2022/12/09

執着と一切皆苦

佐々木閑 仏教講義 8「阿含経の教え 4,その10」(「仏教哲学の世界観」第11シリーズ)

仏教では、執着しないこと、執着を捨てること教えます。私はその考え方が好きです。地位や財産や名声を追い求めない。そういうものに執着しないで生きていきたいと思います。

以前は欠かさず買っていたジャンボ宝くじも買わなくなりました。お金はとりあえず暮らしていけるだけあればいいかと。でも、べつに貧乏や清貧に執着しているわけでもありません。無いものねだりしないだけです。

セイラーボブは、地位や財産や名誉に執着するなとか、金を追い求めるなとか、そういうことは言いません。でも、「私は実在しない」と教える非二元の教えは、執着するなと教えているのと同じではないでしょうか。金や地位や名声を持つ「私」がいないということは、執着元がないということではないでしょうか。

仏教では「一切皆苦」といって、生きることは苦しみだと説きますが、セイラーボブは、生の背景にあるのは至福だと説きます。これは一見仏教で教えていることと違うように思えます。

でも、仏教で人生は苦しみだという理由は、諸行無常だからです。すべては去ってしまうから、苦しみだと言っています。それだったら、非二元も同じことを教えているのではないでしょうか。仏教も、その教えを理解した先にあるのは涅槃です。盤珪が言うように、もともと不生ならば、至福の状態にいるといってもいいのではないでしょうか。