What's wrong with right now unless you think about it.
これはギルバート・シュルツが編纂したボブの講話集の題名で、この本がもとで、ボブは広く世界に知れるようになりました。
ギルバート・シュルツは今もボブのもとにいて、一緒にミーティングに出ています。(2015年1月現在)
この本の題を訳すと、「今もし、そのことを考えなければ何も問題はないじゃないか?」です。
これはボブの教えを一言で端的に言い表しています。思考(マインド)はそれ自体とても有益なツールで、それが無くてはビルも建たないし、旅行の計画も何もできない。
ところがこの有益なツールは一方で勝手な行動して様々な問題を起こします。私たちは、自分で思考をコントロールしていると思っていますが、そうではありません。
試しに、次にどんな思考がやってくるか考えてみてください。それは誰にもわからない。
思考は勝手にやって来て、また勝手に去っていく。私たちが、もし自由に思考を選択コントロールしているのなら、私たちの思考は天国や楽しいことでいっぱいのはずですが、実際はそうではありません。
こういう時、ボブはたいてい二元性の話をします。昼があれば夜がある。男がいれば女がいる。戦争があれば平和がある。良い思考があれば悪い思考がある。
ところが、良いとか、悪いとかは、人間が勝手に貼ったラベルであって、思考そのものには、良い思考であれ、悪い思考であれ、何の問題もない。
それらはやってきては去っていく。ところが問題は、私たち人間が、勝手な基準点を作って、その思考にとらわれてしまうこと。
私は貧乏だ。私は背が低い。私はブスだ。私は才能がない。私は嫌われている。私は孤独だ。私は無名だ。私は自由じゃない。私は病気だ。
基準点をどこに置いているのでしょうか。
私という基準点は、いるはずのない私が勝手に作った架空のものです。
そして、今この瞬間に、そのことを考えなかったら、何の問題があるというのでしょうか。今この瞬間にそのことを考えなかったら基準点は消える。
木は隣の木のように背が高かったらなあ、なんて悩みません。ライオンはチーターのように足が速くなりたいと悩んだりはしません。
また人間は、恐れや、悲しみなど、過去の経験からくる基準点をたくさん抱えています。過去に味わった恐怖を基準点として抱えているために、同じような出来事が起こると、基準点に照らしてみて、実際よりも大きな恐怖に襲われることになります。
誰かに裏切られた痛手が基準点になって、ちょっとしたできごとでもものすごく悲しくなったりする。本当は、今直面している感情はそれほど大きなことではないのかもしれないのに、過去の基準点が起点となって、今この瞬間の出来事をそのまま受け止めることができないでいる。
ボブは言います。悲しいことや恐怖が起こったら「悲しい」とか「恐ろしい」という言葉のラベルを貼るのを止めて、そのままにしておきなさいと。そうすれば、それらの感情はしがみつく場所をなくして去っていくと。
人間だけが、勝手に問題を作って悩んでいる。それも、よくよく考えれば、自分で作った勝手な基準点を起点にしている。
ボブは言います。人間の抱える問題のほとんどは関係性の問題だと。そしてその原因は私という基準点にある。そのことに気づきなさい、そしてそれが実体のないものだということに気づきなさいと。