2021/05/21

おたよりをいただきました。

拓さんへ

読者の方からお礼や理解できました等のメッセージがほとんどないとのことですが、それは日本人特有のシャイさ故では?と推察します。
拓さんのブログの熱心な読者であれば、解説のわかりやすさと丁寧さ、情報の豊富さ、それらを惜しみなくシェアしてくださっていることに、感激し感謝を感じていることと思います。

「セイラーボブアダムソンの教え(詳しく)」シリーズ記事をすべて紙にプリントアウトして、「ただそれだけ」とセットにして繰り返し読んでいます。誰もがつまづきやすいポイント(実感が持てないことや、本当に理解だけで良いのか?等)についても拓さんの実体験と照らし合わせながら懇切丁寧に説明してくださり、それがセイラーボブの教えを理解する上で、実に有益な手助けとなっています。
ギルバートとカタリーナのぶっちゃけトークのくだりも秀逸で、かゆいところに手が届く非常に分かりやすい説明で、本当にありがたいです。
また、セイラーボブおよび拓さんの解説を自分なりに理解した上で、あらためてラメッシ・バルセカール著「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」を読んでみると、ビフォーセイラーボブのときに読んだ際はいまひとつ理解できなかった点が今度はスムーズに理解できる感覚がありびっくりしました。そして「エンライトメントなんてものはなくて、直感的理解こそが悟りである」とはっきり書かれていることを再確認しました。
また「私という存在が実在なのかどうか自分で調べる」を折に触れておこなってます。布団の中やコーヒーを飲みながらするのですが、ハッ!とした閃きや気付きがありとても面白いです。確固として実在すると思っていた「自分」って、よくよく調べてみると不確定で流動的であり、物質やら観念やら記憶やら日々生まれては置き換わってゆく雑多な要素・パーツで構成された暫定的プロジェクトみたいなものでした・・・。
拓さんのお父様のエピソードもとても印象的なポインターとなりました。
本に書かれていることを闇雲にただ信じ込むのではなく、自分自身であれこれ思案を巡らせたのち辿り着いた閃きは、確かに確信となりますね。

本を読んでいる最中、あるいは「自分で調べる」ためにマインドを使って熟考したり思案しているなかでふとやってくる「ハッ!としたふいの直感的理解」というのは、(行為者なしの)「見ること」「聞くこと」などの純粋な認識活動と同じく「(行為者なしの)純粋な理解」だな、とも思いました。
「私という主体がこの本を読んで教えを理解する」でなくて、機が熟したときにふと「(私という行為者なしの)直感的理解がただ起きる」ということかなと。
そのことに気付いたときに、「エンライトメントという体験ではなくて、(知的)理解で本当にいいのか?」という問いへの答えがもたらされたような気がしました。

拓さんの書かれる文章は論理的でかつ読みやすく分かり易く、実体験から産み出されたリアルな言葉で、胸に響きます。ギルバート氏が言われたように、翻訳ではなくて、セイラーボブを完全に理解された拓さんとしての、ご自身独自の言葉・メッセージを一冊の本にまとめられてはいかがですか?
なんて差し出がましいことをいってすみません、そのくらいの魅力が拓さんの文章にはあります。

話は変わりますが、私は20代の頃(1990年代)東南アジア中心にバックパッカー的な旅をしていたことがあり、拓さんの世界旅行記のミャンマーやジョグジャカルタの記事を拝見してとても懐かしく思い出しました。
バガンのパゴーダに登って眺めた夕陽は最高でした。コロナが収束したらまた東南アジアを旅したいです。
私も、セイラーボブの教えを理解し真実を見抜いて、その上で「神様がくれた魂の一番おいしいところ」を余すところなく堪能しながら、深刻さにとらわれずspontaneouslyになるべく軽やかに生きていけたら、と思います。

追伸:
長々とすみません。的外れなことを書いているかもしれませんが、読み返しているうちにメッセージを送信する勇気がなくなってしまうかもしれないので、勢いのままに送信しちゃいます!
非公開希望というわけでもないですが、かといって公開希望でもなく、拓さんにおまかせいたします。

よろしくお願いいたします。
ひろ

おたよりありがとうございました。ラメッシのくだりは他の方にも参考になると思ったので公開させていただきました。

セイラーボブは、話を初めて聞きに来た人には" Ring a bell?"(ピンときましたか?)と気軽に聞いていました。そのため、理解するということは、それほど大げさに騒ぐようなことでもないのかもしれません。もちろん今だから言えることですが。

私が「知的にはわかるのですが・・・」とシリアスな顔で答えるとボブは「知的に以外にどんな理解がありますか?」と言ったものです。

「私は実在ではない」ということについては、仏教の唯識の思想でも同じことを教えていて、そこではかなり理論的に説明されています。最近読んだ本の中でわかりやすかったものを書いておきます。

阿頼耶識の発見 よくわかる唯識入門 (幻冬舎新書)

2021/05/18

おたよりをいただきました。

20年に及ぶスピリチュアルの探求(そして幻滅)ののち、ここ数か月ほど非二元の分野に興味をひかれ、ラメッシバルセカールやダグラスハーディング、ニサルガダッタマハラジなどを読み、「ここには真実が書かれている」という謎の確信を感じつつも、同時に理解する難しさを感じていました。そんなときセーラーボブの本を読み、「この人の説明はとてもわかりやすい!」と感激し、拓さんのHPにたどり着きました。そして拓さんの解説があることにより、セーラーボブが伝えようとしていることがより鮮明にクリアーに、そして、な~んだそういうことか~と「普通に」理解する事が出来ました。すばらしいHPを作成して下さり、それをこうして無料でシェアしてくださり、本当にありがとうございます!どうしてもひとことお礼を述べたくてメッセージ送りました。これからもっと読み込んでいけるかと思うと、喜びがじわじわとわきあがってきます。

よろしくお願いいたします。
ひろ

おたよりをありがとうございました。
こういうお礼のおたよりをいただくと、とてもうれしいです。何年もの間、せっせとブログを書いてきましたが、お礼や、理解できたというおたよりをいただくことはほとんどなく、ブログを書くモチベーションも下がり、そろそろホームページ化しようと、3月に休止したところでした。

やっとこういうおたよりをいただけるようになったと喜んでいます。
がんばってまたブログを再開しようと、モチベーションが上がりました。

ついでに私の近況を書いておきます。
その後、毎日せっせと仏教関係の本を読んでいます。

驚いたことに、そうした本を読んで、根本的にはセイラーボブと同じことを説いている人や経典がたくさんあるということを知りました。長年、スピリチュアルの本を読んできたつもりでいたのですが、仏教は形骸化した宗教に違いないと決めつけて、その方面の本は全く読んできませんでした。

でも、仏教関係の本の中で、「あるのは意識だけである」「私は実在ではない」「実在としての物は存在しない」「一切は空である」「主体と客体はなく、一つのものである」というフレーズをたくさん見つけました。そして、仏教で説いている悟りも、エンライトメントや覚醒ではなく、理解であると確信しました。

今せっせと本やサイトを読んで学んでいるのですが、使われている仏教用語が難しかったり、解説する人によって微妙な違いがあったりして理解するには時間がかかるため、ブログに書くのは、しばらく先になると思います。

参考になればという思いで、今後読む予定の本のキーワードを書いておきます。

龍樹(りゅうじゅ)、中観(ちゅうがん)、唯識(ゆいしき)、世親(せしん)、唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)、唯識二十論、法華経、華厳経(けごんきょう)、楞伽経(りょうがきょう)、達磨、黄檗(おうばく)、六祖檀経(ろくそだんきょう)

唯識(ゆいしき)とは読んで字のごとく、「ただ意識だけがある」という教えで、それが大乗仏教の根本思想であり、その教えが今日でも仏教の中で脈々と受け継がれています。「ただ意識だけがある」と聞いただけでもセイラーボブの世界を連想してワクワクしてきます。ブログ再開後はこうしたキーワードを中心に書いていく予定です。

2021/03/14

長期充電中です。

ブログとしては終了する予定でしたが、まだまだ書き足りない気がします。

セイラーボブは、仏教、禅でも根底には同じものがあると言っていて、盤珪や僧璨を引用することがあります
そこで、仏教、禅という切り口から非二元を見たらどうなるだろうかと考えて、その方面の書籍を読んでみようと思うようになりました。例えば、悟り、空、無ということは仏教、禅ではどう説かれているのかということ。そうすれば、違った角度から非二元を理解できるかもしれません。

