ヘイマンは何か月もミーティングに出ていて、いつもふさぎ込んでいたのですが、その原因がやっとわかりました。難民の人たちがどんな心境なのかは察して余りあるものがあります。
セイラーボブが言う、「私」は実在ではないということは理解できます。でも、苦悩の真っ最中にある人は、それを聞いてもすぐには苦悩から抜け出すことができないのではないでしょうか。ましてや、国を追われ、見知らぬ土地で身寄りも仕事もなく生きて行かなくてはいけないとしたら・・・。
いくらそれはマインドが創作した物語だと言われても、その物語をもっと素晴らしい物語に変えられないかとジタバタします。
素晴らしい物語に変えたとしても、それが物語である以上は実体のないものであり、いつかは消えていくとはわかっていても、できるものなら変えたいと思うもの。
私も過去にはたくさんの苦悩を抱えていました。中には病的なものもあり、普通に暮らしていくことさえかなり苦しい時期がありました。今思うと、何を悩んでいたんだろうと思うのですが、悩みの最中にいるときは、そんなふうに客観的に物事を見ることができませんでした。
多くの場合、苦悩や悩み事は、具体的な問題が解決したわけでもないのに、しばらくすると消えていきます。あきらめたわけでも、受け入れたわけでもないのに、あまり苦悩しなくなります。そうすると、まさにそれは物語にすぎなかったとわかるのですが、しばらくあとにならないとそれがわかりません。
「もし今そのことを考えなかったら、何が問題ですか?」というポインターほど強力なものはないのではないでしょうか。これは、問題に目をつむれとか、目をそむけよということではなく、悩む必要はない、すべては思考の産物だと気づけということではないでしょうか。
悩み事があれば解決策を探す。見つからなければそのまま見守る。悩む必要はないということだと思います。今苦悩の最中にいる人には、わかっていても容易なことではないかもしれません。でも、それは単に物語にすぎないということを忘れないでください。