2015/01/10

セイラー・ボブ・アダムソン・ミーティング・2015 ③

メルボルンに着いた翌週に、「ただそれだけ」を書いたカリヤニが、彼女の家へ昼食に招いてくれた。

私はメルボルンに着く前にカリヤニにメールして、ボブのミーティングの詳細を尋ねた。
カリヤニは、私が数日しか滞在しないと思ったらしく、ちゃんとボブの教えを理解できるようにと、個人的に招待してくれたのだという。(たまたま久しぶりにカリヤニがボブに会う口実として私を招いてくれたようです。すべての来訪者にそうしているわけではありません。)
                                        ボブと私
                                  真ん中がカリヤニ・左は夫のピーター

そこで、私は、かねてから疑問に思っていたことを聞いた。

以下は、ボブの家に置いてあるパンフレットからの抜粋(同じ文章はボブのホームページにも掲載あり)

The idea of enlightenment or self-realization as a onetime event or a lasting and permanent state or experience, is an erroneous concept.

エンライトメント、すなわち自己実現が一度だけの出来事として起きる、もしくは永続して定着するか経験として残るという考えは誤った考えです。(訳は拓)

要するに、この文章を読む限りでは、エンライトメント(覚醒、悟り)なんてものはありませんと言っているように取れる。
そこで私は、ボブ、カリヤニ、ピーターを前にして、この文章の意味するのはどういうことなのか?エンライトメントはしないのか?と聞いた。

そしたらボブは、「エンライトメントはありません。なぜなら、あなたはもうそれなのです」と言った。
そこで私は、「いいえ、私は覚醒なんかしていません。それを求めてここへやってきたのですから」と言うと、今度はカリヤニが、

「そんなものは無いのよ。私たちはみんな同じ。もうすでに、それなのよ。それに気づいていようが、いまいが、もうそれなのよ」

テープに録音していたわけではないので、言い回しは正確とは言い難いが、こんな感じのやりとり。

「ということは、私たちは皆エンライトメントしているけれども、気づいていないだけですか?それに気づいた時がエンライトメントなのですか?」と、なおも尋ねた。

「エンライトメントするという考えそのものが間違っている。誰もエンライトメントなんかしやしない」と今度はピーター。
私は三人の言っている意味がわからなかった。ボブは、「覚醒などない」と言う。
ということは、ボブも覚醒していないということか?

なおも質問を繰り返したが、なぜエンライトメントがないのかわからないままランチは終了。

私は覚醒するためにここへやって来た。それが無いとはどいうことなのか。
メルボルンにやってきて二週間ほど経過し、本も何冊か読み、ボブの話も少しは聞き取れるようになったので、ミーティングで思い切って質問した。

「私がここへ来て二週間、あなたの教えを大体理解しました。でも、まだ私に覚醒が起きません。一体それは、いつ、どのようにして起こるのでしょうか」

「エンライトメント(覚醒)なんて起きません。なぜなら、あなたはもうすでにそれ(覚醒している)だからです」とボブ。

「いいえ、私はまだエンライトメントしていません」

「では、あなたは、エンライトメントはどういうふうに起こると思っていますか?」とボブ。

「いろんなマスターの話によると、急に周りのものが光に包まれて、すべてのことが鮮明で、真理が理解できたと言う人もいれば、突然に幸福感がとめどなく湧き起ってきて、それが続くと言っている人もいます」

「そんなものは単なる経験です。それは誰にでも起きることで、やってきては去っていく。それをエンライトメントと結び付けてはいけません。エンライトメントなんてことは起こらない。なぜならあなたはもうそれなのです(You already are!)」

なおも同じ質問を繰り返すと、ボブの脇に座っていたギルバートが言った。
(ギルバートはもう10年以上ボブのもとにいて、彼がテープを起こして編纂した「What is wrong right now unless you think about it?」という本のおかげで、ボブは広く世界に知られるようになった。)

「もしヴィクトリア・マーケットへ行って、エンライトメントが売っていたら、あなたは買ってくることができるかい?たとえ、売っていたとしても、どれがエンライトメントかわからないんじゃ、手に入れようがないじゃないか」

そう言われて、反論のしようがなかった。私は、エンライトメント(覚醒)するという状態が、どういうものかも知らずに探し求めきた。

ボブの世界には、覚醒する(エンライトメントする、悟りを開く)という概念がないということはわかった。だとすると、ボブはエンライトメントしていないのか。
私は、こっそりとギルバートにそのことを聞いた。

「ボブの意識は、お釈迦様やキリストと同じレベルにある。でも、エンライトメントしたわけじゃない。もともとそうなんだ。そして、あなたも私も同じだ。私たちは、気づいていようがいまいが、一度もそこから外れたことはない」

明日から詳しく書きますが、セイラー・ボブ・アダムソンの教えでは、エンライトメントする(覚醒する・悟りを開く)ということは、一切ありません。
私たちは、気づいていようがいまいが、もう覚醒しているのです。

注:英語で、(覚醒する、悟りを開く)という表現は、(become enlightenment, be enlightenment, attain enlightenment)。enlightenという単語だけで、(覚醒する、悟り)を開くという意味の動詞としては使いません。