2026/07/17

体は何で構成されているのでしょうか?

結局のところ、体は何で構成されているのでしょうか?
実のところ、それは「元素」で構成されています。
周囲にあるものと同じように、地、火、水といった元素から成り立っているのです。
そして、それらの元素はさらに素粒子へと分解することができます。
そうした元素は、無数の細胞からなるパターンを形成しています。それぞれの細胞には「知性」も宿っています。あるものは肝臓の細胞となり、あるものは心臓や腎臓の細胞となります。
しかし、もしそこに「実在」――それとは別個の存在――があるとしたら……。そもそも、その体というものは、他のあらゆる現象と同様に、一時的なものにすぎません。絶えず変化し続けているのです。
ですから、もし「あなた」がその体そのものなのだとしたら、体が変化するたびに、あなたも消えてなくなってしまうはずではありませんか?
でも、実際にはそうはなりません。
そこには常に変わることのない何かが存在し、体が変化したことに気づいたり、それを認識したりしているのです。そうではありませんか?
                                    セイラーボブ

2026/07/14

なぜ概念をそれほどまでに信じ込むのですか?

あなたが持っている言葉はすべて、後から身につけたり、途中で拾い上げたりしたものです。生まれたときには、どんな言葉も持っていませんでした。今でも新しい言葉を覚えるかもしれないし、忘れてしまう言葉もあるでしょう。それなのに、なぜ概念をそれほどまでに信じ込むのですか? 生まれたときや、その後の数年間、あなたは自分というものについての概念など持っていなかったのに、それでも何の問題もなく過ごしていました。自分に言葉を当てはめる必要などなかったのです。
                                                                                                                                   セイラーボブ                         

2026/07/10

それは単なる、純粋な「見ること」、純粋な「聞くこと」、純粋な「味わうこと」「触れること」「嗅ぐこと」なのです

では、次にどんな思考が浮かんでくるでしょうか?
それがどんなものになるのか、自分でも分からないことに気づくはずです。
思考はひとりでに湧き上がってくるものです。その思考を「考える主体」など存在しません。
感情を「感じる主体」もいません。
光景を「見る主体」もいません。
ただ「見ること」があるだけです。
「聞くこと」があります。
「感じること」があります。
「味わうこと」があります。
「触れること」があります。
「嗅ぐこと」があります。
「~すること(ing)」という表現は、まさにこの「今、ここ」で起きていることを示していますが、そこには主体と客体の分離はありません。
それは単なる、純粋な「見ること」、純粋な「聞くこと」、純粋な「味わうこと」「触れること」「嗅ぐこと」なのです。
「私は見る」と言うとき、あなたは主体、つまり概念的なイメージを作り出しています。
「感じる」「聞く」「感知する」と言うとき、触れられたもの、聞かれたもの、感じられたものすべてが「客体」になってしまうのです。
ですから、主体と客体という構図は二元論なのだと理解してください。
                                  セイラーボブ