学者の方たちは、悟りとは、いわゆる突然至福に包まれるようなエンライトメント、覚醒のようなものではない、とおっしゃっているのは知っていました。仏教関係の本を読んでも、学者の方で、いわゆる突然のエンライトメントや覚醒を悟りととらえて書いてみえる人はいないように思います。
ところが、ある時ネット上で、ある僧の説く座禅のことを読んだところ、その僧が言うには、座禅は必ず悟り体験をした人から学べというのです。それを読んだ時、「この人は何もわかっとらん」と思ったものです。でも、ひょっとすると、悟りをそうした突然の体験ととらえている僧がたくさんいるのではないかと思うようになりました。
それ以来、僧侶の人たちは悟りをどういうものと考えているのだろうと思うようになりました。それが、昨日の横田老師の話を聞いてスッキリしました。円覚寺は臨済宗のお寺であり、座禅を教えていて、かつては鈴木大拙も参禅したほどの名刹です。その由緒正しい円覚寺の管長から、はっきりした言葉をいただいて、やはり悟り体験などないと納得しました。
仏教の中に非二元の教えがあると聞いてから、仏教関係の本を読み始め、確かに初期仏教や唯識の中には非二元と同じ教えがあるとわかりました。そうした本を書いてみえる学者も僧侶もたくさんあります。諸法無我、私は実在ではないという教えです。それで、そうした本を題材に禅・Buddhismをブログに書いていきましたが、なかなか非二元的なくだりに行き着けず時間ばかり過ぎて苦労しました。
そのうちに佐々木閑先生のYouTubeを見るようになり、そこには非二元の教えがわかりやすく説明されていると知りました。もちろん佐々木先生は非二元なんて言葉は使いません。でも、内容は非二元そのものです。最初から佐々木先生のYouTubeを知っていたら、禅・Buddhismを書くことはなかったと思います。
そこで、改めて仏教その他というラベルを作って佐々木先生のYouTubeをたくさん載せるようにしました。その関係で横田南嶺老師を知り、老師のYouTubeを見てまた驚きました。老師は盤珪や般若心経を題材にして無我を教えてみえて、それがまたわかりやすい。お二人とも、コロナのせいで講義や法話ができずにYouTubeを始められたそうです。私はお二人のYouTubeがなかったら、仏教の中にある非二元をこれほどクリアには理解できなかったと思います。
改めて佐々木閑先生と横田南嶺老師に感謝します。おかげで、仏教の中にある非二元を深く知ることができました。佐々木先生のYouTubeは全部見ていますし、今でもフォローしています。老師のYouTubeも毎日見ています。
佐々木先生や横田老師のYouTubeからは、どうしても私のブログに載せた方がいいだろうと思われるものだけを載せているのですが、本当はもっとたくさん載せたいと思っています。例えば、佐々木先生のYouTubeは、私が最後にブログに載せたもの(佐々木閑 仏教講義 8「阿含経の教え 4,その4」)からもうすでに二回分新しいものが公開されています。
その二回分のどちらも、見ようによっては非二元の教えに通じるもので、ブログに載せようか迷った挙句、止めました。というのも、あまり仏教のYouTubeばかり載せても、興味のない人は見てくれないような気がするのと、セイラーボブの非二元についてのブログが、仏教のブログになってしまいそうに思えたからです。
今後は、どうしても載せるべきだと思うものに限って載せていくことにします。横田老師のブログにも、載せようか迷ってやめたものがたくさんあります。仏教に興味のある人はぜひご自分でフォローしてください。きっともっと仏教に対する理解が深まると思います。