2022.12.25 (クリスマス)ミーティング
ボブ:みなさん、メリークリスマス!
(この日は初めての参加者が何名かいて、ボブのスピールの途中で何度か質問をしました)
26:03から
ボブ:信念の定義は、調べもしないで理由もなく何かを受け入れことです。私たちはそれを疑うことも調べることなく、ちらっと見て、両親が言ったように、私は何々であると(受け入れるのです)。私はそれであるという信念を受け入れるのです。もし誰かがあなたに、あなたは何かと尋ねると、私はビリー、あるいはジェーンなど、あなたの名前ですと言います。私たちは調べもしませんでした。何かを理由もなく、調べもしないで受け入れました。正しい知識や証明もなく、言われたことを受け入れました。あなたの信念をテストすると、それが事実ではないなら粉々になります。
参加者G:誰が受け入れているのですか? 信念を受け入れたのは誰なのですか?
ボブ:信じられている存在によってです。うわべ上の人によってです。あなたは、そのペルソナ(外的人格、登場人物)が自分だと信じています。
参加者G:それで、それを信じているのは誰なのですか? あなたが信じていると言う時、それは誰のことですか?
ボブ:うわべ上の人のことです。あなたの名前は?
参加者G:ジェラルディーン。
ボブ:ジェラルディーンが信じているのです。人です。
カット:理解できないかもしれませんが、もしあなたが5年前の自分を思い出してみると、あなたは自分が人だと信じていましたか? 自分のことを何だと信じていましたか? おそらくあなたは今完全に明晰であり、それは素晴らしいことです。おかえりなさい。でも、もしあなたが学校へ通っていたときのことを思い出すと、自分のことを誰だと思っていましたか? あなたは自分のことを幼い少女だと思っていました。あるいは、あなたが初めて職場に行ったとき、初めて恋に落ちたとき、あるいは5年前。あなたは自分のことを誰かだと思っていました。というのも、私たちは誰か人であり、通常は、体かマインドであると条件付けられているからです。
そうやって私たちは子供のころから成長しました。私たちは、自分のことを、この対象物(体を指さして)と同一化することを学びました。この対象物はまた信念を受け入れるよう条件付けされていて、サンタクロースを信じて、季節を信じ、国の名前を信じています。あなたはどこから来たか、あなたの名前を信じています。そうしたこともまたすべては、その想像上の存在がそう考えるようになされた条件付けです。そうしてまさにその存在、想像上の存在が信念を受け入れたのです。それがソフトウエアの一部になっているのです。
ボブ:あなたは自分のことを人間だと信じたのです。
ジェーン:すいません、ボブ。あなたは自分のことを人間だと信じているのですか?
ボブ:ええ。
ジェーン:オーケー。そのとおり。
参加者G : 話を聞きながら、私はそうした思考から自身を引き抜こうとしています。でも、誰が……。ええ、誰がそうした思考から自身を引き抜こうとしているのですか? 誰が?
ボブ:それが、あなたが調べなくてはいけないことです。
カット:その質問をしなくてはいけないのは、あなたに対してではありませんか? あなたは、誰が引き抜こうとしているのか答えなくてはいけません。
参加者A:私も同じ疑問を持っていました。
カット:これは重要なことです。というのも、この質問に対して、私達は、あなたたちが自分自身に尋ねるようにと勧めているのですから。
参加者A:もう一つの思考です。
カット:ええ。それは良い答えです。そのもう一つの思考に気づいているのは誰ですか?
参加者A:(カットの問いには答えずに)そして、どうやってそのもう一つの思考から抜け出したらいいのかというのが私の質問です。
カット:ええ。その質問をしているのは誰ですか? 知りたがっているのは誰ですか?
参加者A:そこに誰もいないのはとてもはっきりしています。でも、それでも私はジェラルディーンが言うように、深く同一化しています。
カット:もしそこに誰もいないのなら、誰が同一化しているのですか?
参加者A:私ははっきりと聞くことができます。鳥が歌っていて、そこには聞くことそのものがあり、聞く人はいないということは理解しています。それでも、自分自身に対して抱いているあらゆるネガティブなことと同化しています。どうしてかはわかりませんが、何かが起きるのを待っています。目覚める人は誰もいません。知的にはそれは落ちました。知的にはそこには誰もいないと知っています。なぜなら、調べて瞑想しても、誰も見つからなかったからです。ジェラルディーン、あなたも同じではないですか?
参加者G:私はいまだにそれを知的に理解しようとしています。
カット:それは不可能です。それはできません。それを知的に理解しようとしているのは、ソフトウエアであり、プログラムです。それは起こったことを物語として語っている壊れたレコードなのです。それには、何をしても、何一つ理解する能力はありません。
参加者A : では、どうやって私たちはそのソフトウエアから外へ出たらいいのですか?
カット:私たちにはできません。なぜならそこには誰も・・・
ジェーン:ボブが話そうとしています。
ボブ:私があなたは誰かと尋ねたら、あなたは、「私は(Iam)」と言うのではありませんか? ではその「私はある(I am-ness)」とは何ですか? それは存在していることに気づいている存在の感覚ではありませんか? ということは、実際のあなたは存在の感覚ということになります。体やマインドではありません。存在の感覚がマインドを通して思考の「私は在る」となって現れています。
参加者A:でも、私は依然として、それを思考で理解したいのです。それがわからないのです。
カット:それは不可能です。
ボブ:それは思考のない永遠に新鮮な存在意識、ただそれだけ、他には何もない。思考はないのです。観念はないのです。思考は観念です。思考とは何ですか? 音、言葉、バイブレーションです。バイブレーションとは何ですか? エネルギーの動きです。体も同じです。あなたは、「私の体」と言います。「私のコート」「私の家」と言うのと同じです。あなたは、あなたがコートではないと知っていますね。
参加者A:単なるエネルギーです。
ボブ:ええ、エネルギーです。アインシュタインは、「そこにあるすべてはエネルギーだ」と言うでしょう。
カット:エネルギーが何かを理解できますか? 例えば、それには脳がありますか? もし、その考え、思考が非二元を理解するはずだというなら、その思考が理解するにはどんな方法がありますか? 思考は音、バイブレーションに過ぎません。それには脳がありません。それは何も理解することができません。思考は音です。雷鳴の音が、あなたが探している方法で理解できますか? できません。
参加者A:ええ、その通りです。ではそれを理解したがっているのは誰なのですか?
ジュリア:それが、あなたが自身に尋ねるようにとここで勧められている質問です。(32:53)
(この後も質問者は理解することができず、似たような問答が続きました)