別のブログを立ち上げようかとも思ったのですが、伝統的な仏教、禅に興味があるわけではなく、あくまでも仏教、禅の根底に非二元と同じものがどれほどあるのかということが知りたいだけなので、このブログに書くことにました。

2021/03/07

謝辞

ブログを読んでいただいたみなさん、おたよりをくださったみなさん、応援ありがとうございました。

セイラーボブに会い、私の精神世界の探求は終わりました。
とても長い間、精神世界の旅をしてきたと思っていましたが、ゴールにたどり着いてみると、そこはもともと私がいた場所であり、一歩も動いていませんでした。

探求そのものが幻想でした。
人間の意識が何か別の次元に変容するということはありません。

セイラーボブが教えていることは、いつも思考の背後にずっとある何かであり、今までも、そしてこれからも変わることなく存在する何かです。

それを手に入れる必要もなければ、セラピーやリトリートに参加して自分を変える必要もありません。

今この瞬間も、多くの人が出口のない探求を続け、自分ではない何者かになろうとあくせくし、そのほとんどの人が、自分は不完全な存在であるという思いを抱きながら生涯を終えます。

私はとても幸運でした。
セイラーボブに出会えたおかげで、あるがままの私で完全であるということを理解することができました。

そしてあなたも、あるがままの今のあなたで完全であり、何者かになろうとする必要はありません。
セイラーボブも私もあなたも、同じ一つのものの現れであり、完全なものです。

セイラーボブは繰り返し繰り返し私たちに同じことを語りかけています。
私たちは、あるがままで完全なものであり、もともとそれなのだと。

一人でも多くの人が精神世界の探求で大切な人生を浪費しないことを願っています。
一人でも多くの人がカルトに巻き込まれないで、生き生きとした人生を生きることを願っています。

2015 メルボルン

2021/03/06

エピローグ

深い森の中で一本の木が倒れた。木こりはドシーンという音を聞いた。

音とは何だろう。それはバイブレーション。バイブレーションが空間を伝わり、木こりの耳に届き、それを脳が変換してドシーンという音を感じることができる。

もしそこに木こりがいなかったら、ドシーンという音がするだろうか。
バイブレーションはあるかもしれないが、ドシーンという音はない。

海辺で一人の少女が青い海を見ていた。色とは何だろう。それは光の波長、バイブレーション。その波長が少女の目に届き、脳が青い色へと変換する。
もしそこに少女がいなかったら、青い海はあるだろうか。
色の波長はあるかもしれないが、青い海はない。

宇宙ステーションから一人の宇宙飛行士が丸くて青い地球を見ていた。形とは何だろう。それは光のコントラスト。光の波長が宇宙飛行士の目に届き、脳が丸くて青い地球へと変換する。
もしそこに宇宙飛行士がいなかったら、丸くて青い地球はあるだろうか。

もし、この世にあなたがいなかったら、そこに世界はあるだろうか?

2016 メルボルン郊外

2021/03/05

すべてはあるがままで完全なものです。

春が来ると桜が咲き、夏になるとセミが鳴き始めます。

アサガオは夜が明ける前に花を咲かせます。
ひまわりの花は日が昇ると太陽を追いかけます。

牡蠣は満月の夜に開き、サンゴは満月の夜に産卵します。
ウミガメは孵化すると、砂浜から這い出て海を目指して一直線に歩き始めます。

仔牛は生まれてすぐに立って歩くことができます。
サケは川で生まれ、遠くの海まで旅をして、また生まれた川へと帰ってきます。

こうしたことは、誰かから学ぶわけでもなく、自然に起こっていることです。
自然で起こっていることは、あるがままで完全なものです。

物事は自然に起こっているのです。
そしてすべては完全なものです。

花はただ単に咲いています。

何者かになろうとか、何かを思い悩んではいません。
ただ在るだけで完全なもの。
自然は完全そのものです。

そしてあなたも、その自然の一部です。

2017 タスマニア

2021/03/04

悩みや心配は不要です。

私たちの問題はすべて思考の産物です。
そして、心理的な苦悩は不要なものです。

What’s wrong with right now, if you don't think about it?
(もしそのことを考えなかったら、今何が問題ですか?)

この世界はすべて思考の産物です。
実際には、そこには誰もおらず、何もないのです。

生まれてしばらくすると、視界に様々なものが現れ、周りの人たちがありとあらゆる観念を植え付けます。私がママで、あの人がパパ。これがミルクで、あれが椅子。
そうやって徐々に世界が観念としてあなたの意識の中に現れて、世界を形作っていきます。

でも、あなたが定義付けしなければ、それはミルクでも椅子でもありません。世界はあなたの思考でできています。

そしてまた、周りの人や社会があなたに、何が幸せなのかも教えます。
良い仕事について、十分なお金を稼ぐこと。素敵なパートナーを見つけて、家庭を持って子供を育てること。家を買って老後に備えること。健康で長生きすること。

そうした条件付けによって、幸せとはこういうものだという世界観が構築されます。そして、その世界観から外れるような出来事が起こるのではないかと心配し、もしその世界観から外れるような出来事が起きると、「私は不幸だ」と、悩むことになります。

でも、実際には誰も幸せでも不幸でもありません。なぜなら、この世界を構築しているのは思考、観念であり、実際そこには何もないからです。そこにあるのは観念であり、幸せも不幸もあなたの思考の産物です。

あるように見えている世界は、命の本質が自然に現われているにすぎません。それに勝手な解釈を加えて悩んだり心配したりしているのは思考であり、いるはずのない「私」です。

誰かを恨んだり、うらやんだりする必要もなければ、自分がしでかした事を悔い悩む必要もないのです。あなたが解釈を加えなければ、そこには誰もおらず、何も起こってはいないのです。

かと言って、起こってくる思考や、そこにいるように見える「私」を消し去ることはできません。できることは、それは実体のないものだと気づいていて、物事を過度に深刻にとらえないことです。そこには誰もいないのですから。

2016 メルボルン

2021/03/03

あらゆる観念から自由でいること。

二元性の枠組みの中で物事を見るのをやめること。

私とあなた。自己と他者。主体と客体。見る者と見られる物。存在と不在。空と形。現実と非現実。完全と不完全。始まりと終わり。過去と未来。運命と自由意志。輪廻と解脱。現世と過去世。この世と天国。好きと嫌い。良いと悪い。正しいと誤り。快と不快。誰かが私を傷つけたと私は傷ついた。私は理解したと私は理解していない。私は幸せだと私は不幸だ。

こうしたことは全部マインドの産物であり、観念です。
私たちは、物事を二元性の枠組みの中で理解しようとします。

こうした枠組みはそれほど役に立たず、マインドを納得させる手段にすぎません。
マインドの中でスッキリしたとしても、実際には何かが変わったわけでも、解決したわけでもありません。

こうした区別は、あなたが観念として構築したものにすぎず、実体があるものではありません。こうした観念から自由でいると、自然な知性が流れ始めます。

何も理解すべきことはなく、何かすべきこともありません。
あらゆる観念から自由でいてください。
すべての問題はマインドの産物です。

無心(ノーマインド)、不生の仏心でいること。
どんな基準点からも自由でいること。

笑いたければ笑い、泣きたければ泣き、起こるに任せる。
何者にもなろうとせず、あるがままでいること。
すべてはあるがままです。

言葉にとらわれないでください。
名前や姿形にとらわれないでください。
名前や姿形は言葉であり、言葉は観念です。

もちろん、あらゆる観念から自由でいようとしても、難しいのはわかっています。
でも、「すべてはマインドの産物であり、観念にすぎない」と気づいていることはできます。
あなたが理由付けしなければ、問題などもともと何も無いのです。

生(せい)、命(いのち)はマインドの中で起こっているのではなく、今、目の前で起こっています。
それは、あなたの観念に関わりなく、自然に起こっています。
観念に迷い込むのをやめて、コーヒーでも飲みませんか?

2016 メルボルン

2021/03/02

世界は幻影である。

本当にそうでしょうか?

