ギルバートはしばしばミーティングの中で、「探求などなかった」と発言しています。それはとても深い言葉だなといつも感心します。
私は長い間、自分は探求をしていると思っていました。探求を続けていけば、覚醒が起きて、すべての苦悩から解放されると思い、半分イカれた頭を抱えて精神世界をあちこちと探求してきたつもりでした。
でも、セイラーボブと出会って、自分は一歩も元の場所を動いていないということを知りました。そして、20年以上にわたって精神世界に費やした時間や労力、お金のことを考えて、随分と後悔もしました。でも、ギルバートの、「探求などなかった」という言葉を聞いて救われた気がしました。
自分では探求しているつもりでも、自分は北極点にいて北極点を目指している探検家のようなもので、どこへも行く必要はなく、ただそうやって自己満足してきただけだったと知ったからです。
精神世界の旅人の多くは、自分は何か尊いことをやっているという幻想に取り付かれています。でも、精神世界の本をどれだけ読もうと、何人のグルに会おうと、どれほど瞑想しようと、本質的には何も変わりはしないのです。なぜなら、もともと「私」は完全なものだからです。
探求を続ければ何かになるだろう、何かを手に入れるだろうというのは幻想です。探求者は幻想の中で探求ごっこをして遊んでいるにすぎず、それが尊いとかそうでないということは少しもありません。お金儲けや娯楽に懸命になるのと少しも変わりません。
私がこのブログを書く目的の一つは、一人でも多くの人が探求という幻想から抜け出して、あるがままの自分にくつろいで欲しいからです。そして、それをやり遂げる唯一の方法は自分で調べて、「私」は実在ではないということを知ることです。
たくさん本を読む必要も、グルに会う必要も瞑想する必要もありません。セイラーボブもギルバートもあなたのかわりにそれをやってくれはしません。自分で調べるしかないのです。そして、それを知った時、探求などなかったと知って、くつろぐことができます。