ボブ:あなたのその苦しみはもう何年もここにはありませんでした。
今ではずっと遠くなっていて、思い出すのも難しいでしょう。
でも当然ながら、それが最初に現れたときはとても生々しく、新鮮でした。
また「自分」という感覚に囚われたくなるでしょう。
だから、そのように見えることに落胆しないでください。
しばらくの間、再び引っかかってしまうように“見える”かもしれません。
でもできるだけ早くそれに気づいて、この瞬間の即時性に戻ってきて下さい。
質問者:もし怒りを感じたら、たとえ「私」から切り離されていても、あなたもまだ怒りを感じることがあると思います。
もしその怒りに基づいて行動してしまったら、それはまだ自分が「私」というものに強く同化しているということですか?
ボブ:もし「私」が実体を持たないと完全に見抜いているなら、それが起こった時あなたは「私」と同化していると言えるでしょうか?
「私」には何の実体も独立した性質もないと完全に見抜いているなら、
それは生そのものが怒りとして現れているということになります。
でも、それをあなたが「引き受けて」自分を責める必要はありません。
それはただ現れた感覚にすぎません。
その感覚を「あなた」という実体が引き起こしたのですか?
もし「あなた」という実体が存在しないなら、「あなた」にそんなことはできるでしょうか?
「あなた」にはできないはずですよ。