2026/01/14

世界は幻か? ルパート・スパイラ

Is the World an Illusion?  Rupert Spira
日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→英語(自動生成)→英語(自動生成)→自動翻訳→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

このビデオクリップでは、ルパートは、世界は幻想であるという精神的な教えにおける一般的な誤解について説明しています。

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いにしえの賢者たちは、「世界は幻だ」と言いました。しかし、それは誤って解釈されていると言います。「世界は幻」ではなく、私たちが認識している世界が幻だという意味。つまり、私たちの有限のマインドで認識している世界が幻だといいます。

物質や思考は私たちが認識しているようなものではなく、それは意識でできている(意識に現れていると言った方がいいのかも)。スクリーンの上の映画のように、私たちはそこに世界があると思っているが、実際にあるのはスクリーンだけ。そのスクリーンが意識(ここではconsciousと言っている)。

ただし、私たちの体験は幻ではない。私たちは物質を体験して、コップを手に取って水を飲むこともできる。体験そのものは幻ではないが、それは幻の世界の体験。世界は意識でできているということを理解すると、世界の見え方が変わってくるのだそうです。

その意識が何なのかは私たちには理解できない以上、このあたりの説明は感覚的に理解するしかないのなぁと思います。

2026/01/12

なぜあなたは目覚めた時の経験を語らないのですか? ルパート・スパイラ

Why Don’t You Ever Talk about Your Awakening Experience?
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。10分。日本語音声を聞きながら、日本語字幕を見ることをおすすめします。そうするとどちらかの誤訳をカバーできます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

ある女性は、悟りの体験をしたものの、その後すぐに強烈な至福が消えてしまったと言います。真の本質を垣間見た後に経験した心の状態が、どうして簡単に消えてしまうのでしょうか?

ルパートは、それは単に高揚した心の状態だったと言います。真の本質を認識したわけではありません。真の本質は、一時的なものではありません。確かに、この認識が心身に非常に深い影響を与えることもありますが、それは真の本質を透明に認識したことによる副産物です。

真の本質を認識することは、はるかにシンプルで静かなものです。それは、あらゆる経験の背景に常に存在する意識の存在を認識することです。ただ、存在している、あるいは気づいているという事実に戻るだけです。それだけです。特別なことは何もありません。ある意味では、それほど静かであれば最も安全です。なぜなら、振り返って素晴らしい悟りの体験を主張することは決してできないからです。

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質問者の女性が一瞥体験のような体験を語りますが、ルパートはそれは単なる体験であり、エンライトメント(悟りと訳されている)とは何も関係ないと教えます。本質(ここではアウエアネスのことをそう呼んでいる)は行ったり来たりする体験ではなく、背景にあるスクリーンのようなものだと教えます。

質問者は途中でエックハルト・トールが突然それを体験した例を出しました。それに対してルパートはエックハルト・トールに敬意を表したうえで、その出来事は本を書くには良い出来事だが、エンライトメント(悟り)は体験する何かではない、と教えます。

私はエックハルト・トールの本は全部読んでいますが、非二元を学んでからは彼を支持しなくなりました。エックハルトが本に書いた体験が人々に誤解を与えていると感じたためです。エックハルトはあの体験のあと至福の状態で二年間毎日公園に座っていた書いています。あれを読んだ人たちは、エンライトメントがあると信じる羽目になります。

そして彼はそれを客寄せに使い、自らを覚醒した人であるかのように演じて大金を稼いでいる気がします。人々は自分もそれを手に入れたいと彼に群がるのです(かつては私もその一人でした)。その体験を嘘だと言うつもりはありません。でも、それは個人の体験であり、エンライトメントとは何も関係ないと思います。ルパートがそれをはっきりと指摘してくれてうれしく思いました。

エックハルト・トールの話のすぐ後に出てくる禅マスターとは鈴木俊隆(すずきしゅんりゅう)のことです。この話もおもしろいですね。

2026/01/10

瞑想:神の無限のマインドの中の一つの夢 ルパート・スパイラ

Meditation: A Dream in God's Infinite Mind  Rupert Spira
日本語字幕で見ることができます。1時間28分。この動画を日本語字幕で見るのは少し大変かなと思います。長い上に字幕が遅れたり正確でなかったり。でも、とても良い動画なので、備忘録的に載せておきます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

この瞑想は、意識の無限の性質の認識と、意識がすべての客観的経験の実体であるという感覚/理解を引き出す質問を提示します。

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タイトルの意味は、私たち一人一人が生きている現実は神の無限のマインドの中の一つの夢にすぎないという意味です。

私たちは、意識は私たちが生まれた時、つまり体が始まった時に起こったと思っていますが、そうではなく、それは始まりも終わりもなくずっとあるものだということを順に説明していきます。

それは駅のホームで電車が通りすぎるのを見ている人のようなもので、電車がやって来ては通り過ぎていくが、ホームの人はただそれを見ているだけという説明から始まります。

いろんな例えを使いながら、私たちの現実には実体がなく、一つの夢だということを説明していきます。

話を理解しようとしないで、感じてと言っています。
この動画を見た感想は、すっきりしたというよりは、そうなんだろうなぁ、という感じです。

2026/01/08

思考はマインドから起こっているのではない  ルパート・スパイラ

Our Thoughts Don’t Come From the Mind
日本語で視聴できます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

思考はどこから来るのでしょうか?ある質問者が、意識のみのモデル、思考の起源、心の本質、そして心の限界を超える方法について、ルパートと議論を交わします。

ルパートは、意識のみのモデルにおいては、無限の意識が文字通りすべてのものが生じる媒体であると説明します。思考は、歯痛のような個人的な経験、コロナウイルスのような心の外で起こる出来事、あるいは子供の頃の経験を通しての過去の経験によって条件付けられることがあります。

私たちは自分の経験を探求すればするほど、私たち一人ひとりの自己が無限の意識の自己であることに気づきます。そしてある時点で、個人的な思考や感情は静まっていく傾向があります。なぜなら、それらが中心に据えるべき明確に定義された個人的な自己、あるいは自我がもはや存在しないからです。心は限界を失い、無限の意識、あるいは宗教用語で言えば神の存在と一体であると認識されるまで、拡張していきます。

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意識(アウエアネス)の外には何もないという点ではセイラーボブの説明と同じですが、アウエアネスと思考のモデルをセイラーボブからは聞いたことがありません。ルパートの説明を鵜呑みにするわけではありませんが、説明が合理的で納得のできるものです。

大きな一つの意識があって、その局在化したものが個人の意識だという説明は説得力があります。そして私たちが死ねば、その局在化が消えて大きな一つの意識だけが残る。そう考えるのが合理的な気がします。局在化という言葉をルパートは使いますが、なかなかいい表現だなと思います。

2026/01/06

エンライトメントの探求  ルパート・スパイラ

The Search for Enlightenment
日本語字幕で見ることができます。
ところどころ意味不明の固有名詞や誤訳がありますが、話の大筋は理解できると思います。正確に知りたい方は文字起こし機能を使って英語字幕を出して、Google翻訳にかけてみてください。

YouTubeの解説(Google翻訳)

ある女性が悟りを求める旅について語り、ルパートにその旅を手放すための助けを求めました。
ルパートは、悟りは経験ではなく、単に自分の本質を認識することであり、人生におけるどんな経験も自分の本質を変えるものではないと説明しました。そして、あらゆる欲望の根底にあるのは幸福であり、欲望は私たちが欲する物ではないと説明しました。

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質問者の女性はエンライトメントの体験がしたくてルパートに質問をしますが、ルパートはエンライトメントは体験するものではないということを教え、エンライトメントとは何かを順に説明していきます。この動画でもルパートはエンライトメントとは何かを見事に教えてくれます。

ルパートがこれほどまでにセイラーボブと同じ説き方をするのにはちょっと驚きました。「あなたが五歳の時からずっと変わらずにあるものは何ですか?」

途中ルパートが尋ねます。「あなたは、ポルシェを手に入れたら不幸になり、ひどい中古のフォードを手に入れたら幸せになれるとわかっていたら、どっちを選びますか? ものすごいハンサムで知的で金払いのいい男と付き合えば、たちまちみじめなるが、見た目はそこそこで、まあまあ知的だけど、無職で金をあまり持っていない男と付き合い始めたとたんに幸福になれるとしたら、どっちを選びますか?」

私だったら、ポルシェとハンサムな方かなぁ。だから不幸なんやね。

2026/01/04

あなたが最初に目にするものは何でしょうか?

こう言いましょう。あなたが最初に目にするものは何でしょうか? それは空間ではないでしょうか? 空間は澄み切っていて、空です。
すべての顕現は空間の中で起こります。
つまり、顕現とは空間の内容物なのです。
空間がなければ内容物は存在し得ませんが、あなたは空間には気づいていません。明白なものに気づいていないのです。
あなたは内容物に気づいています。
さて、意識や認識についても同じです。
最初に起こるのは意識(アウエアネス)ですが、私たちは意識にとどまっていません。
私たちは意識に気づいているのではなく、意識の内容物に気づき、その内容物の中に何らかの解決策を探しています。
焦点をあの「存在」に戻しましょう。いや、実際には、戻すということでさえありません。そこから逃れることはできないのですから。そのことを理解してください。
                                    セイラーボブ

2026/01/02

瞑想:気づいていることに気づいていることが最高の瞑想である  ルパート・スパイラ

Meditation: Being Aware of Being Aware is the Highest Meditation
日本語字幕で見ることができます。43分。ゆっくり話しているので、日本語字幕はかなり正確です。

YouTubeの解説(Google翻訳)

あらゆる経験に深く浸透する、気づきの経験の探求。

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ルパートの動画の「瞑想」とタイトルがあるのは講話による瞑想のことです。対話形式ではなく、ゆっくり話しているので理解しやすいです。

この動画はすばらしい。ルパートは「私」とは何か?「私」に意識を向けるようにと導いていきます。そして最後に、エンライトメント(悟り)へと導いてくれます。それにしても、言っていることがセイラーボブとまったく同じ。

結局、非二元で教えている一番肝心な部分は、この動画に集約されるのではないでしょうか?

2025/12/31

良いお年を

少しだけ今年を振り返ってみます。2月6日にセイラーボブが亡くなりました。ボブは亡くなる直前までミーティングに参加して、自らが衰えていく様子も包み隠さず公開していました。非二元の教師は何も特別な存在ではなく、普通の人間であるということを示したという点ではよかったのかなと思います。

ボブが亡くなった時、不思議と悲しみや喪失感はありませんでした。苦しそうな様子をずっと見てきたので、早く楽にさせてあげたいと思っていたせいもあるし、ボブが教えているように、本質としての私たちは死ぬことも生まれることもないと思うようになったからなのかもしれません。

ボブが亡くなった後はカット・アダムソンによってミーティングが続けられています。そしてカリヤニとピーターも月一回程度、ミーティングを開催しています。こうやってボブの教えは受け継がれていくのだろうと思います。

私の方はといえば、ボブのポインターを中心に、佐々木閑先生のYouTubeなどをブログに掲載させていただきました。そして最近ではルパート・スパイラのYouTubeをたくさん掲載させていただいています。ルパート・スパイラの話は、とてもわかりやすくて有益なので来年も引き続き掲載していきたいと思います。まだAIの自動翻訳は完璧ではないのですが、日本語で聞くことができるのはありがたいことです。

どのビデオだったか忘れましたが、非二元の教えを理解して、それが深まっていくと、日常の世界にも浸透していき、生き方や見える世界が変わっていく、というような趣旨のことを言っているのがありました。非二元の教えは理解したら終わりではないと思います。多くの人がエンライトメントや覚醒のようなものが起こって突然悩みが消えるのではないかという幻想を抱いていますが、そんなことは起こりません。

非二元を表面的に理解するのはそれほど難しいことではないと思いますが、それが内側の世界にも外側の世界にも浸透していくのは時間のかかることだと思います。繰り返し教えに触れて学んでいくことが大切なのではないでしょうか。そしてそれはずっと続く終わりのない道のりだと思います。だからこそ多くの人がボブのミーティングに何度も通い、ルパートのリトリートに参加しているのだと思います。

多くの人が、非二元を理解しても何も変わらないし、ちっとも楽にならない、何の役にも立たないと言って離れていきます。でも、ルパートが言うように理解が浸透して内側も外側も変わっていくのは時間のかかることだと思います。私の探求は終わった、などと言ってみても何も変わりません。絶えず非二元を学んでいき、気がついたら何もかも変わっていたという具合に物事は起こっていくのだと思います。そしてこれはある意味終わりのない旅なのではないでしょうか。

私は友人のおかげでセイラーボブを知りました。そしてギルバートには仏教でも同じことを説いていると教えてもらい、佐々木閑先生や横田南嶺老師を知りました。カリヤニからはルパート・スパイラがわかりやすいと教えてもらい、今学んでいるところです。すべては縁によって私の前に現れた人たちです。これからもそうやって学んでいくのだと思います。

私は非二元に出会って本当に幸運でした。それ以前の私は長い間エンライトメント・覚醒を探していて、覚醒できない自分をみじめに感じていました。あのままだったら死の瞬間まで焦燥感を抱えたまま一生を終えていたことだろうと思います。私は生まれたことも死ぬこともない永遠不滅の一つのものだと知った今、そしてエンライトメントなんてものはないと知った今、もはや焦燥感もみじめさもありません。あとは非二元の教えを離れないで生きていけばいい。

まだまだ非二元を学びたいし、いろんな人の話を聞きたいと思っています。YouTubeのおかげで、いろんな人の話を直接聞くことができるようになりました。すごい時代がやってきたなと思います。

一人でも多くの人に非二元の教えを知ってもらいたいという思いで、来年もブログを書いていきます。YouTubeの自動翻訳を使えば、日本語以外の非二元の教師の動画もなんとか日本語で見ることができると知ったので、縁があればセイラーボブ以外の人もとりあげていく予定です。YouTubeの自動翻訳の精度は日に日に上がっていくでしょう。よかったら一緒に学びましょう。

