2019/04/12

盤珪 永琢(ばんけい ようたく/えいたく)

盤珪(ばんけい)について

セイラーボブは、unborn Buddha mind「不生の仏心」を講話の中でたびたび引用します。
ボブが引用する場合は、

[ラベル貼りに関しては、十六世紀か十七世紀の日本の盤珪という禅のマスターがわかりやすく述べています。彼は原初の空(くう)のことを、「不生の仏心」と呼びました。そして彼は言っています。「不生の仏心の中では、あらゆることが完全に解決されている。どうして不生の仏心を思考と交換するのか?」](Living Reality)。

そこで、盤珪について書いておきます。

盤珪は江戸時代(1622年-1693年)、姫路市生まれの臨在宗の僧。
儒医(儒学者であり医者でもある人)の家の三男として生まれる。もともと頭が良く、十二歳の時に儒教の基礎経典である「大学」を学び、「大学の道は明徳を明らかにするに在り」という冒頭の一句に出くわして、「明徳」とは何かという疑問に取りつかれてしまう。

「明らかな徳」とは何であるかを知るため、17歳の時に出家。「明徳」の答えが得られず、20歳の時に寺を出て諸国行脚へ出発。断食、の五条橋下での四年間の乞食など命がけ修行をする。24歳の時に寺へ帰るが、答えは見つけられなかったため、帰郷。

故郷に帰り、庵を建て、そこで決死の覚悟で修行に励む。数年間修行の後、大病にかかり、吐血するようになる。七日ほど粥しか食べられない日が続き、もう終わりだと思っていたところ、真っ黒な木の実のような痰を吐く。それをきっかけに、体調が快方に向かい、その途中、26歳の時に「明徳」の意味を理解する。

後世になって、臨在宗の僧として有名なのは、道元、白隠で、盤珪はそれほど有名ではなかったようです。それを掘り出して研究、発表したのが仏教学者の鈴木大拙(1870-1966)だそうです。鈴木大拙は一時期アメリカに滞在したこともあり、禅や仏教関係の英文書籍も出版しています。

私はセイラーボブに盤珪の出典元を聞いたことはありませんが、おそらく鈴木大拙の本が出典元ではないかと思われます。鈴木大拙には興味はあるのですが、範囲が広すぎて何から読んだらいいのかわからないのと、ちょっとアカデミックすぎるかなあと思って今のところが食指が動いていません。


鈴木大拙 Wikipedia

鈴木大拙の盤珪関連書籍

盤珪禅師語録 (岩波文庫 青 313-1)

鈴木大拙全集〈第1巻〉禅思想史研究第一・盤珪の不生禅

参考資料


「ただそれだけ」p.119 l.4

盤珪 永琢(ばんけい ようたく/えいたく)Wikipedia

「明徳」の意味を理解する様子はこのサイトが詳しい。
霊芝山 光雲寺

その教えについては、このサイトがわかりやすかったです。
臨済宗妙心寺派大澤山 龍雲寺 blog

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