2023.2.26ミーティング 1:03:51から
ラム:マーク、ニサルガダッタがあなたに告げた意識に関するポインターについて話してもらえますか? 彼があなたに「意識(consciousness)とは何か?」と聞いた時のことです。
マーク:私とボブが初めてか二度目にロフト(最上階の部屋)に行った時のことです。ニサルガダッタはもちろん英語を話さないので、通訳がいました。ニサルガダッタはまるでワシのようで、いくぶん荒々しく見えましたが、そうではありませんでした。彼は恐れ知らずの人で、それで荒々しく見えたのです。
彼は私とボブを指さし、「おまえ、おまえに意識(consciousness)はあるか?」と言いました。私はもちろんロフトの部屋に座っていたので、意識はありました。(意識のない人は)誰もおらず、それは当然のことと思っていました。当然、二つ目の質問がきましたが、その質問で私は投げやりになってしまいました。というのも、私は普段向こう(遠方を指して)を見ていたのです。ここを(足元を指して)見ているのではありません。ここには何もないから、向こうを見ていたのです。
そして二番目の質問は、「その意識とは何か?」でした。そんなことは考えたこともありませんでした。私はグルの敬虔な信者として献身していて、ちゃんとしたやつでしたが、自分が誰なのかは知りませんでした。二番目の質問は、その意識とは何かでしたが、何らかの理由、おそらくムクタナンダのもとで二年間マントラを献身的に詠唱したせいで、体が浄化されていたのだと思います。そして質問は、その意識とは何かでした。
私は目を閉じて内省し、それが何なのかを見ました。「なんてこった、想像することもできない。ただそこにあるぞ」と言いました。それには始まりがなく、誰もが持つ宝庫で、ある意味で光が差して、やっとわかった瞬間(penny drop:自販機にコインが落ちた)でした。そこには、見る働きがあり、探求は終わった。なぜなら、もともと私はそこにいたからです。
でも、その時点ではまだ未解決の事柄がたくさんあり、たわごとは数年後までやってきました。でも、それが基本的な理解でした。意識(consciousness)があなたの神性なのです。もしあなたに意識とはと尋ねたら、「何だって?」と言いますが、それがすべてなのです。
彼はまた、「体は木片のようなもので生命のないものだ。体はそれ自体で輝くことができるか、答えはノーだ。意識がなくては輝くことはできない。意識を脇に置くと、体は単なる死体だ。私の車、私の家という言い方をするが、ということは、『私』はそのどれでもないということだ。私とは根本的には意識なのだ。おまえも同じだ。それがわからないのか?」と言いました。それが彼の言ったことです。
参加者:その後、彼は何と言ったのですか?
マーク:彼の質問は「意識とは何か?」でした。私は、「それは想像することもできない。それはただそこにある」と言いました。すると彼は、「そのとおりだ。それをお前は観念で想像しようとしたり、理解しようとしたりしているのではないか。それはおまえがムクタナンダのアシュラムでやっていることだ。お前はあそこで時間を浪費してきた(一同笑う)。それが人々の話すやり方で、お前の感情など恐れてはいない」。私はあそこで精力的にやったが、それはそれほど重要ではなかったのです。
カット:ありがとう。