2023.4.23ミーティング 1:22:56から
マンジュ:「私」はいないということをあれこれと聞いて、私はいないとわかったのですが、それでも誰かがそこにいるように感じるのはどうしてなのでしょう? それが私の質問です。
ボブ:何?
カット:どうして彼女は依然として誰かがそこにいる感じがするのかと。(マンジュ向かって)それは意識の中に現れた衝動、感覚ではないですか? そこに誰かがいるという感覚。それは感覚であり、それはとても強い時もあれば、ほとんど存在しない時もあります。ええ、それは感覚です。でもそれがあなたと、あなたのアイデンティティと何の関係があるのですか? あなたは意識なのですよ。
ボブ:あなたの感覚以外に誰かいますか? 他に誰かが感じていますか? それを主張している人は?
カット:あなたは意識です。そこに誰かがいるような感覚が起こり、私は十分ではないというような感覚や、私は偉大だという感覚が起こりますが、それは感覚であり、それだけです。どんな感覚がやってきても、それは空に現れた雲なのです。あなたは意識です。あなたは「私は在る」であり、純粋な存在です。その中に、いいえ、でも私は小さい、私はジュリアス・シーザーだ、私はブルータスだ、私はマンジュだと、どんな感覚もそこへやってきます。感覚、思考、イメージ、言葉。それらは常にそこにあるわけではありませんが、あなたは常にそこにいます。
マンジュ:ええ。たとえ私が今、私は幸運だと感じると言ったとしても、自分を人のように感じているのは誰なのかという問いがあるのですが、そこには誰も存在しない。
カット:ええ。すばらしいですね。
ピーター:それは単なるイメージなのです。
ギルバート:インポスター症候群という近代の専門用語があります。インポスター症候群の人たちは、仕事を手に入れても、自分はそれにふさわしくない、とかなんとか言いますが、それでもそれは意識なのです。それでもそれは意識が自らを表現しているのです。そこには分離した人や罪のある人はいないのです。それらはすべて驚くべきやり方で現れているのです。
ネルソン:(マンジュに向かって)どうしてその質問が続いているとわかったの?
参加者:(マンジュに向かって)彼は、あなたがその質問をどうやって知ったのかって聞いているよの。その質問はどうやって起こったの? 何がそれを知ったの?
マンジュ:それは知性エネルギーにちがいありません。そうでなければどうやってそれがやって来ることができるでしょうか。そこには何もないというのに。それでわかったのです。誰が聞いているのか? 誰もいないのに。誰が聞いているのかと問うのは意味がないことですね。(笑う)
参加者:それが私たちの条件付けですね。
マンジュ:うまく表現するなら、やってくることもまたすべてそれなのですね。
ギルバート:何年か前のことを思い出したのですが、誰かが私に過去生のことを話しました。私はフォラオの女中だったとかなんとか。誰も自分が便所掃除係だっとは言わない。
カット:(携帯を見ながら)ヴィベックから。「さあ、マトリックス・ゲームが明らかになった。もう誰もマトリックスには入らない」。入っていくことが起きても、それはただスクリーンに起こっていること。ジオティから。「カット、どうか私をクレオパトラにして」(一同笑う)シーザーのファンではなかったの? グッドニュースは、あなたは何でも好きなものになれるということ。そしたあなたはもともとすべて、全体性なのです。どんな衣装もどんな役もまとうことができます。
そしていつでも何にでも変更できます。そしてそのどれもがあなた専用のアイデンティティではありません。それは単なる衣装です。あなたは全体性であり、その衣装の後ろにいて、衣装を着ているふりをして、特定な役となって表現、体験して現れています。なんと素晴らしいことでしょうか。誰もが役割を演じているのです。妻、母、娘、友人、あれやこれや、すべての役がうわべ上では異なるアイデンティティがあるように見えます。そのどれが実在なのでしょうか?
そして誰もが、これが「私」「自分」だと言います。ポーランド人、オーストラリア人、女性、男性。そしてそのゲームの全体を見抜くことは簡単です。ああ、私が黒幕だ。私がコントールする人だ。私が真実を探している人だ。私は真実を見つけたい。私はスピリチュアルだ。驚くべきことです。ええ、クレオパトラに、王に、女王に、あなたの好きなもの何にでもなってください。
でも、真実は、それらは仮の衣装にすぎません。ええ、それは、何と言いましたか? 喜びのダンサー? 喜びの遊び人です。オンラインのコメントは以上です。みなさんありがとう。
ボブ:ありがとう。みなさん、愛していますよ。(Love you all.)