それを確かめるすべなど、あろうはずがありません。

例えば、私たちが眠っている間に夢を見て、「ああ、あれは夢だった」とわかるのは、夢から覚めた後です。そして、夢だとわかった後では、もう夢の中へ戻ることはできません。

世界が幻影であるとわかるためには、この世界の外に出なければなりません。つまり、死ななければ、この世界が幻影かどうかはわかりません。そして、死んだら、もう二度と戻ってくることはできないのです。

金魚は、自分が水の中にいるということを理解できません。金魚鉢の外から自分を見ることができないからです。

宇宙の全体はこうだ、といくら仮説を立てても、誰も宇宙の外へは出ることはできないため、宇宙の全体像は永遠の謎、仮説のままです。

万物は一つのものである。
万物が一つのものであるということを体験として知ろうとするなら、万物の外へ出ないと、それが一つのものであるかどうかはわかりません。

誰も万物の外へ出ることができない以上、それが一つのものであるということを体験した人はいません。

私はいないという体験も同じです。私の外に出ないと、それを確かめることはできません。でも、私がいない時、私がいないという状況を見ているのは誰ですか? そこにそれを見ている人がいなかったら、私はいなかったと後で思い出すこともできないはずです。

非二元の教えはこうした矛盾、逆説に満ちています。何か良い解決法はないかと人々は考え、エンライトメントという、おとぎ話を作りました。

誰かが最初に、「私は覚醒した」と言い始め、人々はその人を崇め、それを刷り込まれた追従者たちが同じような疑似体験をして、「私も覚醒した」と言い、そうした歴史が幾世にもわたって繰り返され、人々はエンライトメントを信じるようになりました。

私はいないということを体験するためには、私の外に出なければなりません。
万物は一つのものであるということを体験するためには、万物の外に出なければなりません。
世界は幻影であるということを体験するためには、世界の外に出なければなりません。

「私」が死ぬ時、世界は消滅します。なぜなら、世界は「私」の意識の中にしかないからです。でも、基準点を残された人たちに置くなら、依然として世界はそこにあります。

非二元の教えを知的に理解することは可能ですが、それを実際に体験することはできません。もし、それを実際に体験しようとして探求を続けるなら、一生迷路にはまり込んだままです。

非二元の理解は、頭であれこれと考えた理解ではなく、直感的、感覚的な理解であり、疑いようのない真実としての絶対的な確信です。それは機が熟せば自然と起こってくる洞察、理解です。

私たちは幻影の世界にいて、夢を見ています。
でも、この夢が覚めることは決してありません。

2015 メルボルン

2021/03/01

救済される時。

人がスピリチュアルの世界(精神世界)に興味を持つ理由は様々です。
でも、たいていの場合、何らかの問題を抱えていて、その解決策を精神世界に求めます。

対人関係、家族のこと、お金、仕事、失恋、心の病、強迫観念、憎しみ、悲しみ。そうした問題の多くは簡単には解決法が見つからないため、手っ取り早く悩みや重圧から解放される方法を探して、精神世界に入っていきます。

スピリチュアルの本を読んでも、グルや教師を訪ねても、グループワーク、セミナー、セラピー、リトリート、瞑想、なんたらのセッションに参加しても、問題は解決しません。

私もそうでした。
私は昔、こっぴどい強迫神経症に悩まされましたが、当時は強迫神経症という病名すら知らず、自分は狂人なのだと思っていました。あれこれの本を読み、催眠治療や様々なセラピーを受けたのですが、ますますひどくなるばかりでした。そうしてますます精神世界に傾倒していき、仕事を辞めてインドまでグルに会いに行ったり、チャネリングの会に参加したり、熱心に瞑想したり、どうしても自力で飛んでいるとしか思えない人たちと一緒に気功を習ったりしました。

そうしたことが、私を救済することはありませんでした。最終的に私を救済したのは、「強迫神経症を治す方法などない。人間とは多かれ少なかれ強迫観念を抱えて生きていくものだ」という理解でした。

具体的には、以前おたよりのコーナーで書いた、森田正馬博士の本を読んで、「強迫観念をあるがままに受け入れて、やるべき日常の仕事をする」ということを続けていくうちに、強迫観念は消えていき、そのうちに忘れてしまいました。

これは何も強迫神経症にだけに当てはまることではなく、人生で起きるすべての問題に当てはまることだと思います。人生には様々な問題が起きてきます。そのほとんどが、個人の力ではどうしようもない問題です。

非二元的に言うなら、「私」が引き起こした問題ではなく、自然に起こってくる問題です。でも、人は何とかして自分の力でその問題を解決しようとしてもがきます。バタバタと、もがけばもがくほど、物事は悪い方へと向かいます。

そんな時、「人生にはそうした問題はつきものだ、解決の方法などない、物事は自然に起こっているのだ」と、あるがままに見つめてみてはどうでしょうか。そうすると、物事は自然に良い方へと向かい始めます。

問題を解決しようとあくせくする間はエネルギーを浪費するだけで、解決へと向かいません。なぜなら、もともと問題などありはしないからです。

私を癒したのは、「解決の方法などない」という理解でした。
そんな貴重な経験をしたにもかかわらず、私はその後も覚醒、エンライトメント、解放を求め続けました。覚醒、エンライトメント、解放があると思っていたからです。

私はまた、「私は実在ではない、万物は一つのものである」ということがなかなか理解できませんでした。理解するためには何か特別な体験が必要だ、理解したら、何か特別な事が起きるはずだと思っていたからです。

それを理解する方法などないし、何も特別なことなど起こりはしないと理解した時、本当の意味での理解が起こりました。マインドの中には答えはないと心底理解したからです。
解放、救済、理解が起きるのは、「解放、救済、理解の方法などない」ということを心の底から理解した時です。それを探し求めている間は解放、救済、理解は起きません。

あなたが何も求めない時、そこには解放と喜びがあります。
なぜなら、その執着こそが自然なエネルギーの流れを妨げているものだからです。

最後によくあるスピリチュアルジョークをひとつ。

ある男が崖から落ちて、崖の途中の木にしがみついて、こう叫びました。
「おーい、誰か上にいるか。助けてくれ~」

返事がなかったので男はこう言いました。
「では、神はいないのか。もしいるなら私を助けくれ~」

すると神がこう答えました。
「よろしい、助けてあげよう。まず最初に、その手を木から放しなさい」

男はしばらく考えたあとで言いました。
「お~い! 誰か他の神はいないのか~」

2016 メルボルン

2021/02/28

「私」は消えない。

多くの人が非二元を学び、どうしたら「私」が消えるのだろうかと考えています。
いくら「私」は想像の産物であるということを理解しても、「私」は繰り返しやって来ます。

生きているかぎり、肉体と思考があり、「私」が消えることはありません。
いくら思考を止めようとしても、思考を止めることはできません。
止めたと思っても、すぐに次の思考がやってきます。
肉体と思考があるかぎり、「私」はそこにいるように見えます。

もともとそこには何もないのに、私たちはそこに「私」がいると勝手に想像しています。
いるはずのない「私」がいると思っています。

もともといるはずのないものなら、消す必要もないのではないですか?
もし本当に意識の中から「私」が消えたら、あなたは車や建物にぶつかってしまうでしょう。
すべての記憶が消え、言葉も忘れ、人との会話も成り立たず、すぐに病院に入れられてしまうでしょう。

多くの一瞥体験者が、「そこに私はいなかった」と言います。
では、その体験を覚えているのは誰ですか? 私がいなかったのなら、それを記憶しているのは誰ですか? それを気憶しているのは「私」ではありませんか?

非二元の教えの一番大切なところは、私が「私」だと思っている存在は実在ではないということです。
ところが、ちまたにあふれる本やブログは、そのことと覚醒、エンライトメントをセットにして、私は実在ではないという理解は覚醒や一瞥体験によってもたらせるというものがあまりにも多い。

非二元、アドヴァイタの本質は理解であり、覚醒ではありません。
「私」がいないという体験を探す必要はまったくありません。
本当は「私」はいないと理解していればそれで十分です。
体験を求めれば求めるほど、迷路にはまり込むことになります。

2015 メルボルン

2021/02/27

セイラーボブの教えていることは覚醒やエンライトメントではありません。

「私」は実在ではなく、単なる観念のかたまりにすぎないと理解できれば、観念のかたまりが覚醒しないのは自明のことです。

セイラーボブの教えていることは、何かを体験することや、何かになることではありません。
セイラーボブの教えていることを理解しても、覚醒やエンライトメントは起きません。何か特別な体験をしたり、人々が自慢げに語る一瞥体験が起こるということもありません。

(ああ、そういうことだったのか)(自分はもともとそうだった)と理解するだけです。
覚醒した人やエンライトメントした人なんてのはいません。誰かが、「私は覚醒した」と言ったら、そいつには気をつけてください。

「永遠に続く至福」「とめどないエクスタシーの連続」「思考の停止」「意識の変容」「終わりのない幸福」「異次元の意識」。全部まやかしです。

日本中にどれだけの仏教寺院があって、どれだけの禅僧がいると思いますか? タイやミヤンマー、チベット、そして世界中にどれだけの仏教寺院があって、どれだけの僧侶がいると思いますか? そのうちの誰かが覚醒した、悟りを得たというニュースを聞いたことがありますか?(もちろん、仏教や禅で言うところの「悟り」がエンライトメントだと言うつもりはありませんし、仏教や禅が教えているのはエンライトメントだと言うつもりもありません)

