2026/07/10

それは単なる、純粋な「見ること」、純粋な「聞くこと」、純粋な「味わうこと」「触れること」「嗅ぐこと」なのです

では、次にどんな思考が浮かんでくるでしょうか?
それがどんなものになるのか、自分でも分からないことに気づくはずです。
思考はひとりでに湧き上がってくるものです。その思考を「考える主体」など存在しません。
感情を「感じる主体」もいません。
光景を「見る主体」もいません。
ただ「見ること」があるだけです。
「聞くこと」があります。
「感じること」があります。
「味わうこと」があります。
「触れること」があります。
「嗅ぐこと」があります。
「~すること(ing)」という表現は、まさにこの「今、ここ」で起きていることを示していますが、そこには主体と客体の分離はありません。
それは単なる、純粋な「見ること」、純粋な「聞くこと」、純粋な「味わうこと」「触れること」「嗅ぐこと」なのです。
「私は見る」と言うとき、あなたは主体、つまり概念的なイメージを作り出しています。
「感じる」「聞く」「感知する」と言うとき、触れられたもの、聞かれたもの、感じられたものすべてが「客体」になってしまうのです。
ですから、主体と客体という構図は二元論なのだと理解してください。
                                  セイラーボブ