2022/12/03

マインドフルネスの本来の意味

佐々木閑 仏教講義 8「阿含経の教え 4,その9」(「仏教哲学の世界観」第11シリーズ)

私はマインドフルネスの本来の意味を知りませんでした。過去に何度か佐々木先生がマインドフルネスの話をされたことはありましたが、その本来の意味を詳細に説明されたのは今回が始めてです。

マインドフルネスという言葉そのものは、もうずっと以前から知っていました。私の今までの解釈では、マインドフルネス瞑想は、自分の身体、呼吸、思考などを見つめる瞑想というものでした。技法的にはヴィパサナや座禅と同じものだと思っていました。

でも、今回の佐々木先生の説明を聞いて、もともとは仏教の技法であり、単なる瞑想ではなく、その前提として、「私は体ではない」「諸行無常・諸法無我」ということを理解した上で、自分の考えや行動がそこから外れてはいないかと確かめる技法だということを知りました。

Wikipediaでマインドフルネスを調べたら、ちゃんとそう書いてある。もともとは仏教の技法だったものを、仏教的な教えを取っ払い、アレンジして瞑想だけに焦点を当てた技法として西洋社会で広まったもののようです。なんともったいない。一番大切な非二元的な部分を取っ払って、単なるストレス解消法になってしまっている。

私は、マインドフルネス瞑想と似たような瞑想をさんざんやってきたので、もう瞑想は卒業だと思っていましたが、その前提として無我や諸行無常を知った上でやる瞑想だと知った今、話が全然違ってきました。そういうことなら、私は24時間、一種のマインドフルネス瞑想をやっているつもりです。

また、座禅に対する認識も変わりました。禅僧たちは、日ごろ仏教を学んでいて、当然、諸行無常・諸法無我という仏教の教えを学び、そのかたわらで座禅をしているわけです。座禅は、あくまでも仏教の教えとセットになっているのであり、仏教の教えていることを理解して座禅することが大切だとわかりました。