2025/12/30

意識(アウエアネス)に気づくための練習はない ルパート・スパイラ

Abiding as Awareness is a Non Practice
日本語で視聴することができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

意識についての議論と、意識していることを意識することの明確化。

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「気づいていることに気づいている」とはどういう意味かということを説明していきます。なぜ私たちはアウエアネスを意識の対象とすることができないのか。
セイラーボブだったら、あなたはもともとそれなのです、と一言で終わりにしてしまうようなところをルパートは順序だてて説明していきます。

それにしても、セイラーボブとルパート・スパイラの使う言葉にはよく似た言葉があります。ルパートはspacelike presence awareness(空間のような現存のアウエアネス)という言葉を使いますが、ボブもspacelike awareness(空間のようなアウエアネス)という言葉を使います。空間(space)、アウエアネス、雲と青空の話などの同じ言葉や話。

おそらく二人とも同じような種本、もしくは同じマスターから学んでいると思われます。それがヴェーダなのかアドヴァイタなのか、具体的に何を学んだのか知りたいところです。

ロープを暗闇で踏んで蛇だと思う例え話はボブもルパートも引用しますが、これはヴェーダ(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)から来ています。この話は仏教でも出てきます。そういった言葉や話の源がわかれば、理解がもっとしやすい気がします。

2025/12/28

意識(アウエアネス)も常にそこにあります

ボブ:意識(アウエアネス)は、あなたが今夜ここにいる間もずっとそこにありました。あなたの頭の中で思考が巡り、活動が続き、部屋の中のものを見たり、聞いたりしていました。
その意識は常にそこにありましたが、あなたは気づきませんでした。

「空間のような意識」という比喩が使われるのと同じように、最初に何が見えるかと尋ねると、「部屋の中のものが見える」とあなたは言うでしょう。

最初に見えるのは空間なのに、あなたはそれに気づきません。つまり、空間も純粋な主体なのです。空間を探し始めるとすぐに、「ああ、ここに空間がある」と、それを客体化してしまうのです。

空間は常にそこにあります。
意識(アウエアネス)も常にそこにあります。

2025/12/26

瞑想:何もあなたを幸せにすることはできない  ルパート・スパイラ

Meditation: Nothing Can Make You Happy
日本語で視聴することができます。54分と長いので時間がある時にゆっくり見てください。

YouTubeの解説(Google翻訳)

幸せになるには何が必要でしょうか?この瞑想では、幸せの探求について探究します。幸せは状況に左右されるのではなく、心と心に起こることだけによって決まることを発見します。継続的な平安と幸せを経験するには、今の状況に「はい」と言うことであり、「はい」とは私たちが瞬間瞬間に行う選択です。幸せとは、私たちが何をするかではなく、私たちが何者であるかです。

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タイトルが瞑想となっているので、目を閉じて何かするのかと思っていたら、ずっとルパートが話しています。ここで言う瞑想とは、すべてのことにイエスということを意味しています。私たちの不幸はどこから来るのか? それは現状にノーを言うことからくるのであり、ノーを言うのはマインドです。

そしてマインドの後ろにあるアウエアネス(この動画ではアウエアネスという言葉を使っている)の性質はイエスということ。幸せは外側の出来事にあるのではなく、内側にある。そしてそれはいつでもある。あたかも雲が青空を覆って見えなくしているように。そのことを理解するようにとルパートが話していきます。

そして最後にエンライトメント(ここでは悟りと翻訳されている)とは何か、サット-チット-アナンダとは何かについて語ります。この動画もまたすばらしい動画でした。

それにしても話がセイラーボブとよく似ています。雲の例えやサット-チット-アナンダなど。なぜこんなに話が似ているのか気になって、ChatGTPに質問してみました。

私の質問:ヒンズーの経典の中に、雲の後ろにはいつも青空があるという例え話のあるものがありますか?

以下ChatGPTの答え

とても良い質問ですね。
「雲の後ろにはいつも青空がある」というたとえは、ヒンドゥー哲学の核心である「永遠の真我(アートマン)やブラフマンの清明さ」を象徴する考え方によく通じています。ただし、**この表現そのもの(=雲と青空の比喩)**がヒンドゥー教の古典経典にそのまま出てくるかというと、直接的な文言としては登場しません。

しかし、非常に似た思想や比喩は存在します。
以下のような経典・思想に「雲と太陽/空」に関する象徴的な表現が見られます。

****一部省略***

☀ 後代の聖者たちの比喩
また、ヒンドゥー教の聖者やヨーガ行者たち(たとえばラーマナ・マハルシやスワーミー・ヴィヴェーカーナンダなど)は、よくこの「雲と空/太陽の比喩」を用いて真我の本性を説明しています。

ラーマナ・マハルシは次のように述べています:
「心の波立ちは雲のようなものである。真我は常に晴れ渡った空のように、静かで広大である。

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きっと二人とも、このあたりの本を種本にしているんでしょうね。

2025/12/24

真理に最も近いと言われている原初の思考なのです

ボブ:存在の感覚は、マインドを通して「私は在る」という思考として表現されます。「私は在る」には意味はありません。「私は在る」という翻訳も無意味です。「私は在る」なんて存在しないのです。

質問者:その通り!

ボブ:もし「翻訳」という言葉があなたを混乱させるなら、使わないでください。

質問者:ええ、「私は在る」という思考はちょっと扱いにくいんです。なぜなら、それが真実に最も近いとみなされることもあるし、既に堕落(原罪)だとみなされることもあるからです。

ボブ:ええ、それが原初の思考です。真理に最も近いと言われている原初の思考なのです。

2025/12/22

自己探求はどうやったらいいのですか? ルパート・スパイラ

How Do I Practice Self Enquiry?
日本語で視聴することができます。自動翻訳は I (私)をeye(目)と誤訳している箇所があるので注意。

YouTubeの解説(Google翻訳)

ある女性が自己探求(不幸な自分を見つけること)のプロセスを理解しようとしており、ルパートにその仕組みを説明してほしいと頼みます。

彼はいくつかの素晴らしい例えを用いて、その意味と自己探求のプロセスを明確に説明します。
「今、自分の経験を探求してみると、真に自分自身と向き合い、自分が何者であるかを発見し、それから再び振り返って不幸を探しても、もはやそれを見つけることはできないことに気づきます。つまり、不幸の原因は人間関係でも、状況でも、活動でもありませんでした。そして、この不幸の原因の発見こそが、真の幸福がどこにあるのかというヒントを与えてくれるのです。」

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ルパートは不幸な女性が、その不幸の原因は何にあるのかを探すことによって、自分とは何かを見つけるやり方を説明しています。私( I )は自分とは思考や感情のかたまりのことだと思っているために、その思考や感情が不幸な経験をすると、自分は不幸だと思うことになる。

しかし、思考や感情はやって来ては去っていく。では、去っていくことの無いものとは何か? それを順番に説明していき、最後に幸福とは何かを教えています。
どこかで聞いたような話ですが、何か新鮮な感じがします。

2025/12/20

内側の平和にたどり着くにはあとどれくらいかかりますか? ルパート・スパイラ

How Much Longer on the Path to Inner Peace?  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

人は内なる平安への道をあとどれだけ歩まなければならないのかを知りたがります。いつになったら真の本質を認識し、それとして生きられるのでしょうか?

ルパートは言います。「あなたがおっしゃっているのは、認識の欠如ではなく、認識はすでに起こったということです。しかし、40年間、世俗的な対象に幸福を求めてきた古い習慣がまだ残っており、その後、精神的な伝統の中で悟りを求める、より洗練された衝動が芽生えています。その衝動はまだ収まっていないのです。」

「しかし、この集団の中に留まれば、その衝動は徐々に収まり、真の本質の平安の中に身を置くことになるでしょう。しかし、その過程が完璧になるまで待つべきではありません。思考、感情、行動、そして人間関係のレベルで、私たちは決して完璧ではないと思います。心身が非二元の理解によってより深く浸透する余地は常にあるのです。」

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近道はないのか? そして悟りとは?  質問者は、もう自分はいい歳なので自らの本質を知る近道を教えて欲しいと尋ねます。それに対してルパートは、ここで体験した内側の世界についての思考や感覚が外側の世界の活動や関係性と一致、統合されるのは時間がかかることであり、それには終わりがないと答えます。そして、あなたはここで瞑想して自らの本質を体験して、もうすでにそれを理解して知っているにもかかわらず、もっと素敵なエンライトメントを求めてしまうのです、と答えています。

2025/12/18

どこにも分離はありません

質問者: エネルギーは記憶を保持できますか?

ボブ: エネルギーは記憶です。記憶はエネルギーです。この二つを切り離すことはできません。

質問者: 光線を捉えることはできますか?

ボブ: 私は光線です。

質問者: つまり、これまで生きてきたもの、あるいは死んだものはすべて、今ここにいるということですね。なぜなら、この瞬間しか存在しないからです。

ボブ: その通りです。だからこそ、仏陀は「すべての衆生はあなたの父であり、あなたの母であった」と仰ったのです。そして、あなたも今、衆生なのです。ですから、あなたは他のすべての衆生の父であり、母であったに違いありません。どこにも分離はありません。

2025/12/16

人生の本当の目的  ルパート・スパイラ

The True Goal of Life  Rupert Spira
日本語音声、もしくは日本語字幕で視聴できます。音声の方が翻訳が正確です。

YouTubeの解説(Google翻訳)

人生の目的と目標についての対話。真の幸福を得るために何が必要か、そして幸福と真の目的を見つけるための鍵を見つけること。

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人生の目的は何ですか?という問いに対してルパートは、「幸せになること」と明確に答えます。

ルパートはアムステルダムの街を歩きました。そこにはバンジージャンプをする人たち、教会でミサに参加する人たち、そして売春街で女を買う人たちがいました。彼らは皆同じことを求めてその行為をやっています。それは、分離した自己の喪失を味わうこと。つまり、無限のアウエアネスを味わうということです。

私たちの本質は無限のアウエアネス(意識)ですが、誤った思い込みや感情のベールがそれを見えにくくしています。それを取り去ることが分離した自己のやろうとしていることです。

無限のアウエアネスは幸福そのものです。私たちは皆そのことを知っています。だから、それを味わおうとして外側の世界にそれを求めるのですが、実際には幸福は外側の原因にあるのではなく、内側にあります。人生の本当の目的は、誤った思い込みや感情のベールを取り去ること、それが幸福になるとことです。という話でした。

途中、ラマナ・マハルシに突然起こったことの説明も出てきます。こういう体験を一瞥体験というなら、それもありだと思います。でもそれはあくまで疑似体験にすぎません。

YouTubeの翻訳はどういう仕組みなのか知りませんが、字幕と音声は別の翻訳になっていて、字幕より音声の方が誤訳が少ない印象です。でも、音声は早口になると誰の発言かわからない時があります。一番良いのはもちろん英語で聞くことです。時間と多少の英語力のある方は英語の文字起こし機能(もっと見るをクリック)を使って見ることをおすすめします。

2025/12/14

アウエアネス(意識)とは何か? ルパート・スパイラ

What is Awareness?     Rupert Spira
日本語字幕で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳。ただし、気づきという言葉を(アウエアネス)で補足)

自身の経験を必死に理解しようと努める女性が、ルパートに「気づき(アウエアネス)とは何か?」と問いかけます。そして、人生の中でどのようにこの問いを理解しようとするのか、彼女は気づき(アウエアネス)が存在しない時期があることを説明します。ルパートは、気づき(アウエアネス)の概念、そして意識と存在がいかにして気づき(アウエアネス)であるかを、わかりやすく解説します。

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深い眠りの中にもアウエアネス(awareness)はあるということ、それが無かったことなど一度もなかったと説明しています。このあたりの説明はボブとまったく同じで、どうして深く眠ったと言えるのかという問いから始まります。深く眠ったのを覚えているのは何なのか?

マインドは主体であり、マインドは客体を認識する。ところがアウエアネスは主体であり、そこにマインドがない状態(深い眠りの中)では、マインドとっては何も認識する対象がない。しかし、それでもそこにはアウエアネスがある。そもそもマインドはアウエアネスを認識することはできない。

そして最後には私たちは生まれることも死ぬこともなく永遠に輝き続けるもの。限界のないもの。幸福と平和がそのものだと言っています。

動画のAIが「awareness」を「気づき」と訳さずに、「意識」と訳してくれたおかげで、割とわかりやすい字幕になっています。時々わけのわからないところもあるけど。

2025/12/12

あなたは常に存在し、これからも存在し続けます

ボブ:それでもそれは意識、あるいは生命の本質と言われているものです。それはあらゆるものとして表現されています。
私は青い海の例えを使います。海に行くと海は青く見えるでしょう。バケツで海の水を汲んでみてください。海は青くないこと、今も昔も青くなかったことが分かります。しかし、それがどのように表現され、見えるかを止めることはできません。青く見えてはいますが、その真実を知れば、青いという誤った思い込みから解放されます。

それを探求すれば、自分が別の存在であるという誤った信念から解放されます。あなたは、あらゆるものとして現れ表現されたたった一つの生命の本質であることに気づきます。
あなたは常に存在し、これからも存在し続けます。それは肉体を持たず、マインドも持たず、時間も空間も持たず、誕生も死もありません。これらすべてを含んでいます。その逆ではありません。

2025/12/10

あなたは純粋な知性である  ルパート・スパイラ

You Are Pure Intelligence   Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(自動翻訳)

存在の本質は純粋な知性として説明することができます。それは私たちの本質、そして愛、慈悲、知恵といったいわゆる意識の性質とどのように関係しているのでしょうか?

