少し前に、市の定期健康診断があって、肝臓の数値が基準値を超えていて再検査となりました。再検査をして、その結果が出るまでの日々、結構あれこれと心配して落ち込みました。ネットで肝臓の病気をあれこれ調べたり、人に相談してみたり。再検査の結果は異状なしでしたが、もし重病だったら、とても平然としてはいられなかっただろうと思います。
昨日の話を聞いて、篠沢秀夫さんのことを思い出しました。篠沢秀夫さんは元学習院大学の教授で、テレビのクイズダービーでも活躍された方です。ある時テレビを見ていたら、篠沢さんがテレビに映っていて、ベッドで呼吸器のようなものを付けて奥さんに冗談を言いながらにこやかに会話されていました。
それで、篠沢さんが筋萎縮性側索硬化症 (ALS) を患っていると知りました。ALSという病気は、徐々に体が動かせなくなっていく病気です。でも、その時点の篠沢さんは、クイズダービーに出演していた頃と同じように、にこやかに笑いながら楽しく奥さんと話をしていました。
その後、自力呼吸が困難になり、喉を切開して呼吸の器械を装着したため声を出すことができなくなりました。それでも、パソコンを使って、時には講演もされていたようです。数年の闘病生活の末、2017年に亡くなられました。
私は、テレビで見た篠沢さんの平然とにこやかにされていた態度に驚きました。篠沢さんが亡くなられた時、奥さんが、喪失感が激しいとコメントされた記憶があります。勝手な想像ですが、病床にあっても決して傍らで介護する奥さんにあたったりせずに、にこやかに精一杯生きられたのではないかと思います。
非二元や仏教で教えていることは、病気や困難な時こそ平然と生きていける道を教えているのではないでしょうか。「体は私ではない」ということを深く理解したなら、病気の受け止め方も違うのではないでしょうか。
セイラーボブはロスリバーウイルス感染症に苦しみながらも「だいじょうぶ、万事うまくいくだろうという明瞭な感覚があった」と言っています。また、「どんな困難が押し寄せてきても、その下には常に一種の幸福感があった」とも言っています。(『ただそれだけ』p66)
病気や、困難な状況にある時こそ、自分が本当に非二元の教えを理解しているかどうかが試される時なのではないでしょうか? 病気や困難に心まで負けないようにして、周りの人に明るく接し、希望を捨てず、平然と生きていきたいものです。
正岡子規は結核に倒れ、34歳で亡くなりました。寝たきりになりながらも、薬で痛みを散らしながら、死の直前まで創作活動を続けました。そして、こう書き残しました。
「私は今迄いわゆる悟りという事を誤解していた。
悟りという事は、いかなる場合にも、平気で死ねる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事はいかなる場合にも平気で生きている事であった」 正岡子規「病床六尺」より