15:09から抜粋
(現実の世界は夢であるという話に続いて)
夢の中で気がついたと言っても、それもまた夢の悟りにしかすぎない。本当の悟りというのは、夢の中で悟ったというんじゃなくて、その夢の終りでございます。自分自身を悟った!と、そんなことを言う人が、こうよくあります。
座禅の修行をするとよくございます。私はどこどこで悟りを開いた、見性したと。だいたいそういうのは夢の中で夢を悟っているようなもんでございまして、そういうことは、そういう夢が一切終わりを告げると、悟ったの悟らないの、うんぬんということは全く言わない、そんな沙汰が止んだ時こそが真の安らぎなのでございましょうけれども、夢の中でどこかで座禅して、見性した悟ったと、それもまた空の悟り。
空の悟りだとわかればまだいいのでありますが、本当に悟ったと思っているんですね。それでまた苦しみを生み出します。お前は悟ってないからダメだ、なんてことを言い出すのでございまして、なかなか人間というのは難しいもんでございます。
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いや~、よくおっしゃって下さいました! 一瞥体験や悟り体験を自慢げに説くどこかのクソ坊主に聞かせたい。(格調高いブログを目指しているのに、つい汚い言葉を使ってしまって申し訳ありません。あまりに痛快だったものですから)
今回もまったくすばらしい内容でした。
日本にはこんなにも素晴らしい非二元の教えがあるのに、学ばない手はないと思います。私たちは、外来の非二元だけではなく、仏教から学ぶべきではないでしょうか。ある意味、その方がわかりやすく、近道だと思います。仏教なら何でもいいわけではありません。おすすめは佐々木閑先生と横田南嶺老師です(私はそれしか知りません)。この二人の教えはセイラーボブの説く非二元の教えと何ら矛盾しておらず、根本的には同じことを説いています。
動画引用元サイト 盤珪禅師の ”般若心経” 講義を読む