訪れることはなく、哲学の試験勉強のため以外には、二度と宗教書に触れることもなかったと語る。)

そこから私の本当の探求が始まった。私の宗教的背景のすべてが私の中にあった。それから探求を始めたんだ。数年間、私は心理学と哲学(東洋と西洋の両方)、神秘主義、あらゆる現代科学——あらゆるもの、人類の知識の全領域を自分自身で探索し始めた。探求はどこまでも続き、「あの境地とは一体何なのか?」というのが私の問いであり、その問いはそれ独自の強烈さを帯びていた。だから、「これらすべての知識は私を満足させない。なぜこんなものを読んでいるんだ?」となった。心理学は私の修士号のための専攻科目の一つだった——あいにく、当時はそれがシラバスの一部だったんだ。私が心理学に興味を持ったのは単純な理由からで、心が常に私を魅了していたからだ。「この心とはどこにあるんだ? それについて何かを知りたい。ここ、私の内側には何の心も見当たらないのに、これらの本はすべて心について語っている。さあ、西洋の心理学者たちが心について何と言っているか見てみようじゃないか」。ある日、私は教授に訊いた。「私たちは終始、心について話しています。あなたご自身は、心とは何か分かっているのですか? 私たちはフロイト、ユング、アドラー、その他の連中など、実に多くの本を学んでいます。そういったものはすべて知っています——本にある定義や描写は読みました——ですが、あなたご自身は心について何か知っているのですか?」彼は言った、「そんな不都合な質問をするんじゃない。(爆笑)とても危険な質問だ。試験に合格したいなら、ただこのノートをとって暗記し、解答用紙に再現しなさい——そうすれば学位がもらえるから」。「私は学位には興味がありません。心について突き止めることに興味があるのです」

(祖父が亡くなり、UGは学位を修了せずにマドラス大学を去った。1943年に彼は結婚した。)

それから、自分の背景もあって神智学協会に関わるようになった。私は祖父から神智学協会、J・クリシュナムルティ、そして多額の金を引き継いだんだ。だから好都合だった。当時は潤沢な資金があった——5万ドルか6万ドルほどだ——だからそういうことが何でもできた。私は講師として神智学協会に関わるようになり(最終的にUGはインドにおける協会の共同事務局長に選出された)、だが本腰は入っていなかった——「こんなものはすべて中古の情報だ。講義をする意味がどこにある?」当時は非常に優れた弁士だったんだよ、今ではもう違うがね。第一級のスピーカーで、あらゆる場所、あらゆる壇上で講義をした。インドのすべての大学で講演したよ。「これは私にとってリアルなことじゃない。頭のある人間なら誰でもこの情報を集めて吐き出すことができる。私は何をやっているんだ? なぜ時間を無駄にしている? これは私の生き方でもなければ、生計の手段でもない。これが君の仕事なら結構、理解できるよ、オウムのように繰り返して生計を立てればいい。だがこれは私の仕事じゃない。それなのに、私は何かに興味がある、そういう種類の何かに興味があるんだ」

そして(1940年代後半、UGが神智学協会で過ごした時期の終わり頃)、J・クリシュナムルティが舞台に登場した。彼はアメリカから帰国したばかりでした。

2026/10/30

The Mystic of Enlightenment  U.G.クリシュナムルティ 1


翻訳:Gemini 無料版
prompt:「段落や行間を原文と同じようにして、U.G.クリシュナムルティが語っているかのように和訳して」

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私の教えは、もしあなたがそう呼びたいのであればの話だが、著作権などない。あなたは自由に複製し、配布し、解釈し、誤解釈し、歪曲し、めちゃくちゃにしてもいい。好きなようにすればいい。私の同意も、誰かの許可も得ずに、自分がそれを書いたのだと主張したって構わない。――U.G.

『悟りの神秘(THE MYSTIQUE OF ENLIGHTENMENT)』

第一部

U.G.

(1973年から1976年にかけて、インドおよびスイスで行われた対話より編纂)

人々は私のことを「悟った男」と呼ぶ――私はその言葉が大嫌いだ――彼らは私が機能しているそのあり様を説明するのに、他に言葉を見つけられないのだ。同時に、私は「悟り」などというものは一切存在しないのだと指摘している。私がそう言うのは、自分自身が生涯をかけて悟った男になろうと探し求め、渇望した結果、悟りなどというものは存在しないと発見したからだ。したがって、特定の人物が悟っているか否かという問い自体が発生しない。紀元前6世紀のブッダなど知ったことではないし、ましてや私たちの只中に溢れている他のあらゆる「悟りを主張する者たち」など尚更だ。奴らは人々の騙されやすさにつけ込んで肥え太る搾取者の群れに過ぎない。人間の外部に力など存在しない。人間は恐怖から神を創造したのだ。だから問題は恐怖であって、神ではないのだ。

