2019/04/06

ニサルガダッタ・マハラジ 1979フィルム


The Lost Satsang Sri Nisargadatta Maharaj Archival Film 1979
「ザ・ロスト・サットサング」シュリ・ニサルガダッタ・マハラジ 記録フィルム1979
(画面に表示された英語字幕のみ翻訳しています)

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2007年1月、シュリ・ニサルガダッタ・マハラジの初期の通訳の一人であるムラパータンが私たちに、この歴史的な記録を収めた一本の古いVHSテープを提供してくれました。
私たちはこのフィルムの存在を知りませんでしたが、このフィルムをみなさんとシェアできる栄誉を光栄に思います。

翻訳の正確さを期するため、私たちは三通りの異なる翻訳バージョンを作って編集しました。メインとなっているのは、モハン・ガイトンデ(マハラジの夕方のパートタイム通訳)によるものです。
オリジナルフィルムの信憑性を保つため、フィルムの映像には手を加えていません。

私たちは、この歴史的記録を作成した人たちを見つけ出そうとしましたが、うまくいきませんでした。
彼らのマハラジへの誠実な献身を高く評価するとともに、心より感謝いたします。

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マハラジの家の入口。1979年頃、インド、ムンバイ。

マハラジの部屋の窓。

初期の通訳の一人であるムラパータン。

ニサルガダッタ・マハラジの息子。

(訪問者)私はSelf(自己・本質)です。

みなさんは、Self(Consciousness・意識)について話すが、言葉は実際のそのものを表していない。

言葉はobject(物・客体)ではないものを object として表すが、Self(意識)は object ではない。

宗教上の慣行は、人を体とマインドを超えて、自己愛(Consciousness意識)へと導くかもしれない。そのやり方で、あなたの自己愛をなだめることはできる。それが礼拝の目的だ。

あなたは、あなたの体と同化しているが、実際にはあなたは体ではない。形の無いものである。

(訪問者)すべての欲求は意識(Consciousness)から起きるのではありませんか?

私の言うとおりにしなさい。あなたの質問は全部、あなたが体に同化していることから起こっている。内側に入って行きなさい。すべての望みや欲求は、Self(Conscious・意識)のためにあるべきだ。Self のみを渇望しなさい。

愛とは単に言葉ではない。それは「私はいる」という認識。その認識を探求すべきである。私たちが切望すべきことは、「私はいる」を理解することだ。

あなたは体に執着している。すべての世俗の活動と苦悩が、体を永続させることを目的としている。
誰でも、体が存在することは時間を意味することだと知っているが、それでも苦悩は続く。私は愛して・・・。

この究極の愛はブラフマンと呼ばれる。それは行き渡る意識だ。それは行き渡る愛だ。

この世界の顕現全体は同じ意識(Conscious)が現れ出たもので、それがあなただ。あなたは「あなた自身」の顕現であり、同じ愛が現れたものだ。
でも、自己への愛はすべての動機となる。あなたは、意識よりも体を愛している。あなたは、存在することを愛している。

あなたは、あなたの本質、意識(Conscious)以外のものを愛すべきではない。
強い欲求、強い期待。どうしてそうしたものが愛でありえるだろうか?

あなたは何が欲しい?
あなたの一番の欲求は何だ?

体と同化しているがゆえに、物に魅かれるのだ。
それが欲求を生み、あなたはそれに優先権を与えている。

Self (自己・本質)を理解することだけが最優先事項だ。愛(意識・Consciousness)に執着しなさい。
あなたは、すべての物の中に存在する意識(Consciousness)を理解しなければいけない。

あなたの本質を探究しなさい。
あなたの本質を探索しなさい。

本当のあなたを見つけなさい。
「私はいる」の源泉を発見しなさい。
意識(Consciousness)を探索しなさい。

あなたは至福の海だ。でも、あなたが海に着くまではそのことを理解できない。
あなたの肉体的欲求はあなたをどこへも導かない。
でも、Self (意識)だけを強く望めば、あなたを理解へと導くだろう。

このことを以前に聞いたことは?

神は存在するかもしれない。でもそれは、それを理解する「私」がいる時だけだ。
それを理解する「私」がいなければ、誰がその存在を裏付けるのだ? 「私」が神を作り出しているのだ。

私は「私はいる」を知る者、マハ・リンガである。
もしあなたが「私はいる」を理解できないなら、どうしてその他のことを理解できるのか?

