この本は佐々木先生が、NHK文化センター京都教室で宗教について語った特別講座をもとに、「仏教者の立場から見る、新たな宗教世界の展望」について書いたもの。
最初に、宗教はどのようにして起こったか、宗教とはどういうものかを、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史(上・下)』(河出書房新社)を引用しながら説明。
続いて、がんで死期が一年余りと余命宣告を受けた物理学者の戸塚洋二氏から面接を求められ、釈迦の教えていた仏教とはどういうものだったかを尋ねられて説明した話。
そして第五講で、「仏教は自分で自分を救う教え」と説いてみえます。
(第五講要約)
苦しみから逃れるには二つの方法がある。
1、「私の願いをかなえてください。もっと幸せにしてください」と何かにお願いして、「何か」の力を信じて生きる。これはキリスト教やイスラム教的な教えであるが、人間の苦しみである老・病・死を救うことはできない。
2、欲望の充足ではなく、欲望そのものを消すこと。諸行無常・諸法無我を理解すること。
p168から引用
すべての物事や事象は因縁(原因)によって生じるのであって、「私」というもの自体は存在しておらず、因縁によって一瞬現れる刹那的現象の連続体にすぎないと考える。
(以上引用終わり)
そして、欲望を消す方法として、四諦八正道が説明してある。
最後に宗教に接する時の注意事項が述べられている。
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この本の中で佐々木先生は、釈迦の直接の教えについて語ってみえるので、(大乗仏教的な説き方ではなく)初期仏教(原始仏教)の教えに従って、「私」は存在しないと説いてみえます。
私は、「欲望を消す」という思想に魅かれます。「消す」とまではいかなくても、「欲望を追わない」という姿勢こそが、幸福の近道ではないかと思います。かつては私も、上記の1のような思想に魅かれた時期があって、いわゆる「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」といったたぐいの本を随分読みました。
でも、結局それでは幸せにはなれないと思いました。一つ例をあげるなら、いくら願っても永遠に生きていることはできません。いつかは必ず死にます。そして私が最終的に行き着いたのは、セイラーボブが教える非二元の教えです。
セイラーボブは、「欲望を捨てよ」とか、「欲望を持つな」とは言いません。でも、「私」は実在ではないという教えは、欲望の帰結元である「私」がいないのですから、結局は欲望が落ちていくことになるのではないでしょうか。
仏教が言うように、積極的に欲望を落とすとまではいかなくても、過度に欲望にとらわれない生き方こそが重要なのではないでしょうか。セイラーボブの教えとは少しそれるかもしれませんが、佐々木先生は「四諦八正道」についてYouTubeで説明されるようですので、今後もこのブログで取り上げていきたいと思います。(あまりに仏教に入り込んでしまうようならやめます)