ルパートはこう言います。「知識には常に形がありますが、あらゆる知識の源である認識は形がありません。そして、純粋な知性は形がないからこそ、あらゆる一時的な形、つまりあらゆる考えや経験をとることができるのです。」

「認識とは、あらゆる経験を照らし出し、あらゆる経験を認識可能にするものですが、それ自体は経験ではありません。それは純粋な輝き、純粋な知性に過ぎません。」そして、あなたは常にそれなのです。

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純粋な知性(pure intelligence )、純粋な意識(pure consciousness)、知る働き(knowing)など、セイラーボブが使う言葉と同じような言葉、同じような内容が出てきて興味深かったです。スクリーン(日本語訳では画面となっている)の例えは全く同じ。「あなたは純粋な知性なのです」だなんて、ボブとそっくり。この二人はどっちかがパクっているんじゃないかと思うほど似たことを言う。でも、ボブの場合は「純粋な知性エネルギー」と言うことが多いので少しは違う。まあ、同じことを教えているのだから、似ていて当然なんですけど。

セイラーボブの場合は、どちらかというと感覚に訴える説明が多く、いわば右脳に訴えるような感じですが、ルパートの場合はもう少し細かい説明があって、左脳に訴えるような感じがします。

理屈を求める人にとってはボブの説明よりルパート・スパイラの説明の方が向いている気がします。私はセイラーボブから学んだので、ボブの説明のやり方が好きなのですが、人に説明するにはルパートの説明の方がわかってもらえるのかもしれません。

2025/12/08

あなたと私は、そのひとつの本質なのです

質問者: なぜ「知性エネルギー」という言葉を使うのですか? それが一つのものだからですか?

ボブ: そうです。私が話しているのは知的能力のことではなく、この宇宙全体をパターン化し、形作り、機能させている知性のことです。この部屋には様々なレベルの知的能力の人がいます。あなたはおそらく私よりもずっと賢いでしょう。それが知的能力です。

しかし、知性は私たちを一つのものとして作り上げ、形づくり、形成しています。
あなたと私は、そのひとつの本質なのです。
「あなた」も「私」も実在ではありません。

2025/12/07

カリヤニとピーターのサイトの紹介

カリヤニとピーターのウエブサイトがリニューアルされたので紹介します。


個人セッションもやっているようです。もちろん英語で会話できる必要があります。
でも、会話そのものは私の純ジャパへなちょこ英語でも大丈夫なので、自信のある方はどうぞ。価格は応談のようです。

私はカリヤニとピーターの個人セッションを受けたことはありません。
でも時々思うのは、オーストラリア滞在中に彼らの個人セッションを受けていたら非二元を理解するのがもっと早かったかもしれないと思う時があります。

お二人とも相変わらず若々しくお元気そうです。それにしても立派そうな家。ゴールデンリトリバー?飼ってるんか。

2025/12/06

誤った思い込みを解消する  ルパート・スパイラ

Dissolving False Beliefs  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(自動翻訳)

これがすべて夢だと知ることは、どのように誤った信念に対処するのに役立つのでしょうか?非二元的な理解は、夢の様々な側面を変えることを可能にするのでしょうか?

ルパートはこう言います。「すべてが夢であるというこの理解は、二元性という幻想を見透かし、その根底にある唯一の現実を見出すことを可能にします。夢は依然として主観と客観という観点から構築されており、それ自体は変わりません。しかし、私たちがこの世界でどのように活動するかは確かに変化します。」

「私たちのオペレーティングシステムは、分離のパラダイムから一体性のパラダイムへとアップグレードされ、それは私たちの考え方、感じ方、行動、そして人との関わり方を根本的に変化させます。私たちの世界が今日の状態にあるのは、分離という誤った信念に基づいているからです。」世界社会にとっての究極の解決策は、この一体性の理解にあると私は考えます。それが人類の唯一の希望なのです。」

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セイラーボブは非二元を理解すると何が起きるかということをあまり話しません。そこにはほのかな喜びがあるとか、ほのかな愛がある、と表現します。でも、ルパートは、世界が夢であるということを理解すると、内側の世界も外側の世界も変わっていく、人との関係性も変わり、世界が変わっていくと説きます。このあたりがルパートの人気の理由ではないでしょうか。

内側の世界も外側の世界も良いものに変わっていくなら、誰もがそう願ってルパートの教えを理解しようとします。私たち一人一人が分離した存在だと信じることが世界で起きている問題の根源であり、その唯一の解決策は、私たちは一つの無限の意識だということを理解することだと言います。

そしてこの動画では質問者に、来週一週間、行動する時は自分や人々の背後には一つの無限の存在があるのだということを意識して行動するようにとアドバイスします。

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ルパート・スパイラのミーティングが気になって、ルパートのサイトで調べてみました。ルパートは年に何回かEvening Meeting(2時間)をやっていて、申し込みをすれば誰でも参加できるようです。参加費はドネーションとなっています。どのくらいが相場なのかはちょっとわかりません。今時は円安のせいでイギリスへ行くだけでも大変なので、行こうという気は起きませんが、実際に会ってみたい気がします。

リトリートの方はどうかというと、一週間ぐらいのものが年に何回かあります。宿泊食事込みの料金なので結構高い。その余分に開催場所まで行く航空券代を考えると、これまた行く気になれない。ルパートは1960年生まれ、現在65歳。そのうち日本に来ないかな。来ないな、たぶん。

2025/12/05

「Rupert Spira 非二元のエッセンス」YouTubeの紹介

以前にもこのブログで紹介しましたが、ルパート・スパイラのYouTube動画に和訳をつけて公開されている方がみえます。説明によると、ルパート本人の了解のもとで公開されているようです。わかりやすい和訳がついているのでとても参考になります。再度ご紹介させていただきます。


このYouTubeをやってみえるのは堀田 真紀子さんです。
サイトでは非二元関連や奇跡のコースについてもいろいろ書いてみえます。


堀田 真紀子さんのサイト

2025/12/04

意識はずっとそこにありました

質問者: 深い眠りの中でも意識に気づくことができると聞くと、とても興味をそそられます。どうしてそんなことが可能なのでしょうか?

ボブ: あなたは自分が無意識であることに気づいています。朝起きたとき、「ぐっすり眠れた」と言いますが、どうしてそれがわかるのでしょうか? 何も起こっていないと意識していたに違いありません。眠っていた時、マインドは休止状態でした。しかし、呼吸は続いていて心臓は鼓動し食べ物は消化され、細胞は入れ替わっていました。多くの活動が起こっていたにもかかわらず、思考、あるいはうわべ上の意識は休止状態でした。休んでいたのです。

深い眠りの中で誰かがあなたに呼びかけると、あなたはそれを聞きます。聴覚はまだそこにありました。彼があなたを揺さぶると、あなたは目を覚まします。マインドが動き始めます。

意識はずっとそこにありましたが、あなたはそれに気づいていませんでした。今、あなたが意識に気づいていないのと同じように。あなたは今、意識がないのですか?  意識はそこにあります。注意が向けられるまで、あなたはそれに気づきませんでした。

「ああ、そうだ、私は気づいている」と口にした瞬間、あなたはそれを客体化してしまいます。つまり、客観化したのです。
しかし、それは完全に主観的なものなのです。

2025/12/02

私は教師ではなく、アーティスト ルパート・スパイラ

I’m an Artist, Not a Teacher  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(自動翻訳)

ダイレクトパスにおいて、「スピリチュアル・ティーチャー」の役割は依然として重要なのでしょうか?人は、真の自己を認識することで人生が改善されるかどうかを知りたがります。では、非二元的な理解によって影響を受けていないように見える人生の側面はどうでしょうか?

ルパートは言います。「はい、人生が改善されることは期待できます。通常はまず内面的な面で、平穏や充実感といった面で変化が現れ、やがて、私たちの世界に対する経験もこの新しい理解を反映します。しかし、これには通常、より長い時間がかかります。」

「私も同じです。私の経験のあらゆる側面がこの理解と100%一致しているとは言えません。私にも盲点があり、自分が完璧であるかのように装わないことが重要だと思います。」

「しかし、教師であることに伴う完璧さの投影に惑わされないことが重要だと感じているだけでなく、教師であることの投影さえも信じていません。」自分を先生だとか、あなたを生徒だとか思うのは傲慢でしょう。私はむしろ、真実への理解と愛を分かち合うアーティストです。ただそれだけです。先生と生徒の関係なんて、余計な負担です。ここで私たちがやっていることは、全く必要ありません。

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質問者は自己の本質を理解すると、自分の人生が変わると期待していいのか?と尋ねます。それに対してルパートは、まず内側が変わり、平安がやってきて、人の発言で傷ついたりすることが減っていくと言います。そして外側も変わっていき、対人関係や周りの状況が変わっていくが、それには時間がかかると答えます。

その変化は、ある日突然起きるのではなく、長い時間をかけて自分でも気づかないうちに少しづつ起こる。それはあとで振り返って気づくと変わっていたというように起こる。しかもそのプロセスは終わりがなく、ある意味一生続くと言います。

そしてすべてが完璧になるわけではなく、ルパート自身にも理解の及んでいかない領域(自動翻訳では盲点と訳されている)があると言います。(繰り返し繰り返し同じような問題や悩みが起こってくる領域があるという意味だと思います)。

そしてルパートは「私には何も教えるものがない」と言い、私とあなたたちの関係は教師と生徒でなく、友人であり、考えをシェアしているだけだと言います。あたかもアーティストが聴衆と音楽をシェアするように。

この話はとても意義深いものだと思います。多くの人は非二元を理解したら、ある日突然悩みから解放されてスッキリするだろうと思っていますが、そんなことは起きない。理解が浸透して少しづつ変わっていくが、その過程には終わりがなく、体とマインドがある以上は完璧にはなりえないと教えています。

インターネットの発達に伴い、多くの人が短絡的になっている気がします。非二元の本を数冊読んで非二元を理解したい、誰かのブログを読んで手っ取り早く非二元を理解したい、セミナー、リトリートに参加すればすぐに非二元が理解できて悩みも消えるだろう、と考えます。

でも、本当の理解はそんなに簡単に起きるものではなく、あれこれと自分で試してみてやっと起こる。運よく理解したとしても、それが浸透して内側と外側が変わっていくのはルパートが言うように長い時間のかかることだと思います。多くのマスターは完璧を演じようと努めますが、ルパートにはそんなところが微塵もない。私も完璧じゃないよ、というルパートの正直な態度が好きです。

2025/11/30

意識(アウエアネス)は常にそこにあります

ボブ:意識(アウエアネス)は常にそこにあります。

質問者:深い眠りの中でもですか?

ボブ:意識が生のエッセンスとして働く時、生のエッセンスは確かにそこにあります。深い眠り、麻酔状態、あるいは無意識の状態でも、心臓は鼓動し、体は呼吸を続け、生は続いています。マインドは活動を停止している、それだけです。
そして、精子と卵子という二つの微小な粒子も知性エネルギー、つまり知る働きに満ちています。精子は卵子に向かって泳ぎ回り、本能的にどこへ行くべきかを知っていました。それも常に生のエッセンスだったのです。

2025/11/28

スピリチュアルの教師:最後の失望  ルパート・スパイラ

Spiritual Teacher: The Final Disappointment  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

人生において、あらゆることが私たちを失望させ、裏切った時、私たちはしばしば、スピリチュアルの教師が最後には私たちの望むものを与えてくれると期待しますが、結局また失望させられるのです。では、私たちは誰を本当に信頼し、頼ることができるのでしょうか?

ルパートは言います。「良い教師は、私たちにとって最後の失望となるべきです。ですから、教師や教えに失望したとしても、それは良い兆候です。理解が深まった証拠です。自分が心を捧げてきたものに失望させられ、以前頼っていた教えの力がもう失われていると感じるのは、辛いことです。

「でも、それは良いことです。なぜなら、あなたは自分自身をより深く掘り下げなければならないからです。教師や教えに頼るべきではありません。結局のところ、あなたは自分自身、自分自身の存在だけに頼るべきです。でも、私はいつもあなたの友人としてここにいます。それは奪われることはありません。愛は奪われることはありません。」

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セイラーボブも、覚醒(エンライトメント)などないと言って私を失望させました。おまけにミーティングの最初にボブは必ず、私は何も教えないし、教えることは何もないと言ってからミーティングを始めました。

師を求めて訪ねて行っても、師は覚醒した人ではなく、何も教えることはできません。自分で調べるしかないのです。本当の道は教師に失望したところから始まります。教師を信奉して、私も覚醒したいと迷走(瞑想ではなく)していた昔がなつかしいです。ルパートは偉ぶるわけでもカリスマ性をまとうわけでもなく、普通の人として語りかけてくれます。こういう態度こそが本物の教師ですね。

2025/11/26

あなたは純粋な意識、純粋な知性エネルギー、他には何もない一つのものなのです

ボブ:あなたは自分が存在していることを知っていますね。

質問者:自分が存在していることを理解することと、非二元性を理解することは、同じことなのでしょうか?

ボブ:はい。理解こそがすべてです。ニサルガダッタは「理解こそがすべてだ」と言いました。パタンジャリは聖典の中で「正しい理解こそがすべてだ」と言っています。

質問者:そこで、「何を理解すべきか?」ということになります。

ボブ:あなたは肉体でもマインドでもありません。あなたは純粋な意識、純粋な知性エネルギー、他には何もない一つのものなのです。

2025/11/24

教えられない教え ルパート・スパイラ

The Teaching That Cannot Be Taught   Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

逆説的な精神的教え、すなわちアジャーティヴァーダ(何も存在しない、あるいは存在しているように見えることさえないという主張)とヴィヴァルタヴァーダ(少なくとも世界は存在しているように見えることを認めている)を、私たちはどのように理解できるでしょうか?