私は自分自身で、そしてただ一人で、悟るべき「自己(セルフ)」など存在しないということを発見した――私が言っているのはその「覚悟(悟り)」のことだ。それは打ちのメスを与えるかのようにやってくる。雷に打たれたかのようにあなたを直撃する。あなたは自己実現というたった一つの籠にすべてを投資してきたのに、最後に突然、発見すべき自己も、悟るべき自己も存在しないことに気づくのだ――そして心の中で「俺は一体全体、今まで人生で何をやっていたんだ?!」と叫ぶ。それがあなたを打ち砕くのだ。

あらゆる種類のことが私に起こった――私はそれを通過したのだ、お分かりだろう。その肉体的な痛みは耐え難いものだった――だからこそ、あなた方は本当はこんなものを望んではいないのだと私は言っているのだ。もし私があなた方にその一瞥でも、その感触のほんの一部でも与えられるなら――あなた方はこんなものに一切触れたいとは思わなくなるだろう。あなた方が追い求めているものは存在しない。それは神話なのだ。あなた方はこれと関わりたいとは全く思わなくなるはずだ。

UG:いいかね、私はこう主張する――何と呼べばいいのか分からないが、「悟り」「自由」「モークシャ(解脱)」「解放」といった言葉を私は使いたくない。これらの言葉はすべてドグマ的な意味合いを帯びており、独自のニュアンスを持っている――これはあなた方のいかなる努力によってももたらされるものではない。それはただ生じるのだ。そしてなぜそれが一人の個人に生じ、他の者には生じないのか、私には分からない。

質問者:では、それはあなたに生じたのですね?

UG:私に生じたのだ。

質問者:いつのことですか?

UG:49歳の時だ。

しかし、あなた方が追及しているもの――真理や現実の探求や追求――に向かって行うあらゆる営みは、あなた方が常に存在している、まさにあなた方自身の「自然な状態」からあなた方を遠ざけてしまうのだ。それはあなた方の努力の結果として獲得したり、到達したり、成就したりできるものではない――だからこそ私は「無因(acausal)」という言葉を使うのだ。それには原因はないが、どういうわけか探求は終わりを迎える。

質問者:あなたとしては、それは探求の結果ではないとお考えですか? あなたが哲学を学び、宗教的な人々に関わっていたとお聞きしたものですから……

UG:いいかね、探求はあなたをあなた自身から遠ざける――それは正反対の方向に向かっているのだ――それには絶対的に何の関連性もない。

質問者:それにもかかわらず、それが生じたのであって、それがあったから生じたのではない、と?

UG:それにもかかわらず――そうだ、まさにその言葉通りだ。あなたが行うあらゆることは、すでにそこにあるものがそれ自体を表現することを不可能にしてしまう。だからこそ私はこれを「あなたの自然な状態」と呼ぶのだ。あなたは常にその状態にある。そこにあるものがそれ自身のやり方で表現されるのを妨げているものこそが、探求なのだ。探求は常に間違った方向を向いている。だから、あなたが非常に深遠だとみなすあらゆるもの、神聖だとみなすあらゆるものは、その意識における汚染なのだ。あなたは(笑う)「汚染」という言葉が気に入らないかもしれないが、あなたが神聖で、聖なるもので、深遠だとみなすあらゆるものは汚染なのだ。

だから、あなたにできることなど何もない。それはあなたの手には負えないのだ。私は「恩寵」という言葉を使いたくない。なぜなら「恩寵」という言葉を使えば、「誰の恩寵か?」ということになるからだ。あなたは特別に選ばれた個人などではない。なぜあなたがこれに値するのか、私には分からない。

もし可能なら、私は誰かを助けることができるだろう。しかしこれは私が与えることのできないものだ。なぜなら、あなたはすでにそれを持っているからだ。なぜ私がそれをあなたに与えなければならないのか? すでに持っているものを求めるなど愚かなことだ。

質問者:しかし、私にはそれを感じられませんが、あなたには感じられています。

UG:いや、それを感じる感じないの問題ではないし、それを知る知らないの問題でもない。あなたは決して知ることはない。あなた自身がそれを知る術など全くないのだ。それはそれ自体を表現し始めるのだ。意識的な……いいかね、どう表現すればいいのか分からない。自分が他の誰かと異なっているという考えが、私の意識にのぼることは一度もないのだ。

質問者:ご自身を意識されるようになって以来、最初からそうだったのですか?

