Q:身体が地中に埋まり、分解されていっているときでさえですか?
UG: それがどうしたというんです? その身体の上で生き延びている、ほかの生命体がたくさんいるじゃないですか。
あなたにとって慰めにはならないでしょうけど、あらゆる細菌があなたの身体の上で大宴会を開くんです。祝宴ですよ。盛大なご馳走です。
もしその身体を道端に置き去りにしたら、驚くでしょうね。細菌たちがみんな大喜びで、宴を始めるんです。あなたはものすごく大きな貢献をすることになる。
人類のためではありません。さまざまな種類の生命体のために、です。
Q:それなら、菜食主義もあまり勧められないということですか?
UG: ああ、そうですね……。
(うんざりしたようにため息をつく。)
Q:またその話ですか。
UG: 何のための菜食主義なんです?
何か精神的な目標のためですか?
ひとつの生命が、別の生命を糧にして生きる。それが事実なんです。あなたが好むと好まざるとにかかわらずね。
もし虎が菜食主義を実践したら――彼[質問者]は、自分の猫は菜食主義の猫で、ハエ一匹殺さないと言っているんですが――菜食主義者たちと一緒に暮らしているうちに、菜食主義者になったというわけです。
健康上の理由なら、そうしたほうがいいのかもしれません。私には分かりません。菜食主義者になるべき十分な理由があるとは、私には思えない。
あなたの身体が、肉を食べる身体よりも純粋になるわけではありません。
インドへ行ってみなさい。菜食主義者として生きてきた人たちを見てみればいい。彼らが親切なわけでもないし、平和なわけでもない。
だから、そんなことは[精神性とは]何の関係もないんです――何を身体の中に入れるかということは、本当の問題ではない。
Q:肉を食べることによって引き起こされる攻撃性については、どうですか?
UG: 菜食主義者のほうが、肉を食べる人間より攻撃的なんですよ。驚くでしょう。
インドの歴史を読んでみなさい――そこには流血、虐殺、暗殺があふれている――すべて宗教の名のもとに行われたものです。
仏教は、いくつかの地域ではそれほど暴力的ではありませんでした。しかし、日本に広まったときには、最も暴力的な宗教になった。
あの寺院には軍隊があり、日本で戦争をするために軍隊を維持し、提供していたんです。
これは歴史的事実ですよ。私個人の意見ではありません。
だから私は、教師たちとその教えこそが、この世界の混乱に責任があるのだ、と強調しているんです。
あの救世主たちはみな、この世界に混乱以外の何も生み出さなかった。
そして政治家たちは、その文化の継承者なんです。
だから政治家たちを責めて、腐敗していると非難しても何の意味もありません。
腐敗していたのは、彼ら[精神的な教師たち]のほうなんです。
「愛」を教えた人間こそ腐敗していた。なぜなら、その人は自分の意識の中に分裂を作り出したからです。
「汝の隣人を、汝自身のように愛せよ」と語った人間こそ、今日の世界に存在するこの恐怖に責任があるんです。
あの教師たちを無罪放免にしてはいけません。
彼らの教えがこの世界に生み出したものは、混乱以外の何ものでもない。
そしてその混乱は、ますます、単に人間だけでなく、今日この地球上に存在するあらゆる生物種を破壊する方向へと進んでいるんです。
それは、あの[愛という]理想から生まれたものなんです。
責任があるのは科学者や政治家ではありません。彼らの手には、この力がある。そして彼らはそれを使おうとするでしょう――この世界には、ボタンを押してしまう狂人が十分すぎるほどいるんです。
では、それ[暴力]はどこから始まったのでしょう?
宗教が人間を救うわけではありません。無神論も、共産主義も、その他のどんな体制も、人間を救いはしない。
それらを台座の上に置いて、「これらについては罪を問うべきではない」などと言うことはできません。
教えだけではありません。教師たち自身が、私たちがこの世界で目にしている暴力の種を蒔いたんです。
「愛」について語った人間こそ責任がある。なぜなら、愛と憎しみは一緒についてくるからです。
だったら、どうして彼らを無罪にできるんです?
信者たちを責めてはいけません。信者たちは、その教えから生まれてきたんです。
これは歴史ですよ。私個人の意見ではありません。
ヨーロッパの歴史を知っているでしょう。異端審問ですよ。
「イエスの名において」。
それなのに、なぜその宗教を復活させたいんです? 何のために?
「キリスト教に立ち返れ」というのが、今やいたるところで掲げられているスローガンです。
私は特定の何かを非難しているわけではありません。
すべてに責任があるんです。
「愛」について語るというのは、実に馬鹿げたことの一つです。
[愛が成立するには]二つのものが必要なんです。
[しかし]分裂が存在するところには、必ずこの破壊がある。
親切にも二つのものが必要です――あなたが誰かに親切にする、あるいは自分自身に親切にする。
そこには、あなたの意識の中に分裂があるんです。
その分裂から生まれるものは何であれ、自己を守るための防衛機構です。そして長い目で見れば、それは破壊的なんです。
思考は自分自身を守ろうとしている。
だから思考は、継続することに関心を持つんです。
身体は自分自身を守ることには関心がありません。
身体が生き延びるために必要な知性は、すでにそこに備わっています。
私たちが組織や制度を通して作り上げてしまったジャングルには、そうした知性が必要なんです――私たちが勉強を通して、文化を通して、ありとあらゆるものを通して身につけてきた知性がね。
その知性は、それ自体で別個の存在を持っていて、別の種類の生存に関心を持っています。
なぜなら、ここにある生命には終わりがないからです。
これは、生命の一つの表現にすぎません。
あなたがいなくなっても、私がいなくなっても、生命は[なお]続いていく。
あの明かりは消える。でも電気は流れ続ける。
また別の何かが現れるでしょう。
生命は人間には関心がありません。
ところが残念なことに、人間は非常に破壊的な力を持っている。そしてその力は、人間の経験――人間の自己認識――から生まれてきたものなんです。
だから、「自分自身を見つめたい」「自分自身を理解したい」という話そのものが、人間の中にある分裂した動きなんです。
それは、あの自己認識から生まれたものです。
そして、それこそが、心理的構造全体が築かれている土台なんです。
Q:でも、どうすれば、その分裂した思考をなくすことができるんですか?
UG: できません。
それはあなたの手の中にはないんです。
あなたが何をしようとも、それによってその動きにさらに勢いを与えることになります。
Q:では、あなたはそれを終わらせたいんですか?
UG: いいえ。
Q:私は以前、ものすごく大きな一体感を感じたことがあります……。
UG: 薬物によって、あるいは瞑想によって、あるいは人間が発明してきた、そうした体系や技法によって、身体の代謝に乱れが生じることがあります。
そうすると、生命の一体性、生命の統一性を体験することができる。
生命の統一、生命の一体性を説いているインドを見てごらんなさい。そこに一つの実例があるでしょう。
彼らはみな偉大な形而上学者であり、哲学者です。そして、こうしたことについて延々と議論し続けている。
ところが、それは人々の実際の生活には何も作用していないんです。