2019/05/12
汝それなり ニサルガダッタ・マハラジ ドキュメンタリー With Sailor Bob Adamson
You are That-Sri Nisaragadatta Maharaj Documentary Clip With Sailor Bob Adamson(2020.6月追記:リンク先のサビーナのサイトからYouTubeが削除となりました)
これはニサルガダッタの最初の日記。
これは1934年マラティ語で彼によって書かれた覚え書。
もしあなたが単なる体なら、もうとっくに死んでしまっているだろう。
あなたは体ではない。あなたは、この存在の感覚の目撃者だ。
体は死ぬ。それはあなたではない。
あなたは生まれない。
Sailor BOB ADAMSON, Australia
あなたは、すでにあなたが探しているものです。
私はあなたに何も教えはしませんし、何かを告げることもありません。
私はどんな体にも話しかけていません。私はどんなマインドにも話しかけていません。
私は顕現としの肉体、体とマインドの有機体にも話しかけていません。
私は、「私はある」に話しかけています。それが私です。その「私はある」は思考の私はあるではなく、存在の感覚です。今ここにある意識、それがあなたです。
「我はそれなり」「汝それなり」という言葉を理解してください。
「それはそれなり。あれはそれなり。すべてはそれなり」
その「それ」が指し示し、述べているものは「それ」からやって来て、それへと帰る。
それゆえ、それには分離はありません。
そういうわけで私は「あなたは、すでにあなたが探しているものです」と言います。
MARK WEST, Australia
私たちには、心理的苦悩は全く必要ないと言っています。ニサルガダッタ、ブッダ、セイラーボブのような賢明な存在は、心理的苦悩は全く必要ないと言っています。肉体がある間は痛みや快感は残ります。しかし、心理的苦悩は必要ありません。なぜなら、苦悩は「私」(エゴ)に起こってくるからです。「私」にはいかなる実体も独立した性質もありません。あなたはそれをマインドで理解することはできません。マインドはあなたの敵ではありません。あなたはマインドの機能を使わなくてはいけません。「マインドは良き召使いだが、恐ろしい主人である」とニサルガダッタは言いました。いったんこのことを理解すれば、あなたはマインドを利用することができ、マインドがあなたを利用することはなくなります。
JAYASHREE GAITONDE
マハラジに会う前、私には本や聖典からの条件付けはありませんでした。マハラジの言うことはどんなことでも吸収すべく起こったのです。彼は一度私にこう聞きました。「あなたはこの物質世界ですべてを持っている。だとしたら一体、なぜあなたはここへ来たのか?」。私は言いました。「私は神に会いにきました」。彼は笑って、「わかった、わかった。会えるとも」と彼は言いました。
MOHAN GAITONDE
マハラジは全く生真面目な人ではありませんでした。実際、彼の話はしばしばユーモアにあふれていました。彼は、わかりやすい家庭的な人でした。でも、彼の発言は当意即妙で、マインドや知識からのものではありませんでした。特に今、彼の言葉は究極からやってきたものだったということがさらにはっきりとわかります。彼の発言の一つはきっとあなたを驚かすでしょう。「あなたから生まれる子供もいれば、生まれないままの子供もいる。生まれた子供たちは今、生まれなかった子供たちと同じぐらい幸せである」
S.K. MULARPATTAN
ジョゼフとクリスチアーナはベルギーからやってきた仲睦まじいカップルで、マハラジの熱心な信奉者でした。ジョゼフは数年前に亡くなりました。一度、ジョゼフはマハラジのためにジュフビーチへのピクニックを企画しました。私もその一員でした。私たちは大いに楽しみました。ジョゼフはマハラジの写真をたくさん撮り、その写真は今世界中で好評です。帰り道の途中でマハラジが突然ジョゼフを呼んで、何か難解な仕草をしました。誰もそれを理解できませんでした。ジョゼフに聞くと、ジョゼフはマハラジのためにこのピクニックを企画したことを心の中で喜んでいることを認めました。それでマハラジは、彼が形の無いノーマインドの状態であるということを象徴的に示したのです。
NEELA BALSEKAR
マハラジは、Gyan Marga(知識)について話していましたが、私はBhaki Marga(献身)に興味がありました。そしてある時、その違いについて彼に尋ねました。彼は、両方とも違うものでは全くないと答えてくれました。彼が話していたのは純粋なアドヴァイタでした。(非二元)
S.K. MULARPATTAN
ジーン・ダンというアメリカ人女性はマハラジの話がとても好きでした。それで彼女はボランティアで彼の話を録音し始めました。彼女がアメリカに帰る時はいつも、その役目をドクターバナジャに与えましたが、彼女はそれを喜んでやっていました。そうやって、何百ものテープが録音されました。
Dr. VANAJA
いつか、マハラジのために南インドで大きな寺院を建てるべきだと感じています。私の母が土地を持っていますから。たぶん、バハジャンかどこかマハシュトラのような場所で。それが、今私が考えていることです。当時彼は「あなたが最もしたいことは何だ? あなたは金の像を作るだろう、違うかね? でもそれはあなたに永遠の満足を与えはしない」と言いました。
