2023.7.23ミーティング 40:22から
ギルバート:昨日、ボブのためにパーティをしました(95歳の誕生日パーティ)。そして私はチョコレートケーキを作りました。
カット:あれは美味しかった。
ギルバート:あれはしびれるほど美味しいチョコレートケーキだった。今まで、それほどたくさんのケーキを作ったわけではないのですが、作ってみようと思ってやってみたら、よくできました。そして何人かの人にレシピを聞かれました。それは内緒にしておきます。でも、もし誰かに、このこと(ボブの教えていること)に対するレシピを聞かれたら、ボブのポインターの一つを教えます。
それは、マインドを見つめ、それがどのように機能するか調べなさいということです。それはとても強力なポインターです。マインドを見つめて、それがどのように機能するかを調べるのは実に強力なポインターです。そして、アウエアネス(意識)には思考がないということを付け加えたいと思います。その二つのポインターが一緒になれば、それで十分です。
マインドを見つめ、それがどのように機能するかを調べてみてください。そして、アウエアネスには思考はありません。うわべ上で物語、ストーリー、お祝い、死などに囚われているキャラクターは、意識(consciousness)の上に観念として現れているものです。では、その意識(consciousness)に気づいているものは何なのか? それに気づいているものは何なのかというのが鍵です。
それに名前を付けることはできません。また、否定することもできません。それが本当のあなたです。それが本当の私たちです。そしてそれは、他には何もない一つのもの。一つの意識(consciousness)であり、私の意識ではありません。あなたの意識であり、ボブの意識であり、カットの意識です。それは分割されてはいません。それを分割することはできません。何も分割されません。
それについて考える時、どうして観念が何かを分割することができるでしょうか? 思考や観念には実体や独立性がありません。ボブが言うように、あなたが調査すると、それは調査には耐え得ません。それは粉々になります。それゆえ、マインドを見つめて、それがどのように機能するかを調べることには潜在的な可能性があります。その潜在的可能性は仮想(numenon)、非顕現からやってきます。
顕現、見せかけには力がありません。それは夢なのです。そして夢の中にも夢があります。夢の中で見ている夢が「私」、私という信念なのです。その「私」は実在ではないということを知ると夢は落ちていきますが、意識(consciousness)という夢は残ります。しかし、その意識に気づいているものは夢を見ていません。ボブ、誕生日おめでとう。
マンジュ:ボブ、質問があります。どうして私たちは完全に自身のことを忘れてしまうのでしょうか? 私がこのことを理解した時、どうして私は自分のことをマンジュだと考えてしまうほど愚かなのかと思ったのです。一体、どうしてこれが私たち皆に起きるのでしょうか? そして最後には、皆がそのことをを理解するのですが、どうしてそのことを完全に忘れてしまって、自分のことを人だと思うのでしょうか? そしてその人が世界に出て、死ぬまで生きていると思うのでしょうか?
カット:ええ、ボブに聞いているのですね。(ボブに向かって)どうして私たちは、本当の自分を完全に忘れてしまうのでしょうか?
マンジュ:完全に。(誰かが、完全にではないと言った)
ボブ:私たちは言葉を身に着けます。言葉を学び、学校へ行き、さらに言葉を学びます。それぞれの言葉には違った意味があります。そして私たちは言葉を信じるようになります。でも、言葉は物ではありません。言葉とは何ですか? 言葉は音です。音とは何ですか? それは波動です。そこにはエネルギーの波動があります。同様に、体は土、空気、水、火、空間といった構成要素でできています。あなたは空気なのか、あなたは火なのか。あなたはその構成要素のいずれでもありません。
構成要素は亜粒子原子、純粋なエネルギーへと分解することができます。つまり、体とマインドはエネルギーに他ならないのです。エネルギーとは何ですか? 波動、動きです。波動として振動しているものが、実在であるかのように現れているにすぎません。海を見てください。海は動かないように見えますが、近寄ると何かが動いています。たくさんの小さな波があります。その一つ一つの波は水以外の何ものでもありません。それは決して変化しません。私たちは、言葉によってすべてを変えてしまいます。
聖書では、始めに言葉があったとあります。言葉が神とともにあり、言葉が神でした。あらゆる神は言葉なのです。あらゆるものが彼によって、言葉によって作られました。言葉によってあらゆるものを手に入れたのです。言葉無くしては、マインドには何もありません。私たちはそうした言葉を学び、言葉を信じたのです。信念という言葉を調べてみてください。信念は実在ではないとわかるでしょう。辞書で信念の定義を調べてみてください。
理由もなく、調べもしないで受け入れているものです。私たちはそれを調べもせず実在だと受け入れたのです。親が何かを告げると、調べもしないでそれを受け入れたのです。確かな知識や証明なしに、理由もなく、調べもしないで言われたことを受け入れたのです。それが真実なのか嘘なのか、それが真実に耐え得るのか調べてみてください。
海へ行って、バケツ一杯の青い水を汲んでくださいと言ったら、あなたは何と言うでしょうか? 馬鹿なことは言わないでと言うでしょう。というのも、海は青くはないと知っているからです。でも、海は青く見え続けます。空は青く見えます。でも、空は単なる空間にすぎません。蜃気楼の中の水。そして有名な、ロープがヘビに見える話。一本のロープがヘビだったことがあるでしょうか? いいえ。暗闇でロープを見て、ヘビだと思う人がいます。その信念ゆえに震えやあるゆる種類の反応が起こります。
私たちは、あまりにも多くの信念を身に着けました。そして、恐怖、怒り、落胆によって自身を動揺させています。でも、それが本当かどうかを認識、質問、調べてみてください。虚偽は調査には耐え得ず、真実ではありません。
****************
この日もミーティングのあと、レストランでボブの誕生パーティをやるということで、ボブはスーツを着ています。そして、今まで見たこともないほど多くの人がミーティングに参加しています。
みんなで食べて歌って楽しそうです。
ボブ、95歳の誕生日、おめでとう。