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参加者:私が繰り返し思うのは、もし行為が起こっていても、それをやっていると信じている私がいて、自由意志はないという観念を受け入れることができません。私は行為者が私を存在することから連れ出してしまうと信じています。それで、(質問は)どうやったら自由意志なしで、また、行為者なしで行為をすることができるのかということです。
ボブ:ただ、やってみてください。(一同笑い) それがうまくいくかやってみてください。それがあなたのやることです。
カット:そのプロセスが起こるのを実際に目撃していると、たくさんの信じられない発見があります。選択や決定を見守るとき、そこに決断したり選択したりする私がいると決めてかからないで、周囲の状況を認識することなく、ただ空(から)のマインド、空の空間でいると、どうやって選択が起きるのかを発見する喜びが起こります。
たとえばレストランへ行ってピザかサラダかを選択する時、どうやってそれがやって来るのか。興味を持って、それがやって来るの待ちます。そして何が起きるのか見ます。二つの思考が浮かんできます。一つは感情に訴えるもの。それは唾液が出てきて、もう一方は出ないかもしれません。その時、誰が決定を下しますか?
どうやってその思考は意識のフィールドに現れますか? それが起こるのを見る時、実際に命が瞬間瞬間行為なしで、行為者なしで、奇跡のように起こるのを見て、あなたは本当に驚くでしょう。どうして体はどうしたらよいのか知っているのか? どのように決定は起きるのか? どのように思考は起こるのか? どのようにあなたは生かされているのか? どのようにあなたの髪の毛は伸びているのか?
どうやってあなたの心臓は鼓動しているのか? 意識の中で、どうやってあなたの行動は起こるのか? そしてこれは、私は無であり、自身の人生を選択することはできない、ここで私は一体何をしているのか、私は死にたいといったような、力を奪ってしまう抑圧的な考えを許すということではありません。
今あなたは、その力やパワーはその背後で互いに依存しあっているということを発見します。例えば、ピザにするかサラダにするかの選択は宇宙全体が関係しています。ムード、生理、あるいはホルモンのレベル、あなたの育ち、子供の頃、一年生の時誰かがいじめたこと。天気、季節、宇宙のあるゆることが関係しているのです。
その全能のもの。全能。あなたが本当に完全に行為者という考えを落とすと、あなたはその全能のものから分離してはいないということを理解します。実際、それが本当のあなたなのです。あなたが宇宙です。あなたが星や太陽をめぐらせいて、あなたは細胞やすべてです。そしてそれは力を奪うのではなく、完全に力を与えているのです。なぜなら、(あなたは)すべてとして存在すること、そして無として存在することだからです。それは同じ一つのものです。
なぜなら、そこには存在があり、そこには実在があり、あなたがそれであるということを否定することはできないからです。そしてその存在は何からも分離していません。そのため、あなたは「私は無である」と言うことはできないのです。誰がそう言っているのですか? そう言う時でさえ、そこには何かがあります。あなたは個人の体の中の個人の行為者ではありません。
あなたはあらゆる行為の背後にある命なのです。全能、偏在。あなたは体を通して一つの体の存在を体験することができます。というのも感覚器官があるから。あなたはここに(自分の体を触って)皮膚を感じます。(猫に触って)ここに皮膚を感じます。でもそれは単なる見本です。なぜなら、実在は体験できるものではないからです。実在は純粋な可能性です。
体の中で、それは認識されます。体の外にも、実在は存在します。それは現実化、あるいは認識されないだけです。最初、「私には自由意志がない」というのは悪い知らせです。でも、究極的にはそれは、何か悪い行為の束縛や罪悪感からの解放なのです。なぜなら、ひどい人たちが他の人を傷つけたとしても、それもまた全宇宙が同じように彼らを創造したのです。彼らは心の奥底からそれ以上の良いやり方を知りません。彼らは何か他のやり方でやることはできなかったのです。
もし彼らが別の国、別の母親のもとに生まれ、たとえそれがヒットラーやその他の人たちのもとであっても、彼らはそれをやらなかったでしょう。なぜなら、彼らは行為者ではないからです。それはまたグッドニュースです。もし私が行為者ではないなら、誰も行為者ではありません。もし誰かが私に唾を吐いても、私をいじめても、彼らは行為者ではないのです。私は彼らを悪く思うことはできません。
私はただエネルギーの領域を見つめ、戦争、愛、喜び、悲しみの中でダンスをするのです。そしてもしそれが非個人的なことであっても、それでももちろん体は痛みより喜びを好みます。体は空腹よりもお腹が満たされることを、寒さより暖かさを好みます。でもそれは、そのようにできているからにすぎません。それが、世界全体が続いていくようにしているやり方であり、学習するやり方であり、世界で生き残っていくやりかたです。
それが私たちが心配しなくて済むようにするやり方です。なぜならそれはもともと自身の世話をするようにプログラムされているからです。もちろん、うまくいかない時もあります。短期的には間違った判断も正しい判断もあります。というのは、このコンピューター(頭を指して)はそのデータベースを経験によって絶えずアップデートしているからです。でも、それが非個人的である時、それは本当に衝撃的です。それを見ていることは楽しみです。たとえそれが、昼と夜、喜びと痛み、冬と夏、上と下などすべてであったとしても。
でもその質問は本当にすばらしい質問です。行為者。最初に、認めるべきことは正しく認めるというのは良い訓練です。私たちは訓練を勧めているわけではありません。なぜなら誰も訓練する人はいないからです。でもそれは認識する一つのやり方です。オーケー、これが起こった。この体が誰かに仕返しをした。誰かを蹴った。あるいはガラスを割った。この時、認めるべきは、どこに行為者がいるかです。生が生じる事の、あるいは起こる事の全体を仕組んだのです。
ボブ:クリシュナムルティはこのことを簡潔に、「選択なきアウエアネス(意識)」と言いました。あなたは今意識がありますか? その時、自然に選択がやってきます。選択はなされ、行為は行われますが、そこに行為者はいません。それはすべて自然に起こっているのです。