千日回峰を成し遂げたというニュースは聞いたことがありますが、誰かが覚醒、悟りを得たというニュースは聞いたことがありません。このインターネットが発達した世の中でも、そうしたニュースはまったく目にしません。

覚醒したという知らせは、いつも、「自称」であり、その知らせをたどっていくと、必ず覚醒ビジネスへとつながっています。

インドには、自称「覚醒した人」がたくさんいます。ニューデリー空港の売店に行くと、それらしき人の写真パネルと一緒に本が山積みになって売られています。覚醒はインドの産業だからです。彼らは世界中から人々を集めて、金を巻き上げているのです。

日本のネット上でも同じことが起きています。彼らのキーワードは巧妙で、「目覚め」「気づき」「癒し」「一瞥体験」「セラピー」「精神世界」「瞑想」「グループワーク」「遠隔…」などです。

あなたが、「私も覚醒したい」「私も一瞥体験がしたい」「私も癒されたい」と思った瞬間に、彼らの術中にはまったのだということを理解してください。彼らはあなたから金を巻き上げるか、毒にも薬にもならない教えを刷り込むだけです。そうしてあなたは、終りのない精神世界の旅をさまよう羽目になります。

「あなたは不完全だ」「あなたは今のままではだめだ」「あなたは癒される」「あなたは解放される」。こうした言葉には注意してください。

人々にはいつも、「救われたい」「解放されたい」という思いがあります。でも、誰が救われるというのですか? 救われる「私」は単なる観念であり、そこには誰もいません。

自分ではない何者かになろうとする焦燥と奮闘を手放す時、本当の意味での平安が訪れます。

悩み、災難、不幸、生老病死は人の常です。
それが生きていくということであり、いくら姑息な手を使って避けようとしても避けられません。

でも、そうした出来事は、どこに現れていますか?
もし、そうした出来事にとらわれず、こじらせなければ、それはやがて去っていくものではありませんか?

そうした出来事とは関わりなく、いつも背後にあるものは何ですか?

2017 タスマニア

2021/02/26

お知らせ

永らく皆さんに読んでいただいたこのブログですが、3月7日をもってブログとしての更新を終了させていただき、ホームページ化します。(ホームページと言っても、体裁は今とほとんど変わりません)

それまでに書く内容は、今までこのブログで何度も書いたことと同じであり、その繰り返しになるかと思いますが、セイラーボブの言葉を借りるのではなく、私自身の言葉で書いていきます。多少辛辣なことも書きますが、それはあくまで私個人の意見であるとご了解ください。

セイラーボブの教えを広く皆さんに知っていただきたいという思いでこのブログを書いてきましたが、その役目はある程度果たせたのではないかと思っています。

去年の夏ごろから、ニサルガダッタ・マハラジの言葉を訳してブログに掲載する一方で、セイラーボブの本を翻訳して出版できないかと考えました。私はプロの翻訳家ではないし、本の出版をやったことはありません。でも、あれこれと調べるうちに、翻訳家になるための7つのステップ 知っておきたい「翻訳以外」のこと・寺田真理子著あなたを出版翻訳家にする7つの魔法を読んで、私でも出版できるのではないかと思うようになりました。

そして、著作権者に了解を取る前に一通り全部訳してみて、問題なく訳せたら著作権者の了解を取って出版社を探すことにしました。

二か月ほどかけて、「What's Wrong with Right Now!」を翻訳してみたところ、問題なく訳すことができたので、著者権者であるギルバートにメールで出版の許可をお願いしたところ、返事はノーでした。

私はギルバートとは旧知の仲で、約半年間も一緒にボブのミーティングに出席していたので、快く許可してくれると思っていたので驚きました。

メールで何回かやり取りした後、facebook のビデオチャットで会話しましたが、やはり返事はノーでした。

ギルバートが言うには、セイラーボブの使う英語には独特の表現があって、英語ネイティブですらどう解釈していいかわからないものが多くあるので、それを他の言語に翻訳すれば、誤解のもととなる、翻訳しない方がいい、ボブの教えはあくまで英語で理解すべきだと言うのです。そして、もしボブの教えを人に伝えたいのなら、翻訳ではなく、自分で本を書くなどして、自分の言葉で伝えた方がいいとも言いました。

確かに、ボブの使う英語には、どう翻訳してよいか困るものがたくさんあります。
例えば、awareness, livingness, being, seeing, knowing.

また、ある時ボブは私に、"Live your livingness!" と言いました。livingness を辞書で調べても、載っていません。(生の本質)(生き生きとした命)(生そのもの)というような意味であるとはわかるのですが、それを翻訳するのは大変です。
「命の本質を生きなさい」
「生き生きとした人生を送りなさい」というような翻訳に落ち着くとは思うのですが、何かしっくりきません。

ボブの本にはこうした言葉が随所に出てきます。ギルバートの言うことはもっともですが、高木悠鼓さんはちゃんと訳してみえるのだから、他の言語に翻訳するのもありではないかと思いました。

ギルバートが私の翻訳力を疑っているのかと思いましたが、そうではないようです。
ギルバートは、私よりはるかに英語が堪能なオーストラリア在住の日本人に、「ただそれだけ」は日本でちゃんと翻訳されているのか、と尋ねたことがありました。

私も含めボブのミーティングにやってくるほとんどの日本人が、セイラーボブは覚醒した人だと勘違いしてやって来るのを目にして、ちゃんと翻訳されているのか、翻訳では正しく理解されないのではないかと思ったのだと思います。

高木さんの翻訳は素晴らしいと思うのですが、あの本を読んで、どれだけの日本人がセイラーボブは覚醒した人ではなく、覚醒など無いと言っているということを正しく理解しているでしょうか?

「ただそれだけ」の最後のページの終わりの三行を読むだけでも、そこには覚醒などないとちゃんと書いてあるのに、ほとんどの人はそのことを理解しません。

「What's Wrong with Right Now!」の出版はあきらめました。もともと、一番翻訳したいと思っていた本は「Living Reality」です。この本がセイラーボブの教えを理解するにはベストだと思います。

でも、この本は厚さが「What's Wrong with Right Now!」の3倍近くあって、訳すのに時間がかかるし、売れるかどうかわからない高価な本を出版する出版社を探すのは容易ではないと考えました。もし、「What's Wrong with Right Now!」を出版できたら、「Living Reality」も出版したいと考えていました。

「Living Reality」の著作権者であるジェームズ・ブラハは、このブログで「Living Reality」の一部を抜粋翻訳する許可をくれたので、本全体の翻訳も許可してくれるのではないかという思いもあり、「Living Reality」を翻訳することにしました。

これも同じように、一通り全部訳してみて、問題なく訳せるとわかってから著作権者の了解を取ることにしました。昨年の9月から約三か月かけて、全体の80パーセントぐらいまで訳しました。その時点までは問題なく訳せたし、あと一か月もあれば終わるだろうと思っていました。

でも、ある日ふと思ったのです。私は一体毎日毎日パソコンに向かって何をやっているんだろうかと。全部訳して、仮にジェームズ・ブラハが出版を許可してくれても、出版してくれる出版社があるだろうか? このコロナ禍の中で出版社を探すだけでも大変なこと。仮に出版できたとして、どれだけの人が買ってくれるだろうか? 読んだ人の何人が内容を理解するだろうか?

私のブログの毎回のアクセス数平均は60前後です。その全員が買ってくれたとしても60冊です。書店で見かけて買ってくれる人がどれだけいるでしょうか? 覚醒した人の本を買いたいと思う人はいると思いますが、「覚醒していない人」「覚醒なんてないと言う人」の本を買いたいと思う人がどれだけいるでしょうか? 

いくら私がセイラーボブの教えを正しく理解していると思っていても、翻訳家でもないシロウトの私が、ネイティブでさえ理解に苦しむボブの特殊な言い回しを日本語に訳すのは問題ではないか?

