2020/07/23

ラメッシ・バルセカール 最終理解


Ramesh Balsekar : The Final Understanding

(聞き取りできない不鮮明な箇所は*で表示、前後の文脈から推測して解釈している箇所はアンダーラインで表示しています。)

彼らは期待しすぎていました。何も彼らの答えになりませんでした。
我慢のいることでしたが、それも私が予期していたことです。

***私はエンライトメントしたと認めます。エンライトメントが起こりました。
(エンライトメントすると)何が手に入るのか知りたいですか?(と彼らに尋ねました) ええ、是非是非と彼ら。そして私は答えました。

第一に、あなたはそれでもまだ不完全な人間のままだということです。
体とマインドは以前と同じままです。もしあなたが慢性的な頭痛を抱えていれば、それはそのまま続くでしょう。
もし体とマインドに問題があるのなら、遺伝子にそう組み込まれています。
もしあなたがすぐに癇癪を起すタイプなら、それはそのまま続きます。

あなたの痛みは消えません。
あなたの喜びが増すわけでもありません。
それは以前と変わらず、そのままです。

あなたは今までやってきたのと同じ過ちを繰り返します。
エンライトメントによって、一度に二か所か三か所にいるというような特別な力を手に入れるわけではありません。私はこういうことを言い続けました。彼らは本当に当惑しました。もしカメラを持っていたら彼らの顔を撮っておくのでしたが・・・、「あれも手に入らない」「これも手に入らない」(と私は言いました)。
では、何を手に入れることができるでしょうか?私はてっきり手に入れることができると・・。(と彼らは言いました)

それで私は彼らに聞きました。何を手に入れるか知りたいのですか? ええ、是非是非。
あなたが手に入れるすべては、心の平和です。それがすべてです。
至福ではありません。ただ心の平和だけです。
そして尋ねました。私の言う「心の平和」とはどういう意味かわかりますか?

***
私は何度も繰り返し調べ、結論に達しました。
こころの平和とは何か?
そして自身に尋ねました。心の平和とは何か?
心の平和とは正確に言うと何か?
いつ私が心の平和を得たとわかったか?
私はあなたに率直に答えをあげますが、それを得るのには時間がかかりました。
そのことについて考えてみてください。
たくさんの答えがやってきましたが、受け入れられるものはありませんでした。

心の平和とは何かという問いに、唯一受け入れることができた答えは、どこかで見つけたわけではなく私の経験です。私にとって心の平和とは、とてもシンプルなことです。

外側の何かが私を不快にする。頭痛が私を不快にする。誰か嫌いな仲間が私を不快にする。だが、私にとっての心の平和とは、自分自身に対して不快にならないということです。
そして他者に対しても決して不満を抱かない。それほど簡単なことです。
そして興味深いことに、私が欲しいのは、自分自身に対して満足することだけです。それは興味深いことです。

私はもともと誰も答えることができない二つの基本的な疑問を抱いていました。
(一つ目は)、エンライトメントとは何か。二つ目はもっと重要なことで、もしエンライトメントを達成したら、それまで持っていなかったもののうち何を私の残りの人生に与えてくれるかということです。私の言うことを理解してください。最も重要なことを言っています。

エンライトメントは私に何を与えてくれるのか?残りの人生に、私が以前持っていなかったもののうちで。
私がたどり着いた答えは、心の平和です。(それ以来)私はずっと不快にならなかった。
二つのことに率直に答えてくれた唯一の人は仏陀です。
エンライトメントとは何か?
仏陀曰く、エンライトメントとは完全に受け入れることです。

出来事は起き、行為は成され、結果が起きる。
だがそこには誰も行為をする人はいない。
私は自らの探求において、この結論にたどり着きました。
それが私の人生の指針となった。それが答えです。

私の人生の指針とはどういう意味か。朝から晩まで考えて、答えにたどり着きました。
私の人生の指針とは、他者に対する態度のことです。

他者とは、私の親、妻、子供、近所の人、仕事関係の人、あるいは全く知らない人。
他者とは多岐にわたる人々のこと。とても近しい人。遠い人。
そしてそれは私には明白なことですが、私にとってのゆるぎない幸福とは、他の人との調和した関係。他者との調和した関係のことです。