UG:いや、そうとは言えない。私は何かを追い求めていた――宗教的な雰囲気の中で育った他の誰とも同じように――何かを探求し、何かを追求していた。だから、その質問に答えるのは容易ではない。私のバックグラウンド全体に踏み込まなければならないからだ。たぶんそれは訪れる、分からないがね。(笑う)

質問者:単なる好奇心からですが、ナチケータのように、私個人としてこれらのことがあなたにどのように生じたのか、あなたが認識されている範囲でとても興味があります。

UG:いいかね、それは長い話だ。そう単純なものではない。

質問者:ぜひお聞きしたいです。

UG:いや、いいかね、私の人生全体について話さなければならなくなる――かなり時間がかかるよ。私の人生の物語はある時点まで続いて、そこで止まるのだ――それ以降の伝記は存在しない。

私の伝記を書くことに興味を持っている二人の伝記作家は、それぞれ異なるアプローチをとっている。一人は、私が行ったこと――サードナ(精神的修練)、教育、あらゆるバックグラウンド――が私をそこに導いたと言う。私はそれらすべて「にもかかわらず」そうなのだと言うのだがね。(笑い) もう一人の伝記作家は、私の「にもかかわらず」という発言にはあまり興味がない。分厚い本を一冊書くほどの材料にならないからだ。(笑い) 彼らはもっとそちら(原因と結果)に興味があるのだ。出版社もそういった種類のことに興味がある。それは極めて自然なことだ。なぜならあなた方は因果関係が常に作用する領域で機能しているからであり、だからこそ原因を、いかにしてこのようなことが生じたのかを突き止めようとする。だから私たちは振り出しに戻るわけだ、一歩も進んでいない。私たちは相変わらず「いかにして」に関心を持っている。

私のバックグラウンドなど無価値だ。誰のモデルにもなり得ない。なぜならあなたのバックグラウンドは唯一無二だからだ。あなたの人生のすべての出来事は、それ自体でユニークなものだ。あなたの条件、あなたの環境、あなたのバックグラウンド――すべてが異なる。あなたの人生のすべての出来事が異なるのだ。

質問者:私は世界に残すためのモデルを求めているわけではありません――そういう観点から聞いているのではないのです。私たちは星を見、太陽を見、月を見ます――それと同じようなことです。あなたを模倣したいわけではありません。関連があるかもしれないでしょう、誰に分かりますか? だからこそ私はここでナチケータだと言ったのです。あなたから真実を知らずに去りたくはありません。

UG:あなたの質問に答えるにはヤマ・ダルマラージャ(閻魔大王)が必要だな。

質問者:差し支えなければ、あなたがヤマ・ダルマラージャになってください。

UG:構わないよ。手伝ってくれ。いいかね、私は無力で、どこから始めればいいのか分からないのだ。どこで終わるかは知っているがね。(笑い) 私の人生の物語全体を話さなければならないようだな。

質問者:喜んで伺います。

UG:浮かんえこないのだ。

質問者:インスピレーションが必要ですね。

UG:私にはインスピレーションなどないし、誰かを触発するような人間からは程遠い。あなたの好奇心を満足させるために、私の人生のもう一面、くだらない一面を話さなければならないだろうな。

(彼は1918年7月9日、南インドの上流中産階級のバラモン家系に生まれた。家名がウッパルーリであったため、ウッパルーリ・ゴーパーラ・クリシュナムルティと名付けられた。母は彼の生後間もなく亡くなり、彼はマスリパタム近くのグディヴァダという小さな町で母方の祖父母によって育てられた。)

私は非常に宗教的な雰囲気の中で育った。祖父はとても教養のある人物だった。彼はブラヴァツキー(神智学協会の設立者)やオルコットを知っており、その後、第二、第三世代の神智学派の人々とも交流があった。彼らは皆、私たちの家を訪れたものだ。祖父は偉大な弁護士で、非常に裕福で、極めて教養があり、そして非常に奇妙なことに、極めて厳格な正統派の信者だった。彼はある種のごちゃ混ぜの子供のようなものだった。一方では正統派の伝統があり、もう一方ではその対極にある神智学やそういったもの全体があった。彼はバランスを取ることができなかったのだ。それが私の問題の始まりだった。

(UGは生前、母親が亡くなる直前に「この子は計り知れないほど高い運命のもとに生まれた」と言っていたとよく聞かされていた。祖父はこの言葉を非常に重く受け止め、弁護士業を辞めてUGの養育と教育に献身した。祖父母とその友人たちは、彼が前世で悟りの寸前まで達した「ヨーガ・ブラシュタ(挫折した修道者)」であると確信していた。)

