2015/01/23
セイラー・ボブ・アダムソン・ミーティング・2015 ⑯
五感を開いて、意識をまんべんなく五感に向けて、この瞬間を生きる。
私たちは、今まで受けた条件付けのせいで、様々なラベル(概念)を貼りつけて物を見ています。
あれが、拓ちゃん、あれがボブ、ギルバート、トビー、ラーム。人の名前もラベル(概念)にすぎません。
椅子、カーペット、時計、すべてにラベル(概念)が貼りついています。
マインド、宇宙、万物、こうした言葉もラベル(概念)です。言葉にした瞬間にラベル(概念)が貼りついて、一つのものではなくなり、概念になってしまいます。
すべては、one essence(ボブの語彙の中から別の表現にしてみましたが、知性エネルギーのことです。アウエアネスも同じ意味です。)が、具現化して、現象(見せかけ)の世界に現れでたもの。
それに私たちが勝手に名前(ラベル・概念)を貼りつけてそう呼んでいるだけです。あなたの見ている世界は記憶というラベル(概念)で成り立っている。
ボブは、そのラベルをすべて取りなさいと言います。
ラベル(概念)を外せば、万物はみな同じ一つのもので、そこには境界はない。
そこには過去も未来もない。その瞬間だけがある。
私たちは、夜夢を見ますが、朝になると、それはどこかへ消えていく。
それと同じように、昼間も夢を見ているにすぎない。ただ違うのは、誰かが、これは夢なんだと叫んでも、誰も覚めることはないということ。私たちは死なない限りこの夢からは出られません。すべては実体のない幻、マヤ。
私たちが見ている現実は、鏡の中に写っている風景と同じ。あたかもそこには何かがあるように見えるが、実際にはない。そして私たちは鏡。
鏡の中では、良いことも悪いことも起きる。
しかし、それを写している鏡(私たちの意識)は、鏡の中に何が写ろうが、影響されない。
鏡は私たちの意識。鏡に映るものは概念(思考)。
ある時誰かが、「ポジティブに考えた方がいいので、そうするようにしている」と言ったらボブは言った。
「鏡の中がポジティブだろうがネガティブだろうが、鏡は影響されません。シェイクスピアは言っています。良いとか悪いとかは、人間が勝手に決めていることで、本当は良いも悪いもないと。マインド(思考)そのものが善悪の間を二元的に動きます。しかし、マインド、思考には何の実態もありません」
私たちは、人生で起こる出来事を、(あれは良かった、これはひどかった)と勝手にラベルを貼り、(こんな良い事が起こってほしい、あんなひどいことは起こってほしくない)と考えます。でも、それはすべて自分で勝手に良いとか悪いというラベルを貼っているだけで、良いも悪いもないのです。
すべては鏡の中に写る出来事にすぎません。言い方を変えると、すべては意識の上を通り過ぎる思考に過ぎません。問題は、その鏡に映る一部分は良くて、一部分は良くないと勝手に判断することです。
思考がどこからくるかを突き止めようとしたり、それを良い思考、悪い思考と選別したりするのは意味のないこと。またそれを止めようなどとしないこと。そこから抜け出す方法は、ただ一つ。Full Stop!(ピリオド)
この瞬間にとどまりなさいと言う。
すべてのラベルを剥がした時に何が起こるか。そこにはあなたを縛り付ける基準点も、過去も未来もなく、あるのは今この一瞬だけがあり、そこには何の問題もない。
ボブは、進行形の(-ing)の中に留まりなさいと言います。「私が~をする」と言った瞬間に、「私」が現れて、行動と私の間に分離が起きます。
五感(seeing, hearing, tasting, touching, smelling)は、私の思考以前に存在します。
試しにちょっと思考を止めてみてください。(タク、タク、タク、タク、Full Stop!)
そうすると、次の思考がやってくるほんのわずかの間、seeing, hearing, tasting, touching, smelling は一人でに自然に機能しています。
思考より以前にあるその瞬間、純粋なる意識、それは普通の日常にある私たちの意識。それがボブのいう知性エネルギー。
ボブは、seeing, hearing, tasting, touching, smelling は、awareness(アウエアネス、意識、知性エネルギー)そのものだと言います。私の目が物を見ていると思っているのは間違いで、awareness(意識)の中に現象として物が現れている。目は単に器官として働いているにすぎず、awareness(意識)が無かったら何も見えない、という言い方をします。
見る人(主体)もおらず、見られる物(客体)も実在せず、seeing(アウエアネス、純粋な気づいている意識、知性エネルギー) だけが起こっているという言い方をします。ボブの言うアウエアネスとは、個人の気づき(意識)のことであり、知性エネルギーのことです。個人のawareness をpersonal awareness、全体のawarenessをuniversal awarenessという言い方をする時もありますが、それは同じものです。
個人の意識などというものはなく、たった一つのものです。
私はボブに、
「でも、seeing(見ること)は、人間の目があるから起こっているのであって、私に属しています。もし、そこに私がいなかったら、つまり、私の目や耳が無かったら、そこにawareness(意識) は、あるのでしょうか?」と聞いた。
「例えば、あなたが眠っている時のことを考えてみてください。あなたは眠っていて、目も眠っている。ところが耳はどうでしょう? もし、誰かが耳元で、あなたに向かって起きるように言えば、あなたは起きる。あなたは眠ってはいるが、耳だけが起きているということではありません。そうではなくて、そこにはアウエアネス(意識)そのものがあります。アウエアネスがあなたを通じて機能しています」