2021/03/03

あらゆる観念から自由でいること。

二元性の枠組みの中で物事を見るのをやめること。

私とあなた。自己と他者。主体と客体。見る者と見られる物。存在と不在。空と形。現実と非現実。完全と不完全。始まりと終わり。過去と未来。運命と自由意志。輪廻と解脱。現世と過去世。この世と天国。好きと嫌い。良いと悪い。正しいと誤り。快と不快。誰かが私を傷つけたと私は傷ついた。私は理解したと私は理解していない。私は幸せだと私は不幸だ。

こうしたことは全部マインドの産物であり、観念です。
私たちは、物事を二元性の枠組みの中で理解しようとします。

こうした枠組みはそれほど役に立たず、マインドを納得させる手段にすぎません。
マインドの中でスッキリしたとしても、実際には何かが変わったわけでも、解決したわけでもありません。

こうした区別は、あなたが観念として構築したものにすぎず、実体があるものではありません。こうした観念から自由でいると、自然な知性が流れ始めます。

何も理解すべきことはなく、何かすべきこともありません。
あらゆる観念から自由でいてください。
すべての問題はマインドの産物です。

無心(ノーマインド)、不生の仏心でいること。
どんな基準点からも自由でいること。

笑いたければ笑い、泣きたければ泣き、起こるに任せる。
何者にもなろうとせず、あるがままでいること。
すべてはあるがままです。

言葉にとらわれないでください。
名前や姿形にとらわれないでください。
名前や姿形は言葉であり、言葉は観念です。

もちろん、あらゆる観念から自由でいようとしても、難しいのはわかっています。
でも、「すべてはマインドの産物であり、観念にすぎない」と気づいていることはできます。
あなたが理由付けしなければ、問題などもともと何も無いのです。

生(せい)、命(いのち)はマインドの中で起こっているのではなく、今、目の前で起こっています。
それは、あなたの観念に関わりなく、自然に起こっています。
観念に迷い込むのをやめて、コーヒーでも飲みませんか?

2016 メルボルン