ルパートはこう言います。「アジャーティヴァーダは絶対的に真実ですが、それに基づいた教えはあり得ません。あなたはどうお考えですか?たとえこの分野においてさえ、世界も心も苦しみもないと言うのは失礼でしょう。ですから、すべての教えはアジャーティヴァーダから一歩下がり、ヴィヴァルタヴァーダの観点、つまり現象の観点に立って語るのです。そして、それは当然のことです。」

「しかし同時に、私たちは特異な集団です。私たちは真実を知りたいと願い、山の頂上まで行くことを恐れません。ですから、たとえ自分の経験と合致させられなくても、現実の観点から見れば、世界も心も苦しみもないことを理解しているのです。」しかし、それは虚無主義的な哲学ではありません。私たちの日常生活や、私たちが感じている現実、苦しみ、悲しみ、喜びを否定するものではありません。」

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質問者は深いレベルで無限の意識(ここではボブのいうアウエアネスのことをそう表現している)とつながることができないが、どうしたらいいのかと尋ねます。それに対してスパイラは、例えばコップを見る場合、コップと距離を置いて私という主体がなければコップを見ることができない。物を見るには主体と客体の関係が必要だと説明します。

目は目を見ることができません。そこには主体と客体という関係が成り立たないからです。無限の意識は無限の意識を離れて無限の意識を見ることはできません。そこには客体となるいかなる点も場所もないからです。無限の意識は無限の意識のことしか知らず、それ以外のことは何も知りません。

私たちが無限の意識を知ろうとしても、無限の意識には客体になるような点がなく無限のものなので客体にはなりえない。そのためそれを客体として知ることはできない。私たちが唯一できることは、意識に気づいているという事実だけ。

この話はとっても難しい話でした。

2025/11/22

植物は生来の知性に満ちています

質問者: それは非観念的な意識です。植物が太陽の方を向いているのさえも、非観念的な意識と言えるのではないでしょうか。実は、それこそがアウエアネス(意識)なのです。植物は太陽の位置を認識しています。しかし、植物にはマインドがありません。非観念的な意識なのです。

ボブ: ええ、植物は生来の知性に満ちています。地中に根を張り、土から栄養分を吸収します。私たちにはそんなことはできません。小さな植物の葉っぱを噛むくらいです。植物ならできるんです!なんて素晴らしいのでしょう!

2025/11/20

何も存在しない ルパート・スパイラ

Nothing exists    Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

アジャーティヴァーダとは、何も存在しない、あるいは存在するように見えるものさえ存在しないという主張です。しかし、それが明らかに私たちの経験と矛盾する場合、どのようにしてそう言えるのでしょうか? ヴィヴァルタヴァーダは少なくとも、世界が存在するように見えることを認めています。では、私たちはこれをどのように理解できるでしょうか?

ルパートはこう言います。「もし無限が真に存在するすべてであるならば、その視点こそが唯一の真の視点でなければなりません。そして、その視点から見ると、無限以外のものは存在できないだけでなく、無限以外のものの出現さえも経験することができません。なぜなら、出現を経験するには、有限の視点から経験しなければならないからです。」

「ですから、無限の純粋な自己経験においては、顕現はおろか、顕現の出現さえも存在しません。一方、私たちの有限で限定された、局所的な視点からは、たとえここで私たちが行っているように、その顕現の実在性に疑問を抱いたとしても、世界の出現は間違いなく存在します。」

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一般的に、「何も存在しない」と言う時、それは私たちの視点から見た場合を言います。
このYouTubeでルパートは全く別の視点で説明します。私たちが個人のマインドとしてとらえている世界は現実としてそこにある。しかし、無限のもの(ここではボブの言うアウエアネスをそう表現している)の視点に立つと、そこには何もない。無限のものは私たちのマインドの視点に立って世界を見る事ができない。

マインドという主体があって初めて世界という客体を見る事ができるが、無限のものがマインドという主体になることはできない。そのため、無限のものの視点に立つと、そこには何もないということになる。サンスクリットの経典に書かれている意味は、無限のものの視点に立って書かれたものであり、そこには何もないと説く、という説明です。

ルパートの説明は、無限のものの視点に立って説明しているという点が新鮮で説得力があります。いくら私たちが「何もない」状態を体験しようとしても、それはできません。無限のものの視点に立つことができないからです。

2025/11/18

佐々木閑先生のYouTubeから 哲学者田山令史先生との対談

この動画では唯識の話が出てきます。話を聞いていると、非二元の話のようにも思えました。直接非二元とは関係ないかもしれませんが、興味深い話なので掲載させていただきます。

哲学者田山令史先生との対談第1回(場所は先斗町のレストラン,オードビー)

哲学者田山令史先生との対談第2回(場所は先斗町のレストラン,オードビー)

2025/11/16

深い瞑想のあと、なぜ純粋な意識を思い出すことができないのでしょうか? ルパート・スパイラ

Why Don’t I Remember Pure Awareness After a Deep Meditation?  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

なぜ深い瞑想の後、純粋な意識を思い出すことができないのでしょうか?これは、私たちが真に無限の意識を経験していないことを意味するのでしょうか?

ルパートはこう言います。「無限の意識を思い出すことはできません。なぜなら、すべての記憶は有限の心の中で起こり、有限の心が知っていることはすべて、その限界によって条件付けられているからです。すべての記憶は、定義上、一時的で有限です。」

「しかし、意識の経験を思い出す必要はありません。なぜなら、あなたは今、気づいているという経験をしているからです。意識は常に自分自身を認識しています。たとえそれが背景に消え去っているように見えても。それは私たちにとって最も根源的で、明白で、親密な経験です。私たちがそれを見落としているのは、他のことに気を取られているからです。」

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質問者は、瞑想してその状態に入ろうとするとすると落ち込むような感じになって、意識の比較的ある状態ではその状態を思い出すことはできないので、私は間違っているのか?と尋ねます。するとルパートはマインドは存在(being)については何も知らないし、知ることもできないから、その状態を思い出すことはできないと説明します。

意識(ここではconsciousnessを使っている)は意識を知っているが、人間のマインドでそれを知ることはできない。なぜなら、人間のマインドには限界があり、意識を知ることはできないから。役者のジョン・スミスは自分がジョン・スミスであり、リア王を演じていると知っているが、リア王はジョン・スミスを知ることはできない。

人間のマインドで知り得ることは「私は在る」という存在の感覚だけである。意識は自ら輝いて、自らを照らすことはできない。同様に、意識は自ら輝いているが、私たちがそれを知る直接の方法はなく、静寂や詩を通して感じることしかできない。

なお、この動画の副題は、Consciousness is always knowing itself.(意識は常に自らを知っている)となっています。

2025/11/14

それはただの「純粋な理解」なのです

質問者:ボブ、メッセージは聞こえています。でも、それを本当に理解できているかどうか自信がありません。自分が理解してるということを確認できる何かを探しています。ちょっと変な感じがします。ここで話されていることを本当に理解しているかどうか、何か確証が必要かという点について、もう少し詳しく調べてみたいのです。

ボブ:では、あなたにとって何が“それ”を確認してくれるのですか? あなたは「理解している」と信じてるのか、それとも「理解している」と知っているのかどちらですか?

質問者:私は自分が存在していると知っています。

ボブ:「知っている」。それが確証ではないですか?

質問者:それを否定することはできません。それを「知っている」ということは、どうしようもなく確かです。

ボブ:どうしようもなく確かなこと。それが確証です。

質問者:でも、そこから繋がりを感じられません。二つに分かれてしまうのです。ここに「理解」があって、これは非二元についての理解。で、こっちに「自分が存在していると知っている」という感覚があります。たぶん本当は一つのものなんでしょうけど、私の中では分かれています。「非二元を理解している」と「自分が存在していると知っている」。そうやって、私はそれを二つに分けてしまいます。でも、本当は一つなのかもしれません。

ボブ:では、「それを理解している」のは誰なんですか? そこに“理解”があるのは確かです。でも、それは「あなた」が理解してるということではありません。「あなた」の理解?  あなたが「それを理解してる」のだとすれば、それは「あなた」という実体がその理解を概念的に捉えようとしてるということになります。でも、それはただの「純粋な理解」なのです。誰もそれを確認する必要はありません。

2025/11/12

直観と意識の本質  ルパート・スパイラ

Intuition and the Nature of Consciousness  Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

直感とは何でしょうか?そして、いわゆる第六感に従うと、なぜ私たちはシンクロニシティを経験するのでしょうか?

ルパートはこう言います。「直感は有限の心の一部ですが、覚醒状態ではアクセスできない有限の心の中の領域、つまり個人的無意識または集合的無意識、つまり表面下で繋がっている有限の心の一部なのです。」

「シンクロニシティ体験は、覚醒状態という明確に区切られたパラメータから純粋意識へと移行するにつれて起こります。限界がなくなり、心と心の境界はますます曖昧になります。だからこそ、10年間思い出していなかった誰かのことを考え、部屋に戻るとその人からのメールが見つかることがあるのです。」

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時間とは何か、空間とは何か、そして直観とは何かについて話しています。
質問者は「直観とは何ですか?  それを調べていくと、シンクロニシティが自分に起こっていることに気づきます」と尋ねます。それに対してルパートは、私たちが無限の宇宙(ここではアウエアネスのことをそう呼んでいる)と分離されているのは目を覚ましている時だけであり、実際には時間も空間も存在しない。時間と空間はマインド産物である。無限の宇宙と私たちのマインドの外側の間には微妙な境界があり、そこから直観はやってくる、と説明しています。(別のビデオでは無限の宇宙にはあらゆる情報があって、そこから情報を知ることができる人もいる。そうやって過去に亡くなった人の情報を知ることができる人たちがいると考えると、過去生を記憶している人たちの説明がつくのではないか、というのがありました)

ルパートは自分の子供が三歳の時に納屋が家事になる前に納屋から煙が出ている絵を描いたことがあるとう例をあげて直観を説明しています。時間と空間はマインドの産物であり、実際には存在しないということをはっきりと語っています。

2025/11/10

ボブが亡くなって9か月 ボブの2023年、2024年のビデオとポインター

9 months later - Snippets of Bob's life and pointing from 2023/2024
日本語で視聴できます。

最初にカットがキーワードを言って、そのキーワードに沿ってボブの話が続きます。カットのキーワードは「A for analogies again」という感じで語られますが、自動翻訳はまったく機能せず、「え~・・・」とか訳すので、無視して、その後に続くボブの話(短いポインター)だけ聞いてみてください。ボブの声はきれいに翻訳されているので、十分にポインターの役目を果たすと思います。これはカットとボブが共著で書いた「Bags of pointers to nonduality」からの朗読です。

動画の背景には2023年2024年頃、まだボブが外出できた頃の外出の様子やパーティの様子が流れます。

2025/11/08

非二元論入門  ルパート・スパイラ

An Introduction to Non-Duality
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの翻訳はどういう仕組みなのか知りませんが、字幕と音声は別の翻訳になっていて、字幕より音声の方が誤訳が少ない印象です。この動画は音声の翻訳がかなり自然なので、日本語音声がお勧めです。

YouTubeの解説(Google翻訳)

ルパート・スパイラによる非二元論入門。
非二元論は、人生におけるあらゆるものは、分離して区別されているのではなく、繋がり、一つの全体の一部であると説明しています。非二元論は、私たちが世界を「私」と「あなた」、あるいは「思考」と「現実」といった別々のものに分割して捉える従来の見方を超越する、無限に偉大な現実、すなわち一つの統一された全体性が存在することを示唆しています。
この理解を追求する中で、私たちは必然的に、誰もが常に切望してきた平和と幸福は、すでに私たちの存在の本質であり、私たちはこの存在をすべての人、すべてのものと共有していることに気づくでしょう。

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ルパートのYouTubeは、時系列や再生回数は気にせずに、私が見ていいなと思うものを掲載してきました。これからもそうするつもりですが、そのために、このような入門というタイトルの動画を今さらながら掲載しています。すいません。
ルパートは非二元を学ぶことの目的は幸福の実現であり、そのために為すべきことは自己の本質を知ることだと言っています。非二元を学ぶ目的は幸福の実現(あなたの本質はもともと幸福である)にあるというルパートの言い方が好きです。前向きで希望を持たせてくれます。
この動画を最初に掲載すればよかったのですが、見つけたのが最近なので、遅まきながら今掲載させていただきます。

それにしてもルパートは説明が上手ですね。わかりやすいです。

2025/11/06

その知る働きは今ここにあります

ボブ:そこには知ること、純粋な知る働きがあります。それは他には何もない一つのものです。

質問者:それを知っても卒業証書はもらえません。つまり、そういう理解が起こったということです。でも、「今、あなたは知っています!」と誰かに認めて欲しいのです。

ボブ:ええ。今、あなたは理解したと言いました。今、あなたは知っています。まだ理解できないことがあるでしょうか? 例えばあなたは、これを知っている、あれを知っている、という思い込みがあります。知っていることに何かラベルを貼っています。でも、今あなたは知っています。その知る働きは今ここにあります。ただ純粋な知る働き。それに何かを加える必要はありません。何かを取り除く必要もありません。それを確かめることができたのではないでしょうか?

質問者:何かを知っていなければならないという考えを捨てればそうなります。

ボブ:ええ、では、何かを知っていなければならないという考えを捨ててください! 捨ててしまいなさい!あなたは知る働きを知る者と知る対象へと分割します。「私はこれを知らなければならない」と。あなたは知る働きを主観と客観に分割しました。その知る働きを否定することはできません。それで確認できたということです。それだけです。そして私たちは「ああ、でも!」と言います。「でも」に踏み込んだとき、あなたは遍在性から遠ざかっています。

2025/11/04

実在は在る。しかし「そこには世界」は存在しない。  ルパート・スパイラ

There Is a Reality, but No World ‘Out There’     Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

現実とは何か?世界は実在するのか?そして、なぜ無限の存在はそれを経験できないのか?もしかしたら、経験できるかもしれないが、私たちには理解できない方法で経験しているだけなのだろうか?

