私は日本語で出版されたニサルガダッタ ・マハラジの本の何冊かを手に取って読もうとしたことがあります。でも、そのたびにまったく内容が頭に入って来ず、断念しました。
U.G.クリシュナムルティのことを調べている時に(AZQUOTES)というサイトにニサルガダッタ ・マハラジの言葉がたくさんあるのを見つけました。その中のいくつかはセイラーボブ経由で聞いたことがある言葉であり、またいくつかは心に深く響くものでした。
それらの言葉は、私がギブアップしてしまった彼の本の中の言葉と違って、わかりやすいものでした。そこでそれをブログに掲載していくことにしました。それを読んでいただくと、セイラーボブとニサルガダッタ ・マハラジが語っている事の根底にあるものが同じであるとわかると思います。
その前にWikipedia(英語版)などを参考に、ニサルガダッタ ・マハラジの略歴をまとめておきます。
Nisargadatta Maharaj
幼名:マルティ・シヴラムパント・カンブリ(Maruti Shivrampant Kambli)
マハラジはムンバイで生まれ、ムンバイから500kmほど南にあるカンダルガンという小さな町で、二人の兄弟、四人の姉妹とともに信心深い両親に育てられました。
父親はもともとはムンバイで働いていたのですが、1896年に疫病が流行したためカンダルガンに転居して農夫として働きました。マハラジは子供のころから農業の重労働に従事して家計を助け、十分な教育を受けることはできませんでした。
1915年(18歳の時)に父が亡くなると、兄を頼ってムンバイへ出ます。
最初は事務所の下級職員をしていましたが、すぐに小さなタバコ屋を始め、店を八つに増やしました。
1924年(27歳)結婚。三人の娘と一人の息子に恵まれます。
1933年(36歳)。友人の紹介でグル(師)、シッダラメシュヴァール・マハラジ(Siddharameshwar Maharaj)に師事。
この流れを汲む人はインドにたくさんいるのですが、西洋社会に広く知られたのは、ニサルガダッタ・マハラジが初めてのようです。
ニサルガダッタの師は「あなたは、あなたが思っているような存在ではない」と彼に告げ、マントラを授け、それに瞑想するよう指導しました。
「私のグルは私に、I am.(私は在る)という感覚にだけに意識を向けるようにと言いました。私は特別な呼吸法や瞑想、聖典を学びませんでした。何が起きても意識をI am.(私は在る)という感覚に向けました。それはとてもシンプルで不十分に思えますが、私がそれをやり続けた理由は師がそうするようにと言ったからです。そしてそれは役に立ちました」
マハラジは師の師事に従い、I am.(私は在る)という感覚に意識を向け、敬虔にバジャン(ヒンズー教の崇拝賛歌)を詠唱するかたわら、空いている時間のすべてを沈黙の中で意識をI am.(私は在る)という感覚へと向けました。
「師は言いました。"純粋な存在に帰りなさい。I am(私は在る)が、まだ純粋なままの頃、私はこれだ、私はあれだと汚れてしまう前の頃に。あなたの苦しみは間違った自己同一化です。それを捨てなさい。私を信頼しなさい。あなたは神聖なものです。それを絶対の真実だと受け入れなさい。あなたの喜びは神聖です。あなたの悲しみもまた神聖です。すべては神からやってきます。絶えずそのことを思い出しなさい。あなたは神です。あなたの意志のみが行われています。」
私は彼を信頼し、まもなく彼の言葉がどれほど真実で正確だったかを理解しました。私は自分のマインドを「私は神である、私は素晴らしい」と、思考を使って条件づけすることはしませんでした。私は単純に彼の指導に従い、マインドを純粋な存在、(I am)へと向けました。私はマントラとともに何時間も座り、(I am)に注意を向ける以外何もしませんでした。
やがて、平和、喜び、包まれるような愛が普通の状態となりました。その状態の中では、すべてが消えました。自分、グル、私の生きた人生、私の周りの世界。平和と計り知れないほどの沈黙だけがありました。 (I Am That, Dialogue 51, April 16, 1971)。」
1937年、師との交流が二年半続いたあと、師は亡くなりました。
1938年(41歳)、マハラジはムンバイを出てインド国内を8か月間旅します。旅の間に彼のマインドが変化し、「もう何も悪くない」と気づきます。ボンベイに帰ると、一軒のタバコ屋を営みながら、残りの人生をムンバイですごしました。
娘と妻の死ののち、1951年(54歳)からイニシエーション(指導)を始め、1966年にタバコ屋を息子に任せて引退した後は、1981年9月8日(84歳)に喉のがんで死去するまで一日二回の講話を自宅で行いました。マハラジが住んでいた建物(ロフトで講話をしていた。一階にタバコ屋)。
1973年にモーリス・フリードマンが翻訳出版したマハラジの講話集「I Am That」が発売されると、北米、ヨーロッパで広く認識されるようになりました。
彼から直接指導を受けた人としては、セイラーボブ、ラマカント・マハラジ、ラメッシ・バルセカールなどがいます。(その他にも大勢いますが、Wikipediaで見てください。参考:ニサルガダッタの弟子の系図)
マハラジの教え方は様々で、相手によって違っていたようです。ヒンズー色の強いインドの人々にはパジャンの詠唱、マントラ、ヨガを教え、西洋からの訪問者には対話方式で教えていたようです。たしか、ギルバートがFacebookでマハラジのダルシャンは無料だったと書いていたように記憶していますが、確認できませんでした。
Wikipediaではマハラジの教えについても簡単にまとめてあるのですが、それをここに書くよりも、実際にマハラジの言葉で読んでもらった方がわかりやすいと思うので、明日からのマハラジの言葉で読んでください。
アマゾンのサイトで、ニサルガダッタ・マハラジの「I AM THAT.アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話 (日本語)」の著者についての説明を読むと、
「2年半後に師は亡くなり、1937年インドを旅してまわった。その旅で悟りを得た。」
After eight months he returned to his family in Mumbai in 1938. On the journey home his state of mind changed, realizing that "nothing was wrong anymore."