(通訳)マハラジは性器のことを言っているのではありません。彼は決してセックスについては語りません。マハラジは、「私はマハ・リンガ、Self (自己・本質)である」と言ったのです。セックスのことを言っているのではありません。

リンガの垂直の部分はイシュワラ(Ishware・意識)を表している。そしてそれはマーヤー(幻影)に囲まれている。イシュワラが見えている間、マーヤーは隠れている。そんなふうには見えないかもしれないが、マーヤーが意識を覆い隠している。

あなたはそれを、こういうやり方で考えたことはあるか?
意識、イシュワラは世界、顕現に囲まれている。
あなたの中の神を認識するのを許さないのはマーヤーだ。意識はマーヤーによって覆い隠されている。
でもあなたがリンガの形だけを見るなら、あなたはそれを別の意味に取る。

私たちは皆マーヤーを見ることができる。でも、根本となる原理は意識だ。

この線香は燃えている。でも、その本質が燃えているのか? いいや。私たちは燃えているものしか見ない。
線香の材料は燃えている。でも、本質は残っている。本質は影響を受けるのか?
このことを理解するために、線香の例え話を受け入れなさい。
顕現に現れた Self (意識)は燃えているように見えるが、Self が燃えることはない。

物事は現われては消えている。でもそれは形が変わるだけだ。

火花が消えたらそれは死んだということか? あなたにそれが見えないと、それは死んだということか?

あるのは愛だけだ。

意識の中に留まることが本当の宗教である。
意識の中には宗教も無宗教もない。宗教は人間の知性の産物である。

人間の脳による計略がある。人間の脳が宗教を作り出した。

宗教では神を表すシンボルとして石を使う。
どうして石が神を表すことができるのか?
どうして石が意識を表すことができるのか?

Self (自己・本質)はそれ自身を知っているのか?

(質問者)すべての個人のbeing(存在・本質)のことですか? 私(my being)、あなた(your being)、彼(his being)?

一つの意識があるだけだ。

この形としての顕現として現れる前、私は存在(being)でも非存在(no being)でもなかった。
意識はこの形になって現れる。だから、この形は意識であると認識できる。

意識の中に現れるものはすべて意識の中に消えていく。でも、意識はずっと存在する。

あなたは、「私」が現れた後にしか世界を知覚することができない。

形が現れ、世界を知覚する。でも誰がこの顕現を知覚しているのか?

(通訳)彼は「もし私の気が狂っても、自分の本質を認識することはできるか?」と聞いています。

建物が建っていようと取り壊されていようと、空間はずっと存在する。

私が目を開けると、空間が形となる。その時だけ空間は形となる。

空間はマハラジ原理(究極)の上に成り立っている。マハラジ原理が空間の上に成り立っているのではない。

(通訳)これはポインターです。

それは言葉では説明できない。どうして言葉で言葉がやってきたもとを説明できるのか?
それを知覚するためには、「私」が必要だ。でも、言葉でそれを表すことはできない。言葉は、それでなないものを表すことができるだけだ。

あなたは究極のものを言い表すことはできない。それは描写することも、影響されることも、分解されることも、破壊されることもない。

あなたはこのことに賛成するかもしれないし、賛成しないかもしれないが、あなたの意見がこの事実を変えることはない。

パラブラフマン、究極のものはマーヤーの形となる。それは幻影である。

マーヤーは私たちのためにすべてのものに名前を与える。マーヤーが無ければ、「私はいる」という思考は消える。

すべてはパラブラフマンが創造するために起こってくる。起きること、眠ること、私はいるという感覚、そして三つのグナ。

あなたが誕生と呼ぶものはこの三つの状態の現われにすぎない。起きていること、寝ること、そして「私はいる」こと。あなたはその他に何か経験したか?

彼は何と言った?

(通訳)誕生とは体を認識することですか?

それはあとになってからだ。最初はこの三つの状態として現れる。
死んだ人は眠れるのか? 彼か彼女に意識はあるのか?

この三つの状態が現れる以前の、あなたは何だった?

あなたが存在するという感覚が一番大きな幻影だ。それは子宮の中で作られた。

あなたはここに座っている意識だ。いつ、どこで、あなたの意識は最初に現れたのか?

