2022/11/10

どうしたら、あなたが見ているものを見ることができますか?

2022年8月21日ミーティング
34:44から

ボブ:これくらいで(spiel:講話は)十分ですね。カットのところへ質問が来ていると思います。そして、みなさんも、もし質問や疑問があったら、言うことをためらわないでください。あなたが掴んだことや理解したことを言うことをためらわないでください。みなさんは全員、しばらくはここへ通っている人です。もしみなさん全員がちゃんと理解したなら、もう戻っては来ないはずです。それで、あなたたちは一体何をしにここに来ているのですか!(一同爆笑)

参加者:あなたを愛しているからです!(一同笑う)

ボブ:自分を愛してください(笑う)。とにかく、始めましょう。

カット:今日は20人がオンラインで参加していますが、質問は来ていません。今日のミーティングは(ここにいる)あなたたちのものです。

途中省略 50:04から

参加者:私はいまだに実現することが難しいのです。私はあなたの言うことを理解しました。私はこのことをあなたに言ったのですが、私はその状態に入って行くことを(いつまでも)やり続けたくはないのですが、未だに……。私はそれを感じたい。私はそれを実現したい。でも、私は未だに、その実現、その感覚に入っていくのが難しいのです。私はやりたくないのですが、私のやっていることの何が間違っているのでしょうか? 私は間違ったことは何もやろうとしてはいないのです。サットサングなどを聞いている時はとても良い状態です。でも、そこから出て、他の家事をやる時、もうそこには私は全くいなくて、家事にかかりきりになってしまいます。でも、私はそこにいたいのです。私はあなたが見ているものを見たいのです。私はあなたがいる場所にいたいのです。どうやって……。私の何が間違っているのでしょうか?

ボブ:(それを)やろうとすることです。(一同笑う)

カット:ええ、素晴らしい。

ボブ:たとえば、あなたがそのことを考えている間、呼吸を止めましたか? 

参加者:呼吸はしています。

ボブ:感じることを止めましたか? あらゆる知覚は働き続けています。でも、あなたはそれを、想像上の個人の感覚、私に結びつけています。あなたは依然として見て、聞いています。食物は消化されています。それは外の自然のようなものです。地球は太陽のまわりを回っています。

地球は、自分が太陽のまわりを回っていることについて何か知っていますか? 知りません。それは回り続けています。そして太陽は地球のことを何も知りません。自発的な自然の機能が起こり続けているのです。それは自発的な自然の命なのです。それがあなたであり、そこで生きているのです。

でも、言葉を学んだ時、私たちは観念や考えを手に入れ、それが現実だと思ったのです。それを、ありのままに見てください。もしそのことを考えなかったら、今何が問題ですか? それでも、試みなければ、思考を止めることさえできません。あなたは考えることを止めようとしますが、できません。でもあなたは、止めようとわずらう必要はなく、そのままにしておけばいいのです。

作為のない単一性の中に休止させておけばいいのです。地球が依然として太陽の周りを回っているように、あなたの心臓は依然として鼓動し続け、髪の毛や爪も依然として伸び続けています。あらゆる命が自然に動き続けています。観念や考えをそれに固着させないで。その状態になろうという考え、この存在、すなわち個人が何かになる必要があるという考えに囚われないで。その存在とは何ですか? あなたは誰ですか? 

参加者:私はそれです。

ボブ:それ。その通りです。その中へ入っていくと、それは何ですか?

参加者:それは無です。

ボブ:それは無であり、すべてです。あれは椅子。あれはカーペット。あれは私。この部屋にいるすべての人がそれです。木や花、全部がそれです。自身がそれであるとわかりますか? そして何が起こるのか見てください。その中へと落ち着いてください。あなたの顔にも笑顔がやってきました。(笑う)

カット:そしてまた探求者に一般的な特徴として、時々私はそれとともにいて、連れ出されたあとは、それとともにはいない、家事で忙しい時、それは去ってしまうというものがあります。残念なことにそこには信念があって、それは、私が瞑想している時は成し遂げていて、心地良い感覚があるのに、皿洗いをしている時、そこには心地よい感覚がないというものです。

でもそれは、その心地良い感覚や喜びや光を見つけてキープしなくてはいけないというものではないのです。それは、命は意識の解放的な空間であり、常にあるということを理解するということなのです。それは、あなたが忙しかろうと、座っていて何かを体験していようと、常にあるものです。それはあらゆる体験以前にあるものです。あなたは、ボブが見ているものを見て感じたいと言いましが、私たちが指し示しいるものは、ボブが体験している感覚的な体験以前にあるもののことです。

それは、心地良いとか心地よくない以前にあるものです。この生き生きとしたもの、この存在。ボブがあなたに、「今、意識がありますか?」と聞く時、あなたには常に意識があります。でも時々は、より意識的であり、時々は意識的ではないかもしれませんが、意識が本当のあなたです。そして、マインドが見ているとかいないとかしているものは、それではありません。

それは、根底にある空間にくつろいで入っていくということなのです。ボブが言うように、「そのことを考えなかったら、今何が問題ですか?」。何も問題ではありません。その根底にあるものは常にそこにあるのです。でも、探求するマインドは言います。「でも、今はまだその状態にない」。でも、今あなたがその状態にないのなら、あなたは死体です。それはそこにあります。

それがあなたの心臓で鼓動しています。それが、いつも、ずっとそこにいて呼吸しています。でもマインドはイメージを持っていて、「いいえ、それはエンライトメントではない。それは自由ではない。私は笑っていない。私は幸せではない」と言います。ええ、いいでしょう。それはそこにあります。でも、それ以外の場所はどうですか? そこには何か別のものがあります。そこには微妙な考えがあります。

これは良くない。これは十分ではない。私はボブが言うような状態にならなくてはいけない。私は何か別のものにならなくてはいけない。これはいつもそこにあるのです。あれもいつもそこにあるのです。その上で、いいえ、これでは十分ではない。まだ私は到達していない。ここにはまだ「私」がいる。私はそれを取り除かなくていけない。私はあれこれをしなくてはいけない。そうしたことは心理的なおしゃべりなのです。それは内側のトークです。

そしてボブが「そのことを考えなかったら、今何が問題ですか?」と言うように、あなたが考えなかったら、おしゃべりはどこかへ行き、私はまだそこに到達していない、ボブは私とは違う何かを見ているという考えは消えます。そこにはそういった考えはありません。すると今、ふ~。そのリラックスの瞬間、あ~。それです。でもマインドは言うでしょう。「いや、それはそれではない。私はまだ至福を経験していない。それはそれではない」。

でも、それなのです。そのように、ハートの本質に、ある意味でなること、あ~、となることがもっとも大切なことであり、マインドが言うことが大切なのではありません。生き生きとしたものを直接体験することが成熟してきます。というのも、マインドは空全体を覆いたいのですが、マインドのあちこちの小さな割れ目から輝きがもれ始めて、小さな裂け目ができて、輝いて開き始めるからです。

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この動画の最後で、ズームによるミーティングは無料ですというアナウンスがあります。参加希望の方はボブのホームページで確認してください。