2026/02/27

一瞥体験の質問 

私はカリヤニとギルバートにFacebook経由で同じ質問をしました。私のへなちょこ英語ではダメなので、ChatGPTに英訳してもらいました。

Dear Kalyani,

How are you? I’m writing today because there is something I would like to ask you.
I learned non-duality from Sailor Bob, and I believe I understand non-duality. I understand that what is commonly called “enlightenment”—the idea of suddenly being enveloped in light one day, falling into ecstasy, and then living forever wrapped in bliss—is a foolish fabrication. I think the teaching of non-duality is fundamentally a matter of understanding.

Recently in Japan, many people have begun teaching non-duality, and there are many non-dual teachers online. Most of them start by saying that they had a “glimpse experience” and experienced non-duality. These glimpse experiences vary widely: experiences of there being no “me,” states in which a causeless sense of happiness continues for a while, experiences of being enveloped in unstoppable love, and so on.

I believe that we never actually experience the non-dual reality itself. I also believe that we do not glimpse the non-dual reality. A glimpse experience is, after all, just an experience—something like a pseudo-experience—and not non-duality itself.

So my question is: how should we understand the glimpse experiences that people talk about? Is it possible for us to glimpse the non-dual reality?

Recently, I’ve been watching Rupert Spira’s YouTube videos. In one of them, a questioner talks about a glimpse experience, and Rupert responds as if that glimpse experience were the happiness people are seeking. Watching that video made me feel doubtful about glimpse experiences. If possible, I would appreciate it if you could share your thoughts.
Rupert’s YouTube video: What Is Liberation https://youtu.be/UOMrtaE5OX8

日本語の原文を保存しておかなかったので、英文をまたChatGPTで翻訳したものを載せておきます。

拝啓 カリヤニ様

お元気でいらっしゃいますか。今日は、ぜひお伺いしたいことがあり、ご連絡いたしました。

私はセーラーボブから非二元の教えを学び、自分では非二元を理解しているつもりです。一般に「悟り」と呼ばれている――ある日突然、光に包まれ、恍惚状態に入り、その後ずっと至福に包まれて生きるようになる、という考え――は、愚かな作り話だと思っています。非二元の教えは、本質的には「理解」の問題だと考えています。

最近日本では、非二元を教える人が増え、オンラインにも多くの非二元の教師がいます。その多くは、「一瞥体験(グリンプス体験)」をした、つまり非二元を体験したことがある、と語るところから話を始めます。しかし、その一瞥体験の内容は実にさまざまです。「私」が存在しないという体験、理由のない幸福感がしばらく続く状態、抑えきれない愛に包まれる体験、などです。

私は、私たちは非二元の実在そのものを実際に体験することはないと考えています。また、非二元の実在を「垣間見る(グリンプスする)」こともないと思っています。一瞥体験というのは、結局のところ単なる体験であり、いわば擬似的な体験のようなものであって、非二元そのものではないのではないでしょうか。

そこでお伺いしたいのですが、人々が語る一瞥体験は、どのように理解すればよいのでしょうか。私たちは非二元の実在を垣間見ることが本当に可能なのでしょうか。

最近、ルパート・スパイラのYouTube動画を見ています。その中の一本で、質問者が一瞥体験について話し、それに対してルパートが、まるでその一瞥体験こそが人々の求めている幸福であるかのように答えていました。その動画を見て、私は一瞥体験について疑問を感じるようになりました。もし可能でしたら、あなたのお考えをお聞かせいただければ幸いです。

ルパート・スパイラのYouTube動画:
「What Is Liberation」
https://youtu.be/UOMrtaE5OX8

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それに対する二人の答えが、それぞれ違って興味深いものでした。了解を取ってないので、そのまま全部掲載できないので、部分もしくは要約を載せます。

まずはギルバート
ギルバートは、ビデオは見てないと前置きした上で簡単に答えてくれました。(Google翻訳)

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すべての体験は知性(intellect)による作り事だ。
自己の中心は、主体(私)として想像されている。
非二元は言葉では表せず、記述不能で、沈黙そのものだ。
理解は誰にでもあるが、思考によって覆い隠されているように見える。
誤解こそが共通要因であり、それはすべて分離の夢だ。
***

まだ少し続きがあるのですが、ここまでで十分です。私にとっては最初の一行「すべての体験は知性による作り事だ。」で十分でした。これが私の求めていた答えでした。

そしてギルバートは、ボブの本をしっかり読んで自分で「私」が実在かどうかをちゃんと調べてみなさいという返事で、私の質問には直接答えませんでした。でも、それで十分でした。ギルバートの返事は、どうして今さらそんなことを聞くのかと言う感じで、座禅の時の警策ように私をピシャリと打ちました。