あなたの母親の子宮の中だ。

(通訳)子宮より前に存在しましたか?

あなたは何歳だ?

(通訳)43歳。

43年の最初の日があなたの受け渡し日だ。そうだろ?

あなたの母親の子宮の中で、この「私はいる」が形作られるまでに9か月かかる。あなたは今までこのことを考えたことがあるか?

確かにそれは、10か月目にあなたが生まれた日ではないが、あなたはそれを一日目と言う。わかったか?

(通訳)子宮の中で「私はいる」という感覚を認識するのですか?

それは子宮の中で現れる。

(通訳)子宮の前には存在しないのですか?

存在しない。

いわゆるあなたの誕生から、二年から三年の間は「私はいる」という感覚は不在だ。
あなたの体の中の意識があなたの排泄、排尿の世話をしている。
一年たって、あなたの母親があなたの名前を読んだ時初めて、あなたは自分が分離していることを理解する。

(通訳)一、二年後にやって来る「私はいる」という感覚は、表面的なことですか?

いいや。まったく表面的なことではない。子供は木のようなものだ。両方とも種から始まる。小さな種が芽を出し、自然に成長して大きな木となる。マンゴーの種は、初めは苦いが、やがて甘い実となる。同様に、「私はいる」も自然に現れる。それは誰かによって作られるわけではない。

人間の場合、ジュースすなわち知識が若い成人となるには25年かかる。誰がこれを知っているというのか? その頃それはピークに達し、そこから下り始める。

あなたはいつも誰か人のことを言っている。いつも何か新しいものを学び、どこか他を探している。でも、あなたの本当の正体は何だ? それを最初に理解しようとしなさい。

私たちの存在の感覚は持続期間を含んでいる。時間が終わる時、あなたはそれを死と呼ぶ。

(通訳)私たちは「私はいる」という感覚には多くを期待できません。

それが私が言っていることだ。意識 (Consciousness) だけを渇望し、切望しなさい。

彼に伝えなさい。欲望に影響されない者が真のマハラジ原理であると。

(通訳)私は彼にマハラジャとは何かを説明しています。

私たちは知識を伝えるために言葉を使う。でもあなたはあなたのできる範囲でしか理解できない。

「私はいる」は子宮の内容物だ。
私はあなたが英国出身だと感じる。そんな感じで子宮の中の胎児も知覚する。

私はあなたが昨日来ると思っていたが、かわりに今日やってきた。

思考は対象物として現われるが、それ自体は対象物ではない。

質問は?

ここまでで、あなたは何を理解した?

あなたはこれからどんな人間でありたい?

自身のアイデンティティーに執着することをやめなさい。それはやがて消えて無くなる。

これはとても重要なことだ。みんなが理解すべきことだ。

(通訳)大きな質問は、アイデンティティーについてです。

もし彼がこれまで理解したことに満足ならそれでいい。

聞こえない。

不完全な発言だ。

例えば母親が、自分の息子が結婚すると幸せを感じるのと同じような幸せをあなたが感じるなら、あなたの満足は対象物に依存している。

マハラジ原理は何にも依存していない。満足と幸福は何かに依存している。

私は言葉を使っている。もしあなたが言葉に満足しているなら、あなたは決して対象のない(理解)には到達しない。

(通訳)これを概念的に理解することはできますか?

あなたが理解できた時、あなたはもうここへは帰ってこない。あなたが帰ってくるということは、まだ本当の理解が起こっていないということだ。

マーヤーは意識の広告のようなものだ。でも私たちは広告が意識そのものだと混同する。

あなたはイシュワラのイシュワラだ。あなたの存在の感覚が、あなたの中に意識があるということを示している。

私はあなたを挑発している。さあ、始めよう。さあ。

あなたは言葉以前に存在する。

すべてのことがあなたの形に依存している。でもあなたは形の無いものだ。シバのシンボル、リンガは単なる石ではない。それは意識を表している。

リンガムは「私はいる」だ。単なる滑らかな一個の石ではない。それは力強い。それは命だ。でも、私たちはそれをセックスのシンボルとして言及する。

私に現実的な質問をしないでほしい。私はそういうことを話せない。私は決して肉体個人レベルの話はしない。「私はいる」に留まる。それがすべきことのすべてだ。

(通訳)私はただやり方を・・・。

いいや。それはやり方のことではない。執着しないでいなさい。「私はいる」に留まりなさい。現実的な質問をしないで。

意識は議論しない。マーヤーは議論する。そしてそれは食べ物によって維持される。

食べ物が無ければ死ぬ。そして「私はいる」は消える。意識はどんな観念も超えている。

私は一つの原理について話している。それはこの宇宙のどんなものにも影響を受けない。

それは「私はいる」という顕現以前にある。私たちのすべての行動は、「私はいる」という感覚の現われ出たものだが、それは実在ではない。それは幻影だ。究極のものは影響を受けない。