そんなことを考えているうちにギルバートが言う「ボブの教えは英語で理解すべきだ」という言葉がだんだん大きくなっていきました。セイラーボブの教えていることは、私なりの言葉でもう十分にブログに書いた。たくさんの人に読んでもらい、またこれからも読まれると思いますそれで十分だと思うようになりました。

同時に私は、「本を翻訳して出版した人」になりたいという自身の虚栄心、エゴに気づくようになり、出版したいという気はなくなりました。

もともと私は偉い人になりたかったわけではありません。マスターやメッセンジャーになりたかったわけでもないし、本を出版したかったわけでもありません。
ただただ救われたかった。ただただ「覚醒した人」になりたかった。

私はボブに会って救われ、覚醒などないと知った。私の探求は終わりました。
そして今、
このブログの更新も、そろそろひと段落つけたいと思うようになりました。

もちろん、セイラーボブが教えてくれた非二元こそが私にとっての最高のものであるという思いは変わらないし、今後も Facebook 経由で時々はボブのミーティングも見るつもりです。

2016 ボブの家

2021/02/25

ニサルガダッタ・マハラジ 目次

ニサルガダッタ・マハラジとは

ニサルガダッタ・マハラジ YouTube

  ・ニサルガダッタ・マハラジ 1979フィルム

  ・ニサルガダッタ・マハラジ ドキュメンタリー'Tatvamasi' (I am That)

  ・汝それなり ニサルガダッタ・マハラジ ドキュメンタリー With Sailor Bob Adamson

ニサルガダッタ・マハラジの言葉(このページをスクロールして順番に下へ読んでいってください)

ニサルガダッタ・マハラジの言葉 まとめ

長い間、ニサルガダッタ・マハラジの言葉を掲載してきましたが、マハラジの言葉はこれで終了です。
サイト上にはまだまだ素晴らしい言葉がたくさんあるのですが、諸事情により終わりにします。
私なりにマハラジの言っていることをまとめてみます。

まず第一に、マハラジはエンライトメントや覚醒については何も語っていません。
ということは、マハラジの教えていることは、エンライトメントや覚醒ではないということです。多くの人が、マハラジは覚醒した人だと勘違いしています。彼の教えていることは覚醒ではありません。

マハラジが教えていること。
①あなたの想像以外、何もあなたを苦しめはしない。
②タットバマシ(汝それなり)
③理解することがすべてである。

大胆に言ってしまえば、この三つがマハラジの教えの神髄です。
サイト上にあるマハラジの言葉を読んで思ったのは、多少の表現の違いはあるかもしれませんが、セイラーボブは、かなり忠実にマハラジと同じことを教えているということです。セイラーボブの教えていることも覚醒ではありません。あくまでも理解です。

2021/02/24

ニサルガダッタ・マハラジの言葉

“Liberation is not an acquisition but a matter of courage, the courage to believe that you are free already and to act on it.” 
 Nisargadatta Maharaj

「解放とは獲得するものではなく、勇気である。あなたはもうすでに自由であると信じる勇気、そしてそれにもとづいて行動する勇気のことである」
Nisargadatta Maharaj

「利己的執着なしに生きることを学びなさい。そのためには、あなたは自分の本質が不屈の恐れを知らない永遠の勝利者でありことを知らなければならない。あなたの想像以外に何もあなたを悩ますものなどないと絶対の確信をもっていったん知ったなら、あなたは欲望や恐れ、概念や思考にとらわれることはなく、真実のみに生きる」
Nisargadatta Maharaj

欲望とは快楽の記憶である。そして恐れは苦痛の記憶である。どちらもマインドを落ち着かせない。
Nisargadatta Maharaj

あなたは、私は理解したと考えているのは誰かという謎を解くまでは、理解したとは言えない。
Nisargadatta Maharaj

2021/02/23

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

It has nothing to do with effort. Just turn away, look between the thoughts, rather than at the thoughts. When you happen to walk in a crowd, you do not fight every man you meet, you just find your way between. When you fight, you invite a fight. But when you do not resist, you meet no resistance. When you refuse to play the game, you are out of it.
Sri Nisargadatta Maharaj

それは努力することとは何の関係もない。思考そのものを見つめるのではなく、方向を変えて、思考と思考の間だけを見つめなさい。人込みを歩く時、あなたはすれ違う人に衝突することなく、間をすり抜けていく。あなたが抵抗すれば衝突を招く。あなたが抵抗しなければ、衝突はない。あなたがゲームを演じることを止めると、あなたはそのゲームから自由となる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/22

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

There is no need of a way out! Don't you see that a way out is also part of the dream All you have to do is see the dream as dream. ...Wherever it leads you, it will be a dream. The very idea of going beyond the dream is illusory. Why go anywhere Just realize that you are dreaming a dream you call the world and stop looking for ways out. The dream is not your problem. Your problem is that you like one part of your dream and not another. Love all, or none of it, and stop complaining. When you have seen the dream as a dream, you have done all that needs be done.
Sri Nisargadatta Maharaj

出口は必要ではない! 出口も夢の一部だとわからないのか。あなたは夢を夢だと認識しさえすればいい。それがあなたをどこへ導こうと、それは夢なのだ。夢の外へ出ようというのは幻想だ。どうしてどこかへ行こうとする。世界という夢を見ているということを理解して、出口を探すのを止めなさい。夢があなたの問題なのではない。問題は、あなたが夢のある部分を好み、ある部分を嫌うことだ。すべてを愛するか、全部を嫌うかにしなさい。そして不平を言うのを止めなさい。夢を夢だとわかった時、あなたのすべきことは終わる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/21

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Instead of searching for what you do not have, find out what it is that you have never lost.
Sri Nisargadatta Maharaj

持っていないものを探し求めないで、一度も無くしたことがないものを見つけなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/20

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

All separation, every kind of estrangement and alienation is false. All is one.
Sri Nisargadatta Maharaj

すべての分離、あらゆる種類の疎遠と疎外は虚偽である。
すべては一つのものである。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/19

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Abandon the false and you are free of pain; truth makes happy, truth liberates.
Sri Nisargadatta Maharaj

虚偽であるものを放棄すれば、痛みから解放される。
真実は幸福をもたらし、解放する。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/18

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

For me the moment of death will be a moment of jubilation, not of fear. I cried when I was born and I shall die laughing.
Sri Nisargadatta Maharaj

私にとって、死は恐怖ではなく、歓喜の瞬間となるだろう。
私は泣いて生まれたが、笑って死ぬことになるだろう。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/17

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Let the dream unroll itself to its very end. You cannot help it. But you can look at the dream as a dream, refuse it the stamp of reality.
Sri Nisargadatta Maharaj

夢が最後まで展開するのに任せなさい。
あなたはどうすることもできない。
でもあなたは、夢を夢として見つめ、現実というスタンプを押すことを拒むことはできる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/16

ニサルガダッタ・マハラジの言葉

Nature is neither pleasant nor painful. It is all intelligence and beauty. Pain and pleasure are in the mind.
Sri Nisargadatta Maharaj

自然は愉快でもなければ苦しくもない。
それは知性と美に満ちている。
苦痛と喜びはマインドのものである。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/15

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

I ask you only to stop imagining that you were born, have parents, are a body, will die and so on. Just try, make a beginning-it is not as hard as you think.
Sri Nisargadatta Maharaj

私が想像するのを止めるようにと言っているのは、あなたが生まれ、両親がいて、体があって、やがて死ぬ、そういったことだ。
やってみなさい。思っているほど難しいことではない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/14

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The desire for truth is the highest of all desires, yet, it is still a desire. All desires must be given up for the real to be.....When all search ceases, it is the Supreme State.
Sri Nisargadatta Maharaj

真実を求める欲求は最高の欲求だが、それでもそれは欲求である。
実在として在るためには、すべての欲求を放棄しなくてはならない。
すべての探求が終わるとき、それが究極の状態である。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/13

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Cooperate with your destiny, don't go against it, don't thwart it. Allow it to fulfill itself.
Sri Nisargadatta Maharaj

運命とともにありなさい。決して逆らってはいけない。邪魔してもいけない。
運命が成就するのを許しなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/12

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The world you perceive is made of consciousness; what you call matter is consciousness itself.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたが認識する世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識に他ならない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/11

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The essence of saintliness is total acceptance of the present moment,
harmony with things as they happen.
Sri Nisargadatta Maharaj

聖人らしさの真髄は、今この瞬間を完全に受け入れていること、起こるに任せていること。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/10

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Your own self is your ultimate teacher. The outer teacher is merely a milestone. It is only your inner teacher that will walk with you to the goal, for he is the goal
Sri Nisargadatta Maharaj

あなた自身があなたの最高の師である。
外側の師は単に目印にすぎない。
内側の師だけがあなたと共にゴールまで歩いてくれる。
なぜなら、彼こそがゴールだからだ。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/09