そしてカリヤニ
カリヤニからの返事は、この質問は多くの探求者が抱く疑問なので、ぜひ私のセッションを受けてみたら、というものでした。え~、私は十分に非二元を理解したと思っているし、初心者じゃないんだから、今さらセッションなんてと思ったのですが、どんなセッションをするのか興味があったし、無料でいいからというので受けることにしました。

日を改めてZoomでセッションをしてくれました。詳しい内容は了解をとっていないので控えさせていただきますが、カリヤニの説明はセイラーボブの教えを色濃く反映したもので、どんな体験も起こっては去っていくもの、幸福も不幸も起こっては去っていくものだということ。そして、体験に対してあれこれと判断しているというのはマインドにすぎないというものでした。

カリヤニは私が十分に非二元を理解していることは承知していましたが、親切にも詳しく説明してくれて、納得のいく説明でした。

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二人の答えは私の理解していることと同じでしたが、カリヤニもギルバートも私の問い(一瞥体験)には直接答えませんでした。彼らにしてみれば、こんな質問自体が論外で的外れだということです。どんな体験もマインドの中の出来事であり、非二元を体験することではありません。一瞥体験はマインドの産物です。そしてルパート・スパイラが何を話そうが、彼らにはどうでもいいことのようです。そんな些細なことをあれこれ考えるなということだと思います。おそらくカリヤニもビデオを見ていないと思います。

日本ではあまりにも多くの人が一瞥体験について語り、あたかもそれが非二元を理解する通過儀礼のように語られている現状があり、一度ちゃんと聞いてみたいと思っていたのですが、彼らにしてみれば、今さらどうして私がそんな初歩的なことを聞くのかと思ったい違いありません。彼らにしてみれば、人々が好き勝手に語る一瞥体験なんてどうでもよいことであり、非二元の本質を理解することとは何も関係ないということです。

私が取り上げた今回の動画でも、ルパートは一瞥体験を肯定しているわけではなく、幸せな状態に焦点を当てているにすぎないのだと思います。でも今回の件で私が思ったのは、このブログでセイラーボブ以外の非二元の教師を詳しく取り上げるのはよくないなということです。カリヤニも言っていたのですが、いろんな人がいろんな教え方をします。その細かい部分の整合性を確認しようとしても無理だということです。

唯識には唯識の説き方がり、ヒンズー教にはヒンズー教の説き方があります。ルパートにはルパートの説き方があります。それを良いとか悪いとかいっても始まらない。それぞれ自分に合う教師や教えを見つけて本質的なことを学べばよいのだと思います。その説明はそれぞれ違って当たり前です。

ルパート・スパイラの説き方は、ある意味とても理論的で、理屈で理解したい人には向くと思います。でも、例えば意識の局在化というモデルや、世界の半分は人の意識でできていて、残り半分は大いなるもの、あるいは神の意識でできているというモデルは理屈としてはわかるし魅力的ですが、果たしてそれが正しいのかどうかはわからない。世界は幻だという説明も、わかりやすいのですが結局は証明しようのないことです。

そして、ルパートは幸福を強調しすぎるような気がします。私としては幸福も不幸もマインドの中のことだと思っています。でも、ルパートは非二元が浸透し始めると最初に内側が変わり、そして外側が変わって幸せになっていくと言います。「幸せになれる」、それがルパートの人気の理由だと思うのですが、こういう説明に違和感を覚えます。こういう説明は引き寄せの法則や願望実現の教えに繋がりかねない気がします。そしてそれは非二元の本質とは外れているという気がします。

私としてはセイラーボブのような細かいところはあまり説明しない説明の方が受け入れやすいです。世界は知性エネルギーの働きだ! 以上おわり、あとは自分で調べなさい。の方がわかりやすい。今までさんざんルパートをほめて、たくさんのYouTubeを載せておきながら今になってなんだ、と言われそうですが、申し訳ありません。ルパート・スパイラがすばらしい教師であるという思いは変わりませんが、ルパートとのハネムーンが終わってしまいました。そろそろルパート・スパイラを卒業しようと思います。

今のところ、海外の非二元の教師のうち日本で情報を入手できる教師ではルパート・スパイラが質、量ともに一番ではないかと思います。しかもまだ健在で話し続けているということも重要です。ルパート・スパイラのYouTubeにはまだまだすばらしい動画がたくさんあるのですが、なにも私がブログに取り上げなくてもみなさんがご自分で見ていただければいいのかなと思います。

