覚醒(エンライトメント・悟り)する人などいない。
私は、覚醒(エンライトメント、悟り)を求めてボブのところへやってきた。ところが彼はそんなものはないという。
そもそも彼の教えでは、「私が私だと思っている自分は実在しない」。となると、「誰が覚醒するというのか?」と彼は尋ねる。
それでも私は、それは言葉のあやで、本当はボブはどこかの時点で覚醒したに違いないと思っていた。
個人面談でその辺を聞いた。
私「あなたは、ボンベイのニサルガダッタの家へ行き、そこで彼の話を理解したと言っている。その理解というのはエンライトメント(覚醒、悟り)のことですか。」
ボブ「普通に彼の話を理解しただけです」
私「でも、本を読んだ多くの人は、あなたがどこかでエンライトメントしたのだと思っていますよ」
ボブ「誰もエンライトメントしません。私たちはすでにそれなのです。(We already are.)」
確かに本の中では、どこにも彼が覚醒したとは書かれてないし、彼が自分で、「私は覚醒した」と言うくだりを見たこともない。
彼はニサルガダッタの家へ行き、彼の話を理解(understand)したと書いてあるだけだ。
私と同じ疑問を持つ人はたくさんいて、彼をアメリカに招いてその様子を本に書いたジェームズ・ブラハの「Living reality」(日本版未翻訳)の本には、何度もそのあたりを質問する場面が出てくるが、そこでもやはりエンライトメント(覚醒、悟り)したということは言っておらず、普通にニサルガダッタの話を理解しただけと言っている。
「Living reality」では、ボブの奥さんのバーバラも一緒にニサルガダッタの話を聞き、同じように理解してオーストラリアに帰ったと書いてある。
要するに、他のマスターの本に出てくるような覚醒体験がどこかの時点で起こったという訳ではないということ。
ボブの教えでは、「知性エネルギー」「他には何もない一つのもの」「純粋な意識」があるだけで、それが覚醒することはない。別の言い方をするなら、もうすでに覚醒した状態にある。
それを見えなくしているのが私たちの思考や条件付け。それはあたかも燦々と輝く太陽を、思考という雲が邪魔して見えなくしているだけで、雲の向こうに太陽はいつも輝いているという。
では、ボブと私たちは意識のレベルが違うのか?
ギルバートに言わせると、同じレベルにいるという。(もともと意識に高い低いのレベルの差などなく、皆同じ一つの意識・アウエアネスの中にいる)
これはジェームズ・ブラハが本の中で書いていることですが、ボブと私たちの違いは、基準点にとらわれることがないということです。
ボブは、私はいない、万物は「知性エネルギー」「他には何もない一つのもの」「純粋な意識」の中に現れること、時間は存在しないこと、死は実在しないことなどを完全に理解しているために、人との比較や、悩みや問題から起こってくる基準点にとらわれることもない。
そこに基準点がなければ、思考にとらわれることもなく、思考はどこかへ行ってしまう。それだけの違いだそうです。
私は、ボブには思考なんて無いか、自由にコントロールしているのかと思っていたがそうではないようです。
「なんだ、それだけのことか」と思われるかもしれませんが、実際に、自分は存在しない、万物は一つのもの、時間は存在しない、死はない、といったようなことが本当に身に染みて、それを生きるというのはそう簡単なことではありません。それほど私たちの条件付けは根強いと言えます。
それに、ボブを横で見ていると、凄みというか、私たちとは決定的に違う何かがあるような気がしてなりません。
ボブにも私たちと同じように、思考がやってくるし、夢も見るという。ただその本質を見抜いていて、それに囚われることがないだけのことだそうです。
ジェームズ・ブラハが本の中で書いていますが、ボブでさえ、ニサルガダッタの家から帰ってすぐにすべてが変わったというわけではないようです。
やはり問題が起きるたびに(ああ、自分はいないんだ)ということを思い出して、次第に基準点にとらわれないようになっていったそうです。
その辺をボブに直接聞いたことがありますが、ボブに言わせると、そんなことは即時に起きると答えます。
ボブは先生なので、建前しか言いません。「覚醒しないのですか?」などと聞こうものなら、「覚醒するとは何事ですか? それは未来の話ですか? 時間は存在しません!」と言って話が進みません。でもボブは話の途中で時々時計を見るし、個人面談を申し込めば、予定張に書き込みます。「時間は概念にすぎません!」と言っておきながら。
肉体は実在ではない!なんて言っておきながら、針治療もしてもらうし、ビタミン剤も飲む。
私はふざけて、「肉体は幻なんだから、疲れていても休まないし、大酒飲んで毎日徹夜することにしました!」と言ったら、「肉体はちゃんとケアしなきゃだめです」と言われました。
