セイラーボブの原文はこうです。
You're being lived. Life lives you.
直訳すると、「あなたは生きられている。命があなたを生きているのです」となります。でも、「生きられている」というのは日本語としておかしいし、「命があなたを生きている」とすると、そこに誰かがいるように解釈されて、非二元的ではないような気がします。
ちょっと意訳して、「生きているのはあなたではありません。生があなたを生きているのです」ぐらいがいいかもしれません。lifeという単語をネイティブが聞けば、命、生、人生、という言葉が同時に思い浮かび、その三つを同時に当てはめて理解していると思うのですが、日本語に訳す場合はそのどれかを選択しなくてはならず、厄介です。
いずれにしても、この人生を生きているのは、lifeなのであって、「私」ではありません。「私」は観念の塊にすぎず、実体のないものです。「私」が生きているのではなく、生(せい=命、人生)が生きているのなら、ジタバタしてもしょうがない。もう起こるに任せようと思うしかありません。
大抵の場合、「私」が何とかできると思ってジタバタするために問題を複雑にしています。病気や死は生のなせる業。さらに、人生で起こってくることはどれも、生のなせる業。私の人生はジタバタの連続なのですが、もうジタバタしたり、心配したりするのはやめにしたいと思います。自分を納得させるために、できるだけのことはやる。あとは生に任せる。