今日は、今まで長々と書いてきたセイラー・ボブ・アダムソンの教えを私なりにまとめてみます。
これは私が勝手にまとめることであって、ボブは、これが彼の教えだなんて全く公認していません。
そもそもボブの教えの全体を、短いブログで紹介しようというのは無理です。もともとこのブログは旅ブログなんですから。
しかも、大胆にも今日はその教えを箇条書きにしようと思います。
①自分が自分だと思っている存在は実在しない。
②私たちが目にしている万物は実体のないものである。
③私も含めて、万物はそれ(知性エネルギー、純粋な意識、他には何もない一つのもの)の中に現れている。
④時間は人間の思考の中にだけしか存在しない。
⑤死は存在しない。人は生まれることも死ぬこともない。
⑥私たちは意識(アウエアネス)そのものであり、覚醒する人はどこにもいない。
⑦今この瞬間、すべては完全な状態にあり、マインド(思考)にとらわれなければ、何の問題もない。
⑧五感にまんべんなく注意を向け、今この瞬間を生き、起こるに身を任せる。
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もし、私たちが、ボブの言うように、自分という存在は実在せず、自己と他者は一つのものであるということが、本当に心から理解できたら、どうなるでしょうか。
関係性にまつわるすべての問題はすべて消え去ります。あなたが私を傷つけた。私が彼を裏切った。私より彼の方が金持ちだ。私はあの人より不幸だ。そういった問題はすべてなくなります。
自己と他者が一つであり、人間も動物も物も実は一つのものだと理解すれば、万物に対して、途方もない慈愛が生まれるのではないでしょうか。
死は存在しないと理解すれば死の恐怖は消えます。たとえ恐怖が消えたとしても、病は人の常、癌にかかって死ぬことだってある。でも、自分が肉体でも思考でもなく、死は単にエネルギーの変化にすぎないと理解していれば、死に対する恐怖が和らぐかもしれません。
すべての問題は、実在ではない私が勝手にしがみついている架空の基準点によるものだと理解すれば、物事に対する見方も変わっていくのではないでしょうか。
私たちは、過去を悔やむ必要もなければ、未来に向けて不要な心配をする必要もなく、ただこの瞬間を起こるがままに任せて生きていけばいいだけです。
私は、この旅に出る時、なぜ自分が世界一周を始めるのかよくわかりませんでした。得体の知れない不安を感じながら、それほど世界が見たいわけでもないという気もしていました。
この旅も私が選択しているように見えても、実は「知性エネルギー」が私を通じて表現しているにすぎず、私はただ生かされているにすぎません。
もし旅に出ていなかったら、もしまだ会社勤めをしていたら、きっとメルボルンに来ることはなかったでしょう。もし仮に来たとしても、短い休暇の旅では、ボブの教えの全体を理解することはなかったと思います。
ある時ギルバートが言いました。ボブの教えをちゃんと理解しているかどうかの基準は、困難や問題が起こった時、その基準点に捕らわれているかどうかでわかると。
私はボブの教えを学びましたが、自分が以前とそれほど変わったとは思っていません。ボブの教えが本物かどうかも、今の時点でははっきりわかりません。
それは私が、この先どう生きるかでわかると思います。
五年後、十年後に、基準点をものともせず、死をも恐れぬようになっているかどうかで、ボブの教えが本物かどうか、ボブの教えを正しく理解しているかどうかがわかると思います。
長い間、私の説明に付き合っていただきありがとうございました。
明日からはいよいよ本人登場で、ボブ自身の講和の翻訳を掲載します。