2023/03/10

カチッという音がしません

2023.2.26ミーティング 1:08:58から

ジェラルディーン:あなたがいつも胚(はい:受精直後の胎児のこと)の起源に遡る話をすると心を打たれるのですが、そのたびに、私は何もしたことがなくて、すべては与えられたものであるとわかります。これは正しい言い方ではありませんが、考える能力を自分で発明したわけではありません。それがとても心を打ちます。私の考える能力は、そこにあり、与えられたものです。このことを考えるたび、この話をあなたがするたびに心を打たれるのです。でも、カチッという音がしません(理解が起きないという意味)。(笑う)

カット:なぜなら、あなたは「カチッと」というのがどういうものかという期待を持っているからではないでしょうか? 「カチッと」とはどう意味ですか?

ジェラルディーン:理解したようには思えないのです。ええっと・・・。まだシフト(変化)が起こっていないようなのです。私は単にそれが真実だ、それは明白なことだと理解しただけです。

カット:ええ、そうです。それは真実です。それは明らかなことです。その考えを調べてみてください。というのも、バイロン・ケーティやエックハルト・トール、テリーなど誰それは、大電球が灯った、花火が上がった、解放されたという考えあって、この生命の本質、エネルギーはとても退屈な繰り返しなので、あなたにも同じことが起こらなければいけないという意味ではありません。

例えば、何百という人たちがトニー・パーソンズが歩いた公園がどこの公園だったのかを知りたがっています。なぜなら彼らも同じようにそこを歩きたいからです。(一同笑う)ジェフリー・マーティンの統計によれば、大多数の人にとって理解は、一度きりの大きな解放としてではなく、虚偽の皮をはぐようにして起こっています。

それはマークが言ったように、コインが自販機に落ちるように起きるかもしれませんし、ボブや私の場合のように、大きなシフトのようなものかもしれません。でも、ここにやってきた多くの人たちは、一回の大きなシフトの地点があったわけではありません。あたかもそれは、ただちょっと後ろを振り返って、「ちぇ、もう再びあのナンセンスを信じることはできない」「こいつからはもう解放された」「これも起こっていない」「ああ、サンタは現実にはいない」「地球は平らではない」。

それは神秘です。私が考えているわけではないのに、思考が起きて、ゆっくりゆっくりとその理解が根を張るのです。そしてある地点に来ると、もうそれ(古い条件付け)を信じることはできません。それはある意味徐々に起きて、虚偽が皮をむくように落ちていき、狂信していることが落ちていきます。

私はああいう風にあるべきだ、私はこれが正しいと信じているといったようなことがどんどん適切ではなくなっていきます。そして、生の神秘がますます美しくなり、あなたが言ったように、「オーマイゴッド! これはすべて与えられている。見ることは私のおかげではない、考えることは私のおかげではない。自分をコントロールすることさえ私のせいではない。体重をキープすることもパートナーをキープすることも、私にはできない。なぜなら、それも機械的に条件づけられた行為だからです。私は何も自分のせいにすることはできません。

ジェラルディーン:ええ、それはすべてそこにあるものです・・・

カット:でも。でも、何ですか?

ジェラルディーン:それは明白です。すべてはそこにあります。でも、コインが落ちないのです。(一同笑う)

カット:どうして落ちる必要があるのですか? もし、それがすでに明白なら、そこには人から言われた物語に対する微妙な期待があるということです。それは、これが大きなエンライトメントだ。これが解放だ。これがイエスや仏陀、エホバ、私は在ると同じ存在ということだ。エホバとは「私がその私は在るである」という意味です。「単に私がその私は在るだということはできないのですか?」「いいえ、私は神ではありません」。

こうしたことは人から言われた物語なのです。大きなエンライトメントとはそれだ、それは神のように見える、あなたは神だ。いいえ、それは自然な状態のことです。おしゃべりと同化していない時、それは私たちの中に自然にある状態のことです。その空間にコインが落ちる必要はありません。それは姿形のないものです。

あなたがその開放された空間であるなら、どこにコインを落とす必要があるでしょうか。その意識には境界がなく、限界がなく、空間がなく、時間がありません。その観念を見てください。違う、違う、これが私、ジェラルディーン。まだ私はそれを理解していない。この観念は、アウエアネスにやって来て去っているものです。

コインが落ちなくてはいけないという観念は、そのアウエアネスの中にやって来て去っていきます。でもあなたが、限界があって、コインが落ちる必要のあるジェラルディーンだという観念と同化するのをやめるか無視すると、あなたは自然な状態の中にいて、あなたが自然な状態そのものです。あなたがその開放された意識の空間なのです。観念はやって来ては去っていきます。それは他の思考同様、個人のものではありません。

ジェラルディーン:でもどうしてある人たちには、明晰さがあるのですか。つまり、彼らは私とは違った話し方をします。ええ、私も・・・

参加者:私にはすべての人が違うように話しているように聞こえますよ。

ジェラルディーン:ええ。(笑う)

カット:明晰さというものがあるかどうか調べてみてください。それもまた観念であり、それはとても有益なものとなりえるのですが、混乱のもとになることもあります。というのも、それは永続する状態ではないからです。究極の明晰さには話すことさえ必要ではありません。

私たちは今夢の中にいるということを理解してください。部屋の中いっぱいの人がいる夢ですが、実際には何も起こっていません。何も起きませんでした。ではどうして話すことさえ起こっていないのでしょうか? 夢の中の明晰さという夢を見ているのです。すると、明晰さの度合いというのは何なのですか?

話すことが起こっています。私は女性の体だ。それは明晰さですか? あらゆるコミュニケーション、あらゆる夢の内容が相対的なものです。それはすべて二元的であり、常にそうです。明晰さがある時もあり、それが物語となって泳ぎ回ってマインドが表現する時もあります。

ボブは例えば自身の子供の時のことを素晴らしい明晰さで語ることができます。でもそれは今は、まったく起こっていないし、まったく存在していません。それはまったくマインドの内容物にすぎません。それであなたは、明晰さの基準をどこに置くのですか? それは単に起こっていることなのです。

あなたは空間であり、それがなければ何も起こらないのです。そしてあなたはそれを知っています。なぜならあなたは、現れる形態が自分のせいで現れるのではないと知っているからです。

ラム:立ち止まって、自身に対して、自分はコインが落ちることをどう定義しているのかを尋ねるといいのではないですか? 「カチッと」をどう定義しているのか? そこにはあなたが使っている観念があります。それは何もないところからやってくるわけではなく、そうした観念の後ろには重要なもの、物語があります。たぶん、それを掘り下げて見て、それが何なのかを実際に知る。「カチッと」の意味が何なのか、エンライトメントの意味をどう定義しているのか、コインが落ちるとはどういう意味なのか。

そして立ち止まって、これは単なる物語だということを知る。どんな明晰さが欠けていようと、あなたには明晰さがないと思っていようと、それは全部物語の後ろにあるのです。その物語がそうした言葉に付着して、たとえば「カチッと」となって、あなたの頭の中を泳いでいるのです。

ジェラルディーン:ええ。私は自身のナレーション(物語・語り)が変化することを期待しています。何も変わらないかぎり、何も起こっていないのです。

カット:ええ、良い理解です。よくわかりましたね。「私は自身のナレーションが変化することを期待しています」。その物語(story)は何ですか?

ラム:ええ、それもまた別の物語です。ナレーションが変化すべきだという。

カット:ええ。そのナレーションはあなたのものでさえありません。それは生物の条件付けです。あなたは自身のアクセントがどうなっているのか知っていますか? あなたはその内容を変えたいと思っているかもしれませんが、それはすべて過去の経験に基づいているものです。あなたが過去に経験したすべての経験が影響しています。

ボブが言うように、体は胎児から成長します。あなたは、自分の体が違ったふうに成長してほしいと思うかもしれません。同様に、あなたの物語も胎児から成長して表現されたものです。それを変えることはできません。それを変える必要も変える理由もありません。

ジェラルディーン:でも、例えばあなたやボブは変わりました。

カット:変わったかどうかはわかりません。

ラム:その点は注意してください。たくさんの人がこの話題を上手に話すことができます。というのも、彼らは長い間この話を聞いていて、この非二元の話題に関するあらゆる観念や考えを吸収していて、彼らは話すことができます。それは・・・

ジェラルディーン:いいえ。そういう意味ではなくボブは・・・

ラム:いや。ボブやカットのことを言っているのではありません。

ジェラルディーン:そうではなくて、ボブの口から出る言葉はある時点で変化しました。

カット:ええ。確かにそれは事実です。あなたは焦点を注意に向けなくてはいけません。エネルギーの焦点を観念ではなく、実在にあててください。あなたはすでに事実を100%確実に理解しています。あなたは自身が存在するということを知っています。それを否定することはできません。存在しないようにとやってみても、それはできません。

やってみて、自身が存在しないと証明しようとしても、存在することを止めることはできず、存在し続けます。ということは、それが最終の真実だということを知っています。それがそれです。そして、物事はその上に起こっていて、あなたはそこに注意を向けているのです。それが認識すべきことであり、リラックスしてそこを出て、存在の真実という我が家へ帰るのです。それはいつも100%確実に存在する場所です。

うわべ上でそれを不鮮明にする物事があります。なぜなら注意は習慣的にそこ、物語へ向かうからです。でも、それを認識してリラックスするたびに存在の確実性へ戻ります。ボブのとても素晴らしい問いかけのように、「あなたは意識していないのか?」、そしてマークが言った、「あなたには意識がないのか?」「あなたは存在しないのか?」。その質問に対する答えが「それ」です。そこには何も言うことはありません。

ジェラルディーン:私は意識がないのか?

カット:ええそれです。