ジェームズ・ブラハは本の中で書いていますが、アドヴァイタ(非二元論)そのものが多くのパラドックス(矛盾)を抱えていると言っています。それは、嘘とか、間違いではなく、パラドックス。私たちは、そのパラドックスを見抜いて、その裏にある本質を見る必要がある。
稀には、自分は存在せず、純粋な意識であるとか、万物は一つである、時間は無い、死はない、などの理解が偶発的に起きる人や、生まれながらにして自分などいないと知っている人もいるそうです。(ブラハの本から)
でもそういう人たちは、どうしてそれが起こったのかわからず、自身の神秘体験と結び付けて、「覚醒した」と思う人もいるのではないかということです。
私は、ボブのところへ来て、「覚醒などない」と思うようになりました。
私の考えていた覚醒とは、すべての道理が明確に理解でき、言いようのない幸福感が永続する状態だと思っていました。しかし、幸福感が常時続けば、それが普通の日常になってしまって、幸福だと感じなくなる。幸福は不幸があって初めて成り立っている。
覚醒など無いのではないか。釈迦やイエスが説いていたことは、特別の人にしか起こらない何かではなく、誰にでも理解できるようなシンプルな教えだったのではないかと思っています。
ある日のミーティングでもう何度かミーティングに参加している人がボブに向かって言った。
「私は最近すこぶる体調もいいし、仕事も驚くほど順調になりました。あなたのそばにいると共鳴のような作用が起こって、覚醒のようなものが簡単に起きるのではないでしょうか?」
ボブ「あなたは今、気づいていないのですか?"Are you not aware now?」
参加者「気づいてます」
ボブ「あなたも私も、ここにいるみんなも気づいて(aware)いる。アウエアネスそのものだ」
参加者「でも、先生が一緒にいて、生徒が先生に愛情を抱いていれば、理解が起きて・・・」
ボブ「私の教えているのは非二元論です。先生と生徒などという分離はなく、一つのものです。何かになる、何かが起きる人はどこにもいません」
参加者「でも、師が触媒となって・・・」
ボブ「ありきたりのスピリチュアルの本で読んだ牛のクソを捨てなさい。あなたも私もいません。私たちはもうすでにそれなのです」
ボブの言っているアウエアネス(知性エネルギー、エンライトメント、意識、それ)は、特別な人にしか起きないような現象のことを言っているのではなく、私たちの日常に普通にある意識(アウエアネス)のことです。
思考がないほんの数秒の間、私たちはそれをはっきりと見ています。
ボブの教えをよく理解している一人の参加者がこう言った。
「長年瞑想や探究を続けた人は、どこかで自分に何かが起こって欲しいと願っています。そうしてマスターに会うと、何かが起こる。気分が高揚して、すべてがうまくいき、自分に何かが起こったのではないか、ひょっとして覚醒したのではないかと思う。私もそうでした。でも、そうした出来事は、すべてマインドの演じるトリップにすぎません。気分の高揚や落ち込みは誰にでもあります。時には神秘体験さえ起こる。それはやって来ては去っていく。でもそれは単なる体験にすぎません」
ボブは、やって来る人のトリップやストーリーにはとりあわず、話の本筋をそらさないように話をする。
ボブに会って、もしくはボブの本を読んで、何かが起こった。自分の中で何かが変わった、そういうトリップには注意してください。それはマインドがでっちあげたストーリーにすぎません。確かに物の見方や考え方が変わるということはありますが、覚醒のような出来事が起きるわけではないのです。ボブの言っていることは、私たちのマインド(思考)の背景として、いつも変わらずに存在する普遍的な意識のことであり、それは決して起こってくる何かではありません。
ギルバートが面白いたとえ話を言ったので書いておきます。
「私たちはメルボルンにいる。でも、ここがメルボルンだと知らない旅人は、人を捕まえては、メルボルンにはどうやって行くんですか?と聞いてまわる。」
多くの人が、覚醒(エンライトメント)=至福(bliss)を探している。それはどこにあるのか。ボブは時々、サットーチットーアナンダ(Sat-Chit-Ananda)を引用する。サット・チット・アナンダはヒンズー教の言葉で、それが現れ出た三つの側面を表現したもの。
サットはexistence(存在)、チットはconscious(意識)、アナンダはbliss(至福)の意味。この至福というのはどこにあるのか。
これは、精神世界の本にありがちな、悟りを開くと突然身に起こると言われているような、高揚した至福感のことではありません。その至福は、思考をちょっと止めたときに感じることができる微妙なヴァイブレーションとしての至福。私たちは、日ごろそれに気づかないだけで、いつもそこにあります。