ついでに「I AM THAT アイ・アム・ザット 私は在る」という本の題名について書いておきます。ニサルガダッタ・マハラジの教えはアドヴァイタの教え、Tat Tvam Asi(タットバマシ)であり、その英訳は"Thou art that"(汝それなり)です。
それはヴェーダ(ヒンズー教の聖典の四つのマハーヴァキヤ(大格言)の中の一つ)がもとになっている言葉で、もともとはウパニシャッド哲学でウッダーラカ・アールニが語った格言 “I am That, thou art That, all of this is That”(我はそれなり、汝それなり、すべてはそれなり)からきていると思われます。
もちろん翻訳者の方はそれを承知で、内容から考えて「私は在る」を副題として付けられたのであり、I AM THATの訳として付けられたのではないと思いますが、本の題名は、「I AM THAT.アイ・アム・ザット 我はそれなり」とした方がわかりやすかったのではないかと思います。
という表現が出てきますが、この表現は読み手によって誤解されてしまう可能性があります。
人によっては、マハラジはエンライトメント、もしくは覚醒した人だと思ってしまうかもしれません。ちなみに英語版のWikipediaでは、realizeという単語を使っています。
同じことがラメッシ・バルセカール、セイラーボブの本にもあって、悟りを得たという表現で著者のことを説明しています。
以下はセイラーボブの「ただそれだけ」のアマゾンサイト上の説明。
飲んだくれの船乗りだったボブが、さまざまなインドの聖者と出会い、
遂にニサルガダッタ・マハラジの教えを受け、如何に悟ったか。
遂にニサルガダッタ・マハラジの教えを受け、如何に悟ったか。
ここで使われている「悟る」は、あくまでも「真理を理解する」という意味なのですが、これを読んだ多くの読者は「エンライトメント」「覚醒」のことだと思ってしまい、それが彼の本を難解なものにしている可能性があります。
ニサルガダッタ・マハラジ、セイラーボブ、ラメッシ・バルセカール、彼らは覚醒(エンライトメント)した人ではありません。「そこに覚醒する人はいない」というのが、彼らの教えです。
ニサルガダッタ・マハラジ、セイラーボブ、ラメッシ・バルセカール、彼らは覚醒(エンライトメント)した人ではありません。「そこに覚醒する人はいない」というのが、彼らの教えです。
ついでに「I AM THAT アイ・アム・ザット 私は在る」という本の題名について書いておきます。ニサルガダッタ・マハラジの教えはアドヴァイタの教え、Tat Tvam Asi(タットバマシ)であり、その英訳は"Thou art that"(汝それなり)です。
それはヴェーダ(ヒンズー教の聖典の四つのマハーヴァキヤ(大格言)の中の一つ)がもとになっている言葉で、もともとはウパニシャッド哲学でウッダーラカ・アールニが語った格言 “I am That, thou art That, all of this is That”(我はそれなり、汝それなり、すべてはそれなり)からきていると思われます。
もちろん翻訳者の方はそれを承知で、内容から考えて「私は在る」を副題として付けられたのであり、I AM THATの訳として付けられたのではないと思いますが、本の題名は、「I AM THAT.アイ・アム・ザット 我はそれなり」とした方がわかりやすかったのではないかと思います。
参考
I AM THATpdf
ニサルガダッタの弟子の系図
ニサルガダッタ・マハラジ 1979フィルム
ニサルガダッタ・マハラジ ドキュメンタリー'Tatvamasi' (I am That)