2023.3.19ミーティング 1:14:06から
ギルバート:数年前、ある人がとてもひどい状態でした。彼らは自殺について話していて、私は彼らがそうするだろうと確信しました。彼らは危険なほどシリアスで、これからどうするか決めていたのですが、まず私とコーヒーを飲みたがったので、私は出かけていって、彼らとコーヒーを飲みました。
その人の顔には、おそらく数か月も笑みがなく、まったくみじめな状態に見えました。数分後に私が彼女にした質問の一つは、ボブがミーティングで尋ねたものです。「もしそのことを考えなかったら、どんな条件付けがあるのか?」。彼女は間違いなく、わかったのです。というのも、彼女の顔にかすかな笑みが浮かんだからです。
彼女が、もしそのことを考えなかったら、条件付けはないということを理解したことがわかりました。その瞬間から、自殺しようという考えはいくぶん消えていきました。それがその状況の重要なところでした。私たちは、私というくだらない物語に直面する必要があります。それは真実なのか? そのどこかに真実があるのか?
その質問は素晴らしい質問です。もしそのことを考えなかったら、どんな条件付けがあるというのか? マインドをほんの一瞬止めて、物語に入っていかなければ、そこには条件付けはなく、すべてを粉々にします。でも、あなたがそれをやらなかったら、よくない。もしあなたがやってみなければ。
参加者A:それが効果的であるためには、そのことを思い出さなくてはいけません。それはトラウマに関する興味深い話です。なぜなら、トラウマという言葉はドイツ語の夢に由来するからです。フロイドが最初にこの言葉を使ったと思うのですが、私たちは過去のことを何度も何度も思い出して、その夢の中の出来事の犠牲者なのです。
ギルバート:ええ。私たちは今あるこの世界に住んでいます。そして私たちには主人公がいて、それがトラウマの犠牲者です。彼らは主人公に仕立てられたのです。でもこれは馬鹿げています。なぜなら、それは作られた物語だからです。もしそのことを考えなかったら、どんなトラウマがあるというのですか? 誰もそれを見ようとしません。なぜなら、「こんなことが私に起こった」などなど。私は実在ですか?
参加者B:それは夢だ、それは現実ではない、それを外から見なさいということは簡単だと思います。でも、その中にいたら、それが現実だと感じます。そのため、それは現実ではないというのは役にたちません。それはとても難しいことです。映画がとても強烈だと、その外を見ることはとても難しくなります。それが強烈であってもかまいません。
それに対処する方法は、それをそのままにして、できることなら物語から離れて、何であれ起こってくることを感じることだと思います。というのも、体にとってもそれは現実に感じらるからです。それは実際の肉体の出来事が起こってくるようなものです。
もし、物語から離れていることができて、何であれ起こってくることを起こるに任せることができるなら、それはそれですごいことですが、もしそれができなければ、それもOKです。ボブが言うように、愛あるアウエアネスとして、その事実に寛容でいて、それは起こってくることであり、起こってもそれはそれでOKであり、トラウマとして囚われる必要はなく、夢であるということを知る必要もありません。