万物は一つのもの。
インドに伝わるヒンズー教哲学、アドヴァイタ(非二元論)によれば、万物は、「他に何もない一つのもの」(one without a second)であると説く。
チベット仏教の最高の教えゾクチェンでは、万物は「空」の中に現れ、それを「空間的意識」「認識する空」などの表現で呼ぶ。
ボブはこの二つの教えを引用して説明するが、どちらも同じことを別の表現で言っているにすぎない。
何もない空間に現れているかのように見える万物は一体何なのか。
それは質量や体積がある物質ではありません。何もない空。そこには何があるのか。
概念では決してとらえられないもの。言葉では言い表せない何か。
ボブはそれを便宜上いくつかの言葉で表現します。
pure intelligence energy(純粋な知性エネルギー)、pure awareness(純粋な意識)、それ。他に、awarenessやintelligenceとだけ言う場合もあるし、その他の多様な言い回しで言う時もある。
ただし、ボブは、神という言葉を使いません。神という言葉は、様々な人たちが、様々な意味に用いているために、勝手な解釈、先入観が入る余地があるからだそうです。
私はある時ボブに質問しました。
私「あなたは、万物はすべて一つのものだと言う。あなたはそれを純粋なる知性エネルギーそのものだと言う。それは言葉で表すこともできず、触ることも見ることもできない。だとしたら、一体それはどこにあるのでしょうか。」
ボブ「目を閉じて、タク、タク、タクと自分の名前を何度も繰り返して言ってごらん」
私「タク、タク、タク、タク、タク・・・」
ボブ「Full Stop!」(ピリオド!)
私「・・・」
ボブ「タクと言うのを止めたその瞬間、そこに思考はありましたか?」
私「思考は止まっていましたが、またすぐに戻ってきました」
ボブ「その思考が無かったほんのわずかの瞬間、あなたの心臓は鼓動を止めましたか? 呼吸は止まりましたか? あなたの思考はなかったにもかかわらず、心臓を鼓動し、呼吸は続いていました。そこにあるのがアウエアネス(意識)です。そこには、思考はなく、純粋な意識だけがある。そこに万物が現れ、それがあなたの心臓と同じように星を動かしています」
要するにボブは、私たちの意識(アウエアネス)に万物が現れると言っている。
宿で一晩寝たら、(だけど、どうしてそれが純粋なる知性エネルギーだとわかるんだ?)と疑問が湧いてきて、また別の日に聞いた。
私「あなたの言っているそれが、どこにあるのかわかりました。でもどうしてそれが純粋なる知性エネルギーだとわかるんですか?」
ボブ「自分でよく考えてみてください。あれでもない、これでもない。そうやって一つ一つ消していくと、最後にはそれしか残りません。それ以外に考えようがないじゃないですか?」
ボブは、私たちは皆、純粋なる知性エネルギーを知っていると言います。それどころか、私たちはそのものだと言う。それは、今日書いた、Full Stop!の実験をするだけで、簡単に垣間見ることができるという。そしてそれを見えなくしているのが私たちの思考や条件付け(基準点)。その思考や条件付けゆえに悩みや問題が発生する。
ボブは太陽の例え話をよくする。知性エネルギーは太陽のようにいつも光り輝いている。しかし、思考という雲がやってきて、それを見えなくしてしまう。
太陽はどこへ消えたわけでもなく、雲の向こうでいつも輝いている。
ボブのいうそれとは、私たちの意識(アウエアネス)のことです。日常の、普通の意識です。Full Stop! と言った瞬間に垣間見ることができる意識のことです。
私たちは、これを個人の意識だと思い込んでいますが、個人の意識というものはありません。宇宙の果てまで、あまねくたった一つの意識(アウエアネス)だけがあり、そこに個人が現れます。
現れた個人は、この意識は自分の意識だと思っていますが、それは全体の一部。あるのは一つの意識だけです。