56:35ぐらいから
参加者:ボブ、あの話をしていただけないかと考えていたところです。人生がどのように人を行くべき場所へと導いていくかという話です。ある男とケガをした息子のあの話をしていただけないかと。もし覚えてみるなら。
カット:中国の占いの人に関するもののことですか?
参加者:ええ、あれは素晴らしい話です。
ボブ:とてもシンプルです。中国の話です。ある農夫が一頭の馬を持っていました。近所の馬を持っていない貧しい農夫がやって来て言いました。「あなたは馬を持っている。素晴らしい。あれやこれやをすることができる」。農夫は答えました。「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」。
二、三日すると、馬が囲いから逃げて姿を消しました。すると人々がやって来て同情して言いました。「あなたは馬を失った。それはとても不幸なことだ」。すると農夫は、「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」と言いました。
数日後、逃げた馬が数頭の馬を連れて戻ってきました。すると人々は、「今や馬が4、5頭になった。これはすごいことになる」と言いました。すると農夫は、「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」と言いました。
農夫の息子が馬を馴らそうと馬に乗って投げ出され、足の骨を折りました。人々はやってきて同情し、「これはひどいことになった。息子さんは足の骨を折って、あなたを手伝うことはできないだろう」と言いました。そうして話は続きます。「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」。
数日後、戦争中の兵士が徴兵にやって来て、人々を軍へと連行しました。村人たちの子供たち全員を連れていきましたが、足の骨を折っていた彼の息子は連行されませんでした。人々は「あなたは幸運だ」と言いました。「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」。そういう話です。この話ですか?
参加者:ええ、そうです。(一同笑う)
カット:素晴らしい話です。みんなや私のそれぞれの人生で起こる好例です。もし何かが悲劇のように見えても、それが素晴らしい贈り物に変わる。それは解釈にすぎないのです。
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セイラーボブが「塞翁が馬」の話をミーティングでしたのを聞いたのはこれが初めてです。LIVING REALITY の中では出てきたと記憶しています。
この故事は、たいていの場合、「人生は何が起こるかわからない」とか、「災い転じて福となす」と解釈されているようです。でも、そうではなくて、「良いとか悪いとか判断するな」というのが本来の意味ではないでしょうか。少なくともボブはそういう意味で使っているようです。何かが起こって、それを良いことだ、悪いことだと判断しているのはマインドにすぎません。良いとか悪いとかラベル貼りをしなければ、それはあるがままであり、そのまま過ぎていく出来事にすぎません。