このブログの方針として、まったく支持できない人のことは書かない方針です。ただ、はっきりと評価できない人のことはどうしようかと考えたあげく、一応書くことにしました。
この本は、わかりやすいし、非常に良い本だと思って最後まで読みました。でも、終わりの方にきて、過去生や輪廻転生を肯定するような文章が出てきたので、どう評価していいのか判断できずにいます。
私の理解では、過去生も輪廻転生もないと理解しています。だって、「私」がいないのに、誰が転生するのですか? 私が気になった文章を引用させていただきます。
p153 7行目途中から
肉体的な死のあと、思考との同一化が残っていれば、本当のこととして信じられていた信条は、また別の状態を存在として発生させ、体験を継続させます。ゆえに、あなたが何を信じているかによって、意識・無意識にかかわらず、他の次元(死後の世界)や、輪廻転生の中で体験は続きます。
彼女のホームページを見たらわかるかもしれないと思って見てみたのですが、そこに過去生について学ぶコースはあるものの、197ドルのビデオコースになっていて、無料では見ることができません。無料の記事もたくさんあるのですが、量が多すぎて確認できません。YouTubeも量が多いので、タイトルだけ確認しましたが、それらしきものは見当たらず。
ただし、それ以外の内容はとても良いと思ったので、簡単にまとめておきます。
この本では、セイラーボブやルパート・スパイラが awareness (意識、あるいは気づき)と呼んでいるものを、真我(Self)と呼んでいます。
私たちは、この真我を実際の体験として知ることはできないし、それを手に入れることはできないと言います。というのは、私たちはもともとそれだからです。その真我の中に「私」や「世界」が現れます。その実体は思考です。その「私」や「世界」を消すためには、観照者として、「私」や「世界」や世界を観照することだといいます。
観照者とは何かというと、「私は在る」です。「私は在る」もマインドです。それがマインドではあっても、人や出来事、ストーリーと同一化しないのだと言います。このあたりの説明はセイラーボブとよく似ていて、セイラーボブは「『私は在る』とは、マインドで到達できる最高地点」「自らが存在するという感覚」という表現を使います。
セイラーボブもルパート・スパイラもジャック・オキーフも同じ説明をしていますが、私たちが夢さえ見ない深い眠りの状態にあるときは、真我、あるいはアウエアネス(意識、あるいは気づき)そのものの状態にいて、思考がない状態にあると言います。そしてジャックは、その深い眠りから覚めた一瞬に、真我の余韻が残っていて、「私」がやって来る前のほんの一瞬の状態が「私が在る」状態なのだと言っています。
その状態(私は在る)に留まって、観照者として、「私」や「世界」、つまり思考を観照することによって、「私」や「世界」が消えていくと言います。では、どうやったら、常に観賞者であることができるのか。この辺がよく読み取れなかったのですが、私たちはもともと観照者なのだから、観照者になろうとせずに、観照者として思考を見つめなさいと言っているようです。
本の内容は良いと思います。なお、ジャック・オキーフは南アイルランド生まれと本に記載がありますが、それ以上のことはネットで調べてもわかりませんでした。