ルパートはこう言います。「世界には何か現実的なものがある。しかし、それは見た目通りではない。現実には、存在するのは無限で意識のある存在だけである。つまり、私たちが今見ているのは無限の存在だが、有限の心はそれを自身の限界と一致する形で認識している。だから、私たちがそれを見るとき、世界を見るが、「そこに」世界は存在しない。少なくとも、思考によって通常考えられているような形では。

「無限はそれ自体では客観的な経験を持たないが、意識のある存在であるため、存在の経験を知っている。だからこそ、至高の教えは、真に存在するすべてである現実には、創造も破壊も存在も外見もないと説くのだ。」

「もし私たちの経験が心を通してのみ知られるものならば、私たちは現実の本質を知ることはできないでしょう。しかし、有限の心を介さない経験が一つあります。それは、存在への意識です。ですから、私たちが現実の本質にアクセスできる唯一の方法は、存在への意識を経験することです。」

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この話はとても難しいです。なぜ私たちが意識が何なのかを知ることができないかを説明しています。オレンジ色の眼鏡を通して見ると、白い雪を見ることはできない。役者のジョン・スミスはリア王を演じているが、リア王はジョン・スミスを認識しない(この例えはなかなか良いです。役者は自分がどんな役を演じているのか知って演じているが、物語の登場人物は自分が誰かによって演じられていることを知らない)。コウモリなどの動物は別の世界を見ている(これはボブも使う例え)。目が目を見る事はできない。こうした例え話を使いながら、なぜ私たちは無限のもの(ここではアウエアネスとは言わずにこう言っている)を認識することができないのかを説明しています。そして私たちが見ている世界は個人というものに閉じ込められた意識が見ている世界であり、それを現実だと思っているが、そうではないということを話しています。

2025/11/02

マインド以前に存在する本質とは何か? カリヤニ・ローリー

What Is the Essence Prior to Mind? | Kalyani Lawry | The Key Philosophy Quest | E04
日本語字幕(自動翻訳)で見ることができます。

二人ともきれいな英語でゆっくり話すので自動翻訳がかなり正確です。インタビュアー(哲学教授)はマインド以前にあるものは何かとカリヤニに尋ね、カリヤニがそれを「それはどこで起こっているのでしょうか」「子供のころから変わらずにあるものは何か」と問いかけることで答えていきます。

カリヤニの話はセイラーボブから学んだということがはっきりわかる話で、ボブの説明をおおむね踏襲していますが、最後のヴェーダに出てくる土鍋の話は聞いたことのない話でした。哲学教授が持ち出したプラトンの洞窟の比喩の話は精神世界の話に時々出てくる話です。

カリヤニの話は非二元をちゃんと理解している人にはやさしい話に思えますが、初めて聞く人には何のことやらサッパリわからないのではないでしょうか。質問者の問いかけを聞いていると、そんな印象をうけました。

2025/10/31

これは単なる純粋な理解に過ぎません

ボブ:もし理解しているのは「あなた」だと考えているなら、あなたはこのことを概念的に把握したいと思うでしょう。しかし、これは単なる純粋な理解に過ぎません。確認が必要ですか? 2足す2はいくつですか?

質問者:4です。

ボブ:あなたはそれを理解しているのですか、それとも知っているのですか? もし私がやって来て、2足す2は6だとか、2足す2は8だとか、2足す2は3だと言ったら、あなたは何と言いますか?

質問者:ええ、私の習ったやり方と違います。

ボブ:つまり、あなたは理解しているということですね。でも、かつては2足す2は4だとは知らなかった。でも、あれこれ考え疑問を持って調べました。1、2、3、4。1、2、3、1、4。と足し算をして、2足す2は4になります。あなたはそれを見て、認識し、理解しました。そして今、それが確証されました。誰もあなたを揺るがすことはできません。2足す2は3だとか5だとか言う人はいません。それは、あなたが存在しているという認識と同じです。誰もあなたを思考の産物だと言うことはできません。あなたは自分が存在していることを知っているのです。

2025/10/28

人生はすでに決まっているのか、それとも自由に選択できるのか? ルパート・スパイラ

Is Life Predetermined or Are We Free to Choose?      Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

人生はあらかじめ決められているのでしょうか、それとも私たちは自由に自分の道を選ぶことができるのでしょうか?それに対して、どのような姿勢を持つのが最善なのでしょうか?そして、奉仕の人生を生きるという選択をした場合、それが単なるエゴの追求ではないと、どうすればわかるのでしょうか?

ルパートは言います。「もし神が男性だったら、私たちの運命はおそらく最初から決まっていたでしょう。しかし、今私たちが知っているように、神は女性であり、常に考えを変えています。だからこそ、私たちは自分が何に運命づけられているのか全く分からず、自由と創造性があるという神に感謝すべきです。」

「それに対して、最善の姿勢は、心を開き、身を委ねることです。良いことだけでなく、辛いことや困難なことにも。なぜなら、それらは私たちを支配する力を持たないからです。たとえそれがなぜ起こっているのか理解できなくても、すべてに「はい」と言いましょう。」

「そして、エゴだと思って、この世での仕事を縮小してはいけません。」もしあなたがこの愛と理解を持ち、それを人類に何らかの形で届けたいというビジョンを持っているなら、それはエゴ的な衝動ではありません。それに従いなさい。情熱を傾けなさい。あなたのビジョンを人類に届けるために必要なことは何でもしなさい。」

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タイトルからして、何か非二元的な話が聞けるのかと思ったら、まったくそうではありませんでした。運命論でもなく、行為者の不在でもなく、ごく普通に、人生は何も決まっていないという話でした。当たり前のことを話してくれたので、かえってホッとしました。

私はブログに載せるために、英語と日本語字幕の両方を見ています。日本語だとわかりにくいところはけっこうあります。英語ならわかりやすいかというと、そうとも言えません(英語力の問題ではなく)。結局、非二元の話はわかりづらい。それは本でも言えることで、セイラーボブやルパート・スパイラの本がすんなりと理解できるかというと、そんなことはないと思います。日本語で読んでわかりづらいところを英語で読んでもよくわからないなんてことはよくあります。英語ネイティブが読んでもよくわからないと思います。

でも、わかりづらいからと止めてしまうと、永久にわからない。わからなくても進み続けるしかないのではないでしょうか。そうやってやっていくうちにだんだんとわかってくるものではないでしょうか。AIの誤訳もたまにはありますが、それは目くじら立てずに翻訳の精度が上がってくるのを待ちましょう。

2025/10/26

YouTubeの日本語翻訳字幕の件で

前々回のブログでYouTubeには日本語字幕機能があると書きました。これはルパート・スパイラのYouTubeを見ていて日本語音声で聞くことができると気づき、セイラーボブのYouTubeも同じことができるのではとやってみたところ、音声翻訳はないが、翻訳字幕はずっと以前からあるとわかったためです。

今日あらためてセイラーボブのYouTubeを何本かチラチラと日本語字幕で見てみたのですが、使い物にならないとわかりました。AIが正確に訳さない。原因を考えてみると、まず録音状態があまりよくない。最近のものはちゃんとしたマイクを使っているが、古いものはちゃんと録音されていない箇所も多い。

セイラーボブのモゴモゴ英語をAIがちゃんと拾わない箇所が多々ある。そして、非二元、精神世界の用語をAIが理解しない。例えば信心銘(Shin Shin Ming)と言っても、まったく理解せず、トンデモ訳をしてしまう。さらに、カットはとても早口で話すので、字幕が追いつかない。

セイラーボブとカットのYouTubeの日本語字幕では話の内容が理解できないとわかりました。よく調べもしないで、セラーボブのYouTubeを日本語字幕でじゃんじゃん見てくださいなんて書いて、申し訳ありませんでした。私が長い時間をかけて聞き起こししてブログに書いたのも無駄ではなかったかなと思います。

ルパート・スパイラのYouTubeはどうかというと、こっちの方はなんとかいけるのではないかと思います。ルパート・スパイラはイギリス人なので、きれいな英語で話します。録音状態も良好です。それでも、ちゃんと訳してくれない箇所はあるのですが、それはしょうがないです。もともとよくわからないことを話ているのですから。
以上訂正してお知らせします。

2025/10/24

放っておけば、思考は自由に流れていく

思考は絶えず現れては消える。
あらゆるものは思考の現れであり、ひとつのエネルギーの表現である。
思考は区別を生み出し、それらは常に両極性の中で揺れ動き、脈打っている。
プラス/マイナス、上/下、ここ/ここ。
放っておけば、思考は自由に流れていく。
心理的な苦しみが生まれるのは、思考にしがみついたり、抵抗して押しのけようとしたりするときだけである。
                                 ピーター・ローリー

2025/10/23

お知らせ  日本語字幕でYouTubeが見れると知りました

つい今さっき知ったのですが、セイラーボブ関連のYouTubeでも、字幕のところに自動翻訳機能があって、それを利用すると日本語字幕で見ることができるということを知りました。今までそのことを知らずに、ブログに書くときは英語を聞きながら英語字幕を参考にして自分で翻訳して書き起こしていました。こんな便利なものがあることを何年も知りませんでした。自分のブログの中にあるYouTubeをあれこれと見てみたのですが、ほとんど日本語字幕で見ることができる。これなら私がわざわざ日本語に訳す必要はなく、日本語字幕で見ることができます。

今までの苦労はいったい何だったんでしょうか。私はものすごい時間を費やして聞き起こししていました。こんな便利なものがあったなんて。今頃何をと笑われそうですが、私は知らなかった。とほほ。調べたところ、自動翻訳字幕は2010年に始まったそうで、私がこのブログを始めるはるか以前でした。ぎゃふん。セイラーボブの英語はAIが聞きとれないところもあって「とんでも翻訳」になっているところもある。まあ、しょうがない部分はありますが、それでも十分に役立つものだと思います。日本語字幕でじゃんじゃん見てください。

やり方は、YouTubeの下の枠のバーにある歯車印→字幕→英語(自動生成)→もう一回英語(自動生成)→自動翻訳→日本語で日本語字幕が出ます。

これなら、いろんな英語話者の非二元の教師のYouTubeで非二元を気軽に学ぶことができると思います。こむずかしい翻訳本をイライラしながら読むよりもわかりやすいかもしれません。あとはAIが進歩して翻訳の精度が上がるのを楽しみに待ちましょう。(参考:非二元の教師たちのYouTube ボブのYoutube カットのYouTube カリヤニとピーターのYouTube

2025/10/21

あなたは“意識(アウエアネス)”の外へ出ることはできない

顕現は自然に起こっている。
望ましい未来の状態があるという観念は、“今ここ”にあるものを見えにくくしてしまう。
“今”は常に“ここ”にある。
未来のある時点で何かを達成しようという思考は、現在を完全に見ることを妨げる。
あなたは“意識(アウエアネス)”の外へ出ることはできない —— それが見失われるのは、思考に注意を向けるという習慣によってにすぎない。
観念へ没入することによって、私たちはもともと本質的にひとつであるということから目をそらしてしまう。
                                  ピーター・ローリー

2025/10/20

非観念の意識とは何か ピーター・ローリー

What Is Non-Conceptual Awareness? | Peter Lawry | The Key Philosophy Quest | E05

日本語字幕で見ることができます。

ピーターがホーチミン市からやってきた哲学の教師の質問に答えて語っています。哲学の教師は、まだ非二元を理解していない人がよく聞くような疑問をあれこれと尋ねるので、とても参考になります。

2025/10/18

死んだら意識に何が起きるのでしょうか? ルパート・スパイラ

What Happens to Awareness after Death?     Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。このビデオは日本語字幕より日本語音声で見た方がわかりやすいです。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

死後の意識と輪廻転生の概念を探る議論。

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日本語音声で、「心」という部分は「マインド」に、「意識」という部分は「アウエアネス」に置き換えて聞いてみてください。4:48前後に「テラ」と言っているのは、英語では「turiya」、サンスクリット語のトゥリア「純粋意識」(体やマインドを超えた意識のこと)のことです。

なぜ私たち(マインド)が意識(アウエアネスあるいは純粋意識)を直接認識することができないのか、またなぜ意識がマインドを認識することができないかをわかりやすく説明しています。その説明はまた、死とは何なのか、毎日の眠りと何が違うのかの説明になっています。死んだあと、マインドはどうなるのか、意識はどうなるのか、こういうのが聞きたかった。本当にすばらしい。

2025/10/17

そもそも、その存在は存在していたのでしょうか?

ボブ:人生を生きようとしたり、何かを起こそうとしたりする存在は存在しません。生(life)が自らを生きているのです。

質問者:そして、その生もまた、表現の仕方が違ってくるのではないでしょうか?  信じられている対象が存在する場合と、存在しない場合では、表現の仕方が異なります。どちらにしても、生は表現を続けていますが、その対象への信念がなければ、表現の仕方は違ってくるでしょう。

ボブ:では、そもそも、信じられている存在はどこから来たのでしょうか? そもそも、その存在は存在していたのでしょうか?

質問者:いいえ、存在しませんでした。信念は存在していました。

ボブ:それでも生は存在していました。生が、その見せかけを生み出したのです。

2025/10/15

私の本質は愛のはずなのに、どうして私には嫌いな人がいるのでしょうか? ルパート・スパイラ

If Love Is My True Nature, Why Do I Dislike Some People?   Rupert Spira

歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から

もし愛が私たちの本質であり、私たちがそれを人生で真に表現したいと願うなら、私たちの好みは薄れなければならないのでしょうか?愛に基づいて生きているなら、他人に対する好き嫌いは依然として存在し続けるのでしょうか?