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Suffering is a call for inquiry, all pain needs investigation.
Sri Nisargadatta Maharaj

苦悩は調査を要求している。どんな痛みも調べてみる必要がある。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/08

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Nothing troubles me. I offer no resistance to trouble - therefore it does not stay with me. On your side there is so much trouble. On mine there is no trouble at all. Come to my side.
Sri Nisargadatta Maharaj

何も私を煩われせはしない。
問題が起きても私は抵抗しない。
それゆえ、問題が長引くことはない。
あなたの側にだけたくさんのトラブルがある。
私の側ではまったくトラブルはない。
私の側へ来なさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/07

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

I am told I was born. I do not remember.
Sri Nisargadatta Maharaj

私は生まれたと人から言われた。思い出せない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/06

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Absolute perfection is here and now, not in some future, near or far.
Sri Nisargadatta Maharaj

おおいなる完成は今ここにある。未来やどこかににあるのではない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/05

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

When pain is accepted for what it is, a lesson and a warning, and deeply looked into and heeded, the separation between pain and pleasure breaks down, both become just experience - painful when resisted, joyful when accepted.
Sri Nisargadatta Maharaj

痛みをレッスン、警告としてありのまま受け入れ、深く観察して注意を向けると、痛みと喜びの分離は無くなり、どちらも単なる経験となる。抵抗すれば痛みとなり、受け入れれば喜びとなる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/04

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Punishment is but legalized crime. In a society built on prevention, rather than retaliation, there would be very little crime. The few exceptions will be treated medically, as of unsound mind and body.
Sri Nisargadatta Maharaj

刑罰は合法的な犯罪に他ならない、
報復ではなく、予防に基づく社会では犯罪はほとんどない。
ごく例外的に、マインドと体が病んでいる場合は治療が施される。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/03

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

There is no such thing as a person. There are only restrictions and limitations. The sum total of these defines the person. The person merely appears to be, like the space within the pot appears to have the shape and volume and smell of the pot.
Sri Nisargadatta Maharaj

人などというものは存在しない。
そこには制限と限界があるだけだ。
その総計を人と定義している。
人は、そのように現れているだけであり、空間の中に鍋の姿形があって、鍋の臭いがしているのと同じだ。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/02

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

All that a guru can tell you is:
'My dear Sir, you are quite mistaken about yourself.
You are not the person you take yourself to be.'
Sri Nisargadatta Maharaj

グルがあなたに言えるのはこれだけだ。
「拝啓、あなたは自身のことを全く誤解しています。あなたは自身が思っているようなものではありません。」
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/01

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

True happiness cannot be found in things that change and pass away. Pleasure and pain alternate inexorably. Happiness comes from the Self and can be found in the Self only. Find your real Self and all else will come with it.
Sri Nisargadatta Maharaj

本当の幸福は、変化し去っていく物事の中には見つからない。
喜びと痛みは容赦なく交互にやってくる。
幸せは自己からやって来るものであり、自分の中にしかない。
本当の自分を見つけなさい。そうすれば、他のことは一緒にやってくる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/31

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Awareness neither dies nor is re-born. It is the changeless reality itself.
Sri Nisargadatta Maharaj

アウエアネス(意識)は、死ぬこともなければ、再び生まれることもない。
それは、不変の実在そのものである。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/30

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

You can become a night watchman and live happily. It is what you are inwardly that matters. Your inner peace and joy you have to earn. It is much more difficult than earning money. No university can teach you to be yourself.
Sri Nisargadatta Maharaj

夜警になって幸福に生きることもできる。
大切なのは内面なのだ。
内側の平和と喜びを手に入れなければならない。
それはお金を稼ぐことよりもずっと難しい。
どんな大学も、あなた自身でいることを教えてはくれない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/29

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Get hold of the main thing: That the world and the self are one and perfect. Only your attitude is faulty and needs readjustment.
Sri Nisargadatta Maharaj

肝心なことを理解しなさい。
世界とあなたは一つのものであり、完全なものだ。
あなたの態度だけが間違っていて正す必要がある。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/28

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Our usual attitude is of 'I am this'. Separate consistently and perseveringly the 'I am' from 'this' or 'that', and try to feel what is means to be, just to be, without being 'this' or 'that'.
Sri Nisargadatta Maharaj

私達の普段の態度は、「私はこれだ」というものだ。
絶えず、そして粘り強く、「私」を「あれ」や「これや」から引き離しなさい。
そして、「あれ」や「これや」無しで、在ること、ただ在ることが何なのかを感じるようにしなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/27

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

In reality, time and space exist in you. You do not exist in them.
Sri Nisargadatta Maharaj

実際のところ、時間と空間はあなたの中にある。
あなたが時間と空間の中にいるのではない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/26

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Look at your mind dispassionately; this is enough to calm it. When it is quiet, you can go beyond it. Do not keep it busy all the time. Stop it - and just BE.
Sri Nisargadatta Maharaj

冷静にマインドを見つめなさい。
マインドを静めるにはそれで十分だ。
マインドが静まれば、あなたはマインドを超えていける。
マインドを絶えず忙しくしてはいけない。
忙しくするのをやめて、ただ在りなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/25

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The world is an illusion. Why is it unreal? Because none of the knowledge is going to remain permanent, as real knowledge. I had a number of identities; I was a child, I was a boy, I was a teenager, I was a middle-aged man, I was an old man. Like other identities I thought would remain constant, they never remained so. Finally, I became very old. . . So which identity remained honest with me?
Sri Nisargadatta Maharaj

世界は幻影である。
なぜ世界は実在ではないのか?
なぜなら、どんな知識も本当の知識ではなく、永久のものとはならないからだ。
私にはたくさんの自己認識があった。
私は子供だった。私は少年だった。私は十代だった。私は中年の男だった。私は年老いた男だった。
他の自己認識と同じように、思考は恒久的なものだと思っていたが、そうではなかった。
最後に私は年老いた・・・どの自己認識が本当だったのか?
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/24

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

When all names and forms have been given up, the real is with you. You need not seek it.
Sri Nisargadatta Maharaj

名前や形をすべて捨てると、実在が明らかなる。
捜す必要はない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/23

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

In my world, nothing ever goes wrong.
Sri Nisargadatta Maharaj

私の世界では、何も悪いことは起きない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/22

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

You are so used to the support of concepts that when your concepts leave you, although it is your true state, you get frightened and try to cling to them again.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたは概念の助けを借りることにとても慣れているので、概念が消えると、そこにあなたの本質があるというのに、怖くなってまた概念にしがみつこうとする。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/21

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Moods are in the mind and do not matter. Go within, go beyond. Cease being fascinated by the content of your consciousness. When you reach the deep layers of your true being, you will find that the mind's surface-play affects you very little.
Sri Nisargadatta Maharaj

ムードはマインドのものであり、気にする必要はない。
中へ入って行き、超えていきなさい。
意識の中のものに夢中になるのをやめなさい。
あなたの存在深くに入っていくと、表面的なマインドにはほとんど影響されないと気づくだろう。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/20

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

If you want peace and harmony in the world, you must have peace and harmony in your hearts and minds.
Sri Nisargadatta Maharaj

もし、世界の平和と調和を望むなら、自らの心とマインドが平和で調和したものでなければならない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/19

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The old grooves must be erased in your brain, without forming new ones. You must realize yourself as the immovable, behind and beyond the movable, the silent witness of all that happens.
Sri Nisargadatta Maharaj

新しいシワを作ることなく、古いシワをあなたの脳から取り除かなければいけない。
自身が、不動のものであるということ、変化するものの背後にあってそれを超えているもの、起こってくるすべての静かな目撃者であるということを理解しなくてはいけない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/18

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

It is not the right advice that liberates, but the action based on it.
Sri Nisargadatta Maharaj

正しいアドバイスが解放をもたらすのではなく、正しいアドバイスに基づいた行動が解放をもたらすのだ。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/17

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

You may die a hundred deaths without a break in the mental turmoil. Or, you may keep your body and die only in the mind. The death of the mind is the birth of wisdom.
Sri Nisargadatta Maharaj

精神的な混乱を克服しないうちは、幾度も死ぬほど苦悩することになるだろう。
あるいは、体はそのままでマインドだけ死ぬこともできる。
マインドの死は賢者の誕生となる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/16

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

How can an unsteady mind make itself steady? Of course it cannot. It is the nature of the mind to roam about. All you can do is to shift the focus of consciousness beyond the mind.
Sri Nisargadatta Maharaj

どうして落ち着かないマインドがマインド自身を鎮めることができようか?
もちろんできない。
ぶらつき回るのがマインドの性質だ。
マインドを超えて、焦点を意識に向けさえすればいい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/15