知る働き無しで、あなたは誰なのだ?
どうやって超えて行けるのだ?

もしあなたが存在しないなら、誰が超えて行くのだ?
最初に自分の存在を証明しなさい。それからやってみなさい。

排尿は自然に起こってくるプロセスだ。あなたはそれさえコントロールできない。あなたはどんなものも捨てる能力を持っていない。

時々排尿したいと思ってもできない時がある。あなたは医者に走って行き、医者があなたに注射すると排尿できる。それでもまだ私たちはその行為者だと思っている。
超えて行くことについて話す前に「私はいる」に留まり、それを維持しなさい。

ありふれた日常のことやスピリチュアルな活動が自然に起こってくるが、私たちは自分でそれをやっていると思い込んでいる。でもそれは私たちが不在の時でさえ起こってくる。

(通訳)何か興奮するようなことが起こっていました。ある男が彼自身に芽生えた善悪の認識を保持しようと決心しました。そしてその線に沿って旅をしました。誰かがやって来てその男に一緒に過ごす女が欲しいかと聞きました。そしてその男は自制心をすべて無くし、その男に従いました。

あなたの「私はいる」はやってきて、それをあなたは経験した。あなたは出来事が起きるのをただ見ていることしかできない。あなたは、何かをしたりしなかったりするために意識(Consciousness)を使うことはできない。

あなたの体との同化は、しっかりはまったネジのようなものだ。自分が個人であるというあなたの観念はネジのようなものだ。あなたはそれを緩めなくてはならない。

自分が人間であると信ずること・・・それはネジではないのか? それを手放しなさい。

個人としてのアイデンティティーを手放しなさい。そうすればネジは必要なだけ緩む。

あなたの本質は体でもマインドでもないと一旦理解したら、どんな進歩をあなたは見ることができると思うのか?

あなたを前進される理解を期待するな。肉体レベルから自分を切り離しなさい。そうすれば進歩が見える。

蟻は遅く、蛇は速い。どっちが進歩しているのだ? 前進とは何だ?

蛇は皮で覆われている。あなたの本当の形を包んでいるのは何だ?

あなたはどんな物質でできているのか?

体は概念だ。すべての形は概念だ。意識(Consciousness)には形が無い。

私はあなたに、子宮にいた9か月間に集中するよう求めている。10か月目のことは忘れなさい。

子宮の中にいた時のあなたのアイデンティティーは何だ?

あなたは一滴によって受胎された。そしてその9か月間は今の状態のもととなっている。

あなたは概念でいっぱいだ。あなたがこの世にやって来たこともまた概念だ。

あなたは今何を言っている?

あなたの体のネジはとても強く締まっている。
それを緩めなければならない。このことは昨日もあなたに言ったはずだ。

物事は起こってくる・・・。あなたの体との同化ネジはとても締まっている。あなたはそれを緩めなくてはいけない。

あなたは、どうやって幻影からあなたのマインドを自由にするだろうか?
あなたは、あなたの概念からどうやって自由になるだろうか?

私は、人間は進歩に関しては同じ問題に直面していることを理解し、自分でそれを切り抜けた。

彼は知識を集め、それをよく締まったネジのように保持している。
彼の生と死に関する知識は今この時点での彼の理解としては正しい。
あなたが何を理解しようと、ある一定の状態でそれは正しい。それは間違ってはいない。
でもそれは、その瞬間においてのみ正しく、ある時は肯定的に反応して成長し、ある時は停滞する。

私たちの間に違いが無いのなら、見せてみろ。
あなたは変わらないアイデンティティーを持っているのか?