ルパートはこう言います。「心が条件付けによって、あるものを好きになり、あるものを嫌いになるのは自然なことです。そして、私はそれらが消え去る必要はないと思っています。ある人を好きになり、別の人を嫌いになったとしても、それでもなお、自分はどちらの人とも平等に存在していることを知り、感じることができるのです。」

「私たちが好きか嫌いかは、実際にはその人そのものではありません。私たちは相手の行動や考え方が好きか嫌いかであり、相手の存在を愛しているのです。」私はよく、自分が嫌悪する考えや行動をする人の姿を思い浮かべ、その人の本当の姿に愛を感じるまで、その姿を見つめます。なぜなら、もし私たちが愛を感じられないのに、どうしてその人に愛を期待できるというのでしょう?

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ルパート・スパイラはすばらしいですね。

2025/10/14

非二元を探求する方法の一つは、「見る能力」を観察することです

非二元を探求する方法の一つは、「見る能力」を観察することです。
「見る」ことは、今まさに誰の力も借りずに自然に起こっています。目を開けていると見ることが起きます。そして、目を閉じている時でさえ、まぶたの裏に暗闇が見えます。(見る対象は変化しますが、見る能力自体は変化しません)
すると、マインドが現れてそれを解釈します。そこに「私」がいる、とマインドは言います。その「私」が「見ている」と言い、その「私」が光景を見ていることになるです。それは行為者であり、見る者です。それは存在することになり、それが行為をやっていると主張します…
このように、マインド(思考能力、論評)は、見るという単一の行動に主観と客観の分離をもたらします。
「私」がそれをやっているという概念がなくても、見ることは依然として続いています。
マインドのこうした解釈が、うわべの上で二元性を生み出しているように見えることに気づいてください。そのやり方を観察し、理解を深めてください。
                                    セイラーボブ

2025/10/12

非二元の教師の最近のYouTubeについて

最近知ったのですが、非二元の教師の最近のYouTubeの中には日本語音声や日本語字幕(自動翻訳)で見ることができる英語動画があるということを知りました。ルパート・スパイラについてはすでに動画を何本か紹介済みです。

そして、フランシス・ルシールのYouTubeにも日本語で見ることができる動画がたくさんあると知りました。フランシス・ルシールの動画には興味深いものや参考になるものがたくさんあります。


これは画期的なことだと思います。もちろんAIの翻訳は完璧ではありませんが、なんとか非二元を学べるレベルにあると思います。最近のAIの急速な進歩を考えると、翻訳の精度はもっとよくなると思います。非二元の教師たちが日本語でも見ることができる動画をどんどん作ってくれるようになれば、日本の人たちにとって非二元の理解が容易になるのではないでしょうか。そして、 巷に溢れる「なんちゃって非二元」を一掃してくれると期待しています。

セイラーボブのYouTubeはどうかというと、今のところ日本語で見られるようにはなっていません。そういう設定に直してくれたとしても、AIはおそらくボブのモゴモゴ英語を翻訳できないのではないかと思います。カットが今やっているミーティングをそういう設定にしてくれるといいなとは思うのですが、気軽にお願いしてできる事なのかどうかもわからないし、私の場合はAIの翻訳よりは英語で正確に聞きたいと思うので、お願いしないでいます。

もはやどの教師のビデオであれ、日本語で見ることができるすばらしいものを見つけたらブログに掲載していきたいと思います。もちろん私が支持する教師に限りますが。
それにしても技術の進歩はすごいですね。

2025.10.23追記
セイラーボブ関連のYouTubeでも、字幕のところに自動翻訳機能があって、それを利用すると日本語字幕で見ることができるということを今日知りました。今までそのことを知らずに、ブログに書くときは自分で英語を聞いて書き起こしていました。こんな便利なものがあることを知りませんでした。これなら、私がわざわざ日本語に訳す必要なく見ることができます。今までの苦労は何だったんでしょうか。まあ、AIの翻訳は時々「とんでも翻訳」になっているので、まあ、しょうがないけど。日本語字幕でじゃんじゃん見てください。

2025/10/11

思考と知覚が無かったら、私とは何なのでしょう?  ルパート・スパイラ

What Am I in the Absence of Thought and Perception?   Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

思考、感情、感覚、知覚がなければ、私は一体何なのだろうか? 私たちが普段同一視している経験内容が取り除かれたら、何が残るのだろうか?

ルパートはこう言います。「あなたが知っていることはすべて経験です。あなたは『私は自分の思考、感情、感覚、知覚を知っている』と言います。もし思考、感情、感覚、知覚を取り去れば、残るのは『私は知っている』、つまり純粋な知識、あるいは意識だけです。経験内容がすべて終わったら、残るのはただ意識の存在だけです。」

「意識の存在自体は経験ではありません。それはすべての経験を知っているものです。それはすべての経験を可能にするものですが、それ自体は経験ではありません。あなたは自分の思考や感情を知るのと同じように、それを対象として知ることはできません。あなたはそれを知っていることによってのみ存在できるのです。」

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カリヤニが言ったようにルパート・スパイラの説明はわかりやすいです(本は難しかったけど)。ファンが多いはずですね。

YouTubeの自動翻訳は出版翻訳家のように上手には訳してくれませんが、非二元を学んでいる方なら足りない部分は推測すれば十分に理解できる精度ではないかと思います。

2025/10/10

夢をあるがままに知るだけで十分です

ボブはレオ・ハートンと会ったことはありませんでしたが、電話で何度も話をしたので、ボブの影響はレオの著作に非常に強く表れていました。
ボブもまたレオの表現を大変気に入っていて、時折、彼の著書のタイトル「夢へと目覚める」を例に挙げて、夢から目覚める必要はないということを私たちに思い出させてくれました。
夢をあるがままに知るだけで十分です。「夢自体が問題なのではない」とニサルガダッタは言いました。
                                 カット・アダムソン

拓追記:セイラーボブはダグラス・ハーディングやジョーン・トリフソンとは面識があります。ロンダ・バーンにも教えを説きました。こうしてみると、非二元の教師たちは結構、横のつながりがあるようです。でも説き方はそれぞれ違いがあって興味深いです。

2025/10/08

無限の意識(awareness)には視点がない   ルパート・スパイラ

Infinite Awareness Has No Point of View     Rupert Spira

歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

私たちが初めて無限の意識という真の本質を認識したとき、それを無条件の愛、揺るぎない平穏、あるいは静かな喜びと定義します。しかし、無限の意識とは、それ自体の観点から見ると一体何なのでしょうか?

ルパートはこう言います。「心は意識を平穏で、喜びに満ち、愛に満ちたものと表現しますが、それは単に、普段の動揺や苦しみの状態と対照的に過ぎません。意識が自らを経験する時、客観的な性質や特徴は存在しません。意識は自らから離れ、主観と客観の関係において自らを知ることはできないため、意識には視点がありません。

「私たちは意識の中の視点、つまり意識の目であり耳であり、それを通して意識は自らを見つめ、宇宙として自らを見ます。もし意識が自らの経験を記述するとしたら、唯一言えるのは「私は在る」ということでしょう。なぜなら、「私は在る」とは、意識が自らを経験することに直接言及しているからです。だからこそ、「私は在る」あるいは「私は在るという存在である」という表現は、真理の最高の表現なのです。」

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ルパート・スパイラのYouTubeを今後も掲載していく予定です。彼の語り口はとてもわかりやすく、セイラーボブと重なる部分が多いです。ありがたいことに最近のものは日本語の音声と字幕で見ることが可能となりました。

2025/10/07

生がそれ自身を生きているのです

ボブ:反応は起こるかもしれませんが、それを「あなた」がやっているわけではありません。怒りを含むある種の感覚は、身体を動かすために役立つものです。

質問者:私が言いたいのは、たとえば職場で誰かが「それは最悪だ。お前の仕事は最悪だ」って言ったときに、もしそれに腹を立てたら、それは私のエゴが反応してるってことですよね。

ボブ:ええ、あなたには利害関係があるということです。

質問者:まさにそれです。もし私がこの作り上げられた存在、つまりエゴとそれほど同一化していなかったら、そんな言葉にも腹を立てることはなかったはずなんです。ただ通り過ぎていっただけでしょう。

質問者:これが本質のように思えるんです。あなたは、二つの異なる状況があると言ってるわけじゃない。すべては生命の本質がやっていることだと。そして、その作られた存在が「私」ではないと気づいたとき、人生はもっと楽になるってことですよね。

ボブ:ええ。生は、それ自身を生きているにすぎません。
何かの存在が人生を生きようとしたり、これを起こそうとか、あれを達成しようとかしてるわけではありません。
生がそれ自身を生きているのです。

2025/10/04

あなたは生まれも死にもしない  ルパート・スパイラ

You Are Not Born and You Never Die      Rupert Spira

歯車マーク→音声トラック→日本語で見ると、日本語で聞くことができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

私たちはなぜ生まれることも、死ぬこともないのでしょうか?最近父親を亡くしたある女性は、生と死の違いを理解しようとしています。彼女は、生と死の移行はいつ、どのように起こるのかを考えています。つまり、局所的な意識と普遍的な意識の違いは何か、と。彼女は体外離脱体験も経験しており、死ぬことと眠ること、あるいは体外離脱体験をすることの違いは何なのか、と疑問に思っています。局所的な意識は実際にはどの時点で始まり、どの時点で終わるのでしょうか?

ルパートは、有限な精神の活動を始める前の普遍的な意識というレンズを通して、生と死を考察します。意識が思考と知覚から始まるとき、それはまるで思考者が仮想現実(VR)のヘッドセットを装着し、自らを独立した経験主体として局所化し、その視点から自身の活動を世界として見ているかのようです。

物質と呼ばれる固有の物質は存在しません。物質とは、単に私たちの局所的な視点から見た意識の活動の姿に過ぎません。身体が「受胎」する瞬間は、意識が思考と知覚のVRヘッドセットを装着する瞬間です。つまり、身体は局所化された自己となります。そして、局所化されていないものはすべて、私たちの周りの世界として認識されます。

夢を見るのも同様です。夢想家は、あたかも別個の経験主体として局所化し、夢の中の他のすべての側面は世界として現れます。あなたの夢の登場人物の身体はいつ生まれたのでしょうか?生まれたわけではありません。夢が始まった時に現れただけです。夢の登場人物はいつ死んだのでしょうか?死んではいません。夢の心が、夢の登場人物として自らを局所化するのをやめただけです。

私たちの存在の現実においても同様です。私たちは決して存在することも、存在から消滅することもありません。私たちは永遠に存在しています。生命の局所化は一時的なものであり、単に現れては消えるだけです。

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この動画はすばらしい。私たちは死ぬことも生きることもなく、永遠に存在するもの。この話を聞くと勇気が湧いてきます。

2025/10/03

「何か」を探し求めても、見つけられるのはただの意識(awareness)にすぎない

すべての苦しみは、自分が何か限界のあるものだと信じることから生まれる。

その「何か」を探し求めても、見つけられるのはただの意識(awareness)にすぎない。

                                                                                                                                     セイラー・ボブ

2025/09/30

私たちは、はかない命を生きている哀れな人間などではなく、生まれることも死ぬこともない永遠不滅の一つの意識である

本物の非二元の教師たちが説いていることは、私たちは、はかない命を生きている哀れな人間などではなく、生まれることも死ぬこともない永遠不滅の一つの意識であるということです。それを手に入れるために何かをする必要はなく、私たちはもともとそれなのだということを理解すればよいだけです。
                                  あとがき・まとめより                                                                                                                           

2025/09/26

その感覚を「あなた」という実体が引き起こしたのですか?

ボブ:あなたのその苦しみはもう何年もここにはありませんでした。
今ではずっと遠くなっていて、思い出すのも難しいでしょう。
でも当然ながら、それが最初に現れたときはとても生々しく、新鮮でした。
また「自分」という感覚に囚われたくなるでしょう。
だから、そのように見えることに落胆しないでください。
しばらくの間、再び引っかかってしまうように“見える”かもしれません。
でもできるだけ早くそれに気づいて、この瞬間の即時性に戻ってきて下さい。

質問者:もし怒りを感じたら、たとえ「私」から切り離されていても、あなたもまだ怒りを感じることがあると思います。
もしその怒りに基づいて行動してしまったら、それはまだ自分が「私」というものに強く同化しているということですか?

ボブ:もし「私」が実体を持たないと完全に見抜いているなら、それが起こった時あなたは「私」と同化していると言えるでしょうか?
「私」には何の実体も独立した性質もないと完全に見抜いているなら、
それは生そのものが怒りとして現れているということになります。
でも、それをあなたが「引き受けて」自分を責める必要はありません。
それはただ現れた感覚にすぎません。
その感覚を「あなた」という実体が引き起こしたのですか?
もし「あなた」という実体が存在しないなら、「あなた」にそんなことはできるでしょうか?
「あなた」にはできないはずですよ。

2025/09/23

「あなた」が反応しているわけではないのです

質問者: 「私」を探しても見つかりません。ですから、誰かが私を怒らせるようなことを言ったときに怒っているのはエゴにすぎないようです。純粋な知性エネルギーが傷ついているわけではありません。エゴのために私は反応してしまうのでしょう。

ボブ:反応は起きるかもしれません。でも「あなた」が反応しているわけではないのです。怒りは状況によっては非常に役立つものです。時には深刻な状況から抜け出すための手段となることもあります。そのために感情があるのです。

2025/09/19

自然がするのと同じように、そのままにしておいてください

ボブ:いろいろなことが起きます。そして、感覚とか感情とかがかき乱されます。そういうものが何日も何週間もまとわりついて自分を責め続けることになります。
「失敗した」「あんなことするべきじゃなかった」「あんなことが起きるべきじゃなかった」と。
でもそれを自然がするのと同じように、そのままにしておいてください。
自然は動いていきます。地球は太陽の周りを回っていて、夜が来ます。昼と夜はお互いに戦いません。そこには抵抗がありません。

質問者:まさにそれが本質ですね。でも、誰かが本当に苦しんでいて、それにしがみついていて、何度も何度もここに来るような時でも、それでも同じように開かれた状態は常にあるんですね。

ボブ:ええ。彼らが何を言おうとしているかも分かります。私もかつてはそうでした。それがまた、素晴らしいことでもあります。

2025/09/16

できる限り、完全に今この瞬間と向き合うようにしてください。そうすれば、本当に生きていると言えるでしょう


質問者:以前のあなたと比べて、今のあなたはどうですか?