祖父は学者たちにお金を払って雇っており、ある理由から――その話全体には深入りしたくないが――私に深遠な雰囲気を作り出し、神智学派やその一味に影響を受けて私を正しい方法で教育することに没頭していた。そのため、毎朝それらの連中がやってきて、ウパニシャッド、パンチャダシー、ナイシュカルミヤ・シッディ、その注釈書、注釈書の注釈書、そういったもの全体を朝の4時から6時まで読み上げ、5歳か6歳か7歳かのこの幼い少年――私だが――はそのようなデタラメをすべて聴かされなければならなかったのだ。あまりにもひどかったので、7歳になる頃にはパンチャダシーやナイシュカルミヤ・シッディ、あれこれの一節など、そういったもののほとんどを暗誦できるようになっていた。非常に多くの聖者が我が家を訪れた――ラーマクリシュナ修道会やその他の人々だ。名を挙げれば、そうした連中はなんとかしてあの家を訪れていたものだ――あらゆる聖者に開かれた家だったのだ。だから、私がごく若い頃に発見したことの一つは、彼らが皆ヒポクリット(偽善者)だということだった。彼らは口では何かを言い、何かを信じていたが、彼らの生活は浅薄で、無内容だった。それが私の探求の始まりだった。

祖父はよく瞑想をしていた。(彼はもう亡くなっているし、彼の悪口は言いたくないのだが。) 彼は専用の瞑想室で1時間か2時間瞑想していたものだ。ある日、1歳半か2歳くらいの幼い赤ん坊が、何かの理由で泣き出した。すると例の男が降りてきて、その子を殴り始めたのだ。子供の顔色は青ざめるほどだった――毎日2時間瞑想しているこの男が、だ。「見ろ! 一体全体この男は何をしたんだ?」 それはある種の(心理学用語は使いたくないが、避けようがない)トラウマ的な体験を突きつけた――「瞑想という営み全体には、何かおかしいところがあるに違いない。彼らの生活は浅薄で、空虚だ。彼らは素晴らしく語り、実に美しい方法で物事を表現するが、彼らの生活はどうなのだ? 彼らの生活にはこの神経症的な恐怖がある。何かを口にしながら、それが生活の中で機能していない。彼らのどこがおかしいのだろう?」――私がそうした人々を裁判官のように裁いたというわけではない。

物事は延々と続き、私はこれらのことに深く巻き込まれていった――「彼らが掲げているもの――ブッダ、イエス、偉大な師たち――に何か価値があるのだろうか? みんながモークシャ、解脱、自由について語っている。それは一体何なのだ? 自分自身で確かめたい。こいつらは皆役に立たない連中だが、それでもこの世界には、そうしたすべての体現者であり使徒であるような人物が一人くらいはいるはずだ。もし一人でもいるなら、自分自身で突き止めたい。」

それから非常に多くのことが起こった。当時はシヴァーナンダ・サラスワティという男がいた――彼はヒンドゥー教の伝道者だった。14歳から21歳の間(無駄な出来事は大幅に省くが)、私はよくそこへ行って彼に何度も会い、あらゆること、あらゆる苦行を行った。私はとても若かったが、モークシャなどというものが存在するかどうかを絶対に突き止めてやると決意していたし、そのモークシャを自分自身のために欲していた。そのような人々に偽善などあり得ないのだと、自分自身にもあらゆる人にも証明したかった――「こいつらはみんな偽善者だ」――だから私はヨーガを実践し、瞑想を実践し、あらゆるものを学んだ。私は本に書かれているあらゆる種類の体験――サマーディ、スーパー・サマーディ、ニルヴィカルパ・サマーディ、すべてを体験した。そして私は自分に言ったのだ。「思考は望むあらゆる体験を作り出すことができる――至福、聖福、エクスタシー、無への融解――それらすべての体験をだ。だから、これは本物であるはずがない。なぜなら機械的にこれらのことをやっている私は同じ人間のままだからだ。瞑想など私には何の価値もない。これは私をどこへも導いてくれない。」

それから、いいかね、若い人間の少年だった私にとって、性が途方もない問題になった――「これは自然なことであり、生物学的なことであり、人間の身体における衝動だ。なぜこの人々は皆、何か別のものを得るために、この性を否定し、ごく自然なもの、全体の一部であるものを抑圧しようとするのか? これは私にとってモークシャや解脱やそういったすべてのものよりもリアルで、重要だ。これは現実なのだ――私は神々や女神たちのことを思い浮かべ、夢精をする――私にはそういうことがある。なぜ罪悪感を抱かなければならないのか? それは自然なことだ。このようなことが起こるのを私にはコントロールできない。瞑想も役に立たなかった、勉強も役に立たなかった、私の規律も役に立たなかった。私は塩一つ口にせず、唐辛子もスパイスも一切口にしなかった。」 するとある日、私はこのシヴァーナンダという男が密室でマンゴーのピクルスを食べているのを見つけたのだ――「ここに、何かを得られるという希望のために自分からすべてを拒んできた男がいるが、その奴自身が自分をコントロールできていない。彼は偽善者だ」――彼の悪口を言いたいわけではないが――「こんな生き方は私のものではない。」