あなたは概念でいっぱいだ。
私が言う通りにしなさい。

あなたのマインドはぐるぐる回り、想像する。もしあなたが自分の知性を利用したいと思うなら、子宮にいた9か月間のことを熟考しなさい。

あなたは思考ではない。
あなたは思考の産物に過ぎない。

(通訳)私は欲望を持たないことを望むことができますか?

できない。あなたは、あなたが欲望を望むことを望まざるえない。

本当のあなたが何なのかを説明するために、本当のあなたではないものは何なのかを示している。

本当のあなたは何であるかを示すためにできることは、本当のあなたではないものを実際に示すことだけだ。

私はあなたに、本当の物事を示している。あなたがそれをどう感じようが構わない。

世界を経験することは普遍的なものだ。それは私的な経験ではない。それは個人の経験ではない。それはみんなのためのものだ。
たった一つの意識(Consciousness)があるだけだ。
何も分離していない。
私はこの世界の五つの構成要素と一緒に存在している。そしてそれは私の中にもある。
五つの構成要素が経験することは何であれ、私も経験する。
それで、どうして個人の経験がありえるのだ?

五つの構成要素はその役割を果たしている。個人はやって来ては去って行く。
あなたもその一つだ。あなたは誰なのだ?

誰かであることを止めなさい。あなたは自分が五つの構成要素と分離していると思っているのか?

あなたは何か物なのか?

正しい時が来ると、五つの構成要素はあなたの中に私という感覚が、「あなた」となって現れる。
あなたが自分のことをどう思おうと、あなたは五つの構成要素から切り離すことはできない。

あなたは、自分は何だと思っている?

(通訳)私たちがやることはすべて、五つの構成要素とともにする遊びなのですか?

そうだ。でもあなたと一緒に実際に遊ぶのは五つの構成要素だ。

あなたが選択しているという考えを捨てなさい。そうして初めて、あなたは自由になるだろう。

あなたは他者を非難し判断している。自分だけを見つめ、自分が何なのかを自問しなさい。

それはあなたをどこへも導かないだろう。

まず、自分が何なのかを考えなさい。

周りを見回しなさい。あなたは自分が普遍的な存在であるとわかるだろう。
あなたは普遍的なものだ。空気、エーテル、土、水、火は普遍的であり、あなたもそれである。
人々はポットにある水は自分の水だと言うが、どうしてそうだと言える? すべての構成要素は普遍的なものだ。あなたもまた普遍的なものだ。

すべてのものは普遍的なものだ。そして私もそうである。私が言っているのは、あなたは意識(Consciousness)であり、肉体ではないということだ。

あなたは体の中に表現された意識だ。

もしあなたがすべてなら、どうして質問がやって来たり去ったりできようか?

(通訳)彼は尋ねています。もし誰かが彼に「一緒に行くか?」と聞いたら何て言えばいいのかと。

その時にあなたが感じたことが何であれ、そう言えばいい。

自分が思う通りにして言えばいい。私が誰に向かって言っていると思っている? あなたは普遍的なものだ。

(この部分の映像はダメージを受けています)という字幕

私は顕現と、あまねく広がりだけについて話している。あなたはそこから、個人であるあなたという断片だけを取り出すことはできない。

私たちは皆、宇宙の一部分だけを切り取っているに過ぎない。この段階であなたが何を理解しようと。それはあなたの理解する能力による。

このような馬鹿げた質問の答えに私との会話を使おうとは、あなたは何と愚かだ。

起きることは何であれ起きる。どうしてあなたは五つの構成要素について、また私は普遍的なものであり皆もそうであると話す必要があるのか?

あなたは普遍的な意識(Consciousness)だ。
あなたは being(本質・存在)にすぎない。誰を説得しようとしているのか?

あなたは留まることもできるし、立ち去ることもできる。どうしてあなたはこのことについて話したいのだ?

個人がいる限り質問、幸福と不幸がある。

(通訳)こうした質問はいつか無くなりますか?

どの質問だ? 質問は、あなたが体、もしくは一人の個人だと思った時にだけ存在する。

あなたは誰だ? もしあなたがそれを知らなければ、あなたは道に迷う。

私が言っていることはシンプルだ。死は避けられないのだから、どうして賢人たちが言うことが本当かどうか調べないのだ?
どうして彼らに耳を傾け、それが正しいか調べないのだ?

