2020/07/25

おたよりをいただきました。

 Takuさん、こんにちは。

毎週楽しみに拝見しております。
質問させて下さい。
今回はU.G.クリシュナムルティの翻訳を読ませていただいておりますが、彼の特殊な体験(私にはそう思えますが)を記事にされたのにはどのような意図があるのでしょうか?
セイラーボブさんや、Takuさんは特殊な体験などはあまり取り上げられていなかったと思いますが。
よろしくお願いいたします。


セツ 

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おたよりありがとうございます。

私は、セイラーボブが言うように、エンライトメントはないと思っています。
非二元の師たちが説いていることは、エンライトメントではないと思います。

エンライトメントを説くグルやマスターはインチキだという思いに変わりはありません。
でも、そうだとすると、仏陀やその他の聖人たちが言っている状態は何なのだろうという疑問はずっと持っていました。  

仏陀やラマナ・マハリシ、J.クリシュナムルティがインチキな人だとは、とうてい思えません。
U.G.クリシュナムルティの本を読んでから、ひょっとすると、本当の意味での「エンライトメント」はインチキグルたちが言っているような状態ではなく、もっと別の状態なのではないだろうかと思うようになりました。

そう考えると、今まで釈然としなかった部分が埋まったような気がしました。
 U.G.クリシュナムルティ の言う状態を理解することはできないし、それが本当かどうかを確かめる方法はありません。

セイラーボブは、U.G.のような経験を語ったことはありませんし、そういう体験はしていないと思います。
私はU.G.の本を読んでからも、セイラーボブに対する思いは少しも変わりませんし、理解がぐらつくこともありませんでした。

セイラーボブの教える非二元は、エンライトメントではないし、何かを体験することではありません。
ただ、そのこととは別にU.G.の言うようなことも、ひょっとするとあるのではないかと思います。そういったことを考える材料としてブログに掲載しました。

U.G.については今後まだまだブログに掲載予定です。
U.G.が何を語っているかは、この先のブログで読んでください。
それを読んでいただくと、U.G.の語っていることは非二元そのものだということがわかると思います。

私は、特殊な体験に興味があるのではなく、U.G.の語っている内容に興味があります。
U.G.は、何かになることを追い求めることの無益さを説き、精神世界の探求や修行に時間を費やすのはエネルギーの浪費だと語っています。

私も全く同感で、私のブログを読んでいる人たちが、人生を浪費しないで欲しいという思いもあってU.G.のことを書いています。


私は、ありもしないものを探して人生の多くの時間を無駄に費やしてきました。
もし、セイラーボブに出会わなかったら、未だに何かになろうともがいていたと思います。

一人でも多くの人にそのことに気づいて欲しいという思いでこのブログを書いています。