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The legitimate function of the mind is to tell you what is not. But if you want positive knowledge, you must go beyond the mind.
Sri Nisargadatta Maharaj

マインドの根本的な機能は、何がそれではないかをあなたに知らせることだ。
もし本当の知性が欲しいのなら、マインドを超えて行かねばならない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/14

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The mind creates the abyss, and the heart crosses it.
Sri Nisargadatta Maharaj

マインドは地獄を作り出し、ハートはそれを乗り越えていく。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/13

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Pure knowledge is not imparted by another; it comes unmasked. It is the one that is listening: it is your own true nature.
Sri Nisargadatta Maharaj

真の理解は誰かによってもたらされることはない。
それは仮面なしでやってくる。
それは聞いている者。
それはあなたの本質である。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/12

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Truth is not a reward for good behaviour, nor a prize for passing some tests. It cannot be brought about. It is the primary, the unborn, the ancient source of all that is. You are eligible because you are. You need not merit truth. It is your own....Stand still, be quiet.
Sri Nisargadatta Maharaj

真理は、良い行いの褒美でもなければ、何かのテストをパスした賞品でもない。
それを受け取ることはできない。
それは原初からある、生まれたことのない、すべての源である。
あなたはあなたのままでそれにふさわしい。
真理を受けるにふさわしい者になる必要はない。
それはあなたのものだ・・・、じっと静かにしていなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/11

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

In the light of consciousness all sorts of things happen and one need not give special importance to any. The sight of a flower is as marvelous as the vision of God. Let them be. Why remember them and then make memory into a problem? Be bland about them; do not divide them into high and low, inner and outer, lasting and transient. Go beyond, go back to the source, go to the self that is the same whatever happens.
Sri Nisargadatta Maharaj

意識の中で、あらゆる出来事が起きては去っていく。そのどれかを特別視する必要はない。
花の姿は神の姿と同様に素晴らしい。それをそのままにしておきなさい。
なぜそれを思い出して、記憶の中で問題にする必要があるのか?
無頓着でありなさい。高い低い、内側外側、永遠一瞬と分割するな。
それを超えて、源泉へと帰りなさい。何が起ころうと変わらない自己へと。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/10

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

All I plead with you is this: make love of your self perfect
Sri Nisargadatta Maharaj

私が訴えているのはこれだけだ。自分を完全に愛しなさい。
Sri Nisargadatta Mahara

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

When you know beyond all doubting that the same life flows through all that is, and you are that life, you will love all naturally and spontaneously.
Sri Nisargadatta Maharaj

あらゆる疑念を超えて、同じ命が万物の中に流れていて、あなたもその命であると知れば、あなたは自然に自発的に万物を愛するだろう。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/09

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

No particular thought can be mind's natural state, only silence. Not the idea of silence, but silence itself. When the mind is in its natural state, it reverts to silence spontaneously after every experience, or, rather, every experience happens against the background of silence.
Sri Nisargadatta Maharaj

どんな思考も、マインドの自然な状態ではなく、静寂だけがマインドの自然な状態である。
静寂という思考ではなく、静寂そのもの。
マインドが自然な状態の時、何を経験してもマインドはすぐに自然に静寂にもどる。
むしろ、すべての出来事は静寂を背景として起きる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/08

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Whatever you may have to do, watch your mind. Also you must have moments of complete inner peace and quiet, when your mind is absolutely still. If you miss it, you miss the entire thing. If you do not, the silence of the mind will dissolve and absorb all else.
Sri Nisargadatta Maharaj

何をすべき時も、マインドを見つめなさい。
そしてまた、マインドが完全に停止している時は、あなたの内側は完全に平和で静かな瞬間であるはずだ。
もしそれを見逃すと、すべてを見逃すことになる。
もし見逃さなければ、マインドの静寂が他のすべてを溶かして吸収する。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/07

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

To know the self as the only reality and all else as temporal and transient is freedom, peace and joy. It is all very simple. Instead of seeing things as imagined, learn to see them as they are. When you can see everything as it is, you will also see yourself as you are. It is like cleansing a mirror. The same mirror that shows you the world as it is, will also show you your own face. The thought 'I am' is the polishing cloth. Use it.
Sri Nisargadatta Maharaj

自身が唯一の実在であり、その他すべては束の間の一時的なものであると知ることは、自由、平和、喜びである。
それはすべて、とてもシンプルなことだ。
物事を想像して見るかわりに、ありのままに見なさい。
物事をありのままに見ることができれば、自身をありのままに見ることができる。
それはまるで鏡を磨くようなもの。
世界をありのままに映す鏡が、あなた自身の顔を映す。
「私は在る」という思考が拭き布だ。それを使いなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj


2021/01/06

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The mind exists in two states: as water and as honey. The water vibrates at the least disturbance, while the honey, however disturbed, returns quickly to immobility.
Sri Nisargadatta Maharaj

マインドには二つの状態がある。水と蜂蜜。
水はわずかな衝撃で振動するが、一方蜂蜜は衝撃を受けてもすぐに動かない状態に戻る。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/05

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

To see the unreal is wisdom. Beyond this lies the inexpressible.
Sri Nisargadatta Maharaj

実在ではないものを知ることは賢明である。その向こうには言葉では言い表せないものがある。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/04

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

You are not the body. You are the immensity and infinity of consciousness.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたは体ではない。
あなたは広大な無限の意識だ。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/03

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Detach yourself from all that makes your mind restless. Renounce all that disturbs its peace. If you want peace, deserve it. By being a slave to your desires and fears, you disturb peace.
Sri Nisargadatta Maharaj

マインドを不安にするものから離れていなさい。
マインドの平和を乱すものすべてを放棄しなさい。
あなたが平和を望むなら、あなたはそれに値する。
欲望と恐れの奴隷になると、平和を乱すことになる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/01/02

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Meditation will help you to find your bonds, loosen them, untie them and cast your moorings. When you are no longer attached to anything, you have done your share. The rest will be done for you.
Sri Nisargadatta Maharaj

瞑想は、あなたの束縛を見つけ、それを緩めてほどき、縛り付けているものを捨て去るのを助けてくれるだろう。
何物にも執着しなくなった時、あなたのすべきことは終わる。
あとは自然に起こってくるだろう。
Sri Nisargadatta Maharaj


2021/01/01

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Your true meaning cannot be grasped or captured by words. You can never be equated with any words, because you are prior to words.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたの本質を言葉で理解したり、捕らえたりすることはできない。
どんな言葉でもあなたを定義することはできない。なぜなら、あなたは言葉以前にあるものだからだ。
Sri Nisargadatta Maharaj


2020/12/31

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

To understand suffering, you must go beyond pain and pleasure. Your own desires and fears prevent you from understanding and thereby helping others. In reality there are no others, and by helping yourself you help everybody else. If you are serious about the suffering of mankind, you must perfect the only means of help you have, yourself.
Sri Nisargadatta Maharaj

苦悩を理解するためには、痛みと喜びを超えて行かなくてはならない。
欲望と恐れが、あなたの理解を妨げ、理解によって他者を助けることができない。
他者は実在ではないから、自らを助けることが他者を助けることになる。
もし人類の苦悩を深刻にとらえるのなら、あなたが持っている唯一の救済の道を完全に行わなければならない。それは自らを助けることだ。
Sri Nisargadatta Maharaj


2020/12/30

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Just as every drop of the ocean carries the taste of the ocean, so does every moment carry the taste of eternity.
Sri Nisargadatta Maharaj

大海のひとしずくひとしずくが海の風味を運ぶように、この一瞬一瞬が永遠の風味を運ぶ。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/29

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Find what is it that never sleeps and never wakes, and whose pale reflection is our sense of 'I'
Sri Nisargadatta Maharaj

決して眠ることも目覚めることもないもの、そして「私」というほのかな感覚がするものを見つけなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/28

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Pleasure puts you to sleep and pain wakes you up. If you don't want to suffer, don't go to sleep.
Sri Nisargadatta Maharaj

快楽があなたを眠りに誘い、痛みがあなたを起こす。
もし苦しみたくなければ、眠りこけるな。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/27

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

You have put so much energy into building a prison for yourself. Now spend as much on demolishing it.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたは、自身の監獄を建てるために多くのエネルギーを費やしてきた。
今度はそれを破壊するために同じだけのエネルギーを使いなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/26