死がやって来る前に賢人かグルに従うことが必要だ。もしこの体とマインドが消えて無くなってしまうのなら、どうしてあなたはそれがあるうちに使わないのだ?
それはすべて消えて行く。

あなたは起きて、寝て、そして知識は消えていく。知っているだろ?
どうしてそれがあるうちに本当の自分を見つけないのだ?

偉大なる賢人(カビール)は言った。「もし内側で駆り立てるものがあるなら、真実を探しなさい。そうしないと道に迷う」
カビールだ。
もしあなたに興味がなければ、道に迷う。

あなたは無知の中で生きたいのか?
もしそうでないのなら、あなたのサットグルが言ったようにしなさい。
もしあなたがあなたのサットグルに従えば、あなた自身が完全は意識であるということを理解するだろう。

あなたは私の言うことを聞くか立ち去るかだ・・・。

あなたは留まるか立ち去ることができる。

私は概念を超えている。条件付けも非条件付けも超えている。
私には、良い悪いの概念はない。
それはどちらも同じだ。

私たちは熱い砂に住む虫のようなものだ。いつも助けを必要とする。
でも私は虫ではない。私は顕現であり、非顕現だ。

死は単に意識(Consciousness)と肉体の分離にすぎない。どうして恐れるのだ?
知っている人にとって、顕現と非顕現の間に分離はない。
死は起こる。もし、理解が常にあるなら、あなたにとって何も問題とはならない。

人間ではなく、聖者に従いなさい。

私は世俗的なアドヴァイスを当てにしていない。
過去も未来も今も当てにしていない。
世俗的なアドヴァイスは私には役に立たない。

あなたは私の会いに来ることもできるし、そうしないこともできる。
生命維持に不可欠な呼吸が体を去る時、マインドもまた去る。

食べ物の本質が無ければ「私はいる」は消えて、人々は私が死んだと言うだろう。

それはパラドックスではないか?

どうしてあなたは本当の自分を探さないのだ?
どうしてあなたは「私はいる」という知識を調べないのだ?
あなたの現在の状態で本当に永遠にあるものは何だ?

このことについて、あなたは以前に考えたことはあるか?
どうしてあなたは私が始めることを期待するのだ?
私に、あなたのために何をして欲しいと思っているのだ?

私たちは自分の体と完全に同化しているために男女の区別をする。しかし私にとってそれはどうでもよいことだ。

何も私に影響しない。
何も私に起こらない。

どんなアドヴァイスも私を乱すことはない。何もそれを乱すことはない。それは全体(普遍的なもの)だ。

あなたは、あなたから何も取り除くことはできない。
あなたは、あなたの体のごく一部を取り出すことができるだろうか?
あなたは何も取り出すことはできない。

たとえそれがどんなに好きなものでも、あなたはそれを後にしなければならない。
本当の自分は誰なのか見つけようとしなさい。

あなたは自分が成し遂げたことを考えている。
あなたは、あたかも自分が生まれたように考えている。
子宮の中の9か月間のことをよく考えなさい。
子宮の中にいた時、あなたは何だったのか?
今あなたはその体を持っていて、自分があれだこれだと考えている。
以前あなたは何だったのか?

あなたが子宮の中にいた時、あなたは、あなたとあなたの母親の違いを知らなかった。
あなたが母親の子宮にいた時、そのことに気づいていたのか?
あなたは自分が男の子か女の子か知っていたのか?
子宮の中で起こったことと、今起こっていることは何の違いもない。

私は知識としての「私はいる」ではない。
Gnaniでもない。
いずれにせよ、知識とは何なのだ?
知識とは食べ物のエッセンスにすぎない。
それが命の真実だ

私は砂糖ではない。どうして私が甘みであることができようか?
食べ物のエッセンスはあなたの体に特性を与える。
あなたは、あなたの体が好きかもしれないが、その形は食べ物のエッセンスにすぎない。

父親のルーツは何だ? それは子供だ。
でも、あなたは今までに、子供のルーツは何か理解しようとしたことはあるか?

