16世紀の禅僧、盤珪(ばんけい)はそれを「不生(ふしょう)の仏心」と呼びました。彼はこう言っています。「不生の心においては、万事が完璧に解決されている。それなのに、なぜ不生の心を捨てて、思考などというものに取り替えてしまうのか」と。
自然は自ずと解決していきます。
そこには抵抗も、分離もありません。
津波が押し寄せてその場所を破壊し尽くすこともあれば、火が燃え広がってやがて焼き尽くすこともありますが、そこには抵抗というものが存在しないのです。
しかし私たちの場合、絶えず抵抗し、絶えず葛藤しています。それは、私たちに「推論する能力」が備わっているからなのです。
セイラーボブ
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