ボブ:そこには知ること、純粋な知る働きがあります。それは他には何もない一つのものです。
質問者:それを知っても卒業証書はもらえません。つまり、そういう理解が起こったということです。でも、「今、あなたは知っています!」と誰かに認めて欲しいのです。
ボブ:ええ。今、あなたは理解したと言いました。今、あなたは知っています。まだ理解できないことがあるでしょうか? 例えばあなたは、これを知っている、あれを知っている、という思い込みがあります。知っていることに何かラベルを貼っています。でも、今あなたは知っています。その知る働きは今ここにあります。ただ純粋な知る働き。それに何かを加える必要はありません。何かを取り除く必要もありません。それを確かめることができたのではないでしょうか?
質問者:何かを知っていなければならないという考えを捨てればそうなります。
ボブ:ええ、では、何かを知っていなければならないという考えを捨ててください! 捨ててしまいなさい!あなたは知る働きを知る者と知る対象へと分割します。「私はこれを知らなければならない」と。あなたは知る働きを主観と客観に分割しました。その知る働きを否定することはできません。それで確認できたということです。それだけです。そして私たちは「ああ、でも!」と言います。「でも」に踏み込んだとき、あなたは遍在性から遠ざかっています。