2013.3.26ミーティング 45:18から
ギルバート:何年か前にボブが言ったことですが、「どの方向もマインドの中のもの。どの次元もマインドの中のもの」。この私という物語は物語であり、物語には筋書きがあります。そして、物語の筋書きを追いかけると、良いとか不快とかいう目にあうことになりますが、それは物語なのです。
そして、感銘を受けたまた別のことは、ボブの最初の本の中にあるのですが、「マインドを見つめ、それがどのように機能するかを見なさい」というものでした。それはとてもシンプルかつダイレクトで、指示や招待ではなく、単なるポインターでした。マインドとは何か? 誰がマインドを見つめているのか? それでマインドがやって来るのですが。(笑い)
私がマインドを見つめているのです。意識(consciousness)が根本的なものなのですが、意識は独立したものであり、その「独立した」という意味は、その外側のどんな影響も受けないという意味です。つまり、私が意識であり、あなたが意識であり、すべてが意識なのです。それは、その外側のいかなる影響も受けません。なぜなら、意識がそこにあるすべてだからです。
意識の内容物が、どんなものであろうと、意識とは分離してはいないのです。あらゆるドラマ、幾何学的なパターン、神聖な外形、起こっているすべては、意識にすぎません。では、自身のアイデンティティとは何なのでしょう? 誰がマインドを見つめているのか?
するとボブは、「認識が起こっていて、その認識する空が自然に起こっている。見ることが自然に起こっている。聞くこと、認識することが自然に起こっている」と言いました。では、この「私」はどこからやって来て、「私がそれをやっている」と言うのでしょうか?
ステララメッシュワー(?)は言いました。腕が動き、その動きを横取りした「私」が、「私がそれをやった」と言います。これは本当にダイレクトなポインターです。そして、私がそれを意図したのか? 意図したとか意図しないとかいう私は誰なのか? それを調べてみてください。マインドを見つめ、それがどのように機能するのかを見てください。
意識(consciousness)は独立したものです。それは変化しません。これは、人が認識することができるとても重要なことです。キャラクターには浮き沈みがあり、気分や起こっていることなどすべてに左右されます。それは外側の状況に左右されますが、実在ではありません。私は意識であるという事実に立ち返って、それに留まるようにしましょう。誰がそれをやろうとしていうのか? 物語には終わりがありません。もしあなたがマインドを見つめ、思考や筋書きを追いかけることをやめると、何かが突然明らかになります。
それが何なのかを言うこともできないし、釘付けにしておくこともできません。それは、はかないものであり、時間の無いものです。アウエアネス(意識)には時間はありません。それは不変です。私たちは絶えず、変化や渇望に振り回されていますが、ただ静かにして、マインドを見つめる。そして何が起きるかを見ることです。