ボブ:何年も前、自分は分離した存在であるという視点から生きて苦しんでいましたが、今ではそれが少しも問題ではなくなりました。それは消え去りました。
もはや「私」に執着したり、しがみついたりはしてはいません。それは消えたのです。焦点は今ここの即時性にあります。それが生きているということ。この瞬間がそれです。
これが唯一の実在です。誰もこの瞬間を二度と生きることはできません。前の瞬間を生きることも、次の瞬間を生きることもできません。それが現実です。
できる限り、完全に今この瞬間と向き合うようにしてください。そうすれば、本当に生きていると言えるでしょう。

2025/09/12

ここには実在するものは何もないということです

質問者:この部屋では、誰でも自分を表現する機会があります。そして、誰もが「それ」なのです。それでもこのマインドは「それ」から何かを作り出ようとします。私もあなたのように忍耐強ければいいのにと思います。

ボブ:ええ、それぞれのパターンはそれぞれ独自の表現です。見た目では同じパターンは二つとありません。しかし、本質的には全く同じものなのです。決して分割されることはありません。

質問者:では、あなたにとって「それ」がどのようなものなのか、実際に何かお話しいただけますか?

ボブ:ここには実在するものは何もないということです。それは絶対に確かです。そして、もしそれが今ここにないのなら、一体いつそこにあったのか、あなたは分かりますか?

2025/09/09

あなたは今も昔も、それだったと気づいてください

ボブ:あなたは今も昔も、それだったと気づいてください。他には何もありません。

質問者:でも、そうすると、私の内側で何かが身悶えして、起き上がってテレビでも見たいとか、何かしたくなるんです。

ボブ:身悶えさせるに任せなさい。逃げ出させなさい。それは消えてしまうのでしょうか?
というのも、もともと存在しないのですから。どうせフィクションなのです。でも、私たちはこの存在を信じるようにあまりにも条件付けされているんです。
多くの人は、そこから抜け出すよりも、そこに留まることを選びます。たとえ抜け出す方法があると聞いても。
崖っぷちにぶら下がっている男のように、知らない何かに飛び込むよりも、何かにしがみついているほうがいいと思うのです。

2025/09/05

何かがうまくいかなくなる前にはかならず思考があると気づいてください

あるのは今だけだということを気づいてください!
どれだけ多くのことがマインドなしで起っているのか気づいてください。
あらゆる物事は「私」なしで努力なしに起こっていることに気づいてください。
何かがうまくいかなくなる前にはかならず思考があると気づいてください。
                                    セイラーボブ

2025/09/02

何かをできる実体はそこには存在しないということを、あなたは絶対に明確に理解しなければなりません

ボブ:あなたの心臓を鼓動させ、あらゆることを行っているのは、まさにその生命のエッセンスです。あなたはその生(life)そのものなのです。

質問者:では、そのアウエアネス(意識)、その生命のエッセンスを感じることは、何か助けになるのでしょうか? 「私は在る」と認めること。それは助けになるのでしょうか?

ボブ:そのアウエアネスにとって、「私は在る」と認めることが必要でしょうか? それをしているのは何か実体あるものではないということを認識してください。「私は在る」と認めてしまうと、「あなた」という存在がまたそれをしていると思うでしょう。何かをできる実体はそこには存在しないということを、あなたは絶対に明確に理解しなければなりません。

質問者:しかし、そのアウエアネス、あるいは生命エネルギー、それが実在であると認識しています。それが私なのです。

ボブ:あなたがそれであることを認識してください。その事実から出発し、それに留まってください。それは常に、その生(life)そのものでした。

2025/08/29

何がそれをしているのでしょうか?

ボブ:思考は見ることも聞くこともできません。思考は何もできません。では、思考によって生み出された存在が一体何をできるというのでしょうか?
では、何がそれをしているのでしょうか?

その生命のエッセンス、それがあなたを呼吸させ、心臓を鼓動させ、あなたを生かしているのです。それが思考を引き起こし、壁に絵を描いたり、何かにネジを締めたり、本を書いたり、あなたが今しているどんなことでも引き起こしています。

そして私たちは「私たち」がそうしている、「私」がそうしている、この思考が作り上げたイメージがそうしていると思っています。しかし、思考が作り上げたイメージは何もできません。
その生命のエッセンスこそがあなたを生かし、あなたの心臓を鼓動させているのです。
それがすべてをしているのです。
あなたはその生(life)なのです。

2025/08/26

それは実在ではないのです

ボブ:あなたは今見て聞いています。でも、「私は見ている」という思考は見ることができません。そのイメージは見ることができません。「私は聞いている」という思考は聞くことができません。「私は気づいている」という思考は気づきにはなり得ません。

思考には見る力も聞く力もなく、何かをする力はありません。思考がやっているのは翻訳したりラベルや言葉を貼りつけたりすることだけです。それが思考の能力であり、思考にできることの全てです。

しかし、私たちは思考が作り出したものを実在だと信じてきました。それが「私」だと信じてきました。私はボブ、オーストラリア人、いい人、そうでもない人、自尊心が低い、恐れを抱いている、落ち込んでいる。何年もかけてこのイメージを作り上げてきました。そして、信念のエネルギーが絶えずそこに注ぎ込まれ、それは一見具体的で、確かなものに見えます。
なぜなら、それが真実かどうかを確かめることがなかったからです。

しかし、調べてみると、それは崩れ去ります。
なぜなら、そこには何もないことがわかるからです。
それは実在ではないのです。

2025/08/22

「私」は虚構だということを調べてみるということです

ボブ:あなたはあれやこれや信じています。辞書的な定義で「信念」とは、理由もなく何かを疑うことなく受け入れること、確かな知識や証拠なしに事実とされるものを受け入れることです。確かな知識や証拠なしに物事を受け入れるのではなく、疑ってみてください。調べてみると虚偽は調査に耐えられなくなります。そして、信念は崩壊するのです。

質問者:つまり、「私」という信念の感覚に何度も立ち返れということですね。

ボブ:「私」は虚構だということを調べてみるということです。「私」とは、純粋な知性エネルギーにあなたが付け加えた一連の思考に過ぎないということを。「私」が見て「私」が聞いているというように、あなたは自分が何者かであるという概念的なイメージ、信念の集合体を身に着けてしまったのです。

2025/08/19

あなたが絶対的に確信できる唯一の現実は、自分自身が存在しているという事実です

ボブ:「見る者と見られる者」という概念は、一見、単一の「見る」ことを分割しているように見えます。しかし、それは「見る」という行為をいかなる形でも妨げてはいません。「見る」という行為は今も続いています。
しかし、私たちの在り方、そして私たちが抱いてきたあらゆる信念によって、私たちは「見る者」と「見られる者」、主体と客体、つまり二つのものが存在すると信じています。それが二元論です。私たちは二元論を非二元性の中に持ち込んでいるのです。

質問者:結局のところ、それが「私」が見ているという信念なのです。どうすればそれを乗り越えられるのでしょうか?

ボブ:そうですね、信念を見つめてみましょう。すると、信念は現実ではないことが分かります。信念は現実ではないことを認識するのです。あなたが絶対的に確信できる唯一の現実は、自分自身が存在しているという事実です。

2025/08/17

3 months later... Pointers on S with few snippets of Bob's life 2016-2021


S-START(始める)
ボブ:真実から始めてください――あなたが今この瞬間にそう認識しているかどうかのかかわらず――「あなたはもともとそれなのです」。何かや誰かになろうとして探求する必要はまったくありません。もしあなたが今、もともとあなたはそれなのだということを受け入れるなら、うわべ上でそれを見えにくくしているのは何なのかに気づくだけでいいのです。私たちがここで話しているのは非二元についてです。一なるもの、非二元、二つではないもの。あらゆるものが、その一つものです。もっと正確に言うなら、一つでさえないのですが、それはまた後にします。今、あらゆるものはそれです。何も除外されておらず、あなたも除外されてはいません。SAILOR BOB: Bags of pointers to nonduality

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これは三ヶ月前に公開されたものです。お馴染みのポインター満載です。

2025/08/15

マインドは敵ではありません

ボブ:マインドは敵ではありません。それは便利な道具です。
でも、理解されないとそれは自己破壊的になります。
なぜなら、その同じマインドが私たちにこう言うのです。
「私は十分じゃない」「私は恐れている」「私は不安だ」「私は幸せではない」「私はうつ病だ」と。
マインドはそれらの概念を生み出し、それに信念というエネルギーが注がれると、それが本当のように見えてくるのです。

質問者:見る者と見られるものは、実は「見るということ」そのものなんですね。
マインドにとっては、それはとても神秘的に感じられますが、実はとても普通のことなんですね。

ボブ:見る者と見られるものは、私たちが「見るということ」に対して与えた概念にすぎません。
ただの概念です。
でもそれは、「見るということ」をまったく妨げてはいません。
どんな形でも、見るということはちゃんと起っています。

2025/08/12

あなたは思考よりも先に存在しています

質問者: つまり、それはマインドを超えた別の概念ということですか?

ボブ: いえ、それは事実です。あなたは思考よりも先に存在しています。
それを理解してください。
もしあなたが何も考えていない時でも、あなたは思考より先に存在しているのではないでしょうか?
それはマインドを超えているということではないでしょうか?
そうすると、純粋な知性と思考の違いが分かります。思考が一時停止したり、止まったりしても、あなたは依然としてすべてのものを見ていて、知っています。
あなたは依然として、ラベルを貼ることなく、すべてのものを聞き、知っています。
そこへマインドが入ってきて、すべてにラベルを貼るのです。

2025/08/09

6 months later... Pointers on S and A plus snippets of his life in 2022-2023


S-Separation. Split.(分離 分割)
ボブ:私たちに推論する力がつき始めると、分離の感覚がやって来ました。「私」という思考がやってくるやいなや、その反対、「私ではないもの」や「私以外」がやって来ました。それとともに、分離したものと、「私」以外のものを信じるようになりました。

他にもたくさんのポインターが出てきます。

2025/08/08

エンライトメントなどというものはありません。それは作り話です。

エンライトメントなどというものはありません。それは作り話です。もし「私」がいなければ、もしここに(自己の)中心がなければ、そこに分離はありません。もし分離がないのなら、誰がそこにいるのですか、つまり、誰がエンライトメントするというのですか?
                                  セイラーボブ

2025/08/05

常に存在していたのは、ただ一つの本質だけなのです

ボブ:「見る」ということと同様に、「思考」もまた同じ構造を持っています。
たとえば「私は見ている」「私は椅子を見ている」という思考が浮かぶとき、
そこには概念的な分離が生じているように見えます。

しかし実際には、そのような分離が生まれる前に、
ただ「見るという行為」が起きているのです。
「見る者」は、「見る」という行為がなければ存在できません。
「見られる対象」も、同様に「見るという行為」がなければ存在し得ません。

「思考」についても同様です。
「考える者」は、「考える」という行為がなければ存在せず、
「思考」そのものも、「考える」というプロセスがなければ成り立ちません。

したがって、私たちはこの現実そのもの、
すなわち「〜している(–ing)」という現在進行の事実の中に留まるべきなのです。
「考えている」「見ている」「聞いている」——
これらは、まさにこの瞬間に実際に起きている出来事です。

それは、「これから考える」「かつて考えた」「考えられない」といった、
過去や未来の事柄ではありません。

「〜している(–ing)」というのは、今この瞬間に起きている活動のことです。
今、あなたは見ています。聞いています。観察しています。
味わい、触れ、匂いを感じているのです。

「生きているということ」は、まさにこの瞬間に存在しているのです。

そして、もし私たちがそれを概念によって分離しなければ、
それこそが「現実(アクチュアリティ)」であると言えるでしょう。
仮に分けてしまったとしても、それはあくまで概念による見かけ上の分離に過ぎません。
概念によって、この現実そのものが実際に分かれたことはないのです。

そもそも、「二つ」に分かれたことなど一度もなかったのです。
常に存在していたのは、ただ一つの本質だけなのです。

2025/08/01

そう分けているのは、あくまで概念に過ぎません

質問者: 観察者によって創られる現実というのはどうでしょうか?
もし観察者が何かを探していれば、それは見つかります。
それは思考によって作り出されたものです。
なぜなら観察者、あるいは目撃者は、結局はマインドの一部だからです。

ボブ:観察者というのは虚構です。
観察者とは、「観察している」と信じ込まれている存在です。
そして次のような思考が湧きます――「私はこれを観察している」と。
あなたは主体、つまり観察者を創り出しているのです。
そして、これが何であれ、それを客体として創り出しているのです。
でも実際には、ただの「観察」という働きがあるだけなのです。
そして気づくのです――観察なしには観察者は存在し得ない、と。
そして観察されるものも、観察がなければ存在し得ない、と。
だから、実際に起こっているのは「機能(functioning)」、つまり「観察という働き」そのものなのです。
それは観察者と観察されるものに分かれているわけではありません。
そう分けているのは、あくまで概念に過ぎません。

2025/07/29

それは思考より前に存在しています

ここには素のままの意識(naked awareness)があります。それでもあなたはここにいて呼吸し、見て、聞いて、味わい、触り、匂いを嗅いでいます。機能は依然として続いています。
しかし、もしあなたが思考を一時停止したら、思考はその瞬間に止まります。その瞬間、あなたは自分が思考以前にあることに気づくはずです。なぜなら、生(livingness)は思考より前にあるからです。
そして、すべての思考はその基盤の上で起こっていることに気づくでしょう。
それは思考より前に存在しています。
そしてまた次の思考がそこに入り込んできます。
もしあなたがその思考そのものなら、思考を止めたら、あなたは完全に終わりを迎えるはずですが、そうはなりません。
あなたはそのことを気づき始め、自然と一時停止が始まります。そして、それは「そこへは行くな」とか「完全に停止」とか「これは単なる概念だ」といった思考として浮かんでくるかもしれません。
まるで風船を針で刺すようなものです。思考に込められた意味は消え去り、散り散りになります。そしてしばらくすると、あなたはそれらのことを考える必要さえなくなるでしょう。それは自然な反応となるでしょう。
                                    セイラーボブ

2025/07/25

そこには「素のままの意識(naked awareness)」があるだけです。

質問者:私はそれが私の中にプログラムされている思考につながっているのだと思います。たぶん私はかなり管理された家庭で育ったんだと思います。私にとってすべては「コントロール」されています。
じゃあ、ネガティブな思考とか、そういったものをどうすればいいんでしょうか?
何度も読んだんですけど、「それをエネルギーとしてとらえる」といいらしいですね。
思考をただ通り過ぎていくエネルギーとして見る。
私はそれを観察していると自覚しているので、多少は距離が取れてる感じがします。
でも、それでもなお執着があるんです。
思考が起こる前に体がその感情を先に感じ取ってしまうんです。

ボブ:まさにその通りです。
思考、感覚、感情というのは同じものの三つの異なる側面なんです。
今すぐ涙が出てくるなんてことはないでしょう?
まず思考が浮かぶ——それがどこから来るのかはわかりません。
その思考がしばらくそこにとどまる。
そして次に「感覚」がやってくる。それも少しの間そこにある。
それから「感情」が出てくるんです。
私たちはそれを何度も何度も繰り返してきたので、感情が現れたとき、実はその前に思考があったことに気づかないのです。
まず「すべては思考に基づいている」と気づくことが大事です。
それに、私はこう言いましたよね——あなたはもう思考を眺めることに疲れている、と。
「フルストップ」を試したことはありますか?

