2015/01/08

セイラー・ボブ・アダムソン・ミーティング・2015 ①

始まりは友人からの一通のメールだった。
その時私は世界を旅している最中で、どこにいたのか覚えていないが、たぶん今から一年ほど前。

友人のメールには、彼がオーストラリア人、セイラー・ボブ・アダムソンの本を読み、二回彼に会いに行ったことが書かれていた。

その友人とは、かれこれ30年近い付き合い。彼も私も、言わば精神世界の探究者。かつて一緒にインドのアシュラムで瞑想したこともある。

彼が会いに行ったセイラー・ボブ・アダムソンという人物に興味を持ち、人に頼んで、本を旅先まで持ってきてもらった。日本語で出版されているボブの本は今のところこの一冊だけ。

本は入手したものの、旅が忙しくて、すぐには読まなかった。
どうせまた今まで読んだ多くの本と同じで、多くは得られないだろうと思っていた。
旅が中東にさしかかると、旅をするのに飽きてきて、もう旅を終わりにしようと思うようになった。

イランにいる時にその本を読み始めたところ、その本に書いてあることは、今まで読んだ精神世界の本とは違う目新しい内容だった。

精神世界の本というのは玉石混合で、ガラクタは何の役にも立たないばかりか、害になるものも多い。読み始めてすぐに、セイラー・ボブ・アダムソンの教えの深さを直感した。

私はあわてて友人にメールして、「もしかして君は覚醒したのか?」と聞いた。
精神世界の本を読む人の動機は様々だが、たいていの人は自分が幸福になるために本を読む。

幸福になるために、心の安定、経済的な安定、良好な対人関係や世間での成功を求める人が多く、それが精神世界の本を読む動機でもある一方で、覚醒(エンライトメント、悟り)を求めている人も多い。

私も友人も、覚醒を求めて長年探究してきた。その友人が、私よりも先に覚醒(悟り)を得たのではないかと思った。

「覚醒したかどうかは自分でもわからない。でも、オーストラリアでボブに会ってから、明らかに何かが変わった。もう精神世界の本は読まないし、探究は終わった」と彼は言った。
私は動揺した。あれほど私が手に入れたいと思って探していたものを、彼は先に手に入れたかもしれない。

私は急いで旅の舵をオーストラリアに切る一方で、「ただそれだけ」を何度も読んだ。結局、オーストラリアに着くまでに7回通して読んだが、覚醒が起きないどころか、書いてある内容をよく理解できなかった。