セイラーボブ以外の非二元の教師がどういう説き方をするのか知ることは役に立ったと思います。でも今後はボブ以外の非二元の教師に深入りすることはしないつもりです。そうすることで、かえってセイラーボブの教えが不鮮明になるような気がします。

2026/02/25

一瞥体験の後、続くプロセス  ルパート・スパイラ

「Rupert Spira 非二元のエッセンス」堀田真紀子さんのYouTubeから転載させていただきました。わかりやすい日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→日本語)。

堀田さんのYouTubeチャンネルに堀田さんによる解説があるので、そちらを参考にしてください。堀田さんのYouTube

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オリジナル動画は「What is Liberation?」です。

私はこの動画を見て、ものすごい違和感を覚えました。私のブログではエンライトメントはないということを繰り返し書いてきました。ルパートもエンライトメントとは昔から信じられてきた突然の至福体験ではなく、自己の本質を認識することだと言っています。

もしそうだとすると、一瞥体験とは何だろうという疑問がわきます。私たちが非二元の世界を見ることや体験することはないはずです。この動画では、質問者が数か月の間、地上の天国のような状態が続いたあと、それが消えてしまったと言います。質問者は、glimpseという言葉を使っていて、一瞥体験という訳になっています。その体験を一瞥体験と呼ぶかどうかという疑問は残るのですが、それに対して、ルパートはそれが私たちが求めている幸福であり、それを少しづつ取り戻す過程について説明しています。

私の考えでは、一瞥体験はマインド、あるいは思考の産物であり、私たちが求めている幸福などではないと思っています。このブログでも、一瞥体験を看板にして客寄せをする非二元の教師に対して否定的なことを書いてきました。

ルパートも今まで紹介してきた動画の中で一瞥体験を否定していて、それは単なる個人の体験にすぎないと言っています。でもこの動画でルパートは一瞥体験を肯定しているかのように思え、それが私たちが求めている幸福だと言っているように思えます。私は以前から、欧米ではほとんど一瞥体験を語る人がいないのに、どうして日本では一瞥体験のことを語る人が多いのだろうと疑問に思っていました。

そこで私は、カリヤニとギルバートでFcaebook経由でこのことについて彼らの意見を求めました。彼らが一瞥体験についてどう考えているのか聞きたくなったのです。長くなるので続きは次回とさせていただきます。

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2026/02/23

物質が意識で出来ているとはどういうことか?  ルパート・スパイラ

How Can Matter Be Made of Consciousness?
日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→英語(自動生成)→英語(自動生成)→自動翻訳→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

物質は意識でできているのでしょうか?思考、感情、感覚が意識でできていることは、容易に見て感じられます。しかし、意識のみのモデルは、私たち自身の有限な心の外側に現れる対象をどのように説明するのでしょうか?そして、それを私たち自身の直接的な経験でどのように検証できるのでしょうか?

ルパートは、ロンドンで眠りに落ち、自分がパリのジェーンであるという夢を見るメアリーの例えを用います。ジェーンは、私の思考は私の心の中に現れ、他のどこにも現れないと考えているので、明らかに意識からできています。しかし、パリの街路はどうでしょうか?目を閉じると私の思考は消えますが、友人のクレアの思考は消えません。つまり、パリの街路には、私の有限な心以上の何かがあるのは明らかです。そのため、ジェーンはパリの街路は物質と呼ばれる、自分自身の外にある何かでできていると考えています。しかし、メアリーの視点から見ると、パリの街路は彼女自身の心でできているのです。

メアリーは、宇宙を自らの内側で夢見る意識を表しています。この夢を私たちそれぞれの局所的な視点から見ると、それは私たちの外にあるものからできているように見えます。しかし、無限の意識の観点から見ると、意識は私たち一人ひとりが経験する個別の主体として局所化され、意識の非局所的な部分が世界として私たちに現れます。

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無限の意識から見れば、私たち一人一人の意識は夢のようなものであり、その夢の中で見る物質も意識でできているという話です。ジェーンとメアリーの例えは以前にも掲載したことがありますが、なかなか良い例えですね。

前回のYouTubeでは一つの意識が局在化(局所化)して私たち一人一人の意識となって別々の世界を見ているという例えを使い、今回は全然別の例え(メアリーの見る夢の中のジェーン)を使って説明する。このあたりがおもしろいですね。私は両方の例えが好きですが、どちらかというと前回のYouTubeの話がわかりやすいです。

セイラーボブは知性エネルギーがパターン化して世界を形造るという話をしますが、ルパートの場合は物質としての物が実在するという話をしないのが興味深いですね。もちろんボブも、椅子を指さして、「それは何ですか?」と聞くパターンがあって、私たちが椅子という定義づけをしなければ、そこには意識があるだけだという説明もします。