2019/04/27

ニサルガダッタ・マハラジ ドキュメンタリー'Tatvamasi' (I am That)


Nisargadatta Maharaj Documentary Clip 'Tatvamasi' (I am That)

我はそれなり
汝それなり
タットバマシ

サットグル以上のものはない!
サットグルは神・・・
サットグルはパラブラフマン!

創造、継続、消滅。
それは存在するものがたどる自然の過程。
しかし、生まれていないものにとって、
誕生は単に誤信 誤信 誤信 作り話 作り話 作り話

自己実現は霊的な訓練の結果ではない。
実はそれは、探求者概念、因果律概念の崩壊の結果である。

たくさんのたくさんの霊的な訓練がありうる。
しかし、霊的探求者は今までもそしてこれからも決して存在しない。

私はしばしば尋ねられる。
人の本質を達成するにはどうしたらよいでしょうかと。
私は彼らにはっきりと言う。

この「達成するという考え」そのものが「束縛」なのだと。
理解しなさい。何かを達成する分離した「あなた」はいないということを。
理解しなさい。達成すべき何かなどないということを。達成すべき「何か他のこと」などないということを。

サットグルの言葉に絶対的な信頼を持ちなさい。
信頼そのものが超越である。
汝それなり 汝それなり タットバマシ

人間もまた体を後にする。その他のすべての生き物と同じように。
理解した者も、愚かな者も体を後にする。
どこに違いがあるのか!!!

愚かな者は自分が死につつあり、永遠に終わりだと確信するだけでなく、完全に不満を抱きながら体を後にする。
この体の記憶は、誕生の前には無かった。
それゆえ、いわゆる「死」の際には再び失われるだろう。

あなたは生まれる前のことは何一つ思い出せなかった。なぜなら、その時「私はいる」という思考が不在だったからだ。
いずれにせよ、現在の記憶はすべて、死とともに破壊される。(「私はいる」という思考が不在のために)

しかし、自己の本質を「理解した」者にとってそれは最も荘厳なものになる。
「理解した者」が肉体を後にする時、自分は無限で、終わりが無く、完全で、豊かさの中へ広がっていくと理解している。
それは、安らぎ、達成、祝福の瞬間。

プラーナが体から去ると、「理解した者」は体を脇へと置く。
彼は純粋な意識(Awareness)として、純粋な意識のまま残り、永遠へと広がっていく。

意識(Awareness)は生まれることもなければ、死ぬこともない。それ自体は変化することのない実在である。

核心を今理解しなさい。
誕生の時、「私はいる」という認識が突然現れ、その「私はいる」認識は、自らを「体」であると誤解する。(それは大きな災難である)
この体は本質ではないと理解する時、自身が自由であるということを発見するだけでなく、束縛も制限も永遠に無かったと理解する。

死の淵にあって、あなたの自分自身(あなたの本質)に対する理解に注意を向けなさい。
いずれにせよ日々の活動はその体とマインドを通じて起こってくる。
あなたが、「私はいる」という認識、グル原理、イシュワラ原理を崇拝する時(自己の本質に留まる時)、全存在物は今までもこれからも、オートマチックモードで起こっているということをあなたは理解する。

あなたはすべてであり、何もあなた以上ではない。
目を覚まし、直感的に理解しなさい。
「理解すること」そのものが自己実現なのだ。