2021/02/27

セイラーボブの教えていることは覚醒やエンライトメントではありません。

「私」は実在ではなく、単なる観念のかたまりにすぎないと理解できれば、観念のかたまりが覚醒しないのは自明のことです。

セイラーボブの教えていることは、何かを体験することや、何かになることではありません。
セイラーボブの教えていることを理解しても、覚醒やエンライトメントは起きません。何か特別な体験をしたり、人々が自慢げに語る一瞥体験が起こるということもありません。

(ああ、そういうことだったのか)(自分はもともとそうだった)と理解するだけです。
覚醒した人やエンライトメントした人なんてのはいません。誰かが、「私は覚醒した」と言ったら、そいつには気をつけてください。

「永遠に続く至福」「とめどないエクスタシーの連続」「思考の停止」「意識の変容」「終わりのない幸福」「異次元の意識」。全部まやかしです。

日本中にどれだけの仏教寺院があって、どれだけの禅僧がいると思いますか? タイやミヤンマー、チベット、そして世界中にどれだけの仏教寺院があって、どれだけの僧侶がいると思いますか? そのうちの誰かが覚醒した、悟りを得たというニュースを聞いたことがありますか?(もちろん、仏教や禅で言うところの「悟り」がエンライトメントだと言うつもりはありませんし、仏教や禅が教えているのはエンライトメントだと言うつもりもありません)

千日回峰を成し遂げたというニュースは聞いたことがありますが、誰かが覚醒、悟りを得たというニュースは聞いたことがありません。このインターネットが発達した世の中でも、そうしたニュースはまったく目にしません。

覚醒したという知らせは、いつも、「自称」であり、その知らせをたどっていくと、必ず覚醒ビジネスへとつながっています。

インドには、自称「覚醒した人」がたくさんいます。ニューデリー空港の売店に行くと、それらしき人の写真パネルと一緒に本が山積みになって売られています。覚醒はインドの産業だからです。彼らは世界中から人々を集めて、金を巻き上げているのです。

日本のネット上でも同じことが起きています。彼らのキーワードは巧妙で、「目覚め」「気づき」「癒し」「一瞥体験」「セラピー」「精神世界」「瞑想」「グループワーク」「遠隔…」などです。

あなたが、「私も覚醒したい」「私も一瞥体験がしたい」「私も癒されたい」と思った瞬間に、彼らの術中にはまったのだということを理解してください。彼らはあなたから金を巻き上げるか、毒にも薬にもならない教えを刷り込むだけです。そうしてあなたは、終りのない精神世界の旅をさまよう羽目になります。

「あなたは不完全だ」「あなたは今のままではだめだ」「あなたは癒される」「あなたは解放される」。こうした言葉には注意してください。

人々にはいつも、「救われたい」「解放されたい」という思いがあります。でも、誰が救われるというのですか? 救われる「私」は単なる観念であり、そこには誰もいません。

自分ではない何者かになろうとする焦燥と奮闘を手放す時、本当の意味での平安が訪れます。

悩み、災難、不幸、生老病死は人の常です。
それが生きていくということであり、いくら姑息な手を使って避けようとしても避けられません。

でも、そうした出来事は、どこに現れていますか?
もし、そうした出来事にとらわれず、こじらせなければ、それはやがて去っていくものではありませんか?

そうした出来事とは関わりなく、いつも背後にあるものは何ですか?

2017 タスマニア