体が終わる時、すべては消える。「私はある」という概念も消える。
見る者も見られる物も消える。そして何も意味をなさない。

私たちはどうすべきか?
知る働きの原理を理解し、人生を進んで行きなさい。
渦巻に巻き込まれた泳ぐ人のように川底まで潜らなければならない。
そしてそこから、渦の表面まで泳がなければならない。
そして初めて彼は自由になる。

ある人達は生まれ変わりについて話す。
どうしてそんなことが可能なのか?
誕生は知らない間に起きる。
自分が誕生したことを理解するのに数年かかる。

(通訳)それはアストラル体ゆえに起こります。

誕生は水から起きるのではないか?(液体?)

液体は出生に不可欠ではないのか?
両親の他に誰が液体を供給するのだ?
あなたは液体無しで、どうやって生まれ変わるのだ?
両親無しで、どうやって生まれるのだ?
あなたは、あなたを生んでくれたことを両親に感謝しなさい。

サティヤ・サイ・ババのような偉大な聖人はあなたに不足している知識を与えるために生まれた。
もしあなたにもっと良い考えがあるなら、私は脇によけるだろう。

男と女無しで誕生が起きるだろうか? 

彼は「ブラフマン」を達成するためにここにる。

もしあなたが、だれか個人の写真を撮ると、それはどんなふうに見える?
それはどんなふうに見える?
それは、彼もしくは彼女のパラブラフマンの写真だ。
それはどう意味か言うことができるか?
それは、サティヤ・サイ・ババや、他の偉大な聖人たちと同じだ。彼ら全部と。
彼らはすべて、パラブラフマンだ。
色もデザインもない。
あなたは私の言っていることを理解しているか?
私が話しているのは、パラブラフマンについてだ。(究極)
私が自分の本質(being)に気づいてない時、私が作り話に従わない時、そこには思い違いはない。そこには錯覚はない。
それがパラブラフマンだ。
あなたが本質を超えるか、本質ではない時、それがパラブラフマンだ。

80年前、私は何だった? 80、83年前、私はブラフマン(Consciousness)だった。私は完全なブラフマンだった。私は父という概念を理解しなかった。私は、どこからこの同世代が生まれたのかを知らなかった。私は存在、非存在の意識がなかった。今私はブラフマン(意識)の意味を理解し、それが私を囲んでいるのがわかる。しかし、この幻影には安定性がない。私は83年前知識が無かった。原初の錯覚が父、祖父などという概念と一緒に生まれた。人が誰かを出生させると父となる。誰がこの観念を創造したのだ? マーヤー。誰かが生まれると、その子供は誰かの父となる。繰り返し、繰り返し。

それはまるで夢の中を生きているようなものだ。
奇妙な夢。

私は幻影に騙され続けてきた。でも私のグルが間違った信念を終わらせてくれた。私のグルはパラブラフマン(究極のもの)だ。個人ではない。

人はその究極の状態へグルの助けのみによって到達することができる。
彼だけがあなたが頼ることができる財産だ。
グルはパラブラフマン(究極のもの)だ。それてパラブラフマンは私たちの永遠の財産だ。
私のサットサングは純粋なパラブラフマンだ。永遠だ。

彼は質問があるか?

私のグルのグルは呼吸が彼の肉体を離れようとした時に手を叩いた。

どうだ?

彼は死ぬことを恐れなかった。

(通訳)彼は、自分は数年前からそのようなことを言っていると言っています。

それで?

(通訳)彼はそれが本当か、彼が言ったことは正しいかと聞いています。

あなたが今まで聞いたことは正しいか?
あなたがこれまで聞いたことは間違ってないか?
ではどうして聞くのだ?
自信がないのか?

あなたは十分に成熟していない。
あなたの言葉はあなた自身のものではない。
あなたは、あなたが読んだことを言っているに過ぎない。

あなたが誰かに教える時は、あなたは完璧は言葉を使わなければならない。そうしないと意味が変わってしまう。
教えるためには、あなたは成熟しなくてはいけない。そうでなければそれはうまくいかない。
公式文書はきちんとサインされなければならない。
そうだろ?
公式文書は権威を持って、きちんとサインされなければならない。
そうでなければそれは無効だ。あなたにその権威があるか?
あなたにそれをする権威が持てた時、話すがいい。

人々は誰かの話を聞いて真似しようとする。

「ゴヴィンダ、ゴヴィンダ」人々は神の名を歌う。でも、彼らは神のことを知っているのか?

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(参考:セイラーボブがニサルガダッタ・マハラジのもとに滞在したのは1976年です。それから3年後の1979年にこのフィルムが制作されたことになります)