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

My actual experience is not different. It is my evaluation and attitude that differ. I see the same world as you do, but not the same way. There is nothing mysterious about it. Everybody sees the world through the idea he has of himself. As you think yourself to be, so you think the world to be. If you imagine yourself as separate from the world, the world will appear as separate from you and you will experience desire and fear. I do not see the world as separate from me and so there is nothing for me to desire, or fear.
Sri Nisargadatta Maharaj

私の実際の経験は何も特別なものではない。
それをどう捉え、どう受け取るかが違うのだ。
私はあなたと同じ世界を見ているが、同じやり方では見ていない。
それは何も神秘的なものはでない。
人々は、自分自身に抱いている観念を通して世界を見る。
自身がこうあるべきだと思うように、世界はこうあるべきだと思う。
もし自分が世界と分離していると思えば、世界はあなたから分離したものとして現れ、あなたは欲望と恐れを抱くだろう。
私は世界が私と分離しているとは思わないため、欲望や恐れを抱くことはない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/25

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Past and future are in the mind only - I am now.
Sri Nisargadatta Maharaj

過去や未来はマインドの中にだけある。私は今にいる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/24

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

In the stillness of the mind I saw myself as I am - unbound.
Sri Nisargadatta Maharaj

マインドが静寂に包まれた時、自身のことを、ありのままで無限の存在であると知った。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/23

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The window is the absence of the wall, and it gives air and light because it is empty. Be empty of all mental content, of all imagination and effort, and the very absence of obstacles will cause reality to rush in.
Sri Nisargadatta Maharaj

窓の位置には壁がなく、空なので、そこから空気や光が入って来る。
思考の材料、想像、奮闘を空にしなさい。
そうすれば、邪魔するものが無くなり、実在が流れ込んでる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/22

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Love is not selective, desire is selective. In love there are no strangers. When the centre of selfishness is no longer, all desires for pleasure and fear of pain cease; one is no longer interested in being happy; beyond happiness there is pure intensity, inexhaustible energy, the ecstasy of giving from a perennial source.
Sri Nisargadatta Maharaj

愛はえり好みせず、欲望はえり好みする。
愛の中には、よそ者はいない。
利己的な中心がなければ、快楽への欲望、恐れへの痛みは消え、幸福であることを気にもしない。
幸福を超越したところには、無尽蔵の源泉から来る純粋な強烈さ、尽きないエネルギー、与えることの喜びがある。
Sri Nisargadatta Maharaj


2020/12/21

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

You merely dream that you roam about. In a few years your stay in India will appear as a dream to you. You will dream some other dream at that time. Do realize that it is not you who moves from dream to dream, but the dreams flow before you and you are the immutable witness. No happening affects your real being-that is the absolute truth.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたは単に、あちこち歩き回っている夢を見ているにすぎない。
数年間インドに滞在する夢を見るだろう。
そしてまた、他の夢も見るだろう。
あなたが夢から夢へと移っていくのではなく、夢があなたの前を通過して行き、あなたは不動の目撃者であるということを理解しなさい。
いかなる出来事もあなたの真実在に影響を与えない。それが究極の真理である。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/20

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

You are not in this world. This world is inside you.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたがこの世界の中にいるのではない。
あなたの中にこの世界があるのだ。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/19

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The universe is but a partial manifestation of your limitless capacity to become.
Sri Nisargadatta Maharaj

宇宙は、あなたの無限の可能性のほんの一部の現われにすぎない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/18

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The world is like a sheet of paper on which something is typed. The reading and the meaning will vary with the reader, but the paper is the common factor, always present, rarely perceived. When the ribbon is removed, typing leaves no trace on the paper. So is my mind - the impressions keep on coming, but no trace is left.
Sri Nisargadatta Maharaj

世界は何かがタイプされる一枚の紙のようなものだ。
読み方や解釈は人によるが、紙は共通で、いつもそこにあるのに、ほとんど注意が向けられない。
リボンを外すと、タイプしても印字されない。
マインドも同じ。考えは浮かんでくるが、痕跡は残らない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/17

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Unless you know yourself, what else can you know?
Sri Nisargadatta Maharaj

あなた自身のことさえ知らないで、他の何がわかるというのか。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/16

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Until we can look at fear and accept it as the shadow of personal existence, as persons we are bound to be afraid.
Sri Nisargadatta Maharaj

恐れを調べて、それは個人という存在の影だと理解するまで、恐れ続けることになる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/15

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Whatever can be understood or perceived can never be the eternal Truth. The Unknown is the Truth.
Sri Nisargadatta Maharaj

何であれ、理解、認識できるものは永遠の真理ではありえない。
未知のなるものが真理である。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/14

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Once you understand that the false needs time and what needs time is false, you are nearer the Reality, which is timeless, ever in the NOW.
Sri Nisargadatta Maharaj

虚偽は時間を必要とし、時間を必要とするものは虚偽であるとひとたび理解すれば、あなたは実在の近くにいる。そこには時間はなく、今しかない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/13

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The relinquishing of the lesser is the gaining of the greater. Give up all and you gain all.
Sri Nisargadatta Maharaj

より重要でないものを放棄すれば、より素晴らしいものが手に入る。
すべてを手放せば、すべてが手に入る。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/12

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

In reality there are no others, and -helping yourself you help everybody else.
Sri Nisargadatta Maharaj

実際には他の人は誰もいない。
それゆえ、自らを助ければ、他者を助けることになる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/11

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

When you believe yourself to be a person, you see persons everywhere. In reality there are no persons, only threads of memories and habits. At the moment of realisation the person ceases.
Sri Nisargadatta Maharaj

自分は人であると信じていれば、どこでも人を見ることになる。
実際には人はおらず、記憶と習慣があるにすぎない。
それを理解した瞬間に人は消える。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/10

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

You want to know yourself. For this keep steadily in the focus of consciousness, the only clue you have: your certainty of being. Be with it, play with it, ponder over it, delve deeply into it, till the shell of ignorance breaks open and you emerge into the realm of reality.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたは自分自身が何であるかを知りたい。
そのためには、意識の焦点をしっかり保つこと。
それがあなたの唯一の手がかり、存在の証だ。
それとともにいて、無知の殻が壊れ、実在の世界に出るまで、それと戯れ、それを熟考し、それを深く調べなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/09

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

To know that you are neither the body nor mind, watch yourself steadily and live unaffected by your body and mind, completely aloof, as if you were dead. It means you have no vested interests, either in the body or in the mind.
Sri Nisargadatta Maharaj

自分は体でもマインドでもないと知るために、自分自身をしっかりと見つめ、体にもマインドにも惑わされず、超然として、あたかも死んでいるかのように生きなさい。
それは、体にもマインドにも強い興味を示さないということだ。
Sri Nisargadatta Maharaj


2020/12/08

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

You're free. You've taken this burden of being a human being on yourself. You're free.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたは自由だ。
自分が人間であるという重荷を自ら負った。
あなたは自由だ。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/07

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

You know that you are. Don't burden yourself with names, just be. Any name or shape you give yourself obscures your real nature.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたは自分が何者かを知っている。
名前で自身を縛り付けてはいけない。
ただ単に在りなさい。
どんな名前も形式も、あなたの本質を不鮮明にする。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/06

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Your weakness is due to your conviction that you were born into the world. In reality the world is ever recreated in you and by you. See everything as emanating from the light which is the source of your own being.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたの弱点は、あなたはこの世に生まれ出たと信じていることだ。
実際には、世界があなたの中に、あなたによって生まれたのだ。
すべては、あなたの存在の源である光から生まれたものであるということを知りなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/05

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

When effort is needed, effort will appear. When effortlessness becomes essential, it will assert itself. You need not push life about. Just flow with it and give yourself completely to the task of the present moment.
Sri Nisargadatta Maharaj

努力が必要な時には努力が起きる。
努力をしないことが重要な時には自然とわかる。
生を無理強いする必要はない。
生と共に流れて今この瞬間すべきことに完全に身をまかせなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/04

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Whatever comes and goes, is not reality. See the event as event only. Then you are vulnerable to reality, no longer armoured against it, as you were when you gave reality to events and experiences.
Sri Nisargadatta Maharaj

何がやって来ようが去っていこうが、それは実在ではない。
出来事は単なる出来事だと知りなさい。
そうすればもはや、出来事や体験が実在だと思っていた以前のように身構えることはなくなり、実在に対して敏感になる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2020/12/03

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉


You are already perfect, only you don't know it. Learn to know yourself and you will discover wonders.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたはすでに完璧だが、あなたがそれを知らないだけだ。
自身を知ることを学びなさい。
そうすれば、驚くべきものが見つかる。
Sri Nisargadatta Maharaj