2025/12/26

瞑想:何もあなたを幸せにすることはできない  ルパート・スパイラ

Meditation: Nothing Can Make You Happy
日本語で視聴することができます。54分と長いので時間がある時にゆっくり見てください。

YouTubeの解説(Google翻訳)

幸せになるには何が必要でしょうか?この瞑想では、幸せの探求について探究します。幸せは状況に左右されるのではなく、心と心に起こることだけによって決まることを発見します。継続的な平安と幸せを経験するには、今の状況に「はい」と言うことであり、「はい」とは私たちが瞬間瞬間に行う選択です。幸せとは、私たちが何をするかではなく、私たちが何者であるかです。

**********

タイトルが瞑想となっているので、目を閉じて何かするのかと思っていたら、ずっとルパートが話しています。ここで言う瞑想とは、すべてのことにイエスということを意味しています。私たちの不幸はどこから来るのか? それは現状にノーを言うことからくるのであり、ノーを言うのはマインドです。

そしてマインドの後ろにあるアウエアネス(この動画ではアウエアネスという言葉を使っている)の性質はイエスということ。幸せは外側の出来事にあるのではなく、内側にある。そしてそれはいつでもある。あたかも雲が青空を覆って見えなくしているように。そのことを理解するようにとルパートが話していきます。

そして最後にエンライトメント(ここでは悟りと翻訳されている)とは何か、サット-チット-アナンダとは何かについて語ります。この動画もまたすばらしい動画でした。

それにしても話がセイラーボブとよく似ています。雲の例えやサット-チット-アナンダなど。なぜこんなに話が似ているのか気になって、ChatGTPに質問してみました。

私の質問:ヒンズーの経典の中に、雲の後ろにはいつも青空があるという例え話のあるものがありますか?

以下ChatGPTの答え

とても良い質問ですね。
「雲の後ろにはいつも青空がある」というたとえは、ヒンドゥー哲学の核心である「永遠の真我(アートマン)やブラフマンの清明さ」を象徴する考え方によく通じています。ただし、**この表現そのもの(=雲と青空の比喩)**がヒンドゥー教の古典経典にそのまま出てくるかというと、直接的な文言としては登場しません。

しかし、非常に似た思想や比喩は存在します。
以下のような経典・思想に「雲と太陽/空」に関する象徴的な表現が見られます。

****一部省略***

☀ 後代の聖者たちの比喩
また、ヒンドゥー教の聖者やヨーガ行者たち(たとえばラーマナ・マハルシやスワーミー・ヴィヴェーカーナンダなど)は、よくこの「雲と空/太陽の比喩」を用いて真我の本性を説明しています。

ラーマナ・マハルシは次のように述べています:
「心の波立ちは雲のようなものである。真我は常に晴れ渡った空のように、静かで広大である。

************

きっと二人とも、このあたりの本を種本にしているんでしょうね。