S.K. MULARPATTAN
マハラジは私を押し込みました。それは素晴らしいことでした。私の本質とは何かを発見する道を教えてくれたのは私にとってマハラジからの贈り物でした。それ以降、私は他の誰からも指導を受けることはありませんでした。
Dr. VANAJA
一度マハラジは言いました。「あなた数学者、そうだろ? すべては、どんな時もどんな物もゼロだ。それを覚えておきなさい。バランスシートはゼロ。どんなものもゼロ」。そして彼はよく言ったものです。「他の人があなたに何を言おうと、✖を打ちなさい。誰もあなたの本質を表現することはできない」
JAYASHREE GAITONDE
マハラジのBhakta(信者)の定義はまったく違っていました。その人の本質(Swa-Roopa)から分離していない人が、彼の言うBhaktaでした。彼の簡明な言い回しはどれも、いつも私たちを本質へと導くものでした。
S.K. MULARPATTAN
マハラジのところへは、様々な訪問者がやって来ました。そして、質問者の理解のレベルに応じて質疑応答が行われました。最初は、彼が本当はどういう意味で言っているのかを理解するのはとても困難でした。でも、ある時マハラジが探求者の小さなグループに彼の教えの核心を説明しました。彼は言いました。「肉体化したグルとしての私のことは忘れなさい。私の言葉は忘れなさい。それは単なるポインターだ。でも、たった一つのことだけをやりなさい。それがこれだ。知る働き(knowingness)に留まりなさい。それがあなただ。(私はいる)という感覚に留まりなさい。思考は去っていく。それに同化することなく、単にそれを見守りなさい。それはやがて静まっていく。現れたマインドや思考を抑圧してはいけない。そんなことをすればそれはまた反発する。マインドの無い状態が広がり、意識(consciousness)よりも前にあるアウエアネスが自ら姿を現す。そのアウエアネスがあなたの本質であり、本当のサットグルである。そこから教えがやって来る。そしてこれが、あなたたちだけのための教えだ」
RAMESH BALSEKAR
私はどんな行為の行為者でもないと知っていました。でも、体験がありませんでした。私がマハラジの通訳をやっている間に私はそれを体験しました。私がやっていると思っていた通訳は私ではなく、起こってくるものでした。
CHAITANYA BALSEKAR
マハラジの話を何日も聞いている間、混乱は続きました。知的な理解にもかかわらず、どこか明快さがありませんでした。このことについてマハラジに聞いたところ、彼は種を蒔いたから、それはそのうち芽を出すだろうと言いました。そしてそれは実際にそういうふうに起こりました。
NEELA BALSEKAR
当時私は、マハラジのアシュラムによく通っていました。でも今それは起こっています。マハラジの臨在を今ここに感じるのです。彼がいなければ時間も空間もありません。
Dr. STEPHEN WOLINSKY, USA
私たちが今マハラジの家にいるというのは少し皮肉なことです。彼がいつも言っていたことの一つに、「あなたが理解することはすべて、思考や概念で理解するだけだ。それゆえ、この知識を伝えることは非常に難しい」があります。彼はいつもあなたの概念の中に入って行き、あなたの概念を打ち壊そうとしました。あなたの子供のころから植え付けられた概念、条件付け、宗教的観念、霊的観念、心理学的観念をあなたが解き放つことができるようにと。彼が強調したことの一つは「人生は幻影であるということを客観的に示すために、私はあなたたちに客観的な知識を与える」ということです。
GILBERT SCHULTZ, Australia
思考は描写することさえできないが、話すことは起こって来る。指し示すことは起こって来る。我はそれなり。汝それなり。それはそれなり。すべてはそれなり。「なぜなら」はすべてそれの中に含まれているから。それは知る働きのクリアーな空の空間。理解すべきは、その知る働きが起こっていることのすべてであるということ。過去も未来も無く、ただそれだけ。それは思考には難しい。思考はそこへは行けない。なぜならそれはマインド以前にあるから。
CHARLIE HATES, USA
私の名前はチャーリー・ヘイズ。私にはいつも何か思いもよらないものに向かって突き動かされているという感覚がありました。2002年から2004年の間、私は何人かの人と知り合いましたが、彼らの先生はシュリ・ニサルガダッタ・マハラジでした。それは、「I am that」というタイトルで出版されたマハラジの対話集を私が見つけた時でした。ダイレクトで即時の指摘は、シュリ・ダッタトラヤの直系のニサルガダッタやボブ・アダムソンそしてジョン・ウィーラーのような賢人によってもたらされました。それは、「私はそれである」。私は「私はそれである」と知っている。その認識は究極の、時間も存在しない、本質。言葉よりも前にあるもの。汝それなり。いにしえの人曰く、我はそれなり、汝それなり。すべての顕現はそれに他ならない。一つの本質がすべてとなって現れる。愛の海が波となり、水滴となり、滝となり、雲となるように。一つの海、一つの水、一つのハート、一つの愛、一つの「私はそれである」。「私はそれである」から「私はそれである」へ。愛を込めて。ジェイ・シュリ・ニアルガダッタ・マハラジ。