レオ・ハートンの「夢へと目覚める」の中に「アシュターヴァクラ・ギーター 」からの引用文がいくつかあって、それがとても良かったので、この本を読むことにしました。
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Amazonの本の説明
誰によって、いつ書かれたかは定かではないが
時を経て愛され、読みつがれてきたアシュターヴァクラ・ギーター
アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)の教えの神髄をシンプルに表したもっとも純粋な聖典。
ラマナ・マハルシ、ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダ、ニーム・カロリ・ババ・・・古来より、インドの聖賢すべてに愛され、賛嘆され、語り継がれてきた真我探求のための聖典。
あなたは、純粋な気づき
すべてのものごとを見守る観照者なのだ
世界はただの幻にすぎない
放棄することを放棄しなさい!
何も拒んではならないし、何も受け入れてはならない
静かにありなさい。だが、何よりも幸せでありなさい。
ただものごとをあるがままに知ることで、
あなたは自己を見いだすだろう
インドの霊性の歴史は、意識の源泉を探求し続け、自己の本性である真我を実現するに至った偉大なる覚者を数知れず生み出してきた。
彼らが確立した数多くの教義のなかでも、現在もっとも勢力をもち、広く行きわたっている教えがアドヴァイタ・ヴェーダーンタである。
ヴェーダーンタは世界最古の聖典『ヴェーダ』の最後に表された『ウパニシャッド』の教えを基本とした宗教哲学であり、その一学派であるアドヴァイタは「不二一元論」と呼ばれ、宇宙の根本原理ブラフマンと自己の本質アートマンの同一性を主要な教義としている。幾世紀にもわたって受け継がれてきたこの教えは、インドを代表する2人の偉大な聖者ラーマクリシュナ・パラマハンサとラマナ・マハルシの弟子たちによって広く紹介されて世界中に浸透し、21世紀に入り、急速な広まりを見せている。
山に籠もることや宗教組織に加わること、剃髪して僧衣に着替えることでなく、オフィスや学校で、あるいは電車の中で、各個人が日常生活において誰にも知られないで静かに内面に向かい、「私」という想念が湧き起こる自己存在の源にとどまることで真我に至ることができるという革新的な教えである。
著者について
英訳者:英国生まれ。オックスフォード大学のベリオール・カレッジ、ハーバード大学にて博士号取得。ハーバード大学で歴史学と文学を、オックスフォード大学のエクセター・カレッジ、セント・キャサリンズ・カレッジで英文学、古代および中世英語学の教鞭を執る。76年、米国に移住。ニーム・カロリ・ババの弟子である米国の霊的教師マ・ジャヤ・サティ・バーガヴァティーの弟子となり、フロリダのカシ・ファウンデーション会長を務める。その後、マ・ジャヤ・リヴァー学校を創設。91年にその生涯を閉じるまで校長を務める。著書に、『ブッダの語る覚醒への光の道―原始仏典「ダンマパダ」現代語全訳』(三雅出版)がある。
翻訳者
1960年、山口県萩市生まれ。74年より北鎌倉臨済宗円覚寺にて参禅。79年、インドにてラマナ・マハルシの教えに出あう。玉川学園大学英米文学科卒業。スリランカ、インドの仏教僧院にて瞑想を修する。92年まで米豪欧にてデザインの仕事、ドイツ他にて瞑想指導に従事。長年インドに滞在し、多くの聖賢に出会う。訳書に『アイ・アム・ザット 私は在る』『あるがままに』『ラマナ・マハルシの伝記』『覚醒の炎』(以上、ナチュラルスピリット)他がある。
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この本は古今東西、アドヴァイタを学ぶ人たちによって広く読まれてきた聖典のようです。わかりやすい言葉で書かれていて、読みやすいです。内容は非二元そのもの。
原文の英文が同じかどうかはわかりませんが、「夢へと目覚める」にある古閑博丈さんの訳とあわせて紹介させていただきます。太字がこの本の福間巌さんの訳、普通の字が古閑さんの訳です。
11-6
私は身体ではない
身体は私ではない
私は気づきそのもの
私は身体ではなく、
身体は私ではない。
私は意識そのものだ。
15-9
身体はその本来の性質に縛られている
それは現れ
しばらくの間、生きながらえ
消え去る
だが、真我は来ることもさることもない
ならば、なぜ身体について嘆くのか?
身体は縛り付けられている
その本来の特性によって。
それはやって来て、しばし留まり、行ってしまう。
だが真の自己はやって来ることも行ってしまうこともない。
なのになぜ身体のことで嘆き悲しむのか。
2-20
身体とその恐れ
天国と地獄、自由と束縛
すべてはただの作り話
気づきそのものである私に
何の関わりがあるというのか?
身体はまやかしであり、
それが感じる恐れもまやかしだ。
天国と地獄、自由と束縛。
すべてが作り話だ。
どうして私がそんなことを気にかけようか。
私は意識そのものなのだ。
1-14
わが子よ、
自分は身体だと考えるために
あなたは長い間束縛されてきた
あなたは純粋な気づきだと知りなさい
この知識をあなたの剣として
鎖を断ち切るのだ
そして幸せでありなさい!
自分は身体だと思っているせいで、
長いあいだお前は縛られてきた。
自分は純粋意識だと知れ。
この知識を剣として
鎖を断ち切れ。
そして幸福であれ!
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「幸せでありなさい」という言葉がいいですね。
まだまだ良い言葉がたくさんあるのですが、あまり引用するとしかられのでこれだけにします。こんなにわかりやすく非二元の本質を教えている聖典があるとは知りませんでした。この本は、繰り返し繰り返し「私」が何であるかを教えてくれています。内容は、英訳者のまえがきがあって、詩文形式の聖典が続き、最後に翻訳者のあとがきがあります。
聖典の部分は、読もうと思えば半日もかからない長さで、しかもわかりやすい言葉で書かれています。手元に置いて、何度も読みたくなる内容です。ぜひ読まれることをおすすめします。福間さんのあとがきに良い言葉があるのですが、あまり引用するとしかられので、ぜひご自分で手に取って読んでください。