釈尊が説いた悟りとは一体どんなものだったのでしょうか? 実際には、釈尊以外には知りえないことだと思います。でも、仏典から、それがどんなものだったのかを、おぼろげながら知ることは可能だと思います。
中村元先生、佐々木閑先生の本やYouTube、その他何人かの仏教学者の本を読むかぎり、仏教でいうところの悟りとは、エンライトメントや覚醒のようなものではないようです。中村元先生は初期仏教(釈尊の直接の教えであるニカーヤ・阿含経)の専門家であり、佐々木閑先生は律(仏伝と僧侶が守るべきルール)の専門家です。どちらも、釈尊の直接の教えである初期仏教の研究者です。
釈尊が亡くなった後すぐに、釈尊の教えを正しく伝承するために、500人の阿羅漢(悟った弟子)たちが集まって、第一結集(だいいちけつじゅう)という仏典編纂会議(五百犍度:ごひゃくけんど)が開かれました。(参考:佐々木YouTube4-3)
つまり、釈尊が亡くなった時点で、少なくとも500人の弟子が悟りをえていたということです。また、ヤサの出家の時の話では、釈尊の話を聞いただけで61人の人がすぐに悟ったと出てきます。(参考:佐々木YouTube2-24)
もし釈尊の説く悟りが、どこかのインチキマスターたちが説くような、特別な人に偶発的にしか起きないようなものであるなら、これほど多くの人たちが悟るということはありえないと思います。
また、悟った人たちが、たちどころに悩みが消えて、あとは至福に包まれて暮らしたというたぐいの話はどこにも出てきません。
中村先生は、悟りとは到達するものではなく、日々の不断の努力だとおっしゃっています。(前半60分まで参照)
佐々木閑先生による仏の悟りの内容
仏教の本をあれこれ読んでも、釈尊に突然のエンライトメント、覚醒のような出来事が起こって、あとは至福に包まれて暮らしたという話は出てきません。 佐々木閑先生は、努力によって自分を変えていくことも悟りだと言ってみえます。
仏教の悟りは突然の啓示ではなく、学びだと言ってみえます。
初期仏教(釈尊の直接の教え)で説く「悟り」とは、修養、修行による煩悩の克服であり、自己鍛錬によって心の内側を変えていくという教えであり、神秘的な要素は何もありません。ましてや、ある時突然起きるエンライトメントや覚醒のことではありません。
私のこれまでの半生は、ありもしないエンライトメント、覚醒を手に入れることがその主要な目的でした。なんと愚かな囚われだったことでしょうか。もっと早くセイラーボブに出会っていたなら、もっと早くちゃんと仏教を学んでいたなら、もっとマシな人生だったと思います。
そして今も、多くの人が、エンライトメント、覚醒を目指して、怪しい宗教やセミナー、本へと惹きつけられ、その犠牲になっています。彼らの多くは、かつての私と同じように、様々な解決しようのない悩みや不安を抱えていて、エンライトメント、覚醒に救いを求めるのです。
私にとって、エンライトメント、覚醒は、逆転満塁さよならホームランか、トランンプのジョーカーのようなものに思えました。それさえ手に入れれば、あとは何の悩みもなく幸せに生きていけるものだと思い込んでいました。
それが、いかに稚拙なおとぎ話であるかということに、セイラーボブに会うまで気づきませんでした。エンライトメント、覚醒という言葉は時代とともに新しい言葉へと置き換わり、現在では、目覚め、変容、癒しという表看板をかかげています。目覚める「私」、変容する「私」、癒される「私」が果たして実在するのでしょうか? 釈尊もセイラーボブも、そんな「私」はいないと言っています。
悩みや問題から逃避して、稚拙なおとぎ話に救いを求めるのではなく、自分自身で悩みや問題と真正面から向き合って、心の在り方に気づいていく以外に救いの道はないのではないでしょうか。エンライトメント、覚醒などというお手軽な方法はどこにもないことなど、普通に考えればわかることです。
これは、自分自身に自戒の意味を込めて書いています。私は自分が幼稚で、誤ったものの見方にいかに簡単に染まりやすい人間であるかということをよく知っています。
しっかりしないと、またフラフラと精神世界コーナーへ行って、くだらない本に影響されてしまいます。
アカデミックな仏教の本を読むかぎり、エンライトメントや覚醒は仏教の世界にはありません。そこにあるのは、釈尊が定めた法による修行の世界です。
仏教の悟りはエンライトメントではありません。
もし仏教の悟りがエンライトメントであるなら、このブログに仏教のことを書く意味はまったくありません。
このブログは、そこに悟る「私」はいないということを書いているのですから。
ボブ:エンライトメントなどというものはありません。それを達成するあなたもいなければ、時間も未来も存在しません。そしてもしあなたが、静かに座ることに心が動かされるなら、ぜひとも静かに座ってください。「私は在る」とともにいてください。でも、どんな期待もしてはいけません。瞑想している瞑想者を作り出さないでください。静かなマインドとはノーマインドのことです。ノーマインドの中では、分離した自己も他者も存在しません。(SAILOR BOB: Bags of pointers to nondualityp249より)
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参考文献
阿頼耶識の発見 よくわかる唯識入門 (幻冬舎新書) ☆
唯識の思想 (講談社学術文庫) (「やさしい唯識」の新装版)☆
唯識入門(「唯識十章」の改訂版)
知の体系 迷いを超える唯識のメカニズム☆ 『華厳経』『楞伽経』 (現代語訳大乗仏典)般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)コスモロジーの創造: 禅・唯識・トランスパーソナル 龍樹・親鸞ノート空の思想史 原始仏教から日本近代へ (講談社学術文庫)
仏陀のいいたかったこと (講談社学術文庫)
お経の意味がわかる本 (仏教を学ぶ)
仏陀のいいたかったこと (講談社学術文庫)
お経の意味がわかる本 (仏教を学ぶ)
仏教入門 (岩波新書)
仏教の思想 2 存在の分析<アビダルマ> (角川文庫ソフィア)
仏教の深層心理―迷いより悟りへ・唯識への招待 (有斐閣選書 (875))
チベット仏教入門 ──自分を愛することから始める心の訓練 (ちくま新書)
仏教の深層心理―迷いより悟りへ・唯識への招待 (有斐閣選書 (875))
チベット仏教入門 ──自分を愛することから始める心の訓練 (ちくま新書)
本当の仏教を学ぶ一日講座 ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか (NHK出版新書)
「律」に学ぶ生き方の智慧 (新潮選書)☆
インド仏教変移論―なぜ仏教は多様化したのか
唯脳論 (ちくま学芸文庫)
出家とはなにか☆
犀の角たち(科学するブッダ 犀の角たち (角川ソフィア文庫))
仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観 (DOJIN文庫)☆
「律」に学ぶ生き方の智慧 (新潮選書)☆
インド仏教変移論―なぜ仏教は多様化したのか
唯脳論 (ちくま学芸文庫)
出家とはなにか☆
犀の角たち(科学するブッダ 犀の角たち (角川ソフィア文庫))
仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観 (DOJIN文庫)☆