質問者:考えるのをやめるということですか?

ボブ:そうです。ただ止めるんです。止めて、見てみてください。
思考を止めたとき、それを見てください。
思考がなければ、それについて何が言えますか?
すると気づくのです。
それは良いものでも悪いものでもない。
快でも不快でもない。
何のラベルも貼れない。
そこには「素のままの意識(naked awareness)」があるだけです。

2025/07/23

佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その9」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)


唯識が世界や個人をどのように考えていたのか、とても参考になると思うので備忘録として残しておきます。
佐々木先生は難しい仏教用語を使わずに説明されるので、とてもわかりやすいです。

2025/07/22

何かを変えようとしたり、努力する必要はありません

ボブ:調べてみると、抵抗があることに気づくでしょう。でも同時に、「無抵抗」でいようとすることもできないと認めることになります。それもまた一種の努力、つまり「抵抗しないようにする努力」になってしまうからです。

でも、抵抗を認識するということは、それを“反対側”から認識しているということになります。もし完全に抵抗していたら、それに気づくことすらできません。

「今、抵抗が起きているな」とか、「コントロールしようとしているな」とかに気づく時、
それは“コントロールしない立場”から認識していることになります。

それで十分です。何かを変えようとしたり、努力する必要はありません。ただ、反対側から認識するだけでいい。そうすれば、抵抗はどこにも居場所を見つけられなくなります。

2025/07/20

佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その8」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)


この話はとてもおもしろかったです。世界を見ているものは何なのか? それはモヤモヤしたもの。全然説明できないところがいいですね。唯識の世界観はなぜか納得してしまう説得力があります。説き方は全然違うのですが、非二元と同じことを説いています。

2025/07/18

「私」を手放すことは自然と起こります

質問者:手放すことに関して、私もまったく同じ問題を抱えています。あなたが話していることは、まさに今の私の状態です。「私」という存在をどこにも見つけられないという気づきがあって、すごく怖くなったんです。でも、完全に手放すことにはまだ抵抗があります。なぜなら、「私」というものが、自分が誰かに悪いことをするのを制御している存在だと思っているからです。

ボブ:同じことを言う人はかなり多いですよ。「自分が人を殺してしまうんじゃないか」って。でも、なぜそんなことをすると思うんですか? 今までそうしなかったでしょう? もしあなたの本質にそれがないのなら、そんなことはしないはずですよ。それに、あなたはもう手放しかけているんじゃないですか? 何が起きましたか?

質問者:まだ、自分の内側にある「コントロールを失うことへの恐怖」に抵抗を作ってしまっているんです。

ボブ:ひとつのことに気づけば、それは他のことにも広がっていきます。その一歩を踏み出すことへの恐れもなくなります。そこが重要なポイントです。探求して、何かが「偽りだ」と見抜いたら、もう二度とそれを本気で信じることはできません。だから、「私」を手放すことは自然と起こります。続けてください。

2025/07/15

手を放せ!

ボブ:そして私たちは、自分が身につけたもの、つまり概念的なイメージ、あるいは自我と言うものにしがみつくのです。崖から落ちた男のように。男は小さな木にしがみついてぶら下がっています。そして叫びました。

「助けてくれ!助けてくれ!上に誰かいるか?」。すると、声が聞こえてきます。「ああ!ここにいる」。男は尋ねます。「どうすればいいですか?」。すると、声は言います。「手を放せ!」。彼は周りを見回し、「他に誰かいないのか?」と叫びました。

私たちはこの自己中心性を手放します。それでどこへ落ちていくというのでしょうか? 人々はそんなことをすれば私たちを取り巻く世界が崩壊すると考えています。しかし、決してそうはならないと保証します。他の人たちもあなたに同じことを言うでしょう。

2025/07/13

佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その6」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)


外側の世界が実在するのかどうか。
ますますおもしろくなってきました。

2025/07/08

生は本来恐れではなく、自由である

質問者: ここでは常にこの作り出されたイメージのことについて話しています。それには抵抗があります。

ボブ: ええ。あなたはそのイメージに共感し、そのイメージが自分の望む姿ではないと感じているのです。あるいは、現状に満足していても、何かがそれに挑んでくるようなら、抵抗が生まれます。常に抵抗が続いているのです。ニサルガダッタは「生は本来恐れではなく、自由である」と言っています。

質問者: 恐怖は抵抗なのでしょうか?

ボブ: そうです。

質問者: 私たちがこの話をしているとき、少しばかりの恐怖があります。どう表現したらいいのか分かりませんが、抵抗感です。それが一体何なのか、私には分かりません。

ボブ: この信じられている存在には苦しみがあるもかかわらず、そこには少しばかりの安全感があります。だから、それにしがみついていたい。無となってしまうのが怖いのです。

2025/07/06

2025/07/04

善も悪もない。思考がそうさせるのだ

ボブ:限界とは、私たちが自らに課す境界線のことです。まるで自分が哀れな人間であるかのように。様々な心理的問題に陥るのも無理はありません。そして、私たちが自らに課す境界線とは言葉です。シェイクスピアはこう言いました。「善も悪もない。思考がそうさせるのだ」。

もしあなたが善でも悪でもないなら、もしそれらのレッテルを貼られていないなら、あなたはどこにいるのでしょう?  実際私たちは自らに課す概念的な境界線、つまり心身の境界線に制限されているわけではないのです。

質問者:うわべ上で物事を妨げているのは自己に対するイメージです。しかし実際には、それは私たちの生を妨げているわけではないのです。

2025/07/01

私たちはそれを奇妙な考えだとさえ認識していませんでした

ボブ:私たちが話しているこの非二元について、あなたは何を理解していますか?

質問者:ええ、あなたがおっしゃったように、別のラベルで呼び名で言うなら「生(life)」です。つまり、私たちは生について話しています。たった一つの生。そして、すべてがそこに現れています。

ボブ:生は何か特別な方法で表現したり、現れたりしますか? それとも、あらゆる方法で?

質問者:私たちは、自分たちがすべてのものの真ん中にあるという奇妙な考えを抱いています。

ボブ:あなたは、理性的に考え始めた頃から、その奇妙な考えを抱いてきましたね?

質問者:ええ、私が物心ついた頃からです。

ボブ:私たちはそれを奇妙な考えだとさえ認識していませんでした。そう信じていたんです。だから、それはリアルだったんです。

2025/06/27

今この瞬間に存在している生だけがあります

ボブ:なすべきことは何でしょうか? あなたは生(life)そのものであり、生が表現する特定のパターンや形、あるいは形態ではないということを認識、理解することではないでしょうか? 生は無数の多様なパターンとなって表現します。
キリストが「私は命(life)である」と言ったとき、何の事を言っていたと思いますか?
彼は自分自身の命について語っていたと思いますか?
その存在そのものが生なのです。
そして、今この瞬間に存在している生だけがあります。
生とは存在です。
時間をも超えています。
始まりも終わりもありません。
パターンは現れ、戯れ、崩壊し、別のパターンが形成され、現れます。
いわゆる人間の問題すべてがどこから来るのかが分かります。私たちが自らに課している制限や限界からです。「結局のところ、私はただの人間に過ぎない」という。

2025/06/24

その特定のパターンは、万物の中でどれほど重要なのでしょうか?

質問者: それはまた、まさにここでも起こっています。

ボブ: つまり、生は今も表現しているということですね? 生命は始まりました。まあ、生命が始まったとは言えませんが、あなたに関して言えば、精子と卵子が出会ったことから始まったのです。生命はそこで自らを表現しています。自らを成就している、そうではないですか? それは常に、そして永遠に起こり続けているのです。では、そこに死が入り込む余地はあったのでしょうか?

質問者: いずれにせよ、あなたはマインドに向かって話しているわけではありません。ええ、死が入り込む余地はありません。死は私の思考の中にありました。そして今、それを疑っています。

ボブ: すべての死とは、時間です。始まりと終わり。先ほど言ったように、あなたはいつから始まったのですか? あなたが始まった時、あるいは場所を特定できますか? 喪失感や変化などを恐れる必要はありますか? もっとよく事情がわかっているという理由で、それを変更したり、修正したり、修正しようとする存在は必要なのでしょうか? そして、その特定のパターンは、万物の中でどれほど重要なのでしょうか?

2025/06/21

佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その1」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)


佐々木閑先生の新しいシリーズが始まりました。なんと、唯識です。
私はかねがね、佐々木先生が唯識の講義をしてくれないかと思っていたのですが、とうとう始まりました。

仏教の中にある非二元のど真ん中ストライクが唯識です。
はたして世界は空なのか、そして「私」は実在なのか。
どんな話になっていくのか楽しみです。

2025/06/20

それはまさにここで起きています

質問者:別のメッセージを聞くまでは、すべてが本当だと信じていました。

ボブ:それを聞くことによって何が起こったのでしょうか? その別のメッセージに共鳴したと感じたでしょう。それをどこかで認識したのです。

質問者:直観的にそれが真実だとわかったのです。

ボブ:まさにその通り。それが何かを搔き立てのです。

質問者:ええ、結局、航空券を買って太平洋を横断しました。ええ、それは何かを揺り動かしたのです。

ボブ:その揺り動かされたものはどこにありましたか? ここオーストラリアですか? それとも、あなたの出身地のトロントがどこかですか? その、「聞く」という体験はどこで起こりましたか? それは、今あなたがいる場所ではありませんか? 「自分は分離した存在である」という信念の中で、それが何かを聞いて、別の場所、あるいは別の方法で見るようにと突き動かしたのです。

質問者:その通りです。それはまさにここで起きています。

2025/06/17

【日曜説教:令和7年5月】「仏心ひとつ」| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師


盤珪の話は何度聞いてもいいですね。
ああ、生まれたままでいいんだ。一体何を悩む必要があるのか。そう気づかされます。

2025/06/13

「私」が実在しないなら、何を言おうと構わないでしょう?

質問者: 人生の質について話せると思うのですが。あなたはどう思いますか?  こういうことについては、いつもあなたの意見を聞きたいんです。

ボブ: むしろあなたの意見を聞きたいです。

質問者: じゃあ、もし私が何かバカなことを言ったら、黙ってろって言ってくれると約束してください。

ボブ: バカなことを言うなんて思うのは誰ですか?「私」ですか?

質問者: たぶん「私」です。

ボブ: 「私」が実在しないなら、何を言おうと構わないでしょう? そのバカなことを聞​​かせてください。

2025/06/10

それは一つの本質です

ボブ:それは一つの本質です。私たちが話していることを表現するのに、他に適切な言葉は何でしょうか? それは生(life)ではないでしょうか?ニサルガダッタは「生だけが存在する。生を生きる者はいない」と言っています。それが肝心なのです。私たちは生を細分化し、様々な側面や性質があると考えがちですが、すべては生の本質なのです。

質問者:その生の本質なしには何も語れません。自分自身を生から切り離すことはできません。

ボブ:ええ。生からは何も切り離すことはできないでしょう?生は死を知りません。命(life)は常に命(life)によって生きています。命からさらに命が生まれます。

質問者:つまり、剣では切れない、水でも溺れない、ということですね。溺れるように見えるかもしれませんが、溺れないということですね。

ボブ:ええ、生にはそれらすべてが含まれています。あなたがそこに込めたいどんな概念、どんな考え、どんな外見も、すべてその生の本質に含まれています。したがって、それらのものはどれも、いかなる方法、形状、形態においても、それを包含したり、それに触れたりすることはできません。

2025/06/03

思考でさえ生命の本質なのです

存在の感覚は言葉によって「私は在る」という思考に翻訳されます。
それが「私は在る」という原初の思考です。
「私は在る」がなければ、他のものがあるとは言えません。
「私は在る」と言う代わりに、生命の本質がすべてとして表現されていると言いましょう。
その生命の本質なくしては何もありません。
思考でさえ生命の本質なのです。
                                    セイラーボブ