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参加者:話は少し戻りますが、「私たちは行為者ではない」とあなたは言いました。そうでしょ。誰かがすべてを計画しています。宇宙がすべてを計画しています。私がすべてを計画しています。その場合、どこに自由意志があるのですか? もし誰かがやっているのなら、それがどんな存在や力であろうと、自由意志はどこにあるのですか? 私はヴァガバット・ギータの中でも読みました。クリシュナが言いました。「あなたは私が望むことをやりなさい。そうすればあなたの望むことはついてくる」。その場合、自由意志はどこにあるのですか? 私たちは考えることを止めて流れとともに行くべきですか、それとも何が起こるかとストレスを溜めこむべきですか? それで、どうしたらいいのかという疑問が湧いてきました。混乱しています。これに答えがでれば、たくさんの問題が解決されるかもしれません。
ボブ:誰が質問者ですか? それを知りたがっているのは誰ですか? その質問はただ別の思考がやってきたにすぎません。
カット:そこにはうわべ上の自由意志があります。うわべ上の選択があり、うわべ上の行為者がいます。マーヤーの素晴らしさは全く説得力があります。あたかもそこには小さな小人がいて、決定をして、自由意志があるように見えます。そこには誰かがいて、バスを運転しているように感じます。誰かが心臓の鼓動を打っているように感じます。でも、心臓を打っている人は見つかりません。ですから、明らかにそこには自由意志はありません。
でも、うわべ上では自由意志があるように見えて、瞑想をしようとか、しないとかをやっているように見えます。これをしようとか、あれを選択しょうとか、そこにはうわべ上の選択があります。うわべ上の選択は、流れとともに行こうとか、流れに逆らおうとします。でも、あなたは、あなたの次の思考が何なのかわかりますか? わかりません。次の思考は、宇宙のあらゆる力の共同作業によって起こります。それは、天気、あなたの両親、あなたの食事、子供の頃のトラウマの影響などによって起こります。
そうしたあらゆることが、あなたの次の思考を形成します。つまり、私たちは、「ええ、私はその思考に従うかやめるかの自由意志がある」と言うことはできます。でも、それでさえも一つの思考なのです。つまり、基本的には自由意志を持つ分離した自己、分離した魂、というとても強力で持続的な幻想があったとしても、あなたが実際にそれを深く調べると、あらゆる選択は条件づけられたものだということがわかります。それには宇宙全体の共同作業という前提条件があるのです。
そしてそれが、そこには分離はないというもう一つの証明です。あなたは、あなたに影響を与えるそうしたすべての力とは分離していないのです。実際、あらゆる力は、あなたの存在の中で起こっています。あなたの体、マインド、次の思考、あらゆる思考は、あなたの存在の中で起こっています。自由意志という幻想も、あなたの存在の中で起こっています。正しい行いや悪い行いは物語です。私たちは物語に従うように条件付けられています。
私たちには、良い人でいて、悪い人にはならないようにしようという道徳律があります。私はそれを変えるとことができますか? 私にはそれを止める自由意志がありますか? 例えば、オーケー、この世界全体は幻想だ。よし、行って盗んでレイプでもなんでもするぞ。いいえ、私はそれをすることができません。なぜなら、その思考、その体は条件づけられていて、行動を創造するようにはできていません。それは共鳴しません。でも、それでもそれは、私は選択することができると感じています。
でも、そうでしょうか? それはどんな行為も生み出すことはできません。でも、この質問はとても有意義な質問です。多くの人が、そこに自己がいて、自由意志があると思ってもがいています。イエスは、「私たちには自由意志がある」と言いました。クリシュナも「私たちには自由意志がある」と言いました。ええ、それがあなたの伝えるやり方です。夢の中であなたは家族を選び、仕事へ行くこと、悪いことよりはむしろ良いことを選んでいるように見えます。それは夢の中の出来事です。たとえ真実を知っていたとしても、夢の中では、分離した